竜挐虎擲! マリアナ決戦㉑

フィリピン海:パガン島北西沖



「ううむ、今回の敵は随分と諦めが悪いと見える」


 航空母艦『赤城』に将旗を掲げたる小沢大将は、齎された情報に思わず唸る。

 聯合艦隊のほぼ総力を投じた乾坤一擲のあ号作戦は、大損害と引き換えに第58任務部隊を潰走させたこともあり、どうにか成功裡に終わりそうな雰囲気となっていた。だが強行偵察の彩雲が捉えたところによると、輸送船数百隻からなる大上陸船団は、依然として引き返してはいないとのこと。20隻近い護衛空母と戦艦6隻という、相応に有力なる水上戦力に護衛されているにせよ、些か不可解な話と考える他なかった。


「敵将タワーズめが、ここで意固地になっておるのかもしれませんな」


 参謀長の大林少将が、これまた首を傾げながら推測する。


「何せこの一大決戦を前に、政治力を武器に太平洋艦隊司令長官の座に着いた、米海軍始まって以来の見栄っ張り……そんな具合の評判を伺っておるもので。ならば是が非でも戦果を欲するでしょう」


「それはまったくの事実かもしれんがな参謀長、油断は禁物だ。あ奴には一度、煮え湯を飲まされかけたのだぞ」


 小沢はどうにも面白くなさそうな声色で窘める。

 もちろんその原因は、8月初頭に危うくマリアナ諸島が陥落しかけたことが挙げられるだろうが……海軍の恥晒しと遠ざけている連中に、窮地を救われたが故の部分もあるのかもしれない。


「実際、躁鬱病みたいな人格破産者とも聞いておるが、航空には相当に造詣が深いというし、実際かなりの闘将に違いない。そうした意味では、まったく油断ならぬ人物と見ておいた方がよさそうに思うな」


「はい。肝に銘じます」


「うむ。闘将過ぎて無理を通そうとするのも、政治的な意向を重視過ぎてトンチンカンなことをやろうとするのも、どちらもあり得はするだろう。まあとはいえ、だ」


 傍らを並走する航空機搭載給油艦の『塩見』を、小沢は頼もしげに一瞥する。

 大速力で戦場を駆け回った第一機動艦隊は、どうにか補給を行うことができていた。何より死活的なる重油をタンクに移し、艦載機や高角砲弾などを補充していく。それでもって『赤城』や『翔鶴』など航空母艦5隻の作戦能力を回復させ、それらを中核とする部隊を編成、マリアナ沖に遊弋させ続けるのだ。


 無論のこと、速度を落とさざるを得ない今が、一番危険であることは分かっている。

 それでもあと数日ほど制海権を取り続ければ、米軍も上陸作戦を断念し、上陸船団をマーシャルへと帰還させるものと思われた。であれば厳重なる警戒の下、迅速果敢に作業を進めるのみ。実際、瑞雲や流星、それから新型の回転翼機などが上空を忙しなく飛び回り、各艦の電測員や水測員もまた神経を尖らせている。最後まで気を抜きさえしなければ、あ号作戦は完遂できる――かような緊張感を鞭として、憔悴した心身を打ちながら、小沢は視線を移ろわせた。


「それと五航戦に艦載機を集約する件についてだが……」


「『翔鶴』被雷ッ!」


 見張り員のあまりに悲痛なる声が、凄まじい衝撃力をもって耳朶を打擲する。

 艦橋はたちまち凍り付き、小沢は思わず己が聴覚を疑った。だが幾多の戦場を東奔西走してきた歴戦の航空母艦の舷側に、巨大な水柱が3つも奔騰する様を、彼の両眼は間違いなく捉えていた。


「あッ、『千草』も被雷ッ!」


「給油を中止、ただちに当海域より緊急離脱」


 猛烈なる戦慄に神経を絞められながらも、小沢は多少落ち着いた声で命じた。

 何より恐れてきた原子動力潜水艦が、遂に襲撃を仕掛けてきた。かような直感はまったく正しく、脅威への対処もまた適切だった。海中を高速無限潜航できる敵と遭遇したならば、とにかく速力を上げて振り切る。まともな対潜戦闘能力を持たぬ主力艦は、ただ遁走する他に生存の術などなく――確かに航空母艦の損害は、それ以上拡大しなかった。





「虚仮威しになど狼狽えるな、我等は世界最強の白鯨に乗っておるのだからな」


 断続的に衝撃波が水中伝播してくるものの、メルヴィル中佐が慄くことなどありはしない。

 先程魚雷3発を命中させた航空母艦の報復ということか、上空で哨戒飛行中だった航空機が、次々と爆雷攻撃を仕掛けてきているようだった。中にはやたらと炸薬量のあるものまで含まれていて、しかもそのうちの1発がぎりぎりのところで炸裂したりもした。だが『ノーチラス』はそんなものに捉えられたりしないと、彼は疑いようもなく理解できていた。


 何しろ速力15ノット超で潜航する原子動力潜水艦は、実質的に追尾不可能な存在に他ならない。

 これまでに実施した幾つかの演習から、かような結論が既に導出されていて、対潜戦闘能力において劣る日本海軍が相手であれば、もう何も怖くないといったところだった。事実、水測長の報告によれば、爆雷のほぼすべてが見当違いの箇所で炸裂しているとのこと。ならばどうして、交通事故に遭うよりも低そうな確率を恐れる必要があろうか。メルヴィルは誇りある乗組員達の敢闘精神を掻き立て、敵機動部隊に対する反復攻撃を実施せんとする。


