食中毒空母を撃沈せよ⑥
太平洋:南硫黄島南方沖
陸軍飛行第5戦隊の加勢により、一気に形勢逆転といった風にも見えた。
実際、朱雀が機首に備えるホ115 30㎜機関砲は強力無比。大柄な攻撃機も一撃必殺といった具合で、フル装備での出撃と防護機銃の廃止がここで裏目に出る形となった。かくして編隊はあっという間に乱れ、先行して制圧爆撃をやるはずだったF8Fも、爆弾やロケット弾を投棄しての空戦へと移らざるを得なくなっていく。
それでも米海軍の搭乗員達は勇敢だった。あるいは異常な執念に燃えていた。
獅子奮迅の直掩機が投射する大火力と検波信管付きの高射砲弾の嵐を受け、1機また1機と数を減らしていく。しかし彼等は決して突撃を止めたりはしかった。まさに磁石に吸い付く砂鉄さながらで、しかも結果的に数機ごとの五月雨式侵入となったから、そのすべてを迎撃するなどまったく不可能と言う他ない。
そして標的とされた航空母艦『天鷹』は……奇跡的にも先程、機関を復旧させることに成功したようだったが、未だ回避運動もままならぬ状態に違いなかった。
「十一時方向に敵機3、『天鷹』に向かうッ!」
見張り員の絶叫が、伝声管を震わせる。
「面舵」
駆逐艦『楡』の黒木少佐はすぐさま指示を飛ばす。
備砲のすべてが射角を取れるようにするためで、続けて敵機を撃ち払うよう命じた。艦首と艦尾に据えられたる12.7㎝高角砲がたちまち旋回して咆哮、敵機の針路上に幾つもの水柱を立ち上らせる。
だが……所詮は僅か3門の蟷螂の斧でしかない。
それで怯むようなのが、ここまで飛翔し続けられはしないだろう。加えて敵は搭載量4000ポンド超のBTDデストロイヤー。通常雷撃が2回雷撃で大炸薬弾頭という、とんでもなく厄介な攻撃機なのである。しかも搭乗員の技量は見るからに優秀で、宝籤で連続当選するような確率でしか阻止できそうにない雰囲気だ。
「であれば」
黒木はゴクリと唾を呑み、未練といった一切を叩き潰した。
「本艦を『天鷹』左舷につけろ。身を挺して魚雷を破壊する、投下の瞬間を絶対に見逃すな」
「今度こそ守ってみせましょう」
同じく怯懦を捻じ伏せた若き声が、艦橋に高らかに木霊する。
こちらは排水量1260トンの松型であるから、魚雷を受ければひとたまりもない。あっという間に艦体は四分五裂し、乗組員の誰も彼もが水漬く屍となろう。まったく勇敢という他ない彼等を港に帰してやれぬのは、駆逐艦長として心苦しい限りであった。
それでもここで傷付いた母艦を守れねば、何のために海軍に入ったのか分からない。
今次大戦はもうすぐ終わるという話もある。とすれば有終の美を飾るに相応しい最期となろう。乗組員総出で餅を搗いて新年を祝いたい気持ちもあるが……靖国にだって餅くらいあるはずだから、それを皆で頬張ればいいではないか。
「敵機、魚雷投下ッ!」
「最大戦速」
黒木は落ち着いた声で、しかし何処か楽しげに発令する。
それから取舵一杯。『天鷹』へと突っ込まんばかりであった『楡』は、艦体をギリギリと軋ませながら大きく旋回し、海面付近を奔走する航空魚雷の針路上に見事躍り出た。
「よし……今度こそ上手くやれたようだな。総員、衝撃に備えッ!」
直後、『楡』左舷の海面が、海王の振り上げた腕の如く奔騰した。
命中した航空魚雷は3発。駆逐艦1隻を沈めるにはあまりに過剰で、爆発が収束した時には既に、彼女は姿を消してしまっていた。
「ううむ……食中毒空母、未だ沈まずか」
雷撃機乗りなるブッシュ中尉は、健在なる目標艦を見て呻く。
随伴する駆逐艦が身代わりになったが故とはいえ、黒魔術的なまでの悪運は依然として潰えてはいないようだった。実際、何時の間にやら航行不能を脱してしまっているようだったし、これだけの航空攻撃によっても有効打を与えられていない。まったく前代未聞と言う他なかった。
「だがならば、俺が一番手になるまでのこと」
ブッシュは敵愾心を燃やし、海原へと視線をやった。
名状し難き食中毒空母は大きく面舵し始めており、自分がここで突入すれば、魚雷を叩き込めそうだと直感する。潜水艦が命中させたのはどちらの舷だったかは分からぬが、ここで逡巡していては、当てられるものも当てられなくなるだろう。
そうして意を決した後、後方を素早く確認した。
強力無比なジャップ双発戦闘機により、編隊は出鱈目に切り刻まれ、既に中隊長が何処を飛んでいるかも分からない。後続するはクエールという若い少尉の乗る機体だけで、他は何処へ消えたのかと歯を軋ませたくなるところだが……少なくとも敵に六時を取られてはいない。となれば攻撃あるのみだ。
