脅威! 青天の霹靂作戦⑭

太平洋:硫黄島東方沖



「ううむ……寸でのところで、首の皮一枚繋げたか」


 報告を受けたハルゼー大将は、喜怒のいずれでもない口調で肯く。

 攻撃隊の戦果は防空巡洋艦1隻と駆逐艦2隻を撃沈し、食中毒空母に爆弾3発と魚雷1発を命中させたといった具合だ。他にも硫黄島の飛行場を破壊するなどしたとはいえ、連合国軍最大の仇敵とされる艦を海の藻屑とできなかったのは、何とも惜しいところだった。実際、止めを刺そうとした段階で敵の増援が間に合い、しかもパイロット達がそれを味方機と誤認して損害を被ったというから、その悪運の強さには舌を巻かざるを得ない。


 とはいえ結果は結果であり、また前言を撤回する心算もなかった。

 攻撃隊の収容が完了し次第、第38任務部隊は東へと舵を切る。それからミッドウェーで艦載機と燃料弾薬を補充した後、ミッチャーの機動部隊と合流し、マーシャル諸島方面へと進撃する。群島のあちこちに点在する日本軍の飛行場を叩き潰し、近くハワイを出港するであろう揚陸船団を援護するのだ。


「太平洋における反攻は、地積を確保してのものでなければならない」


 太平洋艦隊司令長官たるニミッツ大将の言葉が脳裏を過る。

 ある意味では、横須賀を空襲したのもそのためであった。マダガスカルやガダルカナルでかなりの損害を被り、戦力的に心許なくなってきている合衆国海兵隊。誰より勇敢な彼等が島嶼の攻略に取り掛かっている時に、狡猾で狂暴な日本機動部隊の脅威に晒されることがなきよう、乾坤一擲の作戦が行われたとも解釈できるのだ。


 とすればやはり、ここは艦隊保全を第一に考えねばならぬ。

 猛牛などという雄々しい渾名に、些か恥じるところがあるかもしれぬが、海軍の大戦略に背くような真似はしてはならない。パイプを吹かしながらそんな物思いをしていると、3年近く前の記憶が鮮明に蘇ってきた。


「なあカーニー、真珠湾攻撃の時、君は何処で仕事をしていたのだったかな?」


「提督、自分はニューファンドランドでした」


 参謀長のカーニーは例によって糞真面目な声で応じる。


「ブリストル中将の下での、船団護衛任務です。なかなかに根気のいる仕事でしたね」


「君ならそういうのは得意だったろう」


 ハルゼーは大きく紫煙を吹き、それから右舷側に目を向ける。

 航空母艦『ラファイエット』のすぐ横を航行する、殊勲艦『エンタープライズ』の英姿がそこにはあった。


「俺は、あのフネの艦長としてミッドウェー沖だった。真珠湾が奇襲されたと聞いて、南雲のあん畜生をぶち殺してやろうと心底思ったものだ。まあ知っての通り、結局は取り逃がしてしまったがな」


「彼我の立場は、現在と正反対かもしれませんね」


「ああ。だから今は南雲の野郎の気分が少しだけ分かる」


 不敵なる笑い声。ハルゼーはとりとめもなく空を仰いだ。

 勝ち取りたる栄光と甘美なる追撃の誘惑、指揮官としての名声。対して敵の反撃や主力艦喪失への懸念、パイロット達の消耗、若き水兵達への責任。そうした諸々の中で決断を下し、最適解を暗中模索したという点では、南雲も自分も変わらないのだ。


「それから……あの食中毒空母の指揮官がどんな人間かも気になるところだ。まあ戦争に勝って20年くらいしたら、色々と聞いて回る機会もあるやもしれん」


「何故、そんなにも年月がかかるのでしょうか?」


「おうカーニー、分からんか? この戦争で俺がそいつらをまとめてぶち殺し……恐らく戦勝から20年くらいしたら、俺も天に召されるからだ。そうしたら地獄に調査に行く。よおサタン、そちらで南雲って日本人が騙し討ちの科で拷問されとるはずだから、ちょっくら面会させてくれないか? それからもう1人、気になる奴がいるんだってな」


「なるほど」


 四角四面なカーニーの顔がニマリとし、これがちょっと不気味である。

 とはいえ気分は楽になった。そうこうしているうちに攻撃隊の収容が完了したので、硫黄島沖からの離脱を朗々と宣言する。最終的に合衆国が勝てばいいのだ。対空対潜警戒を厳にしつつ、第38任務部隊所属の艦艇は一斉に転針を開始した。


 それから数十分ほどの後。前衛哨戒中の駆逐艦より、大編隊が急速接近中との入電が飛び込む。

 追加情報によると、80機超とのことだった。庭どころか屋敷の居間まで思い切り荒らされ、顔を泥で塗り固められた日本海軍が、ただで帰してくれるはずもないのだ。しかしハルゼーは一切動揺せず、それがどうしたと豪語する。こうした罠が予見できていたからこそ、食中毒空母を深追いするのを避けたのだ。


「よゥし、最期のひと仕事だ。第38任務部隊がどれほど強靭か、奴等の足りないオツムに刻み付けてやれ」


 抑制せざるを得なかった戦意をぶちまけたような訓示だった。

 熱き闘魂に突き動かされ、戦闘機乗り達は空へと舞い上がり、管制官達は戦況表示板や電子機器を凝視する。その行く末はまだ分からぬが、自信のない者は1人としていなかった。





太平洋:硫黄島西方沖



 避退に移った高谷機動部隊は、まさに満身創痍といった様相を呈していた。

 生き残ったのは航空母艦『天鷹』と駆逐艦3隻のみで、単純な隻数としては半減。しかもいずれの艦も大なり小なりの損傷を負っていて、落ち武者の群れが如し。飛行甲板は辛うじて使用可能ではあるが、直掩機が彗星指揮機を含めて9機しか戻らなかったくらいだから、まさに刀折れ矢尽きたといった具合だ。


