激烈! マリアナ沖航空戦⑧

太平洋:エニウェトク環礁沖



 薄暮攻撃に臨まんとする五里守大尉は、どうにも調子が狂っていた。

 普段は流星の後部座席に座っている曙飛曹長が、今日に限って体調不良を訴えたが故だった。食中毒とはやたらと縁がある『天鷹』であるから、まあ妙なものでも食ったのだろうが、とにもかくにも困った話に違いない。


 無論、組むこととなったチンパンこと椿阪飛曹長は、666空の類人猿軍団に属しているだけあって優秀だ。

 とはいえ芸妓にああんの呼吸が必要なように、飛行機乗りには阿吽の呼吸が必要で、もって人機一体となるのである。故に急拵えのペアとなると、どうしても以心伝心とならぬ部分が出てきてしまう。それでも率いている兵どもを統率し、任務達成のため粉骨砕身するのが、帝国海軍飛行科士官の務めに違いない。


「チンパン、どうだ?」


「はい……ええと」


「全機ついてきておるか?」


「はい。9機ともついてきております」


 椿阪が応答するも、ツーと言えばカーとならぬのがもどかしい。

 とはいえ脱落機などは、上空待機中にエンジン不調となった2機を除けばないようだ。艦隊防空に引き続いて護衛までやってくれている戦闘機隊の、圧倒的奮戦のお陰である。更に言うならば、護衛艦艇は割合多くいるようだが、対空砲火はあまり密ではないようだ。


 そうして陽が翳りつつある中、五里守は襲撃すべき目標の選定に入った。

 補給船団ということなのだろうか、俎板みたいな艦が多数、一目散に東へと逃げようとしている。特設空母なのか油槽船なのか、見分けるのは玄人であってもなかなかに難儀。だが後者では自慢にならぬから、視力に全神経を集中させて分析し、これはコメンスメント・ベイ級だと断定する。


「よゥし、あれにゴリラ鉄拳を……うん?」


 五里守は妙な艦影に勘付き、その方向へと目をやった。

 事前の情報にはなかったが、戦艦が混ざっているようだ。些か古風で妙竹林、かつ記憶の限り、米英のものではない。


「チンパン、あれが何だか分かるか?」


「大尉、なんべーです」


「おいチンパン、頓珍漢なことを言うな」


「あ、申し訳ございません。あれは南米はブラジルの、ミナス・ジェライス級戦艦です。第三砲塔と第四砲塔の配置が珍妙なので、間違えようがありません」


「ううん? 何故そんなのが……」


 そこまで言いかけ、五里守は少し前の新聞記事を思い出す。

 6月にブラジルでクーデターがあり、新政権が遂に対日参戦を決定したとかそんな内容だ。南米といったら米国の裏庭のようなもので、ドイツやイタリヤに対してはとうに宣戦布告をしていた国だから、別段おかしな話でもないのだろう。ただ日系移民を迫害しているとの報もあり、少々むかっ腹が立ってきた。


「よし、そのミ何とか級にゴリラプレスアタック」


「ええと、空母でなくてよろしいので?」


「問題ない。最もでかいのを沈めてこいとの命令であるし、特設空母なんぞ放っておいても『足柄』や『羽黒』が沈めちまうだろう。となれば友軍の突入を支援する意味でも、戦艦を沈めるのが一番だ」


 五里守は胸を拳でドカドカと叩き、航空無線で全機続けと命じた。

 横合いの護衛駆逐艦が両用砲で牽制してきたりはするものの、ブラジル戦艦は一向に撃ってこない。まあ急に太平洋回航が決まったものだから、対空火力を増強する余裕もなかったが故であるのだが――ともかくも五里守は確固たる意志の下、編隊を目標上空2000メートルへと導いていく。


