大晦日! 年越し戦勝祝賀会

太平洋:硫黄島沖



 去りゆく好敵手艦『レイク・シャンプレイン』を帽振れをした後、乗組員は後甲板に集まり整列した。

 最後の戦闘を生き残れなかった者達を、ここで水葬するためである。軍艦旗に包まれた棺桶に陸奥艦長が敬礼し、儀仗の兵が空砲を物悲し気な轟かせた。ラッパ手の吹き鳴らしたる「命ヲ捨テテ」の音色とともに、勲功を立てたる兵の霊柩は、国の鎮めとなるべく海原へと滑り落ちていく。常しえの旅路、今生の別れ。また因果の巡った先で会おうじゃないかと、将兵は万感籠った眼差しで戦友を厳粛に見送り……半旗を掲げたる航空母艦『天鷹』も、彼等を決して忘れまじと、勇士の墓場とした海面を周回した。


 そうして戦没者を弔い終えると、艦内はあっという間に騒々しくなった。

 海軍軍人に最重要なもののひとつがスイッチで、それがバチンと切り替えられたのだ。義号作戦の成功とその実出鱈目に奇跡的だった戦勝を盛大に祝い、大東亜共栄の時代に全力で邁進すべく、年越しの宴を催すためである。無論あくまで停戦状態であるし、状況を把握していない米潜水艦が付近を遊弋している可能性もあるから、厳なる警戒態勢は維持せねばならぬ。故にアルコールはなるべく控えろとのお達しで、厳禁とならぬ辺りが『天鷹』らしい。

 ともかくもそんな調子で、当直でない将兵が慌ただしく準備を進めていく。重大なる問題が急浮上したのは、今年最後の陽が暮れ始めた頃だった。


「えッ、蕎麦がない?」


 艦長室にて手紙など認めていた陸奥は、いきなりな報告に思わず仰け反る。

 すると傍らでうたた寝していた犬のウナギがびっくりし、机に肢体を思い切りぶつける。お陰で墨磨瓶から墨汁が零れ、記し終えた何枚かが台無しになったから大変だ。


「それでヌケサク少佐、いったいどういうことだ? 年越し蕎麦がない大晦日なんて締まりが悪い。ギヤバッドなのに限らず、締まりが悪いのは絶対によろしくない」


「とはいえ無い袖は振れんのです」


 少々卑猥な隠語表現を無視し、抜山主計少佐も困った顔をする。

 何でも怪奇クモ男とばかりに俊敏な米兵が艦内に押し入って、あちこちを破壊したり火を点けて回るなりしたとのことだった。結果、食糧の一部がお釈迦になってしまい、その中に蕎麦の乾麺が含まれていたのである。


「なので現状、何らかの代替手段を模索しているところで」


「ふゥむ……」


 陸奥は少しばかり考え込み、重巡洋艦『ボルツァーノ』がほぼ真横にいることを思い出す。

 ついでに言うなら、恐るべきモンタナ級を足止めした末に辛うじて生き延びた戦艦『インペロ』も、少しばかり後ろを航行しているはずだった。


「そうだ。蕎麦がないならパスタを食えばいいじゃないか」


「ええ、マリー・アントワネットか何かの真似ですか?」


 抜山は思い切り怪訝な顔をし、


「そもそも小麦粉が原料ですし、どちらかというとうどんに近いような……」


「細かい事を気にしていると、海軍士官なのにモテなくてモテなくて困るになってしまうぞ。まあ何だ、見た目は蕎麦に近い気がするし、マラ勃起の奴もパスタの正統な調理手法を伝授するとか息巻いておった。なら米艦隊を辛うじて追い払えた今、それを頼み込めばいいじゃないか」


 何ともいい加減な口調で陸奥は言い、「我ぱすたヲ所望ス」と連絡せよと命じ出した。

 なおイタリヤというのは、大晦日に一族郎党揃って飲み食いするのが慣わしの国である。そのため各艦でも盛大なる調理準備が整っていた。しかも世界にその名を轟かせた『天鷹』たっての願いならばと、材料やら器具やらを携えて料理人が押し寄せることとなるのだから、何でも頼んでみるものだ。




