食中毒空母を撃沈せよ⑨

太平洋:パハロス島東方沖



「天眼より各機。敵直掩機多数の発艦を確認、警戒せよ」


 雑音交じりの航空無線より、剣呑なる声が響いてきた。

 天眼、すなわち高度8000メートルを飛翔する彩雲指揮戦闘機からの、まったく死活的なる情報だ。艦隊と直掩機の間で取り交わされる通信を機上で傍受・分析し、攻撃隊に通報などするそれは、真っ先に敵に狙われる。特に公然と追い付いてくるグラマンが出現して以降は、未帰還率も鰻登りであった。


(であれば……この好機、絶対に生かさねば)


 制空隊を率いる志賀少佐は、全身を武者震いさせながら、確固たる決意を四肢に込める。

 視線を移ろわせながら前方を見張り、それから背後を振り返る。更に主翼をゆっくりと翻し、四方八方の安全を確認していく。背中に目があると部下から言われたりはするが、それは平素からの鍛錬の賜物だ。目を離した1秒後には、そこに敵機がいるかもしれぬのが空戦であるから、長く敵と戦いたいと欲するならば、とかく効率的に索敵する方法を会得せねばならぬ。


 加えて重要なのが、敵がどのように襲ってくるか想像する能力だ。

 恐らく高度4000を飛ぶ24機の烈風は、米艦の電探にこの上なくくっきりと映っていることだろう。通常であれば優位から、特に後上方に回り込ませての一撃を命じるところであるが、なかんずく艦隊防空においては、射撃回数を稼ぐべきでもある。とすれば前上方も相当に危険で、特にジェット機であれば一気呵成に突っ込んでくる可能性もあるかもしれない。

 そうして厳重に警戒すること数十秒、遂に拘束すべき敵機が見つかった。正解は後者だった。500メートルほど上の茜色に染まった空に、羽虫の如き影が十数個あり、その姿は徐々に拡大してきている。


「前上方、距離およそ8キロに敵機。各機、手筈通りやるぞ」


 志賀は航空無線で手短に命じ、すぐさま増槽を投棄。続けて機関砲を試射し、スロットルを一気に開く。

 増速。敵もすぐにそれに気付いたようだった。交戦までの残り時間はおよそ十数秒といったところで、鋭利な刃物のような戦闘機が、次々と降下に移る様が目撃された。


「それッ、ついてこい」


 渾身の掛け声とともに、志賀は操縦桿を引き寄せる。

 事前の取り決め通り、奇数中隊は上昇、偶数中隊は降下だ。無論のこと彼は前者で、愛機を鋭く上昇させながら、恐るべき敵と対峙する。急拡大するその機影が、生理的な恐怖を著しく増幅させるが、大和魂と負けじ魂でもってそれを抑え込んだ。高度の差はあっても、正面衝突にさえならなければ、滅多に撃墜されたりはしないのだ。


 そうして機関砲を撃ち合いながら、編隊同士が交叉する。

 ジェットと思しき機影は、猛烈な勢いで後方へと突き抜けていく。照準が困難であったが故か、お互い墜落はないようだった。志賀はただちに僚機を率い、降下した味方を追い回さんとする敵機を捕捉。そのまま逆襲に転じんとし……直後、身に迫る脅威の存在を、半ば第六感的に知覚した。


「抜かったかッ……!」


 反射的にフットバーを蹴った直後、悍ましき衝撃が連続的に迸った。

 敵もまた編隊を二手に分けており、上空で待機していた方が、横合いから殴りかかってきたのだ。血に染まったかのように朱い空の中、僚機のうち2機が集中砲火を浴びて炎上し、真っ逆様に海面へと墜ちていく。





「空戦においてミスをしない奴などいない。後悔する暇があったらリカバーする方法を考えろ」


 辛うじて生還したグラント大尉の脳裏に、かつての上官の叱責が木霊する。

 今の彼にとってそれは、焼き鏝を当てられたような痛みを伴う言葉だった。何故ならば戦死した者を蘇らせる方法などありはしないからだ。自身の負傷については、未熟さが故と納得できるとしても……食中毒空母を発艦した敵機を総出で追い回した末、複数の僚機を喪ってしまったことについては、まったく弁解の余地がなかった。


 だがグラントは松葉杖を突きながら、戦闘指揮所の喧騒の中に身を置いていた。

 迎撃管制主任士官たるローア中佐を補佐する役割を、航空団長より臨時に与えられたためである。航空指揮官としては失格の烙印を押されたままかもしれないが、今は艦隊防空に少しでも貢献すべきだった。また既に生じた犠牲についてはどうすることもできないが、これから生じる犠牲を減らすことはできる。それこそが贖罪であると、今にも崩れそうな精神を叱咤する。

 そしてアクリルボードに続々と記入されていく情報を頭の中で整理し、戦闘機乗りとしての直感や経験と照合しながら、戦況を俯瞰せんとする。


「ターゲット04、爆弾投棄の模様」


 低空侵入せんとする敵機の群れについて、管制官が緊迫した声で報告する。


「ただしターゲット04はサム。繰り返します、ターゲット04はサム」


「中佐、ジャップどもの目的はファイター・スイープかと」


 確信を得たグラントは、間を置くことなく見解を述べる。

 日本軍機動部隊より飛来した第二次攻撃隊は、中高度と海面高度にそれぞれ2群、合計70機ほどの規模であった。だがそれらはすべて戦闘機で構成されているようで、しかも対艦攻撃も早々に切り上げてしまったようだから、艦隊上空の迎撃機を拘束する意図と見て間違いなさそうだった。


