竜挐虎擲! マリアナ決戦⑳

フィリピン海:サイパン島沖



 空前絶後の艦隊決戦で勝利を飾った戦艦『大和』は、随分と窮屈になりつつあった。

 海面を漂っていた米海軍将兵を、片っ端から収容していったためだ。無論、先刻まで敵であった連中であるから、心中穏やかならぬ者もいるかもしれぬ。しかし武士は相身互い。故に決着がついた後まで敵意や遺恨を引き摺るは、まったくもって男らしからぬ態度であると宇垣中将は断じ、最大限のシーマンシップをもって捕虜を遇せよと命じたのである。


 そうして救助された者の中には、悔し涙をボロボロと流しながら、甲板を殴打しまくる若い少尉もあった。

 何度も「畜生、沈め」と叫びながら、拳骨でもって装甲板に穴を穿たんとするその姿は、些か滑稽と思えるかもしれぬ。だがそれを目撃した乗組員は皆、何時の間にやら貰い泣きをしてしまったりした。仕える国は違えど同じ海軍軍人であるから、艦を喪う苦しみや屈辱は誰よりもよく分かる。あるいはもし運命が僅かに異なっていたならば、自分がまったく同じ立場に置かれていただろうと思うと、本当に他人事ではなくなってしまうのだ。

 そして大勢が号泣する様を写した一葉は、後の日米関係に結構な好影響を与えたりするのだが――ともかくも揃って大破した大和型などは、ホテルだの御殿だの旅籠だのになって、呉や佐世保への帰路に就き始めていた。


「とりあえず、潜水艦にだけは注意せんといかん」


 飛行科で水偵乗りの松岡中尉は、そう呟いて両目を凝らす。

 愛機がカタパルトごと破壊されてしまったため手持無沙汰な彼は、実質的な何でも屋になっており――今はペアの池谷飛曹長とともに、潜望鏡がないか見張っている訳である。


「米機動部隊も撤退しておるようだが、潜水艦だけは分からん。随伴の駆逐艦も多くはないし、特に最近はやたらと高速な潜水艦もいるというからな」


「捕虜を2000人近くも乗せた艦を、好き好んで沈めに来ないのではないでしょうか?」


 池谷はもまた視力を動員しつつ、ぼんやりとした口調で尋ねる。


「それに狙うとしても、機動部隊の方が優先となりそうな気も」


「分からんぞ。潜水艦は得られる情報がやたらと限られるから、付近に敵艦がいたら構わず襲ってくるものだ。まあ通常であれば、その前に不審な電波が確認されるなど兆候があるはずだが……それにしても見落としがあるかもしれん」


 自身をも諭すように松岡は言い、それから監視作業に入った。

 正午過ぎの強烈な日差しが皮膚を刺す中、水筒の中身を飲んで喉を潤し、集中力を研ぎ澄ませる。たかが番茶ではあるものの、生き残れたからこそ味わうことができるものに違いない。であれば最後の最後で油断するようななことがあってはならぬと、己が慢心を戒め、黙々と海原を睨み続ける。


 交代要員がやってきたのは、概ね2時間ほどが無事に過ぎた後。

 ひたすらに視力を酷使していた松岡は、ホッと胸を撫で下ろす。それから間食に汁粉でも頼み、捕虜にも振る舞ってやるのもよいかと思いながら引き継ぎを終え……そこでようやく、池谷が何が言いたげな顔をしているのに気付く。


「うん、どうかしたか?」


「いえその、そういえば敵三番艦の『ワシントン』はどうなったかと思いまして」


 池谷は怪訝な面持ちで首を傾げ、


「先程、捕虜がボソボソ話しておったのを聞いたのですが……どうもあの艦の乗組員だけ見当たらんそうです」


「うん、それなら『信濃』が撃破して……」


 言葉に詰まる。記憶を辿ってみると、確かにその先はまったく判然としなかった。

 如何なモンタナ級といえど撃破済みの艦であるから、仮に残存していたとしてもさしたる脅威とはならぬはず。だがあるいは……不可解なる胸騒ぎが途端に渦巻き、松岡は居ても立ってもいられなくなった。





 モンタナ級戦艦四番艦たる『ワシントン』は、未だ沈没してはいなかった。

 大和型との撃ち合いにおいて18インチ砲弾多数を浴び、航行不能となって落伍したものの、つい先ほど機関の復旧に成功したという訳である。もっとも出し得る速力は7ノットが上限で、主砲も第二砲塔を除いて全損という壊滅的状況であったから、まともな戦力として数えられそうにもない。


 そして何より、孤立無援という表現が当てはまっていた。

 味方が後退しつつある中、マリアナ諸島沖に取り残されてしまった形である。今のところは雨雲の下に隠れることができているものの、根拠地たるマーシャル諸島への帰還はほぼ不可能という他なく、いずれは長距離攻撃機の類に捕捉され、撃沈の憂き目に遭うのは間違いなさそうだった。


「つまりは、どうあっても絶体絶命という訳だ」


 艦長たるマキナニー大佐は、何処か自暴自棄な笑みを浮かべる。

 とはいえ彼の戦意は決して潰えてなどいなかった。確かに砲戦に敗れたのは屈辱であったが、何より唾棄するべきは、ただ運命に膝を屈することだ――そう言わんばかりの光輝が、彼の双眸には未だ宿っていた。


「いやはやまことに面白い。ここから一発逆転の一手を打ち、スプルーアンス大将をしてフォレイジャー作戦を再興せしめれば、『ワシントン』の名誉も保たれよう。南太平洋で果てた先代、その英雄的なる魂を受け継いだこの艦が、むざむざ沈められていいはずがないのだからな」


「具体的には、どうすべきでしょうか?」


 何処かわざとらしく副長が尋ねてくる。


「敵艦の捕捉撃滅は、もはや叶いそうにないかと思われますが」


「ならばマリアナ上陸の魁となるまでよ」


 マキナニーは躊躇なくそう言ってのけ、


「このまま『ワシントン』をサイパン沖に座礁させ、6万トンの巨大浮き砲台とする。必殺の18インチ砲弾でもって飛行場および要塞施設を壊滅に追い込み、必要とあらば乗組員一同が海兵隊員となって奮戦し、友軍の上陸作戦を支援するのだ。航海長、サイパンまで何時間かかる?」


「概ね11時間程度、午前2時頃の到着かと」


「真夜中にジャップ野郎どもの度肝を抜いてやるという訳だ、なかなか楽しくなってきたな。ともかくも目標はサイパンだ。是が非でもあの島まで辿り着き、忌々しい敵を撃ち滅ぼしてやろうではないか」


 血気盛んなる口調でマキナニーは決断し、艦内放送で檄を飛ばした。

 酷く打ちひしがれていた乗組員達が、それでもって勇気百倍したことは、もはや記すべくもないだろう。





フィリピン海:パガン島北西沖



「おおッ、見つけた……遂に敵機動部隊を見つけたぞ」


「ここで遭ったが百年目、悉く海の藻屑としてやろう」


 潜望鏡に映った艦影に、メルヴィル中佐は破壊衝動に満ちた歓声を上げた。

 それは明白なまでに翔鶴型で、更に級別不明ながら航空母艦と思しきものが幾つか連なっている。集結中と伝えられた日本海軍機動部隊と見て間違いなかった。世界初の原子動力潜水艦たる『ノーチラス』の主任務は、その撃滅に他ならぬから、ようやく巡ってきた交戦の機会に、彼女に乗り組む全員が震えていた。


 率直にものを申すならば、遅きに失した感が否めないのもまた事実。

 本来であれば出撃直後の機動部隊を奇襲し、戦力を漸減するはずだったからだ。ただそれは敵がやたらと高速航行していた関係で果たせず、しかも潜航中に原子炉の出力が突然低下するという原因不明の不具合に見舞われ、肝心かなめの時に漂流状態に陥るなどしてしまっていた。そうして戦闘能力を発揮できぬうちに、ミッチャー中将の第58任務部隊は大損害を被ってしまったというから、まったく悔んでも悔み切れぬほどの失態ぶりである。

 それでも今ここで敵航空母艦を何隻か仕留められれば、戦況は多少なりとも改善するだろう。メルヴィルはチョコミント味のアイスクリームを舐めながら、雷撃計画を即座に練り上げる。


「それにしても、敵も油断しておるように見える。もう勝ったと思っていやがるのか?」


「水上レーダーを使わなかったのが効いたのかもしれません」


 そう言って得意げに笑むのは副長であった。

 『ノーチラス』は最新型の水中音響装置を装備しており、それだけで十分な諸元が得られる。短期間であれ電波を輻射すると敵に勘付かれる可能性も高まる故、水上レーダーを使用せずに接近してはと提案したのは、他でもない彼であった。


「さて、それでは雷撃といこう。まずあの翔鶴型に至近距離から魚雷4発、その横ッちょにいるのに2発を叩き込む。しかる後に敵中を強行突破し反転、再度の雷撃を実施してやろうと思う」


「稲妻魚雷戦ですね、確実にやれます」


 副長もまた大いに胸を張り、


「敵は機動部隊ですから、鈍足の輸送船団のようにはいかないかもしれません。それでも『ノーチラス』は爆雷攻撃など受け付けませんし、20ノットで半永久的に潜航可能なのですから、海の果てまで追いかけてやればいいかと」


「うむ。ここでも相変わらず、魚雷の本数が難点だが……まあ今更愚痴を言っても仕方あるまい。諸君、戦闘準備だ。敵空母を可能な限り撃沈し、東京放送のクソガキを泣かせてやろうじゃないか」


 メルヴィルは溌剌たる口調で発令し、襲撃運動を開始させる。

 プルトニウムの核分裂でもって、異次元の速力で海中を驀進する『ノーチラス』は、まさしく白鯨と呼ぶに相応しい。そして彼女に獲物と認識された航空母艦は、またその直衛を担っていたはずの駆逐艦は、四発もの魚雷が発射管より放たれても尚、雷撃を受けつつあると気付くことができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る