 豪勢なる年越しパスタを食しながらの、例によって無軌道という他ない饗宴。

 当然、誰も彼もが大盛り上がり。新感覚のイタリヤ美食に舌鼓を打ちながら、大戦の後の新たなる世を死んでいった者達の分まで生きてやろうと、揃って意気込みを新たにする。そうして急速充填されたエネルギーが一挙に溢れ出し、拳闘の野良試合が方々で催されたりもした。日米両提督が艦上で殴り合うという一大椿事の余韻もあって好勝負が幾つも繰り広げられ、決勝は第666海軍航空隊の類人猿軍団筆頭の五里守大尉と、戦艦『インペロ』より飛び入りのルチアーニ曹長の一騎討ちと相成った。


 ただ年の終わりが近付くにつれ、何となく穏やかなる空気が艦内に漂い始める。

 しかも少しばかりしんみりした気配すらあった。恐らくそれは、長きに亘って続いた激烈なる旅路に、終止符が打たれようとしているからだろう。実際あと1時間ほどで迎える昭和21年は、久方ぶりの天下泰平の年となりそうだ。とすれば貨客船改装空母の『天鷹』などは、記念艦に指定されそうな雰囲気だけは十分に有しているものの、そう遠くないうちに退役となりそうで……すなわち惜別の時も間近ということでもあった。聯合艦隊の厄介者を放り込む先と認識され、入はあっても出がまずなかっただけに、乗組員の仲間意識はひときわ強まっていたのである。


「まあそれでも、そうやって散じられるのを喜んだらいい」


 何皿目かのパスタを肴に秘蔵のウィスキーを舐めながら、高谷中将は剛毅に笑う。

 それから膝の上でゴロゴロしている猫のインド丸を、ちょっとばかり撫でてやる。インドを丸っと解放とはいかなかったが、今次大戦の結果には、こやつも満足しているに違いない。


「中学校やら兵学校やらを無事に卒業できたのと同じだ。それに俺等は下は二等水兵から上は中将まで、ドドンと『天鷹』と記された烙印を押されたゴロツキのままなのだ。であれば海軍に残るにしても予備役になるにしても、それぞれの持ち場で堂々と悪名を轟かせてやればいいだけよ」


「自分はまだまだ海軍航空隊でやっていきたいですな」


 毒舌オウムにオリーブの実を食わせつつ、打井中佐が胸を張る。


「航空戦は日進月歩ですし、今次大戦においては何とか米チンピラゴロツキ機動部隊を千切っては投げられましたが、率直に言って薄氷の勝利の連続だったと評さざるを得ません。とすれば研究研鑽の余地があるということですから、後続のためにも頑張らにゃならんと考えます。加えて何より、まだまだ戦闘機を降りたくはありませんな」


「まあダツオは絶対そうなるよな」


「というより悪名を轟かせてどうするんで?」


 頬にミートソースをつけた鳴門中佐がそう突っ込み、


「まあ悪名は無名に勝ると言うかもしれませんが」


「うむ、その通り。それでメイロ、お前はどうする心算だね?」


「どうしましょう。戦時加俸もあって割とたんまり預金もありますし、ゆっくり今後を考えてみようかと」


「おっと、油断は禁物ですぞ」


 唐突に吝嗇なる声が響く。無論、抜山主計少佐のものだった。


「戦争終結と同時に抑制されておった民需がドッと盛り上がり、相当に高率の物価高騰が発生するなどしかねません。つまり何が起こるかというと現金資産の目減り。ボヤボヤしておると、折角貯め込んでおいた分やせっせと買い込んだ国債の実質的な価値が、何時の間にか半分になっていた……といったようなことすらあり得ます。金利ではまるで歯が立ちません」


