竜挐虎擲! マリアナ決戦⑨
太平洋:ググアン島沖
マケイン少将率いる第54任務部隊が、航空母艦5隻炎上という大損害を被っていたちょうどその頃。
前哨艦隊の排除を成功させた第二機動艦隊もまた、熾烈極まりない空襲を受けつつあった。襲来したるは合計200機超の艦載機で、その約半数が戦闘機だった。当然、真っ先に始まるのは大空中戦。太り肉の癖にかなり小回りの利くF6Fの大群や、数は少ないにしろ信じ難い空戦性能を誇るF8Fの中隊、直掩の紫電改と壮絶なる鍔迫り合いを繰り広げる。何故か最初から被弾していた機体もあったが、その戦闘能力は本物だった。
そんな中で切歯扼腕していたのは、666空の司令なる打井中佐であった。
生粋の戦闘機乗りとして生きてきた彼は、航空母艦『天鷹』へと帰投して戦果を報告するや否や、チンピラゴロツキが云々と喚きながらまたも紫電改に飛び乗った。当然の指揮官先頭という奴だ。そうして米攻撃隊が迫る中、最後の1個小隊を率いて発艦したのだが……艦隊上空の予備兵力に充当された彼には、未だ交戦の機会が与えられていなかったのである。
もっとも、それは彼の功績が故であったりもする。空の上では戦闘機乗りは頭に血が上るから、とにかく迎撃管制の指示に従って戦わねばならぬ。自身が説いて回って採用させた戦闘教義に、今まさに拘束されているという訳だ。
「部下を信じろ、部下を信じろ、部下を信じて堪えろ」
「これが最良のチンピラゴロツキ撃滅戦法、連戦連勝の秘訣」
機上でブツブツと念仏のように唱え、打井は逸る心を抑制する。
空の向こうには飛行機雲が入り混じり、雲の墓標が次々と立っている。腕に覚えのありまくる自分が助太刀したならば、パパッとグラマンを撃墜し、幾人かの部下をより長く戦わせてやれるかもしれぬ。そんな想いは何処までも自然で、ともすれば手足が勝手に動作してしまいそうなくらいだった。
だが言うまでもなく、それでは駄目なのである。視野狭窄の典型である。
敵機に向かって一直線なだけでは、阿呆な猪武者とまるで変わらない。目の前を飛ぶ目標に複数で群がり、ダンゴになった挙句、空中衝突の愚を犯してしまうことだってある。そしてその間隙を突いて敵艦爆が艦隊上空に侵入し、母艦に急降下などしてしまったら――それこそ一巻の終わりなのだ。
「そうだ。フットボールを思い出せ。今の俺はキーパーだ」
打井は己が立場を、好みの球技に喩える。
イタリヤでの親善喧嘩試合において、稲妻ドリブルからの渾身のシュートを何度も食い止めてくれたイタリヤ人は、キーパーこそ一番難しいポジションだと言っていた。ならば易きに流れるな。そう自分に言い聞かせたところで、航空無線がザッと鳴った。
「猛虎一番、五時方向より敵機複数が侵入した」
戦艦『伊勢』の迎撃管制員の声が響く。
「距離およそ20キロ、高度およそ3000。猛虎小隊はこれを迎撃されたし」
「猛虎一番、了解。ただちに向かう」
打井は待ってましたとばかりの大音声で命令を受領。
そうして列機に情報を転送した後、指示された方向へと鋭く旋回。スロットルを最大まで開いて進み、時折愛機の翼を翻して索敵していくと……遂にそれらしき機影が下方に見えた。
「来たなメリケンゴロツキ、今ここで千切っては投げてくれる!」
打井はまさに獰猛なる虎めいて咆哮。列機を率い、一気呵成に飛び掛かる。
相手はSB2Cの編隊だった。ヘルダイバーなる渾名の艦爆であるから、その通り地獄に叩き落してくれる。彼は目を血走らせながら息巻き、降下旋回の勢いのままに一番機を捕捉、的確なる銃撃でエンジンを叩き潰す。その過程で防護機銃の弾を数発受けたが、別段問題はなさそうだった。
「1機撃墜!」
番雷のような勝鬨がコクピットに満ちる。
また追従した列機の攻撃により、続けてもう1機のSB2Cが墜落。爆撃機の撃攘という戦闘機の本来意義を、金城湯池のキーパー精神でもって果たさんと、尚も敵編隊に追い縋る。
ただフットボールの試合との最大の違いは、ボールが1つではないことだろう。
しかも死守すべきゴールもまた、少なくとも5つもあると言えそうだった。第二機動艦隊上空に待機していた3個小隊の紫電改で、そのすべてに対処するなど、非現実的としか言いようがない。
「畜生、どうしたら……」
五里霧中に苛まれ、ヘンダーソン中尉はぶるぶると震撼する。
彼の搭乗するSB2Cは、実際雲の内側を進んでいた。悪魔よりも恐ろしい敵戦闘機により、所属する中隊はバラバラになってしまい……無我夢中で愛機を操縦した末、近くにあった断雲に命からがら逃げ込んだという訳だった。
無論のこと、当座場凌ぎにしかならぬことくらい分かっている。
しかし実のところ新米に近く、実際2か月前に航空母艦『ボクサー』に配属となったばかりのヘンダーソンに、今どうするべきかを指示してくれる人間などいなかった。後部座席の機銃員のサンダース軍曹もまた、先刻の襲撃で20㎜機関砲弾を食らった関係で、既に事切れてしまっていた。要するに完全な孤立無援という訳で、挙句の果てに機体までガタガタともなれば、パニックに陥ってもまったく不思議はない状況だった。
「ああッ……」
視界はパッと開け、情けない悲鳴が漏れた。再び地獄へと放り出されたという残酷な事実が、精神を大いに恐慌させた。
だが次の瞬間、恐怖は過去のものとなった。いったいどうした訳か、眼前に航空母艦の姿があったからである。
「このッ、この野郎!」
ヘンダーソンは些か拙い怒号を放つ。
自分があまりに酷い目に遭っているのも、また気のいいサンダースが還らぬ者となったのも、すべてそこから湧いて出た敵戦闘機のせいに違いない。ならばその巣窟ごと焼き払ってやろうではないか。かくなる憤怒が胸の奥底から込み上げ、操縦桿を握る手に力が籠った。
また何とも幸いなことに、1000ポンド爆弾は未だ搭載されたままだった。
実態はといえば、投棄をすっかり忘れていただけに過ぎない。とはいえここは己が不注意に感謝すべきだろう。ヘンダーソンは意を決し、邪知暴虐の航空母艦に向けて愛機を降下させた。憎むべきそいつはちょうど回避運動を終えたところであったらしく、対空砲火は思った以上に疎らで、しかも機体の軸線はぴたりとその針路と合致していた。
「しめたッ、食らえッ!」
歓喜に満ちたる絶叫とともに、投弾ボタンが決断的に押された。
そうして放たれた1000ポンド爆弾の軌跡は、見事に目標を捉えており――その長大なる飛行甲板のほぼ中央で炸裂した。かくの如く被弾した航空母艦の名は『天鷹』。連合国軍最大の敵だの混沌の神の眷属だのと恐れられた彼女は、一時的か半永続的かは未だ分からぬが、航空機運用能力を喪失するに至ったのだ。
もっとも殊勲を立てたるヘンダーソンは、最期までその事実を知ることはなかった。
何故ならば彼の乗るSB2Cは、ダイブブレーキがさっぱり効いておらず、これまたヘルダイバーなる渾名そのままに、海面へと突っ込んでしまったためである。
「糞ッ、やられたな……」
七航戦を率いる高谷少将は、現状に打ちひしがれていた。
彼の座する航空母艦『天鷹』は中破していた。操艦名人として知られる鳴門中佐の巧みな舵捌きにより、中隊規模での急降下爆撃をサラリと躱した直後……雲の中からまた別のSB2Cが出現し、1000ポンド爆弾を投下してきたのだ。それはまったく奇襲的な一撃で、回避の余裕などあるはずもなく、遂に被弾と相成ったのである。
不幸中の幸いは、迅速な消火が行われた等もあって、そこまで被害が拡大しなかったことだろう。
とはいえ飛行甲板の中央には、見事に大穴が穿たれてしまっており、上段格納庫の被害も大きい。潜水艦に雷撃された上に米艦載機の集中攻撃を受け、総員退艦が発せられた『飛鷹』と比べれば、確かに状況はまだましと言えそうではあるが――少なくとも今日いっぱいは、航空機の運用は不可能となりそうな状況だった。
「これでは第二次攻撃に参加できぬ」
発艦準備に勤しんでいるであろう僚艦の『隼鷹』を恨めしそうに眺めながら、高谷は歯をギリギリ軋ませる。
すると鳴門が責任を感じてか挙動不審になり、支離滅裂なことを言い出したりする。とはいえ腹を切られたところで、飛行甲板の修理が加速する訳でもないのだ。
「ムッツリ、何かいい手は思いつかんか? お前、俺より長く艦長やってるだろ?」
「少将、そう言われましても」
陸奥大佐も流石に憔悴気味で、
「飛行甲板が直らん以上、どうしようも……」
「実はあるんですよね」
唐突に響いてきた声は、副長の諏訪中佐のものに他ならぬ。
スッパという渾名の通り、何時の間にか背後に立っていたりするこの人物は、被害状況確認のため艦のあちこちを走り回っていたはずだった。
「被弾の衝撃で出力が若干安定しないようですが、本艦のカタパルトがちょうど稼働状態に復帰いたしました。前部エレベータも動きますので、つまりは攻撃隊の発艦だけなら可能なんですよね。無論のこと着艦は不可能ですから、打井中佐などと同様に、帰りは他の艦に降りることにはなりますが」
「スッパでかした! よし、早速角田中将を脅しに行くぞ」
高谷は拳を振り上げすっ飛んでいき、実際それはすぐに承諾された。前哨艦隊への攻撃で出撃機のほぼ3割に当たる39機が喪われ、猫の手も借りたい状況であったから当然だ。
そうして下段格納庫内にあった状態のよい12機が選定され、戦力は一気に2割5分も増大。発艦開始は午後2時42分で、恐らくこの日最後となる攻撃隊は、180海里の彼方にある米機動部隊に止めの一撃を加えるべく、ただ勇猛果敢に突き進んでいった。
もっとも何より望まれた主力艦撃沈という戦果は、挙がるか微妙な雲行きだ。
数が少ないというのももちろんあるが……『天鷹』より出撃した12機は、半数が爆装しているとはいえ、すべて紫電改であったためだ。直ったとはいえ本調子ではないカタパルトでは、自重が4トンもある流星の爆装なり雷装なりしたものを、ドカッと射出することができなかったのである。
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