食中毒空母を撃沈せよ⑤

太平洋:南硫黄島南方沖



 陸軍飛行第5戦隊の朱雀23機が早々に推参できたのは、戦隊長たる山下中佐の独断がためだった。

 航空母艦『天鷹』が航行不能に陥ったとの報を受けるや否や、ただちに出撃準備を命令。中京方面への原子爆弾搭載機の来襲に備えて待機していた機体と、洋上飛行の経験のそれなりにある搭乗員とを搔き集め、救援のため急ぎ飛び立たせたのだ。


 上級部隊との連絡がついたのはそれからで、完全に事後承諾を求める形である。

 無論、勝手なことをと叱責が飛ぶ。とはいえ戦は流れ、臨機応変の精神が何より重要に違いない。それから義号作戦の成功により、テニアン島にあったB-29はすべて残骸と化し、内地への脅威はほぼ消失した状態となってもいた。


「とすれば『天鷹』の救援を、どうして躊躇うことができましょうか」


「救国の英雄たる高谷提督に万が一のことがあっては、陸軍の名誉にかかわりますぞ」


 山下はかくの如く熱弁し、上官を一息に説き伏せてしまった。

 実のところ彼は昨年までニューギニア方面の第四航空軍に属しており、ガダルカナル島を巡る航空戦に参加してもいた。故にケアンズ空襲をもって米豪軍航空戦力を引き付けてくれた第七航空戦隊に、少なからぬ恩を感じており……ここで義理を果たさんとしたのである。


 そして当時ブーゲンビルにあった蔭山大尉も、かような経緯をよく理解していた。

 また空中指揮官として出撃した彼は、発振を要請したビーコンの方向へと編隊を導きながら、如何に敵機と戦うべきか思考する。鬱陶しいB-29偵察型は火を吹いて墜落していったものの、既に『天鷹』は激烈なる空襲によって炎上していて、しかも襲撃してきたのはジェット戦闘機とのこと。朱雀は時速700キロ超の最高速力を有する高速機だが、それでも苦戦は免れられそうになかった。


「だが、機体性能は戦力の決定的な差に非ず」


 蔭山はそう念じ、操縦桿を強く手に意気込みを注いだ。

 それから翼をバンクさせ、偵察員の森永軍曹とともに眼下を捜索していく。身動きも取れぬまま黒煙を噴き上げる『天鷹』と、対空砲火を撃ち上げる随伴艦の姿が、ようやくのこと見えてきて……その近傍には、米軍機と思われる機影が幾つかあった。


「大尉ッ、好機です」


 森永が声を張り上げ、


「敵機は低空に降りております。『天鷹』直掩隊の生き残りを狙っておるようで」


「ああ、そのようだな」


 討つべき敵影を2.0の視力で追いながら、蔭山もまた肯いた。

 ぐるぐると空中に円を描き、海面ぎりぎりを飛ぶ紫電改を追い詰めているようだった。加えて恐らくではあるが、敵パイロット達の注意はそちらに集中している。高度を速度に変換し、奇襲的な一撃を仕掛けてやれば、恐るべきジェット戦闘機が相手であっても、勝機は十分以上にあるだろう。


「よし、眼下の敵機を駆逐する。第一中隊、我に続け。第二中隊は援護、第三中隊は上空で待機」


 航空無線越しに命令を伝達し、試射を兼ねて機首の機関砲を咆哮させた。

 そうして戦意を昂ぶらせた蔭山は、強壮チョコレートを幾つも頬張った後、操縦桿を一気に倒した。かくして降下に入った朱雀の群れは、両翼のハ43エンジンを轟々と唸らせ、まさに皇国の南方を守る神獣さながらに突き進む。





「糞ッ、小賢しいジョージだぜ……」


 思うように進捗せぬ空戦に、グラント大尉は歯軋りする。

 炎上中の食中毒空母から発艦したのは、たった1機の戦闘機でしかなかった。であれば囲んで上から叩けば楽勝だ。実際、ランチェスター方程式に基づけば戦力差は64対1で、乗っているのがFD-1ファントムであることを踏まえれば、空戦はすぐに片付いて然るべきはずだった。


 だが運動エネルギーをほとんど有していないはずの敵機は、海面付近をのらりくらりと逃げて回った。

 これが実に厄介だったのだ。優速をもっての一撃離脱を僚機とともに反復しているが、その度にひらりと躱される。下手に追撃すればあっという間に速度が削がれるし、操縦を誤ればドボンと海面に突っ込んでしまう。ついでにこちらの燃料も有限で――恐らくそうした事情を察した上で、窮地にあっても冷静沈着に生き残りを図ることのできる、とんでもない凄腕が乗っているに違いない。


「ハマー、間もなく攻撃隊本隊が到着します」


 第2小隊を率いるシュミット中尉が警告してくる。


「奴はサイキック級の搭乗員かもしれませんが、何も8機総出でかからんでも」


「ああ、そうだな……」


 浅慮であったかもしれぬとグラントも思った。

 幾ら敵機が見当たらないとはいえ、低空に留まり続けるのはあまりよい選択肢ではない。如何な最新鋭のジェット戦闘機といえど、海面高度付近での性能は、少し前まで乗っていたF8Fより劣る部分もあった。


 だがここで最強の敵を逃がしでもしたら、爆弾や魚雷を目一杯積んだ攻撃機に対する、最大級の脅威となるだろう。

 加えて卑劣なる真珠湾攻撃で始まったこの戦争は……ハルゼー大将も大いに憤ったところではあるが、間もなく終わるのだという。それが本当であれば、これが人生で最後の空戦になるかもしれぬ。とすれば何としてでもここで敵機を討ち取り、愛機に撃墜マークを追加したいところだった。


