食中毒空母を撃沈せよ⑳

太平洋:南硫黄島南方沖



「総員、衝撃に備えろッ!」


 警告が響く瞬間を待ち望まぬ者は、航空母艦『レイク・シャンプレイン』には1人としていなかった。

 数秒ほどが経過した後、彼女の艦首は目標たる食中毒空母の左舷中央に浅い角度で突き刺さり、筆舌に尽くし難いほどの激震が走った。重金属同士がギリギリと軋む悲鳴の如き音響も、聴覚を麻痺させんばかりに轟いてくる。万端の態勢を整えていても尚、大勢が壁面に身体を打ち付けるなどし、中には武運拙く戦死してしまう水兵の姿もあった。


 だがそれでも、幾多の災厄を撒き散らした連合国軍の仇敵を、ようやく捉えることに成功したのだ。

 絶対に逃さぬという溌剌たる意志の下、左舷側に退避していた水兵達は、次々と武器を手に取った。無論のこと小銃が1人に1拵用意してある訳もないから、携えるものは私物の拳銃であったり、果てはスパナやレンチであったりもする。しかし誰も彼もが意気軒昂。戦争が如何なる結果に終ろうとも、客観的にはほとんど意味のない人命の浪費となろうとも、合衆国海軍の歴史に不屈の魂を刻むという意気込みに、海の男達はただ突き動かされていた。


「総員、接舷戦闘用意」


 ラムジー艦長の大号令が発せられ、


「停戦まで残り25分。各自最後の1秒まで全力を尽くし、是が非でも敵艦を奪ってこい」


「了解、この身に代えてでも!」


 先陣を切る予定の副長の、まったく肝の据わった応答が響いてきた。

 直後、各所より一斉射撃。既に使用可能な両用砲はないものの、右舷に聳える艦橋構造物には艦載機から剥ぎ取った多数の重火器が据え付けられていて、真っ先に制圧するべき区域を弾雨が舐める。弾薬の備蓄はまだ腐るほどあるし、残り時間も限られているのだから、もう遠慮会釈なく撃ちまくる。


 そうした激烈なる掃射を経て、遂に斬り込みが始まった。

 幾らか高い『レイク・シャンプレイン』の飛行甲板の端より、勇猛果敢なる水兵達が鬨の声を上げて飛び降り、訳の分からぬものがゴチャゴチャと配置された敵艦上へと乗り移っていく。相手は得体の知れぬニンジャ的航空母艦であるが、とにもかくにも頭数で圧倒するのだ。初っ端に大火力でもって鼻面を殴り飛ばしたことから、反撃もあまりなされていないようだった。


「いやはや、こいつは素晴らしいな」


 任務部隊指揮官たるハルゼー大将は、むしろ大海賊といった面持ちで豪胆に笑う。

 艦橋からの眺めは常に素晴らしいが、今のそれは控えめに言って、最高に血沸き肉躍る光景といったところだ。


「さて、そろそろ俺もジャップ殺戮作戦に参じるとしようかね」


「やはり陣頭指揮をなされますか?」


「当然だろう。俺の先祖は海賊だ、ここで敵艦に乗り込まぬ選択肢など最初からありはせん」


 躊躇が露ほどもない、きっぱりとした回答。

 参謀長のカーニー少将は四角い顔を少しだけ丸くし、「ならば自分も」とでも口にしそうな雰囲気を醸す。しかしハルゼーは機先を制して言った。


「ああカーニー、悪いが君には、一緒に来るという選択肢は最初からないからな。役割分担って奴だ。俺のようなスタンピード野郎は、戦争が終わったらお払い箱確定だろうが……糞真面目で官僚機構と渡り合うのが得意な人間は、今後の海軍の建て直しに不可欠。ならば今はラインバッカーのポジションに就け」


「なるほど……了解いたしました。幸運を」


「うむ。ともかくも高谷とかいう憎たらしいジャップ提督を拳骨でぶん殴り、ひっ捕らえてくるから、期待して待っておれよ」


 ハルゼーはそう言うと、改めて敵艦の方へと目をやった。

 刹那、飛行甲板の上に、幾つか光が瞬いたのが目についた。遮蔽物の陰に配置された重機関銃が、轟然と火を吹いたようだ。乗り移った水兵達がバタバタと倒れ、ついでに窓ガラスにも蜘蛛の巣が走った。


「糞、ジャップどももやりおるッ!」


 戦死者への責を噛み締めながら、ハルゼーは唸る。

 それでも勇者達は止まらない。何処までやれるかは神のみぞ知るところだが、少なくとも敵将と相見えることはできるのではないか。根拠はまったく不明だが、どうしてかそんな気がした。





「今だッ、撃って撃ちまくれッ!」


「くたばれアメ公ども!」


 獰猛なる将兵の咆哮が、連続的なる発砲音に入り混じる。

 当然ながら航空母艦『天鷹』においても、艦載機の機銃は流用されていたのだ。押し寄せてきた米兵の幾らかが胸にパッと血の花を咲かせ、突撃の勢いを一気に破砕していく。敵をある程度こちらに揚がらせてから、満を持しての十字砲火を食らわせる。定石通りの戦術で、その効果は抜群だ。


 無論、短気さで名を馳せている『天鷹』乗組員にとって、我慢は難儀であったかもしれぬ。

 だがその甲斐は間違いなくあった。弾幕でもって後部甲板に押し寄せた敵を拘束しつつ、逆襲部隊を発起点へと着かせていく。ついでにおおよそ位置を特定した米空母の火点に対しても、20㎜機関砲に加えて機動第1旅団の置き土産たる擲弾筒を指向し、怒涛の火力でもって無力化を図っていく。

 こうした動きができているのも、陸海軍合同部隊であったが故かもしれぬ。加えて死のうにも死ねなかったらしい長少将が、迎撃戦術について指南してくれているとのことだった。


「さて、そろそろか……」


 何故かトンファーを構えた五里守大尉は、類人猿的部下とともに待機する。

 もはや搭乗員も何もない。彼にとっては初の白兵戦闘が目前で、日頃の鍛錬の成果を発揮する時と意気込んだ直後、ラッパが高らかに鳴り響いた。


「それッ、突撃!」


「万歳!」


 吶喊を轟かせながら、大勢の将兵が一斉行動を開始した。

 五里守も当然、その先頭を疾風の如く駆け抜ける。予想外の反撃を食らってか、敵はなかなかの狼狽具合のようで、そのまま海に追い落とすべく突撃していく。


 すると筋骨隆々とした碧眼の大男が立ち塞がった。

 ただもはや射撃の間合いではない。かの者は剣呑なる小銃を構え、その先端にギラリと輝く銃剣でもって突いてきた。


「ふんッ……!」


 乾いた音響。五里守はその軌道を見切り、右の得物でもって弾き飛ばした。

 続けて己が運動エネルギーを保ったまま、強烈なキックを食らわせる。まさにゴリラトンファー百烈脚だ。大男は悲鳴を上げながら後ろに吹っ飛び、幾人かを巻き込んで転倒し、ついでに小銃を手放した。甲板上に転げたそれを、友軍のいる方へと蹴り飛ばし、更に横合いから襲ってきた敵を即座に返り討ちにする。


 とはいえ敵味方入り乱れての乱戦となると、やはり頭数がものを言う。

 米兵は次から次へと飛び降りてきて、まったく途絶える気配がない。ペアを組んだこともある椿阪飛曹長は、相当な大立ち回りを繰り広げた末に打ち据えられて昏倒。状況は徐々に不利といった様相を呈してきた。


(ううむ……)


 五里守は正面の敵と格闘しつつ、どうしたものかと逡巡する。

 そうした中、後方より爆発音が響いてきた。敵艦より射出された航空ロケット弾の幾つかが、『天鷹』の艦橋に命中して大勢を死傷された音に他ならず――今の彼に、それを確認する余裕などあるはずもない。





 『天鷹』艦上において行われたる2度目の白兵戦。数奇に過ぎるそれにあって、高谷中将は艦橋を動かない。

 無論のこと、自身を囮とし続けるためだ。司令長官がここにいると思えば、敵も挙って攻めてくる。そこを一網打尽にするという寸法で、目論見通りになりそうな雰囲気も確かにあった。


 とはいえ米軍の攻勢も、まったく予想を上回る激しさだ。

 誤射上等の射撃支援を受けながら、公然と友の屍を踏み越えて迫ってくる。エセックス級の乗組員数が相当に多いのもあるだろうが、どいつもこいつも赫々たるヤンキー魂を発揮しまくっていて、死兵の如く手強い様子。何しろ退却を拒んで艦をぶつけにくるような連中だから、それそのものであっても何の不思議もないだろう。


(まさに相手にとって不足なし)


 ペルシヤ湾岸以来の三日月刀など撫で、高谷は精神を研ぎ澄ませる。

 停戦発効まであと僅かだが、再びこいつの世話になるかもしれない。流石にエセックス級が自爆はなさそうだが、このままでは多勢に無勢で、本当に艦橋まで入り込まれるやもしれぬ。まあそれも愉しとなるかもしれないが、できればさっさと敵艦を引き剥がしたいところで……チョイと思案してみたところ、まだ機能している電話が鳴り響いた。


「中将、援軍です」


 誰かと思えば通信参謀の佃少佐で、


「イタリヤ海軍の重巡洋艦『ボルツァーノ』が、既に本艦まで12海里のところまで来ているとのこと。先程、通信が回復しました」


「おおッ、まことか」


 思わぬ光明に、高谷は鼓動を高鳴らせる。

 問題があるとすれば、既に敵空母とひと塊になってしまっていることだ。かなり近付いて撃たぬ限り、『天鷹』に20.3㎝砲弾が命中してしまう可能性も十分にある。そこをどう解決するかが重要で……直後、些かデンジャラスな閃きが走った。


「よし、『ボルツァーノ』に本艦の左舷後方手前を狙って射撃するよう要請。弾着修正は本艦より直接実施。これでもって敵空母左舷に水中弾を食らわせ、傾斜を増大させて引き剥がす」


「了解。米国の爬虫人類め覚悟ッ!」


 この期に及んでも佃は特殊な世界観を披露し、高谷はそれを無視して動き出す。

 最悪の場合、自分も木っ端微塵となってしまうやもしれないが、もはやそんなことを気にしても仕方がない。とにかく打てる手はすべて打ち、どんなものであれ天命を待つしかないのだと、自分自身に言って聞かせる。


 ただ数秒もしないうちに、真下から嫌な衝撃が伝わってきた。

 甚だ厄介なる一弾が、またも艦橋の付け根付近で炸裂したようで、敵兵が好機とばかりに押し寄せる。今次大戦最後の常軌を逸した白兵戦は、未だ予断を許さぬ状況だ。

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