激烈! マリアナ沖航空戦⑨

横浜市:日吉台



「やった、やったぞ! 田中サンがやった!」


「米支援艦隊を一挙に撃滅、久方ぶりの大戦果だ!」


 真夜中に齎された圧倒的朗報に、聯合艦隊司令部は沸きまくっていた。

 トラックおよびラバウルにあった艦隊が、マリアナ諸島を大きく迂回する航路で父島沖の集結点へと向かっていたところ、エニウェトク環礁の西方400海里辺りで支援艦隊らしき敵と遭遇。航空戦が行われた後、田中少将麾下の水上打撃部隊が勇猛果敢に吶喊し、特設空母4隻を含む17隻を血祭りに上げたのである。


 元はといえば、余計な色気を出すことなく、さっさと帰還しろという命令だった気もする。

 とはいえ見敵必殺こそ海軍の、是が非でも墨守すべき伝統に他ならぬ。加えて特設とはいえ航空母艦を有する敵が目と鼻の先に遊弋していたのでは、避退も容易ではなくなってしまうから、まあ結果よければ全てよしといったところであろう。


「加えてこれは単なる勝利に非ず、著しく戦略的重要性の高い勝利です」


 眠い目なんぞ吹っ飛ばしたお偉方が集う会議室にて、名高き樋端中佐が力説する。


「田中少将が襲撃したのは、米機動部隊用の支援艦隊と見て間違いありません。恐らく敵機動部隊はこれを活用して燃料弾薬および艦載機を補充、戦力を回復した上でマリアナ諸島近海に居座り続け、揚陸部隊の到着を待つ心算だったのでしょう」


「しかし田中サンが、見事そこを突いたという訳か」


 参謀長の草鹿中将は感心したように言い、直後に寒気を覚えたような表情を浮かべた。


「いや、待て。つまり我が方の見立ては相当に甘く、状況も限りなく際どかった……ということになってしまわぬか? 期せずしてその大半を撃滅できたからよかったものの、支援艦隊が無傷で残っておったら、我が方はマリアナ方面の航空戦力を再建する余裕を失ったまま、機動艦隊主力を差し向けざるを得なくなっていたかもしれん」


「事実、その可能性が濃厚です。そのため戦略的重要性の高い勝利と表現いたしました」


「なるほど。まさしく天佑神助の類か」


 聯合艦隊司令長官たる豊田大将も、安堵と懸念が綯交ぜになった面持ちで零す。

 これまでの経緯を辿ってみると、どうにも捻じれているような雰囲気だ。マジュロに奇襲を仕掛けさせたと思いきや、藪蛇となってしまったのか、いきなり米機動部隊がマリアナを猛撃してきた。一方で最前線の向こうに取り残される形となった艦艇を呼び寄せるに当たり、七航戦を中核とする丹作戦部隊があったからこそ、今回の戦略的大戦果が挙がったとも考えられる。


「ううむ……となると案外、馬鹿にできたものでもないのかもしれん」


「長官、如何なる意味でしょうか?」


「ああ、丹作戦について考えておってな」


 その言葉と同時に、サイパンまで連絡に行った三上中佐の顔が、少しばかり強張る。


「まったくの結果論かもしれないが、今回どうにかなったのは、あの作戦を実施したが故と言えそうだと思ってな。それから聯合艦隊随一のやくざ艦にして無駄飯食いの、航空母艦『天鷹』だ」


「ええ……」


 聯合艦隊の長なる人物の講評にも、露骨な反応をする者がいるほどに、『天鷹』の悪評は凄まじい。

 とはいえ豊田はかつて「何事も初めから添え物と思って退けぬことが重要」とか何とか発言していた。その事を、彼はちょいと思い出す。


「いや、例によってあの艦は駆逐艦しか沈められておらんようではあるが……横須賀がやられた直後もそうだったが、どうにも妙なところで、『天鷹』とボンクラ高谷は頑張ってくれておる気がする。本当に気のせいかもしれんがな」


