食中毒空母を撃沈せよ④

太平洋:南硫黄島南方沖



「いや中将、何と言うか……呆れるくらい豪胆ですね」


 諸々の報告にやってきた抜山主計少佐は、何とも呆れたとばかりの口振りだ。


「うん? ヌケサクか、どうかしたか?」


 やたらと豪勢な間食をムシャムシャと頬張りながら、高谷中将は首を傾げる。

 それから苛立ち放題な打井中佐の肩で、盛んに果物を啄んでいるオウムのアッズ太郎よろしく、ごちゃ混ぜフルーツポンチをパクリ。リンゴにバナナといった具材に、秘蔵ウィスキーのサイダー割りがよく染みている。ついでに誰だかが仕入れたフィリピン寒天モドキも、まったく得体の知れない食品ではあるが、奇天烈な歯応えがなかなかいける。ともかくも第一強襲艦隊司令長官公室は、今や甘味処『天鷹』といった具合であった。


「冷蔵庫の調子までおかしくなってしまった以上、駄目になる前に腹に収めてしまった方がいいに決まってる。お前もどうだ、普段からコバンザメみたいにくっ付いて、タダ飯にありつくのは得意技だろ?」


「その、よろしいのでしょうか、こんな調子で?」


「身動きが取れん以上、ジタバタしたところでどうにもならん」


 高谷はきっぱりと言ってのける。

 実際、現状においてできることは本当になかった。機関科の面々は今も全力で対応中で、そちらへの手当には万全を期するよう命じられてはいるものの、相手は高度な熱力学機械であって、頭数を増やせば早く直るという性質のものでもない。だったら復旧と同時に全力を発揮できるよう、今は英気を養わせておくのが一番という判断だ。


 加えて厄介極まりないB-29偵察型が上空を飛び回り、盛んに電波を輻射していた。

 しかも遂に姿を現した米機動部隊が、全速力でこちらに向かってきているという。とすれば何時、艦載機の群れが襲ってくるかも分からぬし、空襲が始まるまでに奇跡的に機関が復旧したとしても、そうなれば航行不能の『天鷹』はまず間違いなく撃沈されてしまうだろう。そうして大勢が水漬く屍となるのが避け難いのであれば……今のうちに美味いものを食っておいた方が得ではないか。かような実に現世利益的発想の下、艦を挙げての大盤振る舞いをさせた訳である。


「まあ何だ……やるだけやって、駄目ならくたばる。遂にその時が来たのかもしれん」


 高谷は自らの言葉を、角切り謎食品を咀嚼しながら噛み締める。


「ああヌケサク、言うまでもないがお前は記録係でもあるのだから、いざという時は迷わずさっさと脱出しろ?」


「中将、そういうのは絶対によろしくありません」


 打井が阿修羅の如き顔でいきり立ち、


「チンピラゴロツキどもに体当たりする覚悟で、自分等が艦の防衛に当たります。燃料と弾薬を最低限とした上で飛行甲板を全部使えば、風向き次第で紫電改も発艦もできるやもしれません。自分は猛禽類ですから」


「But now, ostrich」


「何だとてめえ!」


 アッズ太郎のやたら辛辣な茶々に打井は激昂、本当に大人げなく暴れ出す。


「ダツオ、いい加減にしろ。」


 高谷はうんざりしながら叱責。それから風は凪いでいるだろうと言おうとした直後、新たな入室者が現れた。

 今度は通信参謀のデンパこと佃少佐である。普段は爬虫人類が何とかと支離滅裂なことばかり抜かすこいつも、フルーツポンチにつられてやってきたのかと思いきや……唐突に陸軍飛行戦隊が云々という話が飛び出す。しかも長距離戦闘機が向かってきているというから驚きで、地獄で仏に遭ったかの如く希望が湧いてきた。


「それで何だ、誘導ビーコンを出せと?」


「はい。既にかなり近くまで来ているそうですが、陸サン方は洋上航法に不安があるようでして……ひっく」


「なら構わん。どうせB-29が上に張り付いたままなんだ、好きなだけ輻射しちまえ」


 高谷はざっくばらんに許可し、尚も喧しい打井を黙らせる。

 それから尚もアルコール入り甘味を楽しみながら、いったいどうした成り行きだろうかと思った。何でも救援にやってきてくれたのは、愛知は清洲飛行場から遥々飛んできてくれた連中らしい。とすると被雷の報告を上げた直後に準備を始めていなければ、まるで間に合わぬ計算で……どれほどの数が到着するかは定かでないとしても、陸軍には感謝してもし切れなかった。


 ただビーコンを発振し始めた直後、随伴する駆逐艦『花月』より、敵機多数が急速接近中との報が齎された。

 そうして他に行く宛てのなさそうな乗組員達は、あっという間に態度を翻し、『天鷹』を死守するべく戦闘配置に着いていく。とはいえ所詮は動けぬ航空母艦。試練の時は間もなくで、大被害を免れ得る確率は、万にひとつもなさそうだった。





「情報通り、敵の直掩はいないようだな。ならば一気に叩くぞ」


 最新鋭機FD-1を駆るグラント大尉は、落ち着いた声で僚機に伝達した。

 ファントムという渾名の相応しい愛機は、レシプロ戦闘機からしてみれば、まさに幻影にしか見えぬだろう。そうした圧倒的空戦性能を実戦の場で披露できぬというのは、少々物足りない気もするが……その分落ち着いて食中毒空母を叩けるのだから、贅沢を言うべきではないだろう。


「後続部隊のためにも、ここで敵艦の飛行甲板を火の海にしてやろう。今回は単縦陣でいく。俺が確実にロケットを当てるから、お前等はそれを手本にして撃て」


「了解」


 元気のよい応答が次々と木霊し、グラントもまた闘志を燃やした。

 そうして三舵を巧みに操り、腕利き揃いの7機を引き連れ、まるで動けぬ目標艦の艦尾に占位。スロットルを目一杯開き、ジェットエンジン特有の甲高い音響を響かせながら、凄まじい動力降下を始めていく。対気速度は400ノットを優に超え、胃袋が何処かへすっ飛んでいってしまいそうだった。


 だが歴戦のパイロットの双眸は、射爆照準器越しに、撃滅すべき飛行甲板を捕捉し続けていた。

 無論、随伴艦のものを含め、対空砲火は猛烈な勢いで撃ち上がる。大出力の電磁波照射を受け、警報装置が悍ましき警報音を発しもする。それでも日本海軍の高射装置は、圧倒的速力には対応できぬと体感的かつ論理的に分かっていて、一切臆することなく突っ込んでいく。ハルゼー大将が体当たりしてでも撃沈しろと厳命してきた食中毒空母の艦影は、次第に大きくなっていき……両翼に据えられた高速航空ロケットを見舞うべく、彼は発射ボタンに指をかけた。


(このまま、このまま……むッ!?)


 グラントは異変に気付いた。ジョージと思しきミートボール戦闘機が、飛行甲板上を駆けていたのだ。


(よし、こいつごと叩き潰す)


 刹那のうちに決意し、僅かに機首を上げる。

 直後、親指は機械的に動作し、合計8発の高速航空ロケットが放たれた。濛々たる白煙を吹いて驀進するそれらのうち、2発が邪神の眷属なる艦の飛行甲板を捉えて炸裂し、更にもう1発が機関砲座を壊滅させた。


 とはいえ敵戦闘機を艦上で撃墜するのには、どうやら失敗したようだった。

 攻撃を終えたグラントが振り返った時には既に、それは海面ぎりぎりを飛行していた。恐らくは飛行甲板の端から端までを用いて加速した後、海面効果を用いたものと見られ――この局面でよくもそんな芸当をやってのけたものだと、敵ながら天晴と感心せざるを得なかった。


「だがそれなら、機銃でもって撃墜してやるのみ」


 グラントは愛機を一旦離脱させ、エンジンの出力に任せて高度を取りながら、何とも獰猛な笑みを浮かべる。

 僚機から放たれたロケット多数を受け、食中毒空母は松明の如く燃え上がっている。であれば戦闘機乗りらしい戦いをやり、撃墜数を増やしてもいいだろう。





「おおッ、呪われし食中毒空母もいよいよ最期となりそうです」


 高度2万8000フィートの成層圏に、副操縦士の喜色に満ちた声が木霊する。

 B-29偵察型の機長たるルイス少佐は、少しばかり顔を顰めて応じた。南東35海里ほどの海域で食中毒空母が炎上しているというのは、紛れもない事実ではある。しかもこれは先行したジェット戦闘機8機のみの戦果で、間もなく爆装あるいは雷装した攻撃隊が止めを刺しにいく訳だから、勝敗は決したと断じたくなる気持ちも分からぬ訳ではなかった。


「だがはしゃぐのは、あれが完全に沈んでからでも遅くはない」


 ルイスはあくまで慎重で、


「正直、呪いだの黒魔術だのは……海軍のオカルトマニアどもの寝言だろう。しかしあの航空母艦は今に至るまで生き延びてきた。まあ本当にすべては悪運のなせる業なのかもしれないが、そうでないとすれば何らかの特殊な生存術を身に着けているのかもしれん。まったく油断は禁物だ」


「とはいえ、流石にここからどうにかなったりはしないのでは?」


「実際、そうであってもらいたくはある」


 航空時計に目をやりながら、ルイスは訝しげに肯いた。

 まずあり得ないこととはいえ、仮にハルゼー機動部隊の攻撃隊が何らかの理由で成果を上げられなかったとしても――マーシャル諸島を発ったB-24長距離雷撃型の大群が、あと1時間半ほどの後にはやってくる。これで戦争が仕舞いというのは酷く不本意ではあるが、大統領直々の命令だけあって、食中毒空母撃沈にはとんでもない戦力が投じられていた。


 しかしそうした要素を抜きにしても、奇妙な不安がしてならなかった。

 特に相手は狡猾極まりない日本軍だ。あるいはまさかとは思うが、連合国軍最大の敵とすら言われたる艦を囮とし、誘引撃滅を図ってきているのかもしれない。例えばこちらの大規模な航空攻撃を見越し、艦の上空に戦闘機多数を送り込むとかであったら、強力無比なFD-1がいたとしても圧倒されてしまうかもしれぬ。そんな幾許かの危惧が脳裏を過り、加えて十数分ほど前、誘導用と思われる電波輻射があったことが思い出された。


「おい、付近に敵機がいないか……」


 改めての索敵を促さんとした瞬間、致死的な衝撃が知覚された。

 敵機はまさに間近にいたのだ。大口径機関砲を食らった左翼は、真ん中から先がポッキリと圧し折られていて、愛機はまるで回復の見込みのない旋回へと突入していく。


「う、嘘だろ……」


 ルイスは絶望に満ちた呻きを漏らし、しかし反射的に敵機を目で追った。

 マリアナ沖海戦に際して初めてその存在が確認された、如何にも強力そうな双発戦闘機が、海面に向かって突き進んでいっていた。しかも最悪なことに、それらが食中毒空母上空に到達するであろう時刻は、ハルゼー機動部隊の攻撃隊が爆雷撃を開始するのとほぼ同時と思われた。

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