食中毒空母を撃沈せよ㉑
太平洋:南硫黄島南方沖
「おいおいおい、正気なのかこいつは?」
重巡洋艦『ボルツァーノ』艦長のモンタネッリ大佐は、思い切り目を見開いた。
手渡された電文に、とんでもない内容が記されていたためだ。すなわち航空母艦『天鷹』と組んず解れつになっている米エセックス級の手前を、主砲弾でもって狙い撃てという内容なのである。それも十分に距離を詰めてからではなく、今すぐ射撃を開始しろというから驚きだ。
「砲術長、こいつをどう思う?」
「やってやれないことはありませんよ」
砲術長のロッシ少佐は大胆不敵かつ確信的な面持ちで、
「それになかなか覚悟が決まっていて、あの野獣的な空母らしくて素晴らしくもあるかと。些か危険ではありますが、目標のすぐ横で弾着観測をやる訳ですから、発砲諸元も比較的早期に得られるはずです。それに1発だけなら誤射で済みますし、水中弾については我々も多少は訓練しておりましたので」
「ふむ」
時計を一瞥し、モンタネッリは少しばかり思案する。
停戦の時刻まであと20分もなかった。『ボルツァーノ』は現在30ノット超で航行中ではあるが、距離を詰めて必中を狙える頃には、戦争そのものが終わっていかねない状況だ。であれば敵空母の撃破を無理に図らなくともよいのではないか、そんな気分が禁じ得ない部分も確かにあった。
だが東洋の侍達は今まさに母艦の上で、それを侵犯せんとする敵と全力で戦っているのだ。であれば彼等を支援するのに躊躇があってはならぬと、改めて考え直す。
加えて太平洋への回航の途上、アデンにて給油を実施した記憶が蘇った。同地のタンクに備蓄されていたのは、まさにバーレーンの製油所から運搬された重油である。更に言うならペルシヤ湾岸が悉く枢軸同盟に帰順し、イタリヤ海軍の燃料事情が大幅改善して十二分に戦えるようになったのも、3年ほど前に『天鷹』を始めとする艦がその辺りで頑張ってくれたが故で――その大恩を返したいという思いも、ムクムクと湧き上がってきた。
「では、やってみるか」
モンタネッリは意を決した。
「高谷提督は妙な運の持ち主と聞く、そこに賭けてみよう。面舵、それから撃ち方始めだ」
「了解。お任せあれ」
ロッシが大変に元気よく応じ、艦は射撃に向けて動き出す。
迅速なる転舵で射角が確保された後、4基の連装砲が素早く旋回。それぞれ片方の砲身が鎌首を擡げ、射撃管制レーダーを基に計算された位置で停止した。
「撃てッ!」
号令。その僅かの後、艦体がほぼ水平となったところで、『ボルツァーノ』は轟然と火を吹く。
かくして音に倍する速度で放たれた4発の20.3㎝砲弾は、数十秒後に目標付近の海面を叩いた。結果はすべて近弾。しかし今回ばかりは、挟叉する訳にはいかぬのだ。
怒号と銃声、爆音が反響する『天鷹』艦上。その頂点に位置する露天艦橋より、見張り員が観測する。
言うまでもなく、20.3㎝砲弾が何処に落下したかをだ。銃弾やら弾片やらが飛び交う中での、まさに命懸けの任務だった。しかし彼等は恐れることなく双眼鏡を構え、主に敵空母の向こうに聳える水柱までの距離を測り、伝声管経由で情報を伝達するを繰り返した。もちろんそうした観測結果は、イタリヤ重巡洋艦へと無線で送信される訳である。
すると次第に、射撃の精度は良好となっていった。
弾着の様子を眺めながら、高谷中将はほくそ笑む。飛行甲板の後ろ半分には敵が溢れてしまっているが、その顏という顏に動揺が走ったようにも見えた。米兵の目には自暴自棄と映ったのだろうか。まあ中にはこちらに当たりかけたものもあったものの、危険を承知で撃ってもらっている訳だから、どうということはないと強がることが肝心である。
加えてそろそろ命中が期待できるのではないか。ひたすらに場当たり的なる彼の霊感は囁き……直後、エセックス級の艦体が僅かに震え、その左舷に大変化が生じた。
「やったか」
好感触なる呻き声が、これまた異口同音に木霊する。
水中弾となったイタリヤ製20.3㎝砲弾が、遂に目標を達成したのである。まあ1発だけでは決定打とならぬやもしれないが、間違いなく潮目は変わった。実際、米兵どもの狼狽ぶりは凄まじく、また『ボルツァーノ』も次より斉射に移行すること請け合いだ。
そうして数十秒の後、再び敵艦の舷側に水柱が奔騰した。
しかも今度は3本。『天鷹』に食らいつきたる3万トンの巨艦にとっても、抗堪し難い被害が生じたに違いなく――ー浸水の増大があってか傾斜し始めた。ただの海面を目標に見立てて撃つという難儀な業を、イタリヤ人達が見事やってくれたのだ。
「よっしゃ、形勢逆転だ」
「後進一杯」
歓声が轟く中、陸奥大佐がすかさず発令。エセックス級を引き剥がさんとする。
米兵の一部は機関室の付近にまで入り込み、狼藉を働いているようではあるが、未だ致命的な問題は生じていない。であれば大丈夫だろう。重金属の擦れる異音が猛烈に反響する中、『天鷹』は一気に後退りし……更に2発が敵艦左舷を捉えた直後、試みはどうにか成功へと至った。
「であれば後は、艦内の敵を討ち取るのみ。各自奮戦努力し、アメ公を追い返せ!」
三日月刀に撫でながら、高谷は大いに威勢を上げた。
その直後、足許から妙な震動が伝わってきて、更に艦橋に敵が侵入せんとしつつあることが報告された。残り時間はあと10分ということもあって、アメリカ人達も剽悍決死の士となっているようだ。指揮官は常に泰然とし、何があろうと山の如く動かぬものかもしれないが……もはやじっとしておれと言う方が無理である。
「よし、この俺が直々に成敗してくれる。野郎ども、続け」
「おおッ!」
待機させられていた者どもが、至上の愉悦を滲ませた声で呼応する。
高谷はそれに十分満足し、腕に覚えのある連中を引き連れ、怒涛の勢いで駆け出した。好みの肉弾戦をもう一度やる機会も、案外とあるのかもしれぬ。漫画の海軍中将かとばかりの期待に、彼の心臓は脈打った。
「まだだ、まだ決着は着いちゃいないぞ」
修羅場と化した飛行甲板を駆けながら、ハルゼー大将は声を枯らして叱咤激励する。
率直に言って、状況は芳しいとは言い難い。旗艦たる『レイク・シャンプレイン』は引き剥がされ、斬り込んだ者どもは孤立無援。忌々しい食中毒空母の檣楼に白旗を括り付け、強引に降伏させるという当初目標に至っては、奇跡でも起こらぬ限り実現不可能といった雰囲気が濃厚だった。
それでも諦めた瞬間、すべては水泡に帰してしまうのである。
あるいは結果的にそうなるとしても、途中で投げ出していい理由には絶対にならぬ。合衆国海軍軍人の沽券にかけても、最後の1秒まで奮戦し、可能な限り多くのジャップ野郎を殺害しなければならぬ。自分自身に言って聞かせるように部下を鼓舞し、何とか艦橋だけでも制圧してやろうと気力を再充填したところ……自身に向けられたる強烈な殺気を、まったく前触れなく知覚した。
「キエエェェーッ!」
聞く者の心身を竦ませるような、この世のものとも思えぬ絶叫。
すわ何事かと振り向くや、視界中央にぎらついた白刃が飛び込んできた。
「ぬうッ!」
ハルゼーはたちまち身を躱し、上方からの奇襲を紙一重で回避する。
そして襲撃者の筋骨隆々たる肉体が、己の脇を掠めた瞬間、彼はすべてを悟った。これまで連合国軍の作戦を悉く破綻させてきた食中毒空母の主にして、エンペラー直属のニンジャであるはずの提督と、今まさに遭遇したのだと。
「ほう、躱したか」
部下の悲鳴が幾つか響く中、襲撃者は好戦的に笑った。
続けて湾曲したる刀剣を切っ先を突き付けてきながら、大層訛った英語にて、堂々と名乗りを上げ始める。
「合衆国海軍のハルゼー大将とお見受けする。我が名は高谷祐一、帝国海軍中将にして第一強襲艦隊司令長官だ。まさかこんなところで敵の大将と出くわすとは思わなんだが、ちょうどいい。間もなく終わるこの戦争の手土産に、貴公の首をいただくとしよう」
「なるほど、貴様が高谷祐一か」
断末魔の部下が、渾身の力で投げて寄越したサーベル。それを颯爽と構えつつ、ハルゼーもまた対峙する。
言うまでもなく、この瞬間に狙撃を受ける可能性もあるはずだったが……不躾な銃弾がこの場に到来することは絶対にないと、どうしてか確信できた。実際そこはもはや不可侵の決闘場で、何人たりとも介入してはならぬ。人種や国籍の差はあれど、居合わせた誰もが心得ているようで、それを何より喜びつつ彼は続ける。
「左様、この俺がウィリアム・ハルゼー海軍大将だ。それから首と胴体が分離する運命にあるのは、まさに貴様に違いない。奇襲ばかりが能のニンジャ野郎に、この俺が遅れを取るはずもないからな」
「ほう、言ってくれるではないか。まあいい、貴公の実力がどれほどのものか、今この場で確かめてくれる。提督同士、いざ尋常に勝負ッ!」
高らかなる宣言。眼力でもって射殺さんばかりの睨み合いが勃発し、古風な戦場音楽が急に聞こえなくなった。
そして刹那の後――高谷なる東洋の益荒男は、電光石火の速さでもって仕掛けてきた。剣術の才では圧倒的に不利。ハルゼーの直感は間違いなくそう告げたが、彼は負ける心算など毛頭持ち合わせていなかった。
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