「確かにあの場に空母がなければ、田中艦隊も一方的に空襲を食らうばかりだったやも」


 草鹿が首を若干傾げながら追従し、幾人かは尚も怪訝な顔をする。

 とはいえ決戦に当たっては、軍艦は1隻であれ貴重だ。それが無事に戻ってきて、かつ多少なりとも田中少将の突撃を支援したのだから、まあ評価に値するのは間違いない。議論は概ねそんなところに着地した。


「と、今はそれどころでなかったな。航空参謀、これで時間はどれくらい稼げそうかね?」


「最短でも10日は稼げるかと」


 樋端は眼光を研ぎ澄ませ、続ける。


「恐らく米機動部隊は明日にもマーシャル方面に引き揚げるでしょう。その上で真珠湾からあれこれ呼び寄せて補給を行うはずですから、如何な物量に優れる米海軍であってもその程度は必要となるかと」


「であれば、我が軍もその時間を最大限有効活用せねばならぬな」


 豊田は厳かなる口調で言い、居並ぶ参謀達も揃って肯く。


「ただちにマリアナ方面に向け、海軍を挙げての強行輸送作戦を実施。もって同諸島を太平洋の航空要塞として再建し、米機動部隊撃滅の足がかりとする。二度目の天祐神助など期するべくに非ず。各自ただその職責を全うし、協同一致して勝利へと邁進せよ」





真珠湾:太平洋艦隊司令部



 栄光ある太平洋艦隊司令長官になり遂せたタワーズ大将は、当初は随分と上機嫌だった。

 マリアナ諸島沖での航空戦が、概ね想定通りの結果に終わったためである。確かに喪失艦が10隻にも上るなど被害は僅少とは言い難く、エセックス級の『ベニントン』が被雷し後退を余儀なくされたりはしたものの、サイパンやグアムの厄介極まりない飛行場をほぼ無力化することに成功した。となれば後は日本海軍の反撃を封殺し、水陸両用艦隊を呼び寄せて上陸作戦を遂行すればよく、その成功をもって彼は政界へと進出する心算だった。


 だが今はガックリ項垂れ、目の焦点すら合っていないあり様だ。

 言うまでもなく、マリアナ侵攻の計画が根本から折れてしまったからである。忌まわしき食中毒空母と最低でも相打ちになるはずだった航空母艦『ダカール』が、艦載機を発艦させようとしたところで被雷し沈没。突如として盾を喪った支援艦隊は遁走を図るも、腹ペコ狼めいた重巡洋艦2隻を中核とする水上打撃部隊によって壊滅させられてしまい、作戦継続に必要な燃料弾薬や補充機は悉く海神に捧げられることとなった。

 結果、史上最強の第58任務部隊を史上最も愚かな漂流船団にせぬためには、マーシャル諸島への一時帰投を命じる他なくなり――この非情なる現実を理解したタワーズは、その場でカチンコチンに硬直してしまったのだ。


「その、長官、よろしいでしょうか?」


 精神が別世界に飛んでしまったような上官に、マクモリス少将が問いかける。

 ソクラテスという華々しい渾名を賜っていた彼は、このところ苦労人参謀長などとも呼ばれ始めていた。


「早急に弥縫策を講じねばなりません。ひとまず真珠湾にある豪州向け輸送船団の一部を差し止め、荷物を積み替えてクェゼリンへと向かわせましょう」


「ああ、うん。そうだね……」


 タワーズは相も変わらず、心そこにあらずといった様子である。

 ほとほと困り果てたマクモリスは軽く首を傾げ、どうしたものかと嘆息。同席する参謀達の反応も、正直似たようなものだった。


「長官、たかがと言っては何ですが、たかが支援艦隊をやられただけではありませんか。高速空母部隊はほぼ無事なのですから、まことに遺憾ではございますが、一旦マーシャルに下げて補給を行い、改めて出撃させればいいかと」


「その間にジャップ野郎どもはマリアナの基地を再建してしまうよね」


「はい。しかし次も勝利しさえすれば、名誉は保たれるではありませんか」


「いいんだ、俺なんて……どうせ俺は海軍の