食中毒空母を撃沈せよ⑦

太平洋:パハロス島東方沖



「むゥ、何と忌々しい食中毒空母か。やはり奴は、サタンの眷属か何かであるようだ」


 攻撃隊からの残念なる報告を耳にしたハルゼー大将は、作戦室の参謀達を前に、悔しげに歯を軋ませた。

 食中毒空母は依然として浮かんでいるというのだ。仕留め切れなかった理由の半分ほどは、何処かからか敵双発戦闘機が割り込んできたことと、随伴する駆逐艦が身代わりになって被雷したことにある。だが残りに関しては、得体の知れぬ黒魔術的な何かが作用したようにしか思えなかった。


「だがあるいは……」


 ハルゼーは非科学的過ぎる迷信に嫌気がさし、もう少し客観的に物事を見ようと努める。

 するとどうした訳だろうか、小学生でも分かるくらい単純明快な結論が脳裏に浮かんだ。また自分を含む大勢の提督が揃いも揃って、とんでもない勘違いをしていたのかもしれぬとの危惧に、身体がブルブルと震え始める。


「もしかすると……いや、もしかしなくとも……あの食中毒空母は、ニンジャ的存在なのかもしれぬ」


「ええッ!?」


 参謀長のカーニーが奇声を上げ、更にはあまりにも予想外とばかりの反応が相次ぐ。

 だが冗談でも何でもない、非常に真面目な話なのだ。合衆国でも有名な宮本雅史伝におけるニンジャは概ね、忍法とかいう大変に怪しげで荒唐無稽な術を使う、酷くトリッキーな悪役として描写されている。しかし実際の歴史におけるそれは……君主のために名を捨て顏を捨て、ただ忠義のために一生涯を捧げるを良しとする、とてつもなく崇高で忠実なる影の戦士だという話だった。


 であれば食中毒空母が、その変種という風にも考えられるのではなかろうか。

 実際、平安時代の日本に詳しいモーゼスなる学者の説によると、ニンジャの開祖は聖徳太子とのこと。またその腹心であった大伴細人は、愚者の振りをしながら諸国において様々な謀略を巡らせた、相当の実力者だったという話だ。とすればかの艦は、まさに影に生きるべく建造された、変幻自在の航空母艦なのかもしれない。聯合艦隊とやらの中で役立たずと陰口を叩かれまくっているという噂も、その隠密的活躍を隠蔽するための謀略と考えれば、確かに色々と納得することができる。


「つまるところ……奴はただ純粋に強く、狡猾だっただけなのだ」


 長年の追究の末、宇宙の真理に辿り着いたかの如く、ハルゼーは穏やかな口調で滔々と説く。


「そしてその強さが故、裏方に徹することができた。阿呆のような汚名を甘んじて受け入れることができた。要するに、ニンジャだから耐えられたのだ。実際、漢字に詳しい人間によると、ニンジャは耐える者という意味らしい」


「え、ええ……」


「それから恐らくではあるが……ジャップ海軍の天才として知られる秋山何たれなど足許にも及ばぬほど、あの高谷とかいう指揮官は頭が切れる人間なのだろう。そうとしか考えられん」


「あり得ますか、そんなこと?」


 カーニーは尚も目を剥き、


「前に人事情報を漁った程度ですが……かの高谷祐一なる人物は、海軍兵学校の卒業席次では最底辺、落ちこぼれです。その後も出世コースには一切乗っておらず、むしろ何故海軍に残れたのか分からぬと訝られておるようですが」


「相手は本物のニンジャだ、それすらも欺瞞かもしれぬ。それにだ、連合国軍に俺達ほど奴について知っている者もいないだろう」


 ハルゼーはそう述べながら、昨年のスカイボルト作戦を思い出す。

 既に遠い昔のことのようであるが、横須賀に停泊していた有力なる艦隊を散々に叩きのめした後、小笠原から硫黄島にかけての海域を海賊的な勢いで荒らして回った。そうしたところに現れたのが食中毒空母であったのだ。


 無論、第38任務部隊がそこで勝利したことは、今更記すまでもないだろう。

 しかし戦力差が5対1という圧倒的優位にあったにもかかわらず、食中毒空母を仕留め切ることはできなかった。迎撃機と基地航空隊の巧みな連携により、攻撃隊にも多大なる損害が出た。現場での指揮の何たるかを一向に理解しない、査問委員と称する下劣な輩に、その辺りをネチネチと突かれたことまで思い出されて不愉快極まりないが……かの艦が尋常ならざる力量を有していることは、この事例だけでも十分過ぎるくらい分かる。


「そしてそれだけの実力者を、我々の損害を最大とするべく運用したらどのような形態になるだろうか?」


「ま、まさか」


「そうだ、そういうことだ」


 カーニーが途端に青褪める中、ハルゼーはおもむろに肯く。

 恐らくはかの設問に対する解答のひとつが、これまでの食中毒空母の所業そのものなのだ。信じ難いほどに高い洞察力をもって連合国軍の最も脆弱な部分を的確に見抜き、そこのみを蜂の如く刺し続けることで、戦局に貢献し続けていたのだと考えられた。すべてが偶然というあり得ない可能性を排除すれば、それが実態なのだと朧気ながら見えてくる。


