竜挐虎擲! マリアナ決戦⑲

フィリピン海:サイパン島北西沖



 マリアナ諸島周辺で繰り広げられた空前絶後の大海空戦は、ようやく終局へと向かい始めていた。

 主力たる機動部隊に関しては、再編を終えた日米のそれが夜明けとともに数百機もの攻撃隊を放ち、それぞれ航空母艦3隻を撃沈するという痛み分けに終わった。その時点で双方とも艦載機戦力の大部分を消耗してしまった形である。故にほぼ1個任務群相当まで戦力を落とした第58任務部隊が、出し得る限りの速力でもって撤退へと転じていくのを、半壊した第一機動艦隊を率いる小沢大将は座視せざるを得ない状況となった。


 一方でサイパン島北西沖で繰り広げられた艦隊決戦は、十分に聯合艦隊の勝利と言えそうな雰囲気だ。

 旭日旗を掲げたる戦艦も凄まじく傷つき、大和型などは軒並み大破してすらいたが、喪失まで至ったのは弾薬庫誘爆で轟沈した『陸奥』のみ。一方で米側はアイオワ級の2隻が沈み、モンタナ級が3隻がほぼ戦闘不能というあり様となっていた。つまりは海軍拡張法および両洋艦隊法に基づき計画され、紆余曲折を経て完成した新戦艦の大半が、海の藻屑となろうとしている訳で――かなり薄氷を踏むようなものだったのは事実であれ、日本海海戦に次ぐ快挙に違いなかった。


「とはいえ、モンタナ級のしぶとさにはほとほと呆れる」


 第一艦隊を統率する宇垣中将も、流石に驚嘆の息を禁じ得なかった。

 恐らくは敵旗艦であろうモンタナ級は、艦上構造物のほぼすべてを破壊されながらも、未だ機能を維持している第一砲塔をもって戦闘を継続していた。無論のこと、その精度は大変に低い。恐らくまともな測距ができていないが故で、大和型以外であれば1発で致命傷となりかねない18インチ砲弾は、まったく明後日の方向の海面を激しく打擲した。


 一方で『大和』および『信濃』、『長門』の3隻が放った14発の大口径砲弾は、仇敵を強かに撃ちつけた。

 命中したのは46㎝砲弾と41㎝砲弾が1発ずつ。既にモンタナ級の被弾数は25を超えているはずだが、未だに速力は15ノットを維持しており、尚も敢然と反撃してくる。絶望の淵にあっても諦めることなく戦う米国の乗組員と、彼等が海軍精神が乗り移ったかのような巨艦の姿には、一種の神々しさすら感じられた。


「これだけ叩いても沈まんとは……米国の建艦技術には驚愕するしかないな」


「本艦も、既に廃艦所要弾数を上回る数の敵弾を受けております」


 参謀長の森下少将もまた、若干落ち着きのない声で応じる。


「損傷の度合いで言うならば、『武蔵』も『信濃』も似たようなもので……6万トン台の大戦艦ともなれば、敵味方いずれのものであれ、そう易々とは沈まぬものなのかもしれません」


「まあ、その通りだろうな。だが沈まずとしても、戦い難くなり果てはする」


 感情を抑制した声色で、宇垣は静かに肯く。

 間もなく『大和』は3門のみとなった主砲でもって、僚艦と協同して2万メートル先の目標を射撃した。大口径砲弾が唸りを上げて交錯し、モンタナ級に幾度か火の手が上がり、ようやくのことその行き脚が衰え始める。だが新大陸を開拓してきた者どもの意地を見れるかのように、瀕死の敵艦は尚も発砲を繰り返した。


 そうして数分の後、更に何発か被弾した米巨大戦艦は、遂に戦闘能力を喪って停止した。

 『武蔵』および『伊予』が撃ちまくっていた『モンタナ』も、ほぼ時を同じくして航行不能となったようだった。荘厳としか評せぬ物語は遂に終幕を迎えた。肉体の限界を超えて戦っていた者達は、ここでこそ兜の緒を締めんと踏ん張る。また弾片を浴びて死の淵にあったとある水兵は、敵艦はまだ沈まずやと幼少の頃より聴いていた歌さながらに尋ね、傍らの上官の眼を潤わせる。

 ともかくも第一艦隊に乗り組む全員の目より流れ出でるは、これまでに果てた戦友の分まで含んだ感涙。またそれは最後まで諦めなかった敵への、絶大なる称賛を意味するかのようにも煌めいた。


「あッ……敵一番艦、戦闘旗を降ろしつつあり」


「勝ったか」


 見張り員の嗚咽のような報告に、宇垣は僅かな安堵を滲ませた。

 それからすぐに撃ち方止めを命じ、半ば折れかけた矛を納めさせる。程なく万歳の声が、何処からともなく異口同音に響いてきて、瞬く間に艦内を満たしていった。これまで戦った如何なる敵よりも強力な、真の好敵手と呼ぶべき戦艦。激闘の果てにそれを打倒し、世界最強の座を手にしたという事実に、感極まらぬ者などいるはずもない。


