竜挐虎擲! マリアナ決戦⑩

太平洋:サイパン島沖



 第二機動艦隊を発った戦爆連合60機は、なかなか手荒い歓迎を受けていた。

 小沢大将の放った2波合計600機弱の艦載機により、米機動部隊が壊滅的打撃を受けたのは紛うことなき事実。とはいえ航空母艦5隻が未だ健在で、そこから直掩機が何十と上がってきていた。全盛期のそれとは比ぶるべくもない数ではあるが、爆装した戦闘機がそのまま輪形陣の突入できるほどの余裕はない。


「むむッ……任務果たせず仕舞いかッ!」


 爆装紫電改の小隊を率いる秋元中尉は、顔を歪めて毒づいた。

 しかし一切の躊躇なく、両翼に懸吊された25番爆弾を投棄する。敵機はすぐ真後ろまで来ているのだから、そうする他に選択肢などないのだ。あくまで敵空母の飛行甲板を目指したくとも、辿り着く前に撃墜されては元も子もない。


 そうして事前の取り決め通り、列機が降下に入る中、操縦桿を力強く引き起こす。

 自動空戦フラップを最大限活用した急激な運動だ。視界が暗転していく中、凄まじい加速度にどうにか耐え、ぐるりと360度宙返り。少しばかり機体が揺れるのは、"自分の屁を被った"からだろう。眼前には無我夢中に列機を追い回すF8Fの姿があり、縦横無尽に高速旋回するそれの背後を、どうにかこうにか取っていく。


「ぬゥ、気合が入っているな……!」


 秋元は息を呑みながら、敵機の未来位置を見定める。

 列機を操縦する阿出川飛曹長は、飛行時間1200超の大ベテランだ。そんな傑物ですら、なかなか苦戦しているようで、早急に手を打たねばならぬのは明白だった。


(よし……)


 背後に敵機のなきを確認した後、秋元は戦闘態勢に入った。

 阿出川機の動きを捉え、鋭利な左旋回で追従せんとする。2機が同時に六時を取ることはできぬ。その原則に則れば空中衝突は必至だ。しかし敵機が避けるだろうとの確信の下、無理矢理に割って入っていき、遂にはF8Fを弾き出すことに成功した。


「もらった!」


 短い喝采。同時に操縦桿を右に倒し、続けて渾身の力で引き寄せる。

 視界は再び暗み始める。だがF8Fの姿は間違いなく捉えられていて、それが旋回を緩めた瞬間を捉え、20㎜機関砲弾を雨霰と見舞う。そのうちの数発が左翼付け根に命中。翼を圧し折られた敵機は、死に至る舞を踊りながら墜落していった。


「中尉、助かりました」


「アデー、お前のお陰だ」


 航空無線での短いやり取り。撃墜の感触はやはり信じ難く心地よい。

 しかし爆弾を捨ててしまった以上、対艦攻撃はもはや叶わぬ。敵戦闘機は他にもウヨウヨいるから、それらを制圧して友軍を支援する他ない――そう思っていた矢先、南西の空より飛来する双発機の編隊が見て取れた。雰囲気からして友軍のようで、周囲に敵機らしき影が群がっており、秋元はすぐに意を決した。


「おいアデー、陸攻隊を助太刀に行くぞ。あいつらはまだ爆弾を抱えているはずだ」





 秋元中尉が陸攻と呼んだ双発機は、実のところ銀河陸爆に違いなかった。

 しかもこれがトラック諸島は夏島を根拠地とする、第521海軍航空隊の所属機だったりするから面白い。丹作戦において実施する予定だった協同攻撃は、米潜水艦の奇襲砲撃によってぶち壊されてしまったが――果たされなかったそれがまったくの偶然から、この場において実現しようとしていた。


「666空、恩に着るぞ」


 銀河を駆る鮫島中尉は、これまでの人生で一番の謝意を述べた。

 強力無比なる敵機によって護衛の零戦隊が蹴散らされ、指揮官機を含む3機が中隊から喪われたところで、幸運にも介添えを得られたのだ。それがなければ米機動部隊上空に到達する前に全滅していたかもしれぬ、とにかく際どいところであった。


 まただからこそ、己が命は有効活用しなければならぬ。

 無論、そのための方法はただひとつしかない。周囲では次々と高角砲弾が炸裂し、愛機が金属的な悲鳴を上げていたが、轟々たるエンジンの音でもってそれを打ち消し、残存する敵空母を撃滅するのだ。投弾が成功した後でなら、地獄でも何処へでも行ってやる所存であるから、あと数分だけ生かしてくれと神仏に祈願する。


「全機、ついてきているか?」


「はい。8機とも……」


 後部座席の電信員がそう報告しかけ、


「あッ、七番機被弾」


「仇は取ってやるからなッ!」


 鮫島は猛獣が如く吠え、しかし努めて冷静に操縦していく。

 中隊長が戦死した今、攻撃の成否は自分の双肩にかかっているのだ。逸る心を宥めながら、愛機を緩やかに降下させ、増した速力をもって目標との距離を一気に詰める。その過程でまたも1機が撃墜されたが、使命を果たすに十分な数がまだ残っていた。