「であれば呪いだの魔術だの混沌の神の眷属だのというのは、この現実を認めたがらない愚か者どもが捻り出した寝言ということになる。まあつい先程までは、自分もその一員だったかもしれんがな」


「とすると食中毒空母という蔑称自体、危険かもしれませんね」


「うむ。実際、あの艦の名を書いてみるとだ」


 下手糞な漢字を用紙に記しながら、ハルゼーは独自理論で突っ走る。


「ここに"天"という漢字があるが、恐らくこれはエンペラーの意味だ。つまり奴はエンペラー直属のニンジャなのだ」


「そういえばかの食中毒空母を旗艦とする第一強襲艦隊は、大本営なるエンペラー直属の幕府の下に編成されたとのこと。とすると……ああ、そういうことか」


 四角四面な顔立ち深刻に驚愕させながら、カーニーは大いに呻く。

 それから狂気に当てられた参謀の1人が"鷹"の字を見て、金色の鷹が東征中の初代エンペラーを導いた旨が古事記に記されていると、愕然としながら発言する。神武天皇の弓に止まったのは金鵄であるし、古事記ではなく日本書紀だったりするが……鵄はタカ科タカ目であるから、間違えてしまうのもまあ無理はない。


「ともかくもあの空母は恐ろしく強く、狡猾だ。今回生き延びたのも、それ故と考えねばならぬ」


 オッカムの剃刀が圧し折れそうな現実の中、ハルゼーは酷く真剣な面持ちで訴える。


「しかし奴が未だ窮地にあることだけは間違いない。どれほどの英雄であっても流れ矢に当たることはあるし、流石にわざと航行不能に陥ったように見せかけていたということもないだろう。とすれば我々にはまだ、奴の首級を上げるチャンスがある」


「長距離雷撃隊がもうじき会敵の予定です」


「あくまで個人的な、とかく残念な直感だが、あいつらは上手くやれないだろう」


 少しばかり前に航空参謀が寄越した資料を一瞥し、ハルゼーは断じる。

 それは敵が硫黄島および父島から増援を受けた場合の想定だった。長大な航続力を有する日本軍機は、食中毒空母の上空で数時間は粘ってしまう可能性があるとの内容で、長距離雷撃隊の到着時刻が思い切りそれと被ってしまいそうなのである。


「また誘導爆弾搭載のB-29も既に出撃したとのことだが……夜間高高度爆撃だ、如何な誘導爆弾といえど効果は薄いだろう。とすればこの意味においても、我々が最強の敵を倒すしかない。『レプライザル』の航空機運用能力は回復しそうか?」


「今日中の復旧は困難との見込みです」


 カーニーがすぐさま応じる。

 サイパン沖にいた敵機動部隊からの攻撃は、強力なFD-1ファントムを多数投じたことで、散々に叩きのめすことができた。ただその代償として航空母艦『レプライザル』が大破し、軽巡洋艦と駆逐艦がそれぞれ2隻ずつが喪われた。将旗を掲げる『レイク・シャンプレイン』および『キアサージ』は至近弾を受けたのみで、ジェット機の運用には未だ一切の支障がないが……『レプライザル』に集約していた多数の攻撃機が、格納庫でジュラルミンの塊になってしまったこともあり、対艦攻撃力は大幅に目減りしてしまっていた。


「またここは日本本土から1000マイルほどの海域、敵の長距離攻撃機が何時飛んできてもおかしくはありません。加えて今から攻撃隊を出す場合、帰投は日没後になります」


「であれば、やはり『サウスダコタ』の活躍を期待するべきだろうな」


 砲術参謀が口許を僅かに緩めたのを目にした後、ハルゼーは大戦艦のある方へと視線を向ける。

 モンタナ級の五番艦にして、南太平洋で華々しく散った先代の魂を継ぐ排水量6万トン超の彼女を、恐るべき食中毒空母へと向けるのだ。鬼神の如く暴れ回った大和型はまだ後方で、硫黄島近辺には小規模な敵の増援と巡洋艦を先頭とする8隻ほどの艦隊しか確認されていないから、水上砲戦となれば勝機は間違いなくあるはずだった。


 懸念がない訳ではない。実際、夜陰に乗じて戦艦を突撃させるというやり方は、どういう訳か悉く失敗に終わっていた。

 それでも他にいい方法などありそうにないから、ここは打って出るべきだろう。夜間に敵攻撃機が殴り込んでくるとしても、腕のいいパイロット達はそれに対処できる。それに随伴艦も未だ30隻以上おり、それらに統制雷撃を命じてもよい。それでも駄目だというならば……エセックス級航空母艦で体当たりを仕掛け、斬り込みを仕掛けたっていいではないか。

 そうして翌日の大海戦の様相を脳裏に描いたハルゼーは、大きく深呼吸した後、信徒を前にした法王の如く宣った。


「水上砲戦でもって最強最悪の敵を撃沈するべく、敵艦隊との距離を詰める。つまりは最大戦速で突っ走れだ。必要とあらば艦をぶつけてでも奴を仕留めるから、各自覚悟を決めておくように」

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