竜挐虎擲! マリアナ決戦㉒
横浜市:日吉台
「『翔鶴』が沈んだ上、タンカー群が壊滅しただと……!?」
「ウワーッもう駄目だァ、艦隊に油がない!」
逢魔が時。聯合艦隊司令部を己が戦場としていた者達は、揃いも揃って恐慌状態に陥っていた。
米機動部隊撃退の報に沸いていたところ、冷や水どころか液体窒素を浴びせかけるように、信じ難い凶報が叩き込まれたのである。結果、数分前まで「勝った、大東亜戦争完!」などと浮かれまくっていた参謀が、激しく嘔吐した挙げ句に頭を打って失神。他の錚々たる面子もまた、精神の均衡を保てなくなるほどの衝撃を受け、ひたすらに右往左往するばかりであった。
そうした混沌の巷にあって、司令長官を務める豊田大将は、ただ禅めいた雰囲気を発散させていた。
元々のそれは、現実逃避的な心理が故の態度だったかもしれぬ。だが呼吸をしっかり整え、心頭滅却して外界の雑音を遮断してみたところ、不幸中の幸いと評さねばならなそうな部分も朧気ながら見えてきた。原子動力潜水艦なる怪物の襲撃によって理不尽なくらいの損害が生じ、一矢報いることすらできなかったのは事実であるようだが……例えば機動部隊決戦の最中に殴り込まれていたら、マリアナ決戦自体が完敗に終わっていたかもしれぬのだ。
(つまり天運は未だ尽きてはいない。今はこう解釈するべきなのだろう)
豊田は独り静かに納得し、発狂しかけていた精神をどうにか宥めた。
酷く打ち据えられた時ほど、客観性と冷静さを保って判断を下さねばならない。己に言い聞かせるように強くそう念じた後、双眸をカッと開き、会議室に集った者どもを見据える。
「あ号作戦決戦は中止、全艦隊をマリアナ沖より離脱させよ」
「えッ……」
喧々囂々と言うには無秩序過ぎた場が、水を打ったように静まる。
数秒間の沈黙が流れ、異論はそれから噴出した。詰めかけていた者どもの大部分は、原子動力潜水艦の跳梁に慄きながらも、尚も継戦する方法を模索していたようだった。
「長官、ちょっと拙いですよ!?」
参謀長の草鹿中将も青褪めた相で、
「それでは米軍のマリアナ侵攻を阻止できなくなります!」
「燃料が不十分な中で多少の艦隊を残したところで、各個撃破の憂き目に遭うばかりだ。ここは一旦退かせて戦力を回復させ、その上で捲土重来を期するのが得策だろう」
「しかし……」
「参謀長、サイパンもテニアンも堅城鉄壁なのを忘れたか? どれほどの大兵力で攻められようと、そう易々と陥落したりはせん。敵が上陸したところを見計らって機動部隊を再出撃させ、残る敵を撃滅してやればいいだけのことだ」
更に付け加えるならば、あ号作戦の最悪の想定はもっと過酷だった。
聯合艦隊がマリアナ沖での決戦に敗れた場合、残存戦力をもって米上陸部隊および揚陸船団に対するゲリラ的攻撃を反復し、もって侵攻意欲の破壊を狙うという内容となっていた。それと比べれば、修理の目途が立たない損傷艦が凄まじく多いとしても、現状はまだましだとしか言えぬだろう。
そうして敢えて楽観的要素を並べていくと、狼狽しまくっていた佐官将官達も、次第に落ち着きを取り戻していった。
あるいは極端に大きな衝撃を脳天に受けると、酷く単純なことにすら頭が回らなくなってしまうのかもしれないが……とにかく確固たる意志によって過ぎた悲観主義を押し退け、善後策を急ぎ検討していく。無敵連合艦隊は何処にありやとか陸軍が嫌味を言ってきそうではあるが、一度退くのが妥当との結論に落ち着いた。
(しかし陸軍……ああそうだ、陸軍だ)
豊田は虫の好かぬ連中のことを意識に昇らせ、少しばかり毛色の違う頭痛を覚える。
あ号作戦決戦の中止を通知せねばならぬのは当然として、対応を加速せねばならない超重要事項がもうひとつあった。陳謝と懇願ばかりで胃が余計に痛くなりそうだが、お前の頭は何のためにあるのだと自分を叱咤し、何とか彼は口を開く。
「軍令部の山本総長と、それから参謀本部の杉山元帥に、ただちに連絡を入れてくれ。大至急協議の要ありとな」
太平洋:サイパン島東方沖
真珠湾の太平洋艦隊司令部に君臨するタワーズ大将は、正気度を完全喪失したような状態にあった。
言うまでもなく、マリアナ沖の惨劇を耳にしたがためである。事実、世界最強を誇っていたはずの第58任務部隊は、正規空母8隻と軽空母4隻、新型戦艦6隻を含む40隻超を撃沈されるという大敗北を喫してしまっており……あまりに想定外の損害に、彼の精神的均衡はガラガラと崩れてしまったのだ。
