脅威! 青天の霹靂作戦⑬

太平洋:硫黄島西方沖



 彗星指揮機にできることは、事実上なくなってしまっていた。

 もはやどの隊が何処を飛んでいるか、誰も把握していない。皆が皆、目の前の敵と死闘を繰り広げているから、無線交信の余裕などまるでない。そんな状況では、大所高所からの指揮も迎撃管制もあったものでもないという訳だ。


 加えて戦局はといえば、味方に利あらずといった具合だった。

 直掩隊は未だ鬼神の働きを見せているものの、グラマンも負けじと食いついてくる。そんな中を逆ガル翼の爆戦が跳梁し、艦隊を次々と襲撃しているのだ。頼みの軽巡洋艦『十勝』と駆逐艦『新月』は、いずれも被弾して対空火力を大幅に減じ、熾烈な機銃掃射によって各艦の対空要員が斃れていく。


「こりゃあ、致し方あるまいな」


 激烈なる空戦を俯瞰し、博田少佐は独りごつ。

 続けて身の処し方を考える。これから新たな敵編隊を迎え撃つとなれば、苦戦は免れ得ない。素行不良だがしぶといと評判の航空母艦『天鷹』ですら、今日が最期となってしまうかもしれぬ。とすれば腹を括るべき時だ。


「宇野、覚悟はいいか?」


 博田は軽快な口調で尋ね、


「米艦爆、艦攻を捜索し、そのど真ん中に突っ込む。機銃を撃ちまくって敵パイロットを射殺し、弾が尽きたらペラで敵機を切り刻みまくり、最後の最後で体当たりで撃墜する」


「ハハッ、これまた大胆でいいですね」


 後部座席の宇野一飛曹もまた、朗らかな口調で返してくれた。


「もちろん、最期までお付き合いしますとも」


「よし、じゃあ決まりだな」


 命を擲つと決めてしまうと、何とも心地がよいものだった。

 これまでの色々な経験が浮かんでは消える。夏休みに徹夜で麻雀をやって頭が狂った中学校時代や、賭博がバレて謹慎させられた兵学校の記憶。我ながらろくでもないものばかりであるし、実際給与袋の中身を借用書に変える効果しかなかった気もするが、今はそのすべてが懐かしい。


 ついでに言うなら……勝ち続けている賭けだってある。

 それ即ち、『天鷹』に無事帰還するという内容だ。今回ばかりはそれも厳しいかもしれないが、まあ2人と1隻ならどちらか優先されるか明白であるし、分の悪い賭けだからこそ面白い。ここで果てるのだとしても、艦の連中は自分のことを覚えていてくれて、上野動物園のワラジの檻に「こいつの発見者は硫黄島沖の空で華々しく散った」とか書いてくれるだろう。


(そういえばあいつ、ニンジンちゃんと食っとるかな)


 博田はそんなことを思い、何故ここでワラジなんだと苦笑。

 するとその直後、適当に周波数を合わせてあった航空無線より、妙に耳慣れた声が響いてきた。いったい誰かとコンマ数秒ほど訝り、やたらと類人猿めいた風貌をした後輩と断じる。


「ゴリラ、ゴリラじゃあないか。いったい何故、こんなところにおるのだよ?」





 ペルシヤ湾で仮装巡洋艦に体当たりされたとはいえ、航空母艦『天鷹』は敵弾の当たらぬ艦と認識されてもいた。

 だが残念ながら、開戦以来の強運もこの時までだったようである。既に5インチロケット弾3発が命中し、機銃座や高角砲架を兵員ごと吹き飛ばすなどしていた。しかも彼女の直上には恐るべきSB2Cの群れ。それらはヘルダイバーなる愛称に相応しい急降下を、1個中隊がひと塊となって仕掛けてきたのだ。