「ヨーソロ、ヨーソロ……撃てッ」


 投弾。それを見た僚機の搭乗員も、一斉に爆弾投下ボタンを押した。

 そうして流星胴下から解き放たれた10発の80番徹甲爆弾は、致命的な投網となって海面へと突き進んでいく。流石に経験豊富なだけあって、五里守の狙いは相当に正確。一方で標的とされたブラジル戦艦、名を記すならば二番艦の『サン・パウロ』の回避運動は、これまた十分な対空戦闘訓練をしていなかったのが災いし、まったくおざなりだった。


「まあ1発は当たるな。でもって一撃必殺だ」


「はい。弾着、今」


 椿阪が報告した。直後、目標周辺に水柱ばかりがそそり立つ。


「あ、ありゃあ……どういうことだ」


 五里守は編隊を離脱させつつ、攻撃結果に愕然とする。

 実のところを言うならば、彼等が放った必殺兵器のうちの1発は、『サン・パウロ』に間違いなく命中していた。であれば明治43年就役の老嬢など、あっという間に轟沈してしまいそうなものだが……驚くべきことに、設計が古過ぎることが幸いした。つまり彼女が比較的近距離での砲戦のみを想定した旧式戦艦で、甲板の水平装甲が酷く軽薄だったため、80番徹甲爆弾の信管が正常に作動せず、不発弾となって艦体に突き刺さってしまったのである。





 殊勲艦たる伊二〇五が敵空母撃沈の報告を送ってきたのは、概ね日没頃のことだった。

 あまりに数奇な事情を理解した高谷少将はたちまち半狂乱となり、どうして毎度こうなるのだと絶叫したりしたそうだが――結構な大物を沈めたのだから、帝国海軍全体としては万々歳な結果に違いない。


 またこの思いがけぬ大手柄を耳にするや、この上ないほど莞爾としたのが、重巡洋艦『足柄』に座する田中少将に他ならぬ。

 これで心置きなく戦える。潮気を多分に含んだ面持ちに、でかでかとそう書かれているかのようだった。実際、米後方支援部隊を撃滅した後の懸念として、憤怒に塗れた敵空母が自殺的猛攻を仕掛けてきてくる可能性が挙げられたが、潜高型の奮戦によってそれは海の藻屑となった。ならば後は突撃あるのみ、勝利を目指すのみである。

 そして万難を排してでも沈めるべき艦船との距離は、既に30海里ほどにまで縮まっており――鎌の如き三日月の下、激烈なる夜戦が展開され始めていた。


「見敵必殺、見敵必殺あるのみだ」


「燃料に構うな、アラスカまで行く心算で突っ走れ」


 田中は激烈に獅子吼し、麾下にあるすべての艦が全力で期待に応えた。

 既に第五水雷戦隊をなす9隻は、テニスンの詩の軽騎兵が如く向かってきた米駆逐艦群と、熾烈な砲雷戦を繰り広げていた。先頭を征く軽巡洋艦『五十鈴』が目標を電探で捉え、検波起爆式の高角砲弾を矢継ぎ早に撃ち込み、フレッチャー級と思しきそれを討ち取った。かと思えば駆逐艦『白露』が猛射を浴び、悍ましくも幻想的に炎上する。敵味方が入り乱れる中から新型のギアリング級が出現し、重巡洋艦『羽黒』への雷撃を試み、回避を強要されるようなこともあった。


 ただ全体の趨勢としては、やはり旭日旗を掲げたる艨艟に分があった。

 何しろ米海軍が繰り出せたのは、護衛すべき主を喪ったものを含め、僅か駆逐艦5隻。それで倍どころでない相手に挑んだのだから、大変に見上げたヤンキー魂ではあるが、やはり顕著な戦力差は覆しようがない。五水戦はこれまでに2隻を喪失し、更に1隻が脱落したものの、挑んできた敵を文字通りの全滅に追い込めたようだ。