 だがよくよく考えてみれば、モンタナ級の個艦戦闘能力は、大和型のそれすらも上回っていたかもしれぬ。

 実際、『長門』や『信濃』の増援があって、ようやく止めを刺せたくらいなのだ。沖縄や鹿児島の航空隊が長距離攻撃を敢行していなければ、第一水雷戦隊が壊滅と引き換えに戦艦1隻を削り取っていなければ、大海戦の行方はまるで分からなかった。あるいは開戦以来悪評ばかり轟かせている『天鷹』が、アイオワ級戦艦への空襲や敵爆撃機の要撃に失敗していたならば……反実仮想がそこに行き着いた段階で、彼は重要なことをひとつ思い出す。


「既に決着はついた、これ以上の手出しは無用。接近中の『天鷹』航空隊にそう打電しろ」


 かような命令をもって、上空に差し掛からんとしていた銀翼を引き返させる。

 刀折れ矢尽きたる戦艦を雷撃し、断腸の思いで艦を離れているであろう者達を殺傷しては、聯合艦隊の名誉に傷がつくばかりである。とはいえ海兵40期の大問題児として名を馳せ、未だにバンカラぶりの治らぬ七航戦司令官は、持ち前の名誉欲から盛大に地団太を踏むこととなりそうで、その形相を想像したら少しばかり笑いが漏れた。


(ただあのやくざ軍艦にしても、決して無駄飯食いではなかった)


 宇垣はそのように総括し、『天鷹』のある方角へと視線を向けた。

 調子に乗られると心底面倒だから、面と向かってその功を称したくはないものだが――かの航空母艦と高谷祐一なる人物は、直接沈めたのは駆逐艦だけであるとはいえ、この決戦を勝利に導く上で多大なる貢献をした。であれば色々と評価を改めねばならぬところがあろう。勝利の余韻の中、彼は冷静沈着に考察した。





「はァ……まったく何故、かくも武運に恵まれぬのだろうか」


 航空母艦『天鷹』に座する高谷少将は、本当にガックリと項垂れていた。

 理由は誰の眼にも明らかだろう。必殺の航空魚雷でもって米巨大戦艦を沈めるべく、流星11機からなる攻撃隊を発艦させたのだが――それらが到着した時には既に、艦隊決戦が終わってしまっていたためである。聯合艦隊の勝利はまったくめでたいが、そこですら主力艦の撃沈ができなかったとなると、とにかく情けない気分になって仕方がない。


「それもこれも、あのど腐れ爆撃機どものせいだ。あれらがワラワラと襲いかかってこなければ、もう何分か早く発艦を終えられ、大手柄だったかもしれぬのだが」


「とはいえあれらが第一艦隊に直行していたら、余計に拙かったかもしれません」


 艦長の陸奥大佐もまた、微妙な面持ちで煙草を吹かしつつ言う。


「むしろメイロの的確な操艦のお陰で艦が無事であることを、それからマリアナ決戦と今次大戦が勝利に終わりそうなことを、まずは喜ぶべきではないかと。それと少将、今後の予定はどんな具合となるのでしょうか?」


「ん、ああ……どうも一旦給油のため、パガン島北西沖に集結する運びとなるようだ」


 高谷はぼんやりとした口調で応じ、それから理由を思い出す。

 つまるところ原子動力潜水艦なる厄介極まりない敵が出現したお陰であった。15ノット超での連続潜航が可能と推測されるそれに捕捉され、決戦海域に突入する前に主力艦が被雷してしまわぬよう、どの艦隊も出撃直後から結構な高速航行をやっていた。故に燃料の消費が凄まじいことになっており、天麩羅機動部隊で空母の振りをしていた『速吸』や『鷹野』などと、早急に合流する必要が生じたという訳である。


 ただそうして補給を終えた後のことは、依然としてよく分からない。

 恐らく無事な艦を搔き集め、マリアナ沖の制海権を維持する等であろうが――案外と米海軍の諦めが悪かった場合、未だ1個群ほど残っているらしい機動部隊と旧式戦艦部隊などでもって、無理矢理に再戦を挑んでくる可能性もあるのではないかと思われた。『天鷹』は被弾したとはいえ航空機運用能力を取り戻しているし、元が客船だけあって燃費がよかったから、本土へと戻る必要性も薄いだろうと推測できた。


「となれば……なるほど、まだ手柄を立てる機会はありそうか」


「ええ……流石にもう仕舞いなのでは?」


「分からんぞ。こちらが給油点に向かうのを、撤退と勘違いするかもしれん。むしろそうあってもらいたいものだ、今度こそ敵主力艦を撃沈してやれるだろうからな」


 高谷は急速に気を取り直し、まったく無責任に放言した。

 そうして手前勝手に戦意を高揚させ、同様に意気消沈気味だった者どもを昂ぶらせていく。それが今後どう作用するかは、神のみぞ知るところに違いない。

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