「ジェームズ、ここで奴を仕留める。食中毒空母撃沈の名誉は俺達のものだ。遅れるな」
「了解。地獄にでもついていきます」
何とも威勢のよい返答。それに満足し、ブッシュは海面近くまで機体を降下させた。
こちらの動きを察してか、敵艦隊も対空射撃を集中させてくる。眼前に水柱が次々と立ち上り、更にはアイスキャンデーのような機関砲弾が数え切れぬほど飛んできた。あまりに致死的に過ぎる光景に、1秒がこれほど長く感じられることもあるまいと思うほど、時間が酷くゆっくりと流れ始める。
だが間延びした時を、針路の修正に用いることもできた。
そうしてブッシュは見事、目指すべき艦を視界の左方に捉える。およそ1マイルと推定された彼我の距離は、これまた一気に縮まっていく。冒涜的疫病神だの連合国軍最大の敵だのと呼ばれたる敵は、読み通りの動きをせざるを得なかったようで……絶好の機会を前に、彼は顔を綻ばせた。
「よし……投下ッ!」
魚雷投下ボタンを押下。その刹那の後、己が姿勢が崩れたのを察した。
言うまでもなく被弾したのだ。条件反射的に三舵を操り、機体を何とか立て直さんと奮闘する。結果として海面に突っ込むことだけは避けられたものの、2発目を放つ機会は消失してしまった。
だがそれでも、ブッシュはここで戦果を得ることができた。
彼の愛機より放たれたMk.25航空魚雷は海面を猛烈に駛走し……40秒ほどの後、『天鷹』の左舷後方に突き刺さったのである。
「何ッ、舵が利かんというのか?」
齎された悲報に、『天鷹』艦長たる陸奥大佐は絶句する。
執拗なる雷撃機の猛攻を前に、先程遂に1発の被雷を許してしまった。結果、舵取機および電動機室が浸水し、操舵不能に陥ったとのこと。潜水艦にやられた箇所とは反対舷で、応急処置がほぼ完了していたこともあって即座の沈没には至らぬものの、その場でグルグルと旋回するしかできなくなった。空襲下ということを考えれば、何とか致命傷で済んだというだけである。
「復旧の見込みは?」
「まず浸水を止めぬことには」
ごく当たり前に絶望的な報告が、伝声管より上げられる。
敵の雷撃機の視点に立てば、動けなくなった艦に次いで与し易い目標となるだろう。陸軍の朱雀隊の奮戦の甲斐あって、これでも被害は相当に抑制されていはするが、未だ米雷撃機の掃滅には至っていない。硫黄島からの増援も間もなく到着の見込みだが、それまでに数度の雷撃は覚悟する必要はありそうで、その回避に失敗すれば、悪運で知られたる『天鷹』もお陀仏といった情勢だ。
そして例によって舵を握らせていた鳴門中佐は、茫然自失といった風に見えた。
操艦を任せておく分には、実際とてつもなく安心できる人物だった。しかし機関が直った直後にこのあり様では、アーパーになってしまうのも致し方なかろう。それにあいつは割とまだ新婚だ。微妙に違和感のある漫画付きの葉書を送ってくる家内のことで、案外頭がいっぱいになってしまったのかもしれぬ……そう思った直後、彼の態度は一変した。
「艦長、故障舵復帰装置の準備を。」
鳴門が鬼気迫る表情で言い、
「次の雷撃を……舵復帰と速力調整でもって次の雷撃を回避します。できるか分かりませんがやってみせます。その後、応急舵を展開させれば、何とか操艦可能となるはずです」
「お、おおッ」
驚嘆の声が幾つも漏れる。陸奥は己が至らなさを若干恥じながらも、すぐさま準備を命じた。
南シナ海で被雷した航空母艦『雲龍』が操舵不能に陥り、岩礁に突っ込んで放棄された事例を契機に、各艦に装備されるようになった故障舵復帰装置と応急舵。前回の改修の際、カタパルトなどとともに装備された代物で、今の今まですっかり存在を忘れてしまっていたが……確かにここで役立つかもしれぬ。いや、役立ってもらわねば困る。
「艦長、自分が合図したら、ただちに始動させてください」
「分かった。メイロ、任せた」
まったく頼もしい限り。誰もがそこに一縷の光明を見出した。
それから数十秒ほどの後、敵機の群れが低空より迫ってきた。すかさず故障舵復帰装置始動。舵の左右に繋がれたワイヤが、両舷のウィンチの動作によってピンと張り、舵を強制的に中央へと固定する。
すると旋回するばかりだった艦が、暫しの後に直進へと復帰し始めた。
5機のBTDが魚雷を連続投下したのは、狙い通りそれとほぼ同時。こちらの未来位置が敵の予測と十分に乖離していることを祈りつつ、陸奥は小さく呟いた。
「ともかく、頼んだぞ。こいつにゃ悪いかもしれんが、流石に俺も女房が恋しくなってきたんだ」
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