食中毒空母を撃沈せよ㉓

太平洋:南硫黄島南方沖



 正午過ぎ。火花を散らして激突した日米航空母艦を覆っていた熱狂は、まったくの嘘であったかのように醒め始めた。

 もちろん闘争すべき理由が、その時刻をもって消滅したためだ。事情は他の戦場でも概ね同様だった。バンダ海はハルマヘラ島においては、命令の届かなかった両軍の部隊が、その後数日に亘って干戈を交え続けた例もあったりしたものの……太平洋を覆っていた戦火は急速に収まったことだけは間違いない。


 そうした後、真っ先にやらねばならぬことの1つが、戦死者の追悼だった。

 男子の本懐を遂げたる者に対する最大限の敬意は、洋の東西を問わぬ万国共通の道徳である。つい数時間前まで一緒に笑い合ったりしていた友を、あるいは天晴と褒めたくなるほど勇猛果敢だった敵兵を、等しく懇ろに弔うべく、黙々と準備を進めていく。合衆国海軍将兵の亡骸については、辛うじて浮かんでいる『レイク・シャンプレイン』へと運搬する。長きに亘って戦ってきただけあって、心中に蟠るものは相当にあるとしても、軍人心得より私情を優先させてしまう者はいなかった。


 ただ時折、血に染まった作業服に納められていた写真が、はらりと宙を舞ったりする。

 決まってそれらは、故郷に残した恋人や許嫁を写したもので……すなわち永遠に喪われた青春そのものだった。出征した以上、そうなるのも覚悟の上だったと断じることもできるだろう。とはいえそんなものをまざまざと見せつけられると、


「この戦闘に如何なる意味があったのか」


「あたら兵を無為に散らせただけだったのではないか」


 といった具合の思考が、どうしても脳裏を掠めてしまう。


 そして生粋の猛将たるハルゼー大将にとって、これほど精神に堪えるものもなかった。

 一番槍の名誉に浴しながら、鬼神すら退くような面持ちで、まったく壮絶な最期を遂げた若き一等水兵。強烈なまでに見開かれたその目を、そっと閉じてやりながら、彼は後悔に似た感情を抱きそうになる。最後に敵艦を鹵獲せんという一心で、ひたすら勇猛果敢に戦った者の成れの果てがそれだった。


 つまりは熱に浮かされた決断の総決算に、今まさに直面しているという訳だ。

 航空母艦での接舷斬り込みの末、提督同士の果たし合いという異常事態になったのだから、もはや伝説を通り越して一種の神話である。とはいえ元より、さしたる戦略的意義のない戦だとは、心の何処かで理解していた。食中毒空母追討は確かに大統領命令であったが、停戦時刻が齎された今朝の時点をもって作戦終了を命令していたとしても、誰からも責められなかったに違いなかった。とすればあったのは矜持だけかもしれず、そこに一切の疑問を持たぬまま息絶えた兵の存在が、すべての部下の死を背負わねばならぬ指揮官を宿命的に責め苛んでいたのだった。


「そこなニンジャ提督よ、ちょいとよいか?」


 斬り合い、殴り合って間もない高谷中将に、ハルゼーは唐突に尋ねる。

 自分達が目指した場所へ案内してくれんかと、彼は頼み込んだのだ。無論、この期に及んで卑怯な真似をしようという発想はなく、それもあってかすぐさま容れられた。


 かくして向かった露天艦橋には、生々しき弾痕が残っている。

 ただ吹き寄せる潮風は些か温く感じられた。諸々の作業のため『天鷹』はほぼ停止状態にあるから、まあ当然のことではあったが、これもまた平和の配当というものかもしれぬ。加えて散華した部下の遺体が丁重に引き渡されていく様を改めて目にすると……厄介な気分がまたもぶり返してくる。


「認めるのは癪だが、今回は貴様の勝ちだ」


 ハルゼーは茫洋とした口調で切り出し、


「一大作戦の帰路において被雷し航行不能となり、更に機動部隊の襲撃を受けながらも、どうにか知恵を絞って奮戦した。また友軍の助けもあって、前代未聞の空母同士の接舷戦闘をも生き延びた。となれば海原の伝説たるに相応しい。それと比べると……我々は最後まで諦めなかったとはいえ、今この場に俺が客人としていることからも明らかな通り、目的を果たすことはできなかった。まったく無意味な戦をやったことにしかならん」