 無論、『天鷹』は回避するべく舵を切るが――少しばかり判断が遅かった。

 それまでの戦闘で疲労が蓄積していたのか。あるいは操艦に自信ありの鳴門中佐が病み上がりで、早々に使い物にならなかったが故か。嵐の如く見える対空射撃を難なく突破した敵機は、恐るべき威力を秘めたる爆弾を次々と放ち、そのうちの1発が紛れもない命中軌道を描いていた。


「敵機、投弾ッ!」


「総員、衝撃に備えッ!」


 号令が発せられてより寸秒の後、遂に直撃弾が出た。

 海神の号哭が如き大轟音が耳を劈き、無慈悲なる激震が全乗組員の心身を打ちのめす。


「被害状況知らせ」


 艦長たる陸奥艦長がすぐさま立ち直って叫ぶ。

 すぐさま各部より応答があった。命中箇所は飛行甲板の後部だった。爆弾は格納庫まで貫通して炸裂、大火災を発生さしめたとのこと。予備の天山4機が機付の者達とともにバラバラになり、衝撃でエレベータが1基使用不能となってしまったようだ。


 不幸中の幸いは、機関に支障が出なかったことだろうか。

 それでも先の攻撃は、米急降下爆撃隊の第一撃目に違いなかった。既に多数の敵機が艦隊上空に差し掛らんとしており、北北東からも新たな編隊が接近してきているという。いったいあと何度、米中西部の猛禽類が如きそれらの猛攻を躱さねばならぬのか。まったく絶体絶命と言うに相応しい状況だ。


「どうだムッツリ、いけそうか?」


 司令官たる高谷少将は、なかなかに鷹揚な調子で尋ねる。

 悔しさや敵愾心で胸がいっぱいであるはずだが、どうしてかそれは口ぶりや面持ちには影響しなかった。


「少しばかり、思わしくない雲行きになってきちまったが」


「どうにかしてご覧に入れます、少将」


 陸奥は莞爾と微笑み、


「自分も久々に女房の味噌汁が……ああいや、力戦奮闘し敵機動部隊を誘引、もって皇国を勝利に導かんと」


「ふん、そういう冗談が出るなら大丈夫そうだな……まあ何だ、いざとなったら硫黄島の浜に座礁させちまえ。その心算で力み過ぎず、落ち着いてやれば結果はついてくるだろ」


「ははは、初めて女を相手するのと同じですね」


「軟派極まりない思考回路に一度だけ付き合ってやる。軍艦だって女だ」


 高谷は少しばかり湿っぽく言い、少しばかり艦橋の雰囲気が和らいだ気がした。

 もっとも剣呑な爆弾や魚雷を抱いた敵機の群れは、炸裂する高角砲弾に怯むことなく悠々と旋回している。直掩隊は忌々しいグラマンに拘束されっ放しで、防空の要であった軽巡洋艦『十勝』は艦上構造物の過半を喪失、駆逐艦『新月』と『時津風』は脱落して何処にいるのか不明。米パイロットからしてみれば、『天鷹』は俎上の魚も同然かもしれなかった。


 そして伝声管より、敵編隊に新たな動きが生じた旨が報告された。

 第二撃が来る、艦内にシンと緊張が走る。ぎらついた白刃の如き時間だ。誰もがヘルダイバーだのアベンジャーだのの動向に耳を欹て、当たるも八卦当たらぬも八卦と嘯き――暫くして、首を傾げる者が現れ出す。


「何やっておるんだありゃあ?」


「うん、米軍機同士で仲間割れか?」


 予想外の展開に、誰もがアングリと口を開ける。

 シコルスキーとされていた機が、他の米軍機を襲撃し始めたというのだ。予期せぬ報告に高谷は思わず目を丸くし、陸奥はまさかと思い当たる。それが妥当だったことは、通信参謀たる佃少佐の歓声によって証明された。


