食中毒空母を撃沈せよ㉒

太平洋:南硫黄島南方沖



「敵将、覚悟ッ!」


 先手必勝とばかりの大音声が、荒れ果てた『天鷹』の飛行甲板に木霊した。

 続けて金属同士が衝突し、鎬が火花となって飛び散る。猛烈なる紫電一閃は、米国製の舶刀に辛うじて防がれ、一撃必殺の試みは失敗に終わった。


「ほう、少しはやるな」


 聯合艦隊随一の暴れん坊提督なる高谷中将は、時代錯誤どころでない愉悦に頬を緩めた。

 それから積極果敢に間合いを詰め、艦体の揺れを先読みしつつ、これでもかと攻め続ける。猪突猛進で向こう見ずな戦闘機乗りなどを相手に、暇を見つけては打ち合いなどやり、しかも艦上での真剣勝負をかつて経験したことすらある豪傑だけはあった。ともかく小手調べなど抜きに、セイヤセイヤと三日月刀を振り回し、隙あらば手技脚技を矢継ぎ早に繰り出す。その様はまさに江戸幕府以前の獰猛な侍、あるいは渾名の通り呉軍の甘寧将軍を彷彿とさせた。


 対して航空母艦をバッファローの如く疾走らせてきたハルゼー大将とやらは、流石に防戦一方といった様子である。

 体力面で他人に遅れを取るような人物では、彼も当然ないようではあった。ただその太刀筋を見るに、剣術試合の経験値はまだまだ足らぬ模様。であれば余計な物思いは切り捨て、ただ野性的なるチェスト精神にのみ帰依すべき。原子爆弾を奪取した挙げ句に乗り込んできた敵将まで討ち取ったともなれば、敵に接舷斬り込みを許した不手際くらい帳消しとなるだろうから、とにかく首級を挙げるべく奮闘する。

 そうして遂に好機が巡ってきた。高谷は猛烈に踏み込んで斬りかからんとし――寸秒の後、弾けるように後退る。好事魔多しとばかりの生理的悪寒が、どうしてか体躯を駆け抜けたのだ。


「ぬうッ……」


「どうした、汚いニンジャップ野郎?」


 ハルゼーはあからさまに挑発し、


「怖気づいたか? だとすれば賢明だ。部下を前に無残な屍を晒すことになったろうからな」


「負け犬めが何をほざく」


 高谷も負けじと煽り返し、眼力でもって太々しい相手を殺さんとする。

 張り詰めた大気の中、お互い得物を構えて睨み合う。今度は奴から仕掛けてきたら面白く、また御し易くもあるかもしれぬ。しかし雰囲気から判断するに、そうした気配は残念ながら感じられなかった。


 であれば斬撃で圧倒し続ける他に道はない。

 慣れ親しんだ三日月刀を握り締め、高谷はコンマ数秒で意を決する。敵の構えが些か奇妙である気もしたが、あれこれ考えたところで答えが出るはずもなし。縮地殺法と見紛う勢いで間合いを詰め、懐に潜り込んでの致命的一撃を見舞うべく、彼は両脚に渾身の力を込めた。


「必殺ッ!」


「死ねいッ!」


 裂帛の気合が交錯する中、低く鋭く跳躍する。

 だがその直後、視界にあらぬものが飛び込んだ。まさにぎらついた白刃が、一直線に飛んできたのだ。


「むうッ!」


 己に向けて投擲されたるものを、高谷はすかさず弾き飛ばす。

 剣道だけでなく他の剣術においても、最大級の無礼とされる攻撃方法であろう。とはいえ今催されているのは、ルールが定められているはずもない決闘。しかも投射された舶刀の真後ろにはハルゼーの姿があって、三日月刀での撲撃が間に合わぬうちに、あべこべに懐へと潜り込まれてしまった。


「うぐッ……」


 苦悶の声。続いてカランと音が響く。

 捨て身の体当たりと同時に急所を突かれてか、三日月刀を取り零してしまったのだ。何たる不覚。そう思う間もなく肉体はあらぬ方向へと弾かれ、得物を拾うことすらままならぬ。


 恐らくこれこそが、米海軍トップの獰猛提督の狙いに違いなかった。

 将棋で勝つ見込みがないのであれば、物理将棋を始めて勝てばいい。中学校時代の高谷はかような出鱈目を言って頭脳明晰な級友をタコ殴りにし、顰蹙と停学を食らったりしたものだが――自分に有利な勝負をすればいいという哲学は正しい。そしてこの局面において、見事それをやられたという訳だった。


(どうやら、とんでもない相手と当たったようだ)


 停戦の時刻が刻一刻と迫る中、丹田より闘志が沸き上がる。





 今世紀初頭のロンドンにおいて発明され、諸々の事情が故に歴史の闇に消えたバリツ。

 高名なるコナン・ドイルの探偵小説にのみ痕跡を残すそれを、どうしてハルゼーが心得ていたのかは分からない。しかしかの総合格闘技は、武闘試合において栄冠を手にすることではなく、ストリートファイト的な状況に対処することを目的として作り上げられたものだ。曰く、生き残るために自分の得意な領域で勝負できる環境を整え、戦いを有利に進めるべし。ある意味でまったく自然なその教えを、彼は土壇場でそれを実践したという訳だった。


「高谷とやら。貴様は剣術が得意だったようだな」


 捕食者的な笑みを浮かべ、ハルゼーは勝ち誇る。

 実のところ、心拍数は信じ難いくらいに増大していた。舶刀の投擲を切っ掛けとして、相手の得物を叩き落すというのは、正直かなり危うい賭けだったためだ。とはいえ自分はそれを成功させた。純然たる事実に基づく自信を胸に、精神をどうにか落ち着かせ、彼は続ける。


「だが俺はボクシングの方が得意なのだ。故にこれからは拳での殴り合いとさせてもらう、悪く思うなよ」


「ハハッ」


 返されたのは哄笑で、


「馬鹿め、俺はボクシングも得意だ」


「ならばかかってこい。先に倒れた方の負けだ」


「よかろう。叩き潰してくれる」


 連合国軍の仇敵なる男もまた、不敵な面持ちで豪語する。

 そうして左右の拳を構えたと思いきや、大型ネコ科動物さながらに肉体のばねを利かせ、怒涛の攻勢を仕掛けてきた。打ち込まれる一撃一撃が骨に響くほど重く、ボクシングも得意との言葉に嘘偽りの類がないことが身に染みる。それから俊敏なる足払い。日本ではカラテなくしてニンジャなしと言うらしいが、今の高谷にはまさにそれが漲っていた。


(だが、面白い……!)


 ハルゼーもまた心身を大いに奮わせ、荒々しき血潮を沸き立たせる。

 指揮官としての人生を歩む中で、久しく味わうことのなかった肉弾戦の醍醐味。彼は尚も星条旗を背負いながら、堪え難き激痛の伴ったそれを満喫する。


 そうして防御姿勢から鋭い反撃を食らわせ、相手を一歩退かせることに成功した。

 ただ実力は伯仲し、苛烈な打擲の応酬を経ても尚、未だ決定的な局面は到来しない。一方、容赦なく過ぎていくは時間。制限とそれ故の焦燥が、両者を一層駆り立たせる。





 近現代史における明白な異常値。さる海軍史家をしてそう言わしめた激闘は、最高潮に達していた。

 一歩として譲ることなく、両海軍の沽券にかけて拳を打ち鳴らし合う。次第にそれは小細工無しの、防御という概念を忘却したかのような白熱試合となり果てる。加えて発散された膨大なる熱量は、『天鷹』艦上で勇猛なる白兵戦を展開する将兵すら巻き込み……完璧に常軌を逸した状況が広がり始めた。


 そうした中にあって、交わされる拳ほどに雄弁なものはなかった。

 武士は相身互い。そんな生易しい言葉では説明し尽くせぬほどの感慨が、繰り出される技という技に込められており、じんわりと広がる痛感とともに、それが身体へと浸透してくるのだ。すなわちこの数奇なる戦場に至るまでに蓄積された人格を、そのまま叩きつけ合っているといった具合で、ほぼ互角の勝負を経て、彼我の情報が徐々に平滑化していくかのような気がした。実際、高谷は赤子の頃のハルゼーを幻視したほどで、その逆もまた真であった。

 かくして実に戦士らしき理解を得た彼等は、弾けて間合いを取ると同時に、自然と等しき結論へと到達した。それは相手の態度より明白ではあったが、それでも宣告せずにはいられない。


「次の一撃で決着としよう」


「奇遇だな。俺もそう思っていたところだ」


 ぎらついた視線が交錯し、誰も彼もがゴクリと唾を呑み込んだ。

 あと数十秒ほどの後には、世界の何もかもが決定的に変わってしまう。提督同士の伝説的な決戦も、ただの愚かしき私闘に他ならなくなる。であれば今こそ渾身の力を振り絞るべきで、狙いはもはや言うまでもなかった。


「オラァッ!」


「逝ねいッ!」


 まったく爆発的なる瞬発力をもって、両者は一気呵成に跳ねた。

 金剛の如く握られた2つの拳が、僅か数センチの距離で行き交う。終着点は言うまでもなく相手の顔面で、確かなる手応えを実感すると同時に、首から上を捥ぎ取らんばかりの衝撃を味わった。


 まさに壮絶なる相撃。言語にし難き光景が、見る者すべての目に焼き付く。

 ただ時が制止したかのように見えるのは、当事者のいずれもが、とにかく負けじと踏ん張っていたからに違いない。最初に宣言された通り、先に倒れた方の負けというのがこの場の唯一のルールだった。そして決闘の成り行きとはまったく無関係に、時計は刻々と動いていき……遂にすべての針が重なった。


「そこまでッ!」


 正午。時報が轟くと同時に、『天鷹』艦長の陸奥大佐が宣言する。

 国際法的な解釈は別とはいえ、真珠湾攻撃以来4年以上に亘った戦争が、ようやくのこと終わったのだ。未だ干戈を交えまくっていた者どもも、迅速に矛を収めて距離を取る。もちろん中には結果に納得のいかぬ者もいはしたものの、以後の戦闘継続は軍命に背く不名誉に他ならぬし、何より生き残ったことを喜ぶべき状況だった。


 またお互いの顔を捉えたまま硬直していた高谷とハルゼーも、示し合わせたかのように崩れ落ちた。

 尻餅をどちらが先についたかは、諸説入り乱れるところで定かではない。とはいえ世界大戦の終幕にあって、精魂尽き果ててるまで殴り合いを繰り広げた2名の提督がいたというだけで、十分過ぎるくらい伝説的だった。


「決着、つけられなんだなァ……」


 傍らの米海軍大将を横目に眺めつつ、高谷は口惜しげに零す。

 とはいえ相手は不利な剣術試合を覆し、互角のボクシングへと転換させた訳だった。とすれば将としての器量において、自分は大きく遅れを取っていたということだろう。とすれば今回ばかりは、勝ちを譲ってやってもいいかもしれぬ。これまで極度の負けず嫌いで通してきた高谷は、恐らく生まれて初めてそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る