「何だ何だ、決闘ン時に強くぶん殴り過ぎたか?」


 予想外に呆れたような声が、傍らより飛んでくる。

 ついでに少しばかり挑発的な声色で、それを聞くやハルゼーの額にピシリと青筋が走った。


「ああ? 決闘に関してはほぼ互角だったろうが」


「確かに決着はつけられなんだ。とはいえ俺の正拳は重いから仕方ない」


 高谷は随分と得意げで、


「この『天鷹』にはゴリラという渾名の、読んで字の如くゴリラ生態そのままな艦攻乗りがおってな。こいつが鍛錬と称して誰彼構わずボクシングを挑むものだから、俺もボクシングの心得を身につけせざるを得なかった訳で……」


「貴様、何が言いたい?」


「つまりところ戦を終えた後の指揮官というのは、どうしても気が滅入るもんだという、至極常識的な話だ。特にその過程で、物理的に身体を痛めつけられているとそうなり易い。とすれば今、貴官がつまらんことを零しているのは、疑いようもなくそのせいだと言える。俺は実際、前の決闘の後にこんな具合になっておった記憶があるから、まあ間違いないだろう」


「ほう、なるほど」


 驚異の声が、思わず口唇より漏れる。

 確かに自分の精神状態を客観的に評価できていなかったかもしれない。そもそも眼前の人物が"前の決闘"をやってのけ、しかも生き延びていること自体、神の気まぐれと言うにもおかし過ぎる気もするが……経験者の言葉には十分な説得力があった。相手はニンジャだから油断ならぬとはいえ、嘘偽りを述べているという風もない。


 加えてこいつは、停戦間際に戦死した合衆国海軍将兵について、一切意義を疑っていないようだ。

 無論その何割かは、勝者であるが故の余裕なのかもしれぬ。しかし敵将のみがそれを知悉しているという状況は、まったくもって腹立たしい限り。ハルゼーは心底そう思い、高谷はそれを見越していたかのように口を開く。


「まあ俺も時折分からなくなったりしたこともあったが……指揮官が兵の戦死した意味を分かってやれなくてどうする? 俺等がやってきたのは戦争で、勝負は時の運だったんだ。考えあぐねた末の決断には、結果がどうであっても価値はあるだろうし、任務の中で死ぬのが無意味であるはずがない。とすれば兵が戦死した意味を、何が何でも見つけてやるのが、指揮官の務めじゃあないのか?」


「ニンジャップ野郎の癖して、なかなかいいことを言いやがる」


 ハルゼーは何処かさっぱりと憤り、


「率直に言って、腹の虫が治まらん。マジにむかつく。先の停戦でもって、貴様を戦場で完膚なきまでにぶちのめす機会がなくなってしまったことが、心底残念でならん。だがそれ以上に……兵の尊厳を涜しちまいかねなかった自分に腹が立ってならん」


「ははは、そうかね」


「ああ。だからそろそろお暇させてもらうとする」


 露天艦橋より飛行甲板を望みつつ、ハルゼーは厳かな口調で宣った。

 熾烈なる白兵戦の繰り広げられたそこでは、遺体の引き渡しが厳粛に執り行われていて、それもそろそろ完了しそうな様子だった。とすれば頃合いに違いない。


「この艦にいたのでは、俺は腹立ちまぎれに貴様をぶん殴ったり、咄嗟に拳銃を咥えてしまったりしかねないからな。それにこちらも生き延びた者達を労い、死んでいった者達を弔わねばならん」


「戦争はもう終わった。何ならボクシング試合つきの停戦記念合同祝賀会を催しても構わんぞ?」


「遠慮させてもらう。新たなる時代を迎えねばならぬ時に、食中毒で腹を壊したくはないのでな」


 ハルゼーは不敵な笑みを浮かべ、雑言を叩いてみせた。

 それから死傷者に関する諸々の協力について謝した後、敬礼を交わし、颯爽とその場を後にする。連合国軍の仇敵を最後に討ち果たすという目標を達成することができなかった以上、将兵の死に確かなる意味を見出してやるのは、結構な難儀となりそうだった。それでもやり遂げねばならぬ。ゆるぎない決意を胸に、彼は『レイク・シャンプレイン』へと戻っていく。


 そして一方の高谷はかつての敵を見送った後、そういえば何故自分は忍者呼ばわりされていたのだと首を傾げた。

 とはいえ敵将との水交を経てふと生じた疑問は、あっという間に揮発することになる。第一強襲艦隊司令長官である彼にも、大変なる年越しをするに当たって、やらねばならぬことが山のようにあったためだ。

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