「距離5000」


 偵察員が声を張り上げ、更にチョイ右と針路修正を指示してきた。

 運命の瞬間はもはや間近。直衛の艦が凄まじい弾幕を展開し、今度は三番機が大口径機関砲弾の直撃で爆散する。それでも突撃は止まるべくもなく、鮫島は手足と三舵を一体化させながら、次第に拡大する艦影を睨み付ける。


「距離3000……2500……2000!」


「撃てッ!」


 鮫島は投弾ボタンを機械的に押し、直後に機体が急激に傾いだのを知覚した。

 どうやら神仏は、願いを一字一句違わずに聞き届けてくれたようだ。従容と死ぬをよしとする潔い感情で胸を満たし、走馬灯の如く脳裏を巡る記憶に微笑みながら、彼は愛機と運命をともにした。


 そして銀河の編隊が投下したのは、かつてポンコツガラクタと罵られしイ号一型丙自動追尾誘導弾だった。

 現地に飛んだ技術者によって急遽改造されたそれらは、概ね1600メートル以内であれば対艦攻撃に使用可能と判断され――史上空前の機動部隊決戦において有効性を実証した。つまりは放たれたうちの半数が、対空射撃を継続していた航空母艦『レキシントン』へと吸い込まれ、彼女を半身不随へと追い込んだのである。





「嘘だこんなこと。どうしてこんなことになった」


「俺のキャリアはボロボロだ……」


 戦功を挙げて出世するはずだったマケイン少将は、譫言のようにそう繰り返す。

 今の彼はまさしく負け犬だった。第54任務部隊は合計800機超の日本軍機によって袋叩きにされ、1ダースもあった航空母艦の半数が海の藻屑となってしまっていた。しかも旗艦たる『レキシントン』までもが先程の空襲で盛大に被弾し、艦隊運用が不可能となるほどの損害を被っていたから、もはや軍法会議は必至としか言えぬ。


 ただそうであっても、指揮系統は最後まで機能させ続けなければならない。

 激烈なる対空戦闘のため滅茶苦茶になった輪形陣を立て直す傍ら、マケインは短艇に乗り込まんとしていた。というより参謀達に促されながら、未だ健在な『ヨークタウン』に司令部を移そうとしていると言った方が正確そうな雰囲気だが……ともかく残存艦を早急にまとめ上げる必要があった。


「司令官、我々とてただでやられた訳ではありません」


 短艇が降ろされていく中、参謀長の声が横合いから空虚に響く。


「これまでの戦果を合計すれば……日本海軍の空母を、既に8隻は撃沈もしくは撃破した計算です」


「そうか」


「はい。デヨ少将麾下の戦艦群もじきにサイパンを射程に捉えるでしょうし、ミッチャー中将の本隊と合流すれば、明日以降の戦いに望みを繋ぐことも可能かと。フォレイジャー作戦はまだ終わった訳ではございません」


「そうかもしれんな」


 マケインは心そこにあらずといった具合で受け応え、機械的に短艇へと飛び乗る。

 彼がかくも酷い目にあったのは、ミッチャーが信じ難いくらいに敵情を見誤ったからでもあろう。とはいえあまりに大きな屈辱は、誤断に対する怒りすら掻き消してしまうようだった。


 それから疲れ切った司令官の双眸は、夕暮れの海原に浮かぶ駆逐艦『ジャイアット』へと移ろう。

 ギアリング級二番艦なる彼女は、今日の戦闘において直衛として奮戦し、迫る航空魚雷を体当たりで弾き飛ばしもした殊勲艦だった。第54任務部隊司令部は一旦この艦へと移乗した後、改めて『ヨークタウン』に乗り組む予定であったのだが……マケインはその勇壮なる影の向こうに、何やら言い知れぬ不安を覚えてしまい、更に離れたばかりの『レキシントン』が妙に騒々しくなり始めたことに気付く。


「なあおい、いったい……」


「さ、左舷に雷跡!」


 参謀の誰かが悲鳴の如き大音声を上げ、艇上の誰もが硬直した。

 実際そこには視認の著しく難しい、しかし凄まじい速度で驀進してくる魚雷があった。既に命中まで十数秒を残すばかりで、回避も『ジャイアット』二度目の体当たりも間に合うはずがない。


「馬鹿な……これも食中毒空母の呪いだとでも言うのか!?」


 マケインが支離滅裂な内容を口にした直後、『レキシントン』左舷に大爆発が発生。短艇も乗員ごと吹き飛んだ。

 なお命中したのは驚くべきことに九三式魚雷で、しかもそれは駆逐艦『清月』が距離12000で放ったうちの1発だった。手負いの彼女が如何なる理由からか輪形陣に接近し、雷撃を成功させてしまったことを考えると……食中毒空母の呪いという迷信的言動も、変な信憑性を持ってしまいかねぬから恐ろしい。

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