竜挐虎擲! マリアナ決戦⑧

太平洋:パガン島沖



「機長、海軍どもは少々苦戦しているようです。発艦中、少数ですがジェットが殴り込んできたようで」


「何、ジェット? そいつは厄介極まりないな……」


 B-29電子攻撃型の機長たるテーラー少佐は、無線員の報告に少しばかり身震いした。

 Me262が何百機と配備されたドイツ本土上空と比べれば、太平洋戦線はまあ極楽のようなものだ。かつては誰もがそう嘯いていたものだが、太平洋戦線も急速に地獄と化しつつある。親友のライアン大尉の乗機が索敵中に撃墜され、彼を含む乗員の半数のみが潜水艦に救助されたと聞いた時から、特にそう思うようになっていた。


「だが厄介な敵がいるなら、その分俺等が頑張って、海軍どもを助けてやらにゃいかん」


 テーラーは己が心の弱気を打ち消すべく、自信満々に言ってのける。


「ジャップ野郎どもはジェット艦載機を作り出したようだが、空母がいなければ運用できん。つまりは俺等が友軍機を援護していけば、悪魔みたいな敵機がいようと、何処にも帰れなくなるって寸法だ」


「はい。そのために全力を尽くします」


「ああ。それからあと十数分で敵艦隊上空だ。気を抜かず、しかし気張らずにいこう」


 テーラーは軽快な口調で言い、少しばかり配給のチョコを齧った。

 例によって美味くない。味について愚痴を零すと、電子戦担当士官のウッド大尉が軍にコネのある業者の手抜き品だから致し方ないなどと知ったような解説をし、そこから他愛もない雑談へと発展する。特に副操縦士のジャクソン中尉は、今回の任務を終えたら故郷に帰って挙式するらしいから、あれこれ冷やかしておく必要があった。


 そうして話題が一巡し、エンジン音ばかりが耳朶を叩くようになった辺りで、視線を正面の空へと戻す。

 それから果たすべき任務の内容を、改めて脳裏で反芻させていく。新たに発見された日本軍機動部隊の上空に居座り、電子攻撃でもって迎撃管制を混乱させるのだ。もちろん敵艦に近付き過ぎれば、高度3万2000フィートであっても対空射撃を受けるから、適切な間合いを取ることが死活的に重要で――思考がそこに至った時、ウッドが素っ頓狂な声を上げ、続けて背筋を瞬間凍結させるような警報音が鳴り響いた。


「少佐、本機は電磁波照射を受けております!」


「何ッ!?」


 テーラーは驚愕し、しかし反射的にB-29を増速させんとした。

 十数秒ほどの後、周囲に猛烈かつ連続的な爆発が生じ、恐るべき激震に見舞われた。あからさまなまでに高角砲による射撃だった。まるで予期していなかったそれを受け、左翼の第一エンジンが損傷。自動消火装置によって火災は食い止められるも、機体は大きく傾き、高度と速度が一気に落ち始める。


「糞ッ、いったいどうなって……ああッ!」


 視線の先にあったもの、それは敵対的なる艨艟の群れだった。

 実のところテーラーの乗るB-29は、無線封止のまま第二次攻撃隊を発艦させつつあった第一機動艦隊の直上を、まるで気付かぬまま航過していたのである。





太平洋:サイパン島沖



「何ッ、新たな敵機動部隊が発見されただと……」


 第58任務部隊旗艦たる『タイコンデロガ』の戦闘指揮所。そこに居合わせた誰もが、突然の凶報に慄いた。

 被弾しながらも偵察を敢行し、遂には撃墜されたB-29電子戦型。誰よりも勇敢だった乗組員達が、最期の瞬間まで打電し続けたところによると、パガン島沖に8隻以上の航空母艦を中核とする大艦隊が存在するとのこと。しかも艦隊外縁に展開する早期空中警戒仕様のTBFが、そこから出撃したと見られる数百の機影を捉えており、矛先が何処に向かうかもまた明白だった。


「ああ、してやられたッ!」


「フィリピン海中部にいるのも囮だったのかッ!」


 任務部隊の頂点に立つミッチャー中将は、あまりの事態に頭を抱える。

 つまるところ日本海軍はマリアナ諸島北方に、強力無比な機動部隊を遊弋させていたのだ。自分はその存在にまるで気付かぬまま、任務部隊を分割するという愚を犯し、あろうことかその一方を北上させてしまった。各個撃破を狙った心算が、逆に各個撃破される形となりそうで、これから猛撃を食らうこととなるマケイン少将以下数万の将兵に対する負い目から、発作的に拳銃を口に咥えてしまいそうになった。


 それでも将なるミッチャーは、辛うじて踏み止まった。

 視界のすべてが眩暈によって覆い尽くされ、怒涛の如き自責の念で喉が詰まりそうだった。しかし北太平洋で憤死したパウナルのようになっても何の解決にもならぬ。フォレイジャー作戦が凄まじい犠牲とともに瓦解し、祖国が不本意な停戦を余儀なくされ、自身は軍法会議にかけられるとしても――被害局限のため全力で足掻き、可能な限り多くの敵艦を撃沈することこそ、今果たさねばならぬ義務だろうと己が精神を叱咤した。

 そして燃え尽きて真っ白になったような参謀達の名を1人ずつ呼び、正気を取り戻させていく。不幸中の幸いと言うべきか、あるいは最高責任者ではないという逃げ道があったが故か、再起不可能となった人間はいなかった。


「諸君……この新たな敵に打撃を与えることだけを、今は考えよう」


 憔悴し切った、しかし何とか落ち着けた声で、ミッチャーは呼びかける。


「後悔するのは後回しだ。私は間違いなく海軍にいられぬ身となるだろうが、それでも指揮官として、この戦いを放り出す訳にはいかない。参謀長、今すぐに出せる機はどれだけある? 少しばかり距離があるが、敵空母を叩かねばならぬ」


「は、はい」


 ブローニング大佐は焦点の合わぬ目でメモを一瞥し、


「概ね180機程度なら出撃させられるかと」


「ううむ、少ないな……航空参謀にも尋ねよう。多少の損傷を構わずに出すとすれば、どれくらいになる?」


「それでしたら、230機くらいになると予想されます」


 これまた実に弱々しい声で、ヒギンズ中佐が解答する。


「ただし距離の関係から、F8Fを護衛に付けるのは難しいかもしれません」


「ああ、構わん。F8Fについてはただちに発進させ、第54任務部隊の上空へと急行させる。敵の第一波については間に合わぬかもしれぬが、それで終わりではあるまい。第二波以降を叩かせるのだ」


「了解いたしました」


 ヒギンズの返事は幾許かましになっていた。

 その後もミッチャーはガクガクと震える全身を扱き使い、思いつく限りの手を打っていく。サイパンに向けて突撃中のデヨ少将に対しては、敵飛行場を砲撃してから引き返すよう命じ、恐慌状態の電文を送りつけてくるマケインに対しても、増援を送るから何とか持ち堪えてくれと希う。


「そうだ。とにかく諦めたらそこで試合終了だ」


 ミッチャーは静かに独りごつ。それから神は乗り越えられる試練しか与えないと、心の内でひっそりと続けた。





 第一機動艦隊が放った第一次攻撃隊は、合計356機という凄まじい規模となっていた。

 ようやく配備が本格化してきた烈風や、これまでの実績十分な紫電改など、戦闘機は爆装したものを含めて計172機。残りはほぼ急降下爆撃機の彗星と、誘導や指揮戦闘の彩雲といった具合で、最優先で飛行甲板を破壊するという意図が、ひしひしと伝わってくる構成と言えそうだ。


 しかも最も懸念されていた米艦載機による迎撃は、予想以上に低調なようだった。

 敵は航空母艦10隻超を有しているから、これまでの航空戦での消耗はあるとしても、元々の数が少ないなどということはあり得ない。とすれば本来ならば雲霞の如く襲ってくるはずのそれらを、未だ健在なるサイパン、テニアンの基地航空隊が、上手い具合に誘引してくれたのだろう。あるいは第二機動艦隊より先発出撃した攻撃隊が、厄介な前哨艦隊を一掃し、迎撃管制を破綻させたことも大きいのかもしれなかった。


「いずれにせよ、ありがたい限り」


 航空母艦『鞍馬』の攻撃隊を束ねる宮本少佐は、彩雲の機上から、戦友達の働きにただ感謝した。

 制空隊の烈風は針路上にいるF6FやF4Uをどうにか掃討し、爆戦仕様の紫電改が敵防空艦に命中打を与えられているのは、彼等が尽力があってこそ。マダガスカル沖で戦っていた頃には、汎用対米決戦猛獣を自称する連中と口論になり、雑魚しか沈めておらぬ連中と馬鹿にしたりしたものだが――それらがあって初めて大戦果に繋がるのかと思うと、今更ながら気恥ずかしい。


「まあともかく、ここで敵母艦を撃破することが肝心だ」


 宮本はそう呟き、機長に翼をバンクさせるよう命じたりしながら、眼下の輪形陣を凝視する。

 アイオワ級らしい戦艦の、高速航行しながら活火山の如く火を吹く姿が目に飛び込み、僅かに身が震えた。だが恐怖を堪えて更に見てゆくと、その右舷を進む航空母艦が、明らかに素人臭い舵取りをしているのが分かった。


「戦艦の右舷にトロいのがいる。分かるか?」


「ええ。ものの見事に下手糞ですね」


 艦爆隊を率いる畑間大尉の、舌舐めずりでもするかのような声が、航空無線越しに響いてきた。


「あれをやる。ただし隣の戦艦は手練と見える。助平根性を出さず、中隊ごとに一斉にかかれ。1発でも当たれば、エセックス級とてただでは済まんはずだ」


「了解。確実に当てて参ります」


 畑間の威勢のよい宣言が響いた。後続していた艦爆隊のうち8機が翼を翻し、突撃態勢へと移行していく。

 いずれも誉エンジン搭載の彗星五四型で、抱くは大威力の80番爆弾。激烈なる対空砲火に晒され、2機を喪いながらも、動きのぎこちない航空母艦の真後ろへと遷位した。そうして標的が舵を戻し始めた辺りを見計らい、一気に急降下を開始した。40㎜機関砲弾の弾幕によってまた1機が黒煙を吹いたが、残りは編隊を崩さず突き進む。


「どうだ……おおッ、命中か!」


 宮本は思わず大喝采した。

 僅かに時間差を置いた爆発が2度、目標において発生した。しかも弾薬庫あるいは出撃準備中だった艦載機にでも誘爆したのか、後部エレベーターの付近に巨大な火柱が立ち、たちまちその巨躯は手の施しようのなさそうな大火災に包まれる。致命傷は確実、そう断じられそうな状況だった。

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