 そうした惨憺たる状況にあっても、司令官たる高谷少将は戦意を喪失したりはしなかった。

 ただ正午の戦闘配食を食い終えてから程なくして、恐るべき米機動部隊が転針したとの報せが入った。続いて内地より飛んできた航空隊の、敵発見と突撃を意味する打電。前者は幾分早いような気もするが、曲がりなりにも誘引の任務は完遂できたようで、以後空襲はなかった。となればあとは、味方の獅子奮迅を祈るばかり。

 すると――どうにも情けなく感じられる安堵感が、包帯に滲む血のように沸き出てくる。


「どうにか、生き残っちまったか」


 高谷は能面で、静かにぼやいた。

 彼我の戦力差を考えれば、満足するべき結果ではあるのは間違いない。何しろ排水量3万トンの『天鷹』を、爆弾と魚雷をそれぞれ1発ずつ食らって戦闘航行に支障が出たとはいえ、残存させることができたのだから。彼女が来るべき太平洋大決戦の一翼を担う艦であることは論を俟たぬし、何より家族が如き将兵を大勢生き永らえさせられたのだから、奇跡といっても過言ではない。


 とはいえやはり、水漬く屍となった者達の面影はちらつく。

 例えば『天鷹』が艦首付近への被雷1で済んだのは、紛れもなく軽巡洋艦『十勝』の献身のお陰である。つい先日合流したばかりの彼女は、爆弾多数を食らって大破炎上しても尚、鬼神の如き対空戦闘を繰り広げた。そして迫る米雷撃機に最後の噴進砲弾を見舞った後、放たれた魚雷をその身でもって防ぎ、瞬く間に横転して海の藻屑となったのだ。

 通信参謀の佃少佐が言うには、かの噴進砲弾は間違いなく電波起爆式とのこと。次男坊の発明品を巧みに用いて奮戦した艦長と飲む酒は、どんな銘酒にも勝っただろうが、その機会は永久に失われてしまった。


(それに加えて、航空隊だ)


 始終バカ騒ぎを起こし、時には竹刀でぶん殴りまくった搭乗員ども。

 彼等はたった半日ほどで、半分を下回るほどの数となってしまった。空戦の苛烈さは頭では理解していたはずだが、実のところ認識が追い付かない。もっと知恵を巡らせるべきだったのではないか、至誠に悖るところだらけだったのではないか。戦闘中は封印していた悔恨の念が、これまたじわじわと湧き出してくる。


「失礼いたします」


 そんな声が唐突に響き、飛行隊長の博田少佐が艦橋へとやってくる。

 それからもう1人分。随分と野太い音吐で、こちらは誰のものか分からない。


「司令官、五里守大尉をお連れしました」


「何だ? 五里守?」


 見てみると随分とガタイのよい、見知らぬ飛行服姿の大尉である。

 ただ何故か猫のインド丸を腕に抱えていて、直後に顔を引っ掻かれて逃げられる。


「何やっておるんだ……で、ええと、誰だったかな?」


「505空の、つまりは流星のパイロットですよ。最後の最後で艦隊に助太刀に来て、本艦に迫る雷撃機を蹴散らしていった命知らずがいたじゃありませんか」


「おお、あれは貴官だったのか」


 居合わせた誰もが驚嘆し、喜色に満ちたるざわめきが起こった。

 聞けば『天鷹』上空を航過して大勢を瞠目させた後、被弾から機体が操縦不能になり、後部座席の曙飛曹長ともども脱出したとのこと。そこを駆逐艦『楡』にトンボ釣りしてもらい、飛行機乗りなので『天鷹』に移されたのだ。


「ともかくもそうした訳ですので、仁義を切りに参った次第で」


「五里守大尉……面倒だ、ゴリラでいいな。ゴリラ、貴官はまさに英雄だぞ」


「ありがたいお言葉で」


 五里守は誇らしげに笑み、渾名よろしくウホウホと類人猿しぐさ。

 まったく奇天烈な英雄だが、ニューヨークの摩天楼によじ登ってくれそうな頼もしさがある。


「まあここで会ったも何かの縁だ。『天鷹』はこの後、佐世保へと戻る予定であるから、ゆっくりしていってくれ」


「いっそのこと転属願いでも出そうかと」


 返答はなかなかに意外で、


「自分はこの艦が気に入りました。海軍の恥晒しとか言われておりましたが、細かいことを気にせん雰囲気ですし、犬とか猫とかおるので気が休まります。あと自分は拳闘が趣味でして、この艦には仲間が大勢いそうだなと」


「ゴリラ、喧嘩はいいが備品をぶち壊し過ぎるなよ」


 高谷は楽しげに戒め、早速引き抜きの段取りを考え出す。

 それにしても――五里守のお陰で気が少し楽になった。戦争であるから散華する者も出るが、こうしてやってくる者も必ずいる。ならばクヨクヨしておらんで常に全力全開。それが自分の流儀であるし、骨を枯らしたならば将となって功をなせという同期を箴言を改めて思い出し、己が尻をバシンと引っ叩く。


 そして時計の針は刻々と回り、戦闘海域を抜けたと判断された夕刻。妙な臭いの残る士官室にて歓迎会が催された。

 新たなる仲間を迎えた搭乗員達は、死んでいった者達の分まで喧しく騒ぎ、遂には名物の鉱油エビ天が供された。今回それに当たってしまったのは、何と主賓たる五里守。彼は実際、『天鷹』向きの人材なのかもしれない。

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