しかも最低最悪なことに、かの自己顕示欲の塊が如き人物は、それでも尚フォレイジャー作戦の継続を主張した。
その成算を問われて曰く、凄くて強い超潜水艦が間もなく日本海軍を痛撃する。忌々しいジャップ機動部隊は瞬く間に潰走し、戦局はV字回復間違いなし。列挙されたる小児的としか評し難い世迷言に、過労死寸前のマクモリス少将を始めとする参謀達は呆れ果て、32口径の"永久麻酔薬"が必要だという陰口まで出たという。
(だが……)
如何なる奇跡か。まったく稚気的なる未来は、本当に引き寄せられてしまった。
第5艦隊旗艦なる軽巡洋艦『デイトン』にて、司令長官という名のついた電話番を務めているスプルーアンス大将。精神的負荷のためゲッソリと痩せ衰えた彼の許には、まず航空母艦4隻撃沈破という原子動力潜水艦『ノーチラス』の戦果報告が齎され、続けて異常なまでの興奮状態にある上官からの通話要求が舞い込んだ。
「聞きましたか、スプルーアンス君! 遂に我等が『ノーチラス』がやってくれましたよ」
「まさに科学の勝利と言えましょう! これで合衆国は大きく、凄くなるのです!」
タワーズの勝ち誇った声が、SIGSARYの受話器越しに響いてくる。
声はやたらと上ずっていて聞き取り難く、しかもちょっとやそっとじゃ止まらない機関銃話法。自画自賛も相当数含まれていて、聞いているだけで頭痛が酷くなってくる。
「それから先程、陸軍航空隊のレーダー偵察機が、彼等の本土に向けて撤退中の日本艦隊を捉えもしました。つまり疑いようもなく我々が勝ったということです。目を覆いたくなるような大損害が出たのは遺憾ながら事実で、高速空母部隊のミッチャー君もとんだ期待外れだったとしか言えませんが……とにかく我々はマリアナ沖で勝利したのです。ならばただちに残存兵力を再編し、サイパンおよびテニアンへの上陸作戦を開始させなさい。忌々しい黄色人種の帝国を滅ぼし、合衆国が世界の覇権を手にするには、あの島々が絶対に不可欠です」
「長官、マリアナ諸島の要塞を見るに、やはり大変なる損害が必至かと」
「損害? 戦艦を突っ込ませて敵陣を吹き飛ばせばいいでしょう。それともこの期に及んで怖気づいたとでもいうのですか?」
「無論、そうではありません。全身全霊を傾け、職務を全うする所存です。しかし……」
解任と軍法会議をちらつかせそうな上官に、スプルーアンスは覚悟を決めて尋ねる。
「しかしどうして、あの島々にそれだけの価値があるというのでしょうか? 確かに日本本土爆撃の拠点となるのは理解できます。ですが数千機による絨毯爆撃によってもドイツが降伏したりしなかったように、マリアナ諸島を占領したとしても、この戦争に決定的な影響を及ぼすとは考えられません。ではいったい何故なのでしょうか?」
「ふむ……余計なことを聞くなと言いたいところですが、今の私は大変に機嫌がよいですし、開示条件も一応満たしましたので、特別に教えてあげましょう」
意外なことに、タワーズは勿体ぶりながらも快諾してきた。
しかしその声には、悪魔的な響きが滲んでおり……それを確信に変えんばかりの口調で彼は続けた。
「スプルーアンス君、『ノーチラス』の原子動力機関や核分裂燃料が、別の方向にも応用することが可能ではと考えたことはありませんか? あるいはそれに類する発想を、ポピュラーサイエンス誌で見たとかでもいいですが」
「と言われますと……まさか!?」
「どうやら理解できたようですね。あまり詳しくは話せませんが、我等が合衆国は間もなく最終兵器の量産を開始します。それは一撃で都市を破壊するほどの威力と予想され、B-29であれば搭載可能なサイズになるとのこと。であればマリアナ諸島の重要性もまた、身に染みて分かったことでしょう。スプルーアンス君、どれほどの犠牲を払ってでもサイパンとテニアンを確保し、君も英雄の一部となりなさい。この道の先には、私達に相応しい恒久平和があるのですからね」
「了解いたしました。必ずや、上陸作戦を完遂してご覧に入れます」
スプルーアンスもまた驚異に目を見張り、渾身の力を込めて宣誓した。
忌々しい限りの枢軸諸国にしても、艦隊が母港ごと消し飛ばされるような状況では、戦意を維持することなど不可能に違いない。つまりは現状追認の和平を結ぶしかなさそうだった世界大戦を、人類史で最後の戦争にできるということで……突如として垣間見せられた新たな地平に、彼の精神もまた熱狂を帯び始める。
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