「ヌケサク、そいつはまことか!?」


 高谷は思い切り身を乗り出し、異様な気迫で詰問する。

 周りの佐官達の反応も、まるで似たようなものだった。命捨てたる覚悟の海軍軍人といえど、霞を食って生きている訳ではないので、金銭にまつわる話には大変に敏感なのである。


 かくして抜山の独演会が開始され、士官室の注目がそちらに集中した。

 もっともらしく聞こえはするが、案外と当てにならない。彼が吹聴する戦況予測にはそんな評判がついて回ったしていたものの、今回は市中に出回った円の総量だとか国内総需要だとかいう純経済学的内容に違いなく、まったく妥当そうな雰囲気だ。急激に進むとされるインフレーションについても、その生起自体は間違いなさそうで、予想と比べて実態はどうかという話にしかなりそうにない。


「ともかくもそれ故、政府は何かと理由をつけ、総需要抑制を図ってくる可能性も濃厚です。売り惜しみと米騒動の再来となっても治安が乱れますから、食糧物品統制と配給制度はまだまだ続くでしょうし、あちこちの工場は勤労動員の女学生なんかを抱えたまま、日用品への生産転換を急いだりするやもしれません。世界情勢を鑑みるに、陸海軍の動員解除は案外早いかもしれませんが、経済的な動員は長引く可能性がございます」


「なるほど。米英と戦い終えたと思ったら、今度は物価との戦いという訳かね」


「そうなります。ただ悪い事ばかりでは間違いなくありませんよ」


 抜山はケロリとした顔で言う。


「つまりはモノを作れば飛ぶように売れる時代ということですし、更には南方と大陸にばら撒かれた軍票の処理をもって諸国を円経済圏に組み込むためにも、怒涛の製品輸出やインフラ整備が必要となりますから、とにかく生産力の拡大が急務。貿易や物流の安定化で原材料も今以上に入ってくるようにもなりますから、工場は何処もかしこも凄まじい好況に見舞われ、新規の設備投資に向けた資金需要も急拡大します。それに応じて預金や恩給を投じたならば、インフレーションでの目減りを補って余りあるくらいの利回りとなるでしょう。戦争で抑制され続けだった繊維もいいですが、建機や海運、自動車、電力といった産業分野も注目されます。資産運用ならお任せください、『天鷹』価格でお安くいたしますよ」


「その意味では、通信や電子も推奨かと」


 今度はデンパこと佃少佐で、


「今次大戦はそれらの戦いであった面も大きいですから、海底ケーブルや無線通信局、あるいは船舶航法支援設備などが爆発的に普及すると予想されます。それでもって共栄圏の紐帯を強化し、もって欧米列強と国際電気通信連合を影から牛耳る爬虫人類どもの陰謀を粉砕することこそ……」


「おいデンパ、何時まで爬虫人類とか言ってる心算だ」


 高谷は思い切り斬って捨て、尚もあれこれ言い出す佃を放置する。

 それでも何だかんだ言って、何処へ行くのだとしても、皆図太く生きていきそうだった。中には自身が借金塗れであるが故に、投資話にそっぽを向いている博田少佐なんてのもいはするが……預金が目減りするということは、負債が目減りすることと同義であるから、こいつに関してもどうにかなるに違いない。


(まあ、『天鷹』魂は死ぬまで健在ってとこかね)


 高谷は独り合点し、周囲を見渡し莞爾と微笑む。

 そして最後の最後で散華した草津大佐以下100余名の冥福を心より祈りつつ、戦禍に塗れた時代をめでたき新年に持ち越さぬよう、風変わりだが美味いパスタを噛み切った。


 それからふと思い立ち、露天艦橋へと向かう。

 雲ひとつない満天の星空とまではいなかったが、月は隈なきをのみ見るものでないのと同じ。高谷は多少風情に強がりながら、残すところあと僅かとなった昭和20年に想いを馳せ……彼にとっての戦争の大部分を占めていた『天鷹』もまた、ゆっくりと未来に向かって進んでいった。

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