「とすれば……残るはあの1隻のみ」


 人工の星に照らされた海原を見据え、田中は固唾を呑む。

 およそ12キロほど先に、ブラジル戦艦の姿があった。『天鷹』攻撃隊が仕留め損なったミナス・ジェライス級で、明後日の方向に散発的な砲撃を繰り返している。


「夜戦に不慣れで、射撃指揮も未熟と見えるが、曲がりなりにも戦艦だ。心してかからんとな」


「無論です。予定通り距離1万で撃ち始めます」


 『足柄』の艦長を務める三浦大佐が、清涼感に満ちた口振りで言った。

 その直後、左舷からおよそ数百メートルのところに、大掛かりな水柱が連続的に屹立する。長門型や大和型のそれと比べれば豆鉄砲であっても、30.5㎝砲弾はやはり脅威だ。だが当たらなければどうということはない。妙高型の2隻は13万馬力の機関を震わせ驀進し、間合いを一気に詰めていく。


「距離、1万」


「主砲、撃てッ!」


 発令。既に発砲諸元を得ていた20㎝主砲が咆哮し、男児の本懐に訴えんばかりの火焔が迸る。

 まずは連装砲による交互射撃だ。後続する『羽黒』もほぼ同時に撃ち始めたから、合計10発の20.3㎝砲弾が敵艦目指して飛翔する。とはいえ真夜中での砲戦ともなると、照準もなかなかに難しく、第一射と第二射は空振りに終わった。


 なお相対する敵艦の反撃は、空振りを通り越して大暴投といったところだ。


「艦長、探照灯照射だ」


 田中はすかさず命じた。何十万カンデラもの光芒が、敵戦艦の影を浮き彫りにする。

 それを基に諸元が修正され、迅速果敢に第三射。これは見事な挟叉で、乗組員全員と艦に宿りし船霊様が、等しく歓喜に沸いたかのようだった。


 そうして『足柄』と『羽黒』は斉射へと移行。

 満を持して放たれた20発もの20.3㎝砲弾が、およそ9000メートルを十数秒で駆け抜ける。時計を持った下士官が声を張り上げ弾着を報せ、その瞬間、敵戦艦は逆向きの瀑布に包み込まれた。


「どうだ……ええッ!?」


 艦橋にあった者は皆、階級年齢の区別なく、思わず目を疑った。

 強烈なる閃光の直後、敵戦艦から肉眼でも十分見えるほどに大きな火柱が噴き上がり、瞬く間に炎に包まれたのである。旧式艦といえど主要区画は200㎜台の装甲で覆われているはずだから、黄海海戦のように集中砲火を浴びせて戦闘能力を奪い、その後に雷撃で沈めるという段取りでいたのだが――いきなり爆発炎上してしまったようだ。


「何だ……どうなっとるんだ?」


「弾薬庫にでも命中したのでしょうか?」


 田中と三浦が当惑気味に顔を見合わせる。

 神の視点でもって原因を記述するならば、それは不発弾となった80番徹甲爆弾だった。甲板を貫通して『サン・パウロ』の艦内に引っ掛かってしまったそれを、ブラジル人の乗組員達は外しあぐねていた。しかもそのまま夜間砲戦に突入してしまい、運悪くその近傍で20.3㎝砲弾が炸裂した結果、ドカンと誘爆してしまったという訳である。


 もっともこの奇天烈なる経緯は、後の世にも明らかにはなっていない。

 ただ政治都合で強引に太平洋へと回航され、「ロートルでも船団護衛くらいできるだろう」との判断で支援艦隊に加えられた『サン・パウロ』は、あまりの被害になす術もなく沈没してしまった――それだけが事実だった。


「まあいい、何であれ邪魔者はいなくなった。見敵必殺を続行するのみだ」


 田中は気を取り直し、麾下の艨艟を全力で疾駆させる。

 コメンスメント・ベイ級護衛空母や艦隊型油槽艦が餓狼の群れに追い付かれ、僅かな護衛駆逐艦ともども海の藻屑となったのは、それから数時間後のことだった。

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