「特に奴等は低高度に逃げ込んでいるようで、これはFD-1を誘い込む動作と見て間違いありません。ジェット戦闘機たるFD-1は理屈の上では、低空でも十分に空戦可能とされますが……」


「ふむ。直近の経験に基づく判断かね?」


 怜悧な声でローアは尋ねてくる。

 まさに心臓を一突きするような詰問だった。だが己の責任から逃れる訳にはいかない。グラントは静かに肯き、口を開く。


「自分はこれ以上、仲間を犠牲にしたくありません。その上で申し上げますと、ジャップどもがファイター・スイープを仕掛けてきたからには、間もなく敵爆撃機が飛来する公算が高いと考えられます。であればFD-1はこちらの邀撃のため温存すべきかと。数的に些か不利ですが、低空ではF8Fは無敵に近い性能を誇りますから、現状でも何とか持ち堪えられるはずです」


「なるほど。そうするのが良さそうだ」


 かくして提案は容れられた。

 増援に向かっていた一部の飛行隊に対し、ローアは現状維持を命じた。それから彼は独特の無機質さを湛えた相を少しばかり緩め、小鳥の囀りのような早口で独白する。


「迎撃管制の仕事は、判断を誤ると艦が爆雷撃を受け、最悪の場合沈む。そうして沈んだ艦がこれまでに何隻あったか分からない。貴官は己が誤断で死なせてしまった者の名前を憶えているだろうが、その意味で言うなら、俺は何人の名前を覚えればいいのかすら分からない。それでもこの仕事を続けることが求められ、今もこの場にいるのだ」


「それは……」


「大尉、運命には逃げずに立ち向かえ。貴官にはできるはずだ」


 口籠るグラントに対し、ローアはきっぱりと言ってのけた。

 そしてその意味を咀嚼する暇もないうちに、前哨任務中の駆逐艦『ドレクスラー』より緊急電が届いた。敵機多数が北々西より急速接近中とのことで、恐らくは本命の攻撃隊と思しきそれを撃滅すべく、先程待機させたFD-1に新たな命令が伝達されていく。





 父島を発った第521海軍航空隊の悲劇は、第38任務部隊までおよそ50キロほどの地点で始まった。

 機関砲がまったく追い縋れぬほどの高速を発揮するジェット戦闘機が、高高度より逆落としを仕掛けてきたのだ。その暴威によって隊長機を始めとする銀河4機が爆発四散、続けて再度の襲撃によって多数が脱落し、中隊があっという間に半分となってしまった。


 当然そのような状況とあっては、編隊など保っていられるはずもない。

 エセックス級航空母艦に800キロ爆弾を見舞うはずだった各機は、蜘蛛の子を散らすように遁走し……時速にして150キロ以上も優速なFD-1により、次から次へと刈り取られていった。航空戦においてこの差は絶望的という他なく、後に七面鳥撃ちも同然と述懐する米パイロットが出たのも、まったく無理のない話であった。


「糞ッ、敵はどちらだ……?」


 中破した銀河を駆りながら、機長の堀田大尉は逡巡する。

 断雲の中に避退できたのは不幸中の幸いで、敵の追撃を何とか巻くことはできた。だが雲を抜ければすぐさま集中砲火を浴びることは間違いなく、既に高射砲弾の弾片と思しきものが機体を叩いてすらいた。恐らく光学照準ではなく、電探を用いた対空射撃を受けているのだ。


 だが裏を返せばそれは、既に敵艦の付近までやってきているということでもある。

 であればそれを目標とするべきだろう。このままむざむざ撃墜されるだけであるならば、駆逐艦1隻であっても巻き添えにできた方が、味方の助けとなるはずだ。そうした確信を胸に堀田は操縦桿を握り、愛機を緩やかに左旋回させて雲を抜け――夕陽に染まった海原の只中に、大なる艦影を見出した。


「大尉、モンタナ級ですッ!」


 爆撃手兼偵察員の高田一飛曹が、喜色に満ちた声を張り上げる。


「そのようだ。絶好の獲物だ、一発かましてやろう」


 堀田もまた相好を崩し、急降下爆撃へと移らんとする。

 だが敵艦後方へと回り込まんとしたところで、猛烈なる機銃掃射を食らった。敵機に捕捉されたのだ。たちまち両翼は紅蓮の炎に包まれ、自動消火装置が作動するも鎮火の見込みはない。機体は酷く震動し、仮にこれ以上の被害が生じないとしても、数分としないうちに空中分解となるに違いない。


「ならば……おい、このまま突っ込むぞ」


「そうする他ありませんよね」


「ああ。高田一飛曹、悪いが命をもらう」


 朗らかで怯懦のない高田の反応に満足しつつ、帰還の術をまったく失った愛機を有人誘導爆弾としていく。

 敵艦に命中するが早いか、ガソリンタンクが爆発するのが早いか。あるいは猛烈に打ち上げられる対空砲火に絡み取られる最期となるか。ともかくも堀田は一心不乱に操縦し、目標の姿をしかと視界に焼き付けたところで、遂に機体が制御不能に陥ったのを知覚した。


「糞ッ、届いてくれッ」


 断末魔の叫びは致死的な加速度によって掻き消され、銀河は無慈悲なる海原へと墜落する。

 それでもまったく奇跡的なことに、搭載されていた爆弾のみが海面を跳ね、モンタナ級の艦首付近に命中した。無論、6万トン超の大戦艦がその程度で沈む道理はなく、被害は速力が3ノットほど低下したのみに留まった。それが今後の展開に如何なる影響を及ぼし得るかは、未だ神のみぞ知るところである。

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