「発射管一番から六番、発射準備よし。何時でも撃てます」


「素晴らしい、上出来だ」


 規定よりも30秒ほど早い仕事ぶりに、相好が僅かに崩れた。

 続けて潜望鏡を上げさせ、目標を迅速に選定する。次に狙うは級別不明の中型航空母艦。算を乱して逃げ惑う敵大型艦と比べ、それは随分と動きが鈍いようだった。


「こいつは2発で仕留める。距離800で撃つ、どちらも当ててみせろ」


「アイサー。絶対に命中させます」


「期待しているぞ。それから魚雷発射の後に方位0-8-5に転針、扶桑型と思しき戦艦を雷撃する。こちらも2発だ」


「30年もののオンボロならば実際その程度で十分ですね」


「その通り。さあ、仕掛けにいくぞ」


 メルヴィルは歌うように発令し、『ノーチラス』は大型海棲哺乳類さながらの勢いで増速する。

 出力80%で稼働するプルトニウム核分裂炉の頼もしい鼓動が、間近から聞こえてくるようだった。"ジャンク"などという秘匿名称で呼ばれたるそれは、確かに致命的なタイミングで不具合を起こしてくれたりはしたものの、やはり輝かしい未来と赫々たる勝利を約束してくれる夢の機関に違いない。


 そして20ノットもの水中速力でもって、目標とした艦の懐深くへと斬り込んでいく。

 途中、流石に潜望鏡に気付いたのか、駆逐艦が猛烈なる対潜ロケット攻撃を実施してきた。だが『ノーチラス』は止まらず、それどころか傷ひとつ負わなかった。10年ほど後に催された研究会においてすら、核爆雷以外では阻止困難と結論付けられてしまうような異次元の潜水艦を相手に、この時代の兵器はまるで無力だった。


「よし……一番から二番、撃てッ!」


 好餌を前にメルヴィルは命じ、Mk.14魚雷2発が圧搾空気によって射出された。





 航空母艦『翔鶴』、駆逐艦『千草』に続いて被雷したのは、油槽船『しまね丸』に他ならなかった。

 格納庫と飛行甲板付きの特TL型に属する彼女は、今回の決戦においては補充用の流星を露天係止を含めて18機ほど搭載し、天麩羅機動部隊の更に後方で待機していた。それが補給の段となり、第一機動艦隊との合流を果たしたところ、級別不明の航空母艦と見事に誤認され、魚雷攻撃を受けたという訳だった。


 一般論を踏まえたならば、それはまだましな悲劇と判断されるかもしれない。

 しかしこの局面においては、『しまね丸』の喪失は間違いなく痛恨の一撃となっていた。洋上給油によって作戦行動能力を回復し、マリアナ沖の制海権を維持し続けるという意図が、重油を1万キロリットルほども搭載した船舶がやられたことにより、根底から覆ろうとしているのだから当然だ。

 そして事態は更に悪い方向へと転がろうとしていた。戦艦『山城』が奇跡的な回避運動を見せた数分の後、今度は給油艦『鷹野』が襲撃されたのである。


「糞ッ、アメ公の狙いはこれかッ!」


 駆逐艦『楡』の長たる黒木少佐は、忸怩たる思いに苛まれる。

 真っ先に『翔鶴』が雷撃されたこともあり、敵潜水艦は主に航空母艦を狙ってくると思い込んでしまっていた。だが大馬力の主機を唸らせての離脱が可能なそれらと比べ、油槽船はまったく鈍足かつ脆弱で、しかも狙われる理由が同じくらいあったのだ。


「敵潜の位置は?」


「不明です、まったく探知できません」


「ならばよし、これより本艦を『塩見』の左舷につける」


 黒木は十時方向を進む、もう1隻の給油艦の影を凝視し、躊躇なく決断した。


「敵潜水艦が『塩見』を襲うとしたら、恐らくそちらからだ。ならば体当たりしてでも魚雷を止めないといかん。すまんが皆の命をもらうぞ」


「とうに覚悟はできております」


 まだ若い砲雷長が、意気込みを更に励起させる口振りで言う。

 黒木は態度でもって謝意を示し、ただちに艦を増速させた。それから巧みな取舵で『塩見』へと接近していく。敵潜水艦は異常な速度で潜航しており、追尾などまるでできていない。それでも反復的なる襲撃運動を見るに、近いうちに雷撃がなされそうな気配で……直後、見張り員が絶叫した。


「左舷75度、雷跡2つ、距離500!」


「しめたッ、ここが命の捨てどころよ。総員、衝撃に備え」


 内なる怯懦を駆逐せんばかりに、渾身の大音声を発した。

 それから残り1分もなさそうな己が人生を、相応に落ち着いた気分で振り返る。仲間や祖国のため身を捧げるのは、実際悪くない気分だった。チョンガーのまま死ぬことだけは、少しばかり寂しい気もするが……若い後家を作らなくてよかったと、前向きに捉えればいいと思った。


(さて、そろそろ現世ともおさらば……な、何故だ!?)


 黒木は驚愕した。来るはずの大衝撃が、一向に襲ってこなかったためだ。

 それから彼は反射的に首を振り、『塩見』の舷側が轟然と爆ぜるのを目の当たりにした。挺身攻撃でもって食い止めるはずだった魚雷は、僅か十数センチの差でもって、『楡』の艦底を通過してしまっていたのだ。

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