竜挐虎擲! マリアナ決戦⑱

フィリピン海:サイパン島北西沖



「ううむ、わやくちゃになっておる……」


 七航戦司令官なる高谷少将は、航空母艦『天鷹』の飛行甲板を眺めつつぼやく。

 1000海里を踏破した末に制空戦闘をやるという、目玉がポーンと飛んで炸裂せんばかりの離れ業をやってのけた何十という烈風が、次から次へと着艦しつつあった。彼等が功労を称賛する気持ちは当然あったし、実際それが故に艦隊決戦が上手くいきそうなのであるが……つまるところ問題はそこである。


「おいバクチ、もっと急がせられんか? 早くせんと決戦に間に合わん」


「少将、これでも最大限急がせております」


 今の666空を取り仕切る博田少佐が、ひたすらに困惑の色を浮かべる。

 彼の言うところでは、もう間もなく流星11機の出撃準備が完了するとのこと。とはいえ烈風の補給と再出撃を優先しろと命令が飛んできていて、『天鷹』攻撃隊はその後に回さざるを得ない。制空権がなければ艦隊もまともに戦えぬから、道理ではあるかもしれないが、ボヤボヤしていては敵戦艦がすべて沈んでしまうかもしれぬ。


「むむむ……」


 しょうもなく名誉欲的な焦燥に駆られつつ、改めて飛行甲板に目をやる。

 被弾してボロボロになった烈風が、どうにかフックを制動索に引っ掛けて停止したところだった。流石に修理不能ということか、負傷したらしい搭乗員が担架で搬送された直後、同機はそのまま海へと投棄された。


 ただ高谷の視線は、どうしてか脇へと反れていく。

 すると破孔を応急修理した辺りの左舷側に、随分と遅れて登場した新型艦戦の、まったく精悍なる姿がズラリと並んでいるのに気付いた。しかもそのうちの何機かには、整備の者どもが取り付いておらず、燃料弾薬の補給が完了したと見える。


「いいこと思いついた。あそこの機体を今すぐカタパルトで発艦させろ」


「ええッ、着艦中にですか!?」


 博田は目を丸くし、


「少将、そんなことをすれば大衝突事故が起きかねません。最悪、攻撃隊の発艦が不可能になります」


「男は度胸、何でも試してみるんだ。だいたいお前、バクチなんつう渾名だろ。この重大局面で乾坤一擲しないでどうする」


「自分からもお願い申し上げます!」


 耳に覚えのない、やたらと戦闘的な声が、追撃するかの如く艦橋に響き渡る。

 見れば飛行服を着たツキノワグマみたいなのが立っていた。彼は302飛行隊の岡本少佐で、グラマンに燃料タンクが射抜かれた関係で、真っ先に降りたとのことだった。


「自分の部下は寝てても着艦できるような錬度Aの腕利きしかおりません。故に衝突事故など起きようがありませんので、可及的速やかなる発艦を許可していただきたく」


「そういう訳だ、とにかく発艦を急がせろ」


 高谷は有無を言わさぬ口調で命じ、間もなく同時発着艦と相成った。

 疲労困憊しているはずの搭乗員達は、異常な戦闘意欲ばかり滾らせて、勇躍愛機に飛び乗っていく。そうして追突事故の危険を顧みることなく、烈風は準備でき次第カタパルトへと誘導されていき……最初の機が急加速を開始したと思った直後、通信室から唐突な報告が舞い込んだ。





 第55任務部隊にとって、戦況は最悪というに等しかった。

 特に戦艦『オハイオ』の喪失は、あまりにも大きな痛手という他なかった。片舷に都合10発もの魚雷を食らった6万トン超の浮かべる城は、未だ海面下に没してはいないものの、もはや乗組員を逃がす以外にできることは何ひとつない。加えてその姉に当たる『モンタナ』も、敵大型機の放った滑空誘導爆弾の直撃を受けて主砲塔1基が旋回不能となってしまっており、挙句の果てに、ほぼすべての艦が被雷しているといったあり様だ。


 そんな惨憺たる状況で、優勢なる敵と交戦したならば、結果は火を見るよりも明らかだろう。

 ちょうど3対3となったモンタナ級と大和型は、それぞれが一騎打ちとなって激しく撃ち合っているが、アイオワ級の『ニュージャージー』と『イリノイ』は如何ともし難い苦境に陥っていた。長門型2隻もしくはリシュリュー級2隻を相手取らねばならない彼女達は、既に相当の深手を負っており、間もなく戦列より落伍しそうな雰囲気。そうして浮いた戦力をもって、敵は集中砲火を浴びせかけてくるに違いない。


(だが……まだ希望は潰えた訳ではない)


 任務部隊指揮官なるデヨ少将は、戦闘指揮所に座しつつ歯を食いしばる。

 彼が将旗を掲げる『メイン』は、5発の敵弾を受けつつも依然として健在。連装4基の主砲は3万ヤード彼方を同航する敵一番艦を指向し、巨竜の如く炎を吹いて18インチ砲弾8発を送り込む。いずれも貫通力では大和型のそれをも上回る1.7トンの超重量砲弾で、命中率の低下を補うは新型の動揺修正装置だ。


 とはいえやや遅れて発砲した敵一番艦も、数発被弾しているにもかかわらず、まるで戦力が衰えた様子がない。

 両艦とも空前の砲戦力を有しつつも、それ以上に強靭さを誇っているようだ。いわばヘビー級のボクサー同士が、世界王者の座を賭けて、血みどろの殴り合いを繰り広げているようなもので――そういえばかつての英雄たるデンプシーは、第57任務部隊の攻撃型輸送船に乗り組んでいるのだったかと、少々場違いなことを思い出された。


「弾着、今」


 雑念を掻き消すかのような絶叫が木霊する。


「さて、どうだ」


「命中、敵一番艦に2発命中」


 朗報に艦内がドッと沸く。

 うち1発は敵艦の第二砲塔付近に当たったとのこと。もしかすれば神話的に恐ろしい大和型より戦力の3分の1を奪えたかもしれず、見張り員の追加報告によれば、実際にそれは動かなくなったようだった。


 だが大和型の報復もまた熾烈であった。

 『メイン』もまた同じ数だけ被弾し、この世の終わりを思わせるような激震が艦体を駆け抜ける。それが収束すると同時に各所より報告が上がり、程なくして第三砲塔がその能力を喪失したことが判明した。


「砲門数が互角なら、『メイン』の方が有利です」


 参謀長のクーパー大佐が声を張り上げ、


「このまま押し切れるやもしれません」


「うむ。是非ともそうしてもらわねば……」


「ああッ、『ニュージャージー』が爆発」


 デヨが勝負に期待を抱いたところで、泣き出さんばかりの声が到来する。

 アイオワ級の二番艦として生を受け、幾多の戦場を潜り抜けてきた殊勲艦。2隻を相手取って孤軍奮闘し、その片割れを大破せしめた彼女は、遂に轟然と爆ぜて紅蓮の業火に包まれたとのこと。16インチ三連装砲塔が空高く弾き飛ばされたというから、生存の見込みなど絶無という他なさそうだった。


 なお如何なる執念のなせる業か、『ニュージャージー』が死の間際に放った16インチ砲弾6発は、それまでも照準し続けていた敵五番艦を見事に捉え――長門型らしきそれを轟沈へと追いやった。

 まったく壮絶なる相打ち、しかしそれに心動かされている暇などあるはずもなかった。妹を喪ったであろう敵四番艦は、大和型のいずれかに加勢し、その激情を晴らさんとするに違いない。更には38㎝砲弾の乱打によって『イリノイ』を降したフランス製戦艦の2隻もまた、凶悪な四連装砲塔をおどろおどろしく旋回させてくる。数で言うなら3対6で、純粋な砲戦力で考えるならば、勝負は既に決したも同然だ。

 それでもデヨは冷静さを保ち、この状態で如何に戦うべきかを模索する。突如として反撃のアイデアが閃くことはなかったが、腕時計を一瞥することで、そろそろ仲間が助力に来るはずだと理解できた。


(そうだ、騎兵隊の到着は間もなくなのだ……!)


 再び被弾の激震に艦体が悲鳴を上げるも、『メイン』よ耐えてくれと懇願する。

 遥かマーシャル諸島より来援するは、B-24長距離雷撃型の第二陣なる76機。今度はこちらが敵の隊伍を滅茶苦茶に攪乱する番で、混乱を突いて一発逆転を図るのだ。レーダーはどの艦も使い物にならなくなったらしく、正確なところは不明だが、予定ではそれらの先鋒は30マイルほどの距離にまで来ている頃合いだ。加えて艦隊上空の疫病神めいた敵双発戦闘機についても、護衛空母のF6Fが追加で30機ほどやってきたこともあり、どうにか抑え込めている状況だった。


「諸君、本当にあともうひと踏ん張りだ」


 皆の魂魄に届くよう、デヨは慈父の如き口調で続ける。


「もうひと踏ん張りすれば、勝利の女神は我等に微笑む。だからこそ……」


「長距離雷撃隊より緊急電。ワレ、敵機ノ攻撃ヲ受ク」


 あまりにも理不尽なタイミングで、戦闘指揮所に悲報が轟く。

 信じ難いそれに全身が蝋人形めいて硬直し、まるで二の句が継げなくなった。しかも通信室からは、精神の平衡を完膚なきまでに狂わせるような情報が続いた。どういう訳か航路のほぼ真下に冒涜的なる食中毒空母がおり、そこから矢継ぎ早に送り出されてくる直掩機によって、長距離雷撃隊が大損害を被りつつあるというのだ。


「は、はは……こんなところで食中毒空母か……」


 指揮官らしからぬ窶れ果てた態度で、デヨは虚空に通じるような声を漏らした。

 そうして暫く呪詛の如く笑い転げた後、尋常ならざる形相を浮かべて立ち上がり、壁面を渾身の力を込めて殴打する。小指の骨がポッキリ折れた気がしたが、もはや痛みすら知覚できなかった。


「この悪魔の化身め、俺達に嫌がらせをするのがそんなに楽しいか! ふざけるなこん畜生!」


「少将、お気を確かに」


 忌まわしき魔女の哄笑ばかりが響く耳朶に、クーパーの狼狽が辛うじて届く。

 その数秒後、大和型戦艦によって撃ち出された18インチ砲弾のうち1発が、『メイン』の艦橋部を直撃した。非情なる現実と神に公然と異を唱えだしたデヨが、その衝撃で脳天を強かに打って昏倒してしまったのは、合衆国海軍にとっては不幸中の幸いだったのかもしれない。

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