「司令官、北北東からやってきたのは友軍です! 百里原基地の流星です!」





「ここはひとつ、ゴリラパワーで助太刀してくれよう」


 流星隊を率いる五里守大尉は、己が胸部をドカドカと叩いて吼える。

 そうしてテキパキと三舵を操り、暢気に飛んでいた米艦爆を素早く射程に捉え、ドドッと20㎜機関砲弾を見舞ってやった。こちらを友軍機と思っていたのか反撃は皆無で、狙われたSB2Cの主翼がグシャリと拉げる。始終素っ頓狂な顔をしていたヤンキー後部機銃員の顏は、最後に絶望のそれへと移ろっていった。


「ふはは、1機撃墜。流石は流星、確かに艦戦としても使えるわい」


「本物の戦闘機とぶつかるのは、避けんとです」


「ボノ、そのためにもきちんと後ろを見張っとれよ」


 後部座席の曙飛曹長にすかさず命じ、新たな目標を捜索する。

 艦攻乗りは編隊空戦の訓練などあまりしていないから、僚機にはとにかく敵機を見つけて遮二無二敵食いかかれと命じておいた。つまるところ辻斬り戦法である。それは案外と奏功したようで、米攻撃隊は一気に崩れ始めていた。


 なお彼等が乱入は、完全なまでに成り行きだった。

 早朝。元山飛行場の防衛に成功したとの第一報を受け、そこを拠点として米機動部隊に反復攻撃を仕掛けるべく百里原を発たんとした。ただ新鋭機であるが故のエンジン故障などあって出撃は1時間ほど遅れ、何とか流星14機と護衛の零戦8機を揃えて飛び立ったところ、ちょうど大空戦にかち合ってしまったのだ。

 無論、それだけなら硫黄島上空へと向かっていたかもしれない。しかし航空無線を適当に流していた五里守は、これまた偶然にも航空科の先輩との交信に成功し、至急艦隊上空の援護をと請われたのである。


「さて、次は……」


「あッ、上方より敵くぁwせdrftgyふじこ」


 曙の切迫しまくった声は、途中から妙な具合に響く。

 フットバーを思い切り踏み込み、機体を横滑りさせたためである。直後、上空から同じく逆ガル翼のF4Uが突っ込んできて、バラバラと50口径弾をばら撒いていく。回避は間一髪、実に危ないところだった。


 ともかくも仕切り直し。五里守は改めて索敵し、尚も雷撃を敢行せんとする敵編隊を捕捉した。

 真っ先に撃墜せねばならぬ敵、彼は本能的に断定した。実際に類人猿めいた腕力で操縦桿を勢いよく倒し、真上から一気呵成に畳みかける。TBFとかアベンジャーとか呼ばれたるそれの後部が一斉に瞬き、凄まじい数の機銃弾が飛来。そのうちの数発が愛機に当たったようで、神経を潰すような衝撃が伝わってくる。


「何のこれしきッ!」


 五里守は猛獣的に唸り、決断的に引き金を絞る。

 照準が甘かった。放たれた20㎜機関砲弾は狙った機を掠めはしたが、被弾はなかったようで、そのまま追い越してしまう。


「まだまだ」


 すぐさま操縦桿を引き寄せ、急峻な縦旋回を経て再追撃。

 目の前には既に駆逐艦、それからどでかい航空母艦。それらの対空機関砲がドッと瞬き、平射された高角砲弾が水柱を屹立させる中、今にも魚雷を投下せんばかりの敵機を睨み、全神経を投じて照準した。


「このッ……食らえィ!」


 発砲。20㎜機関砲弾は今狙い通りに突き進み、随分と大きくなった機影に突き刺さる。

 被弾したTBFは大きく傾斜し、そのまま勢いよく海面へと突っ込んだ。本日2機目の撃墜、それから雷撃阻止に成功。誰であっても万々歳としたいところで、神の視点に立つならば、実際にそれは『天鷹』に命中するはずだった魚雷を1本減らしていた。


 ただ赫々たる戦果を挙げたる五里守と曙には、それを祝すだけの余裕が与えられなかった。

 彼が駆っていた流星は、追撃戦の最中に防護機銃に滅多打ちにされ、更には味方の25㎜機関砲弾まで食らってしまっていたのである。

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