「よし、第2小隊は上空にて待機。こいつは俺が片付ける」


「了解。上空にて待k……ああああッ!」


 爆音と断末魔の悲鳴が、まったく突然に耳朶を叩いた。

 グラントは状況を察するより先に、フットバーを蹴って愛機を滑らせる。その近傍を野太い光弾が掠め、うち1発が右翼先端部に命中。大地震を思わせる猛烈な振動に見舞われた。


「畜生ッ、敵機だ。全機ブレイク!」


 懸命に機体を立て直しつつ、グラントは僚機に散開を命じた。

 だが遅きに失したという他ない。既に自分を含めて3機が被弾しており、しかもシュミット中尉機は火を吹いて墜落してしまっていた。その責任が誰にあるかはまったく明白だった。


 そして後悔する隙すらも与えんとばかりに、また新たな敵機が上空より降ってくる。





「おおッ……陸軍の部隊か! この恩、一生忘れんぞ!」


 どうにか窮地を脱した打井中佐は、息を荒げながら謝意を示す。

 連続的猛攻を辛うじて凌いだ直後だけあって、全身の筋肉が滅茶苦茶に軋んでいた。眩暈だって凄まじく、ともすれば海面に突っ込んでしまいそうにもなる。それでも未だ戦闘中。チンピラゴロツキを千切っては投げねばと自身を叱咤激励し、脳内ヒロポン状物質を大量分泌させ、愛機なる紫電改を馳せていく。


 ただ凶悪なる米ジェット戦闘機群の動きは、既に封じられつつあるようだった。

 同種のエンジンを備える蒼雷や旋風といった機体の、低空低速域における空戦能力は、レシプロ機と同等あるいはそれ未満という話を聞いたことがあった。とすれば自分は知らずのうちに、敵機を不得意領域に誘い込んでいたのかもしれない。そして遂に到着した朱雀の群れが、高空より高速降下してその弱点を突いたとなれば……まあ形勢逆転も当然のことかもしれぬと思った。


「であれば……」


「中佐、ご無事ですか?」


 己が身を案ずる声が、航空無線より響いてくる。

 通信参謀たる佃少佐の下で頑張っている、草谷という中尉のものだった。近寄るとクサヤ汁みたいな臭いがしたりはする人物だが、実務に関しては優秀で、炎上中の『天鷹』にあっても、彼は能力を十全に発揮できているようだった。


「おう、無事だ。戦闘航行に支障なしだ」


 打井は大いに強がって、まず威勢よく応答した。

 それからすぐさま指示を請う。飛行中はまともに脳味噌が働かぬから、階級では自分の方が上であろうと、迎撃管制に無条件で従うべし。そうした連戦連勝の術策を履むことが、今も求められているはずだった。


「五時方向より敵機多数が急速接近中、距離40、数およそ50。猛虎一番は陸軍機を誘導、協同し、これを迎撃されたし。なお硫黄島からの増援も間もなく到着の模様、可能な限り時間を稼がれたし」


「猛虎一番了解。殺戮マシーンが俺の天命、チンピラゴロツキ殲滅開始」


 意気込み新たに打井は吼え、すぐさま高度を確保していく。

 後ろを振り返れば、朱雀の半分ほども追随してきていた。敵攻撃隊の高度は分からぬが、当然意図しているのは対艦攻撃であるはずだから、恐らく4000ほどだろうと推測する。数で言うなら彼我の差は歴然。厄介なF8Fなどに拘束されぬよう、優位からの一撃離脱を繰り返し、編隊を攪乱してやるのが上策と思われた。


 そうして迎撃管制に誘導されながら、フクロウめいて首を回しながら索敵する。

 間もなく交叉のはずだが、未だ敵機は見つからぬ……猛烈なる焦燥が身を焦がす。しかしその直後、後続する朱雀が発砲でもって合図した後、一気に翼を翻していった。


「むッ!」


 すぐさま操縦桿を右に倒し、反射的にその動きに従う。

 遠目には案外ゆっくりと動く米粒のような影が、次第にポツポツと見えてきた。間違いなく米攻撃隊だ。一番槍を逃したのは悔しくもあるが、もはやそんなことを気にしている場合ではない。とにかく陸海軍合同戦闘でもって爆雷撃を徹底阻止し、荒くれで磊落な仲間達の乗る艦を守ることが最重要だ。


「そうだ、やらせるかッ! チンピラゴロツキども覚悟ッ!」


 打井は頭を研ぎ澄ませながら絶叫し、瞬時に殲滅するべき敵を選定する。

 忌々しきシコルスキーか、あるいはデストロイヤーとかいう新参の大型攻撃機か。ともかくも逆カモメ翼のそれを照準し、距離を一気呵成に詰め、怒涛の20㎜機関砲弾を叩き込む。


 そして脇目も振らずに離脱。また新たな目標に狙いを定め、一心不乱に襲撃する。

 昭和18年の一時期を除き、開戦劈頭から乗り続けてきた航空母艦『天鷹』。乾坤一擲の原子爆弾奪取作戦を成功せしめた後、かつてない窮地に陥った彼女を救うには、寡兵よく大軍を破りまくらねばならぬ。それでも悲壮なる単機突撃ではなくなったのだから、希望は未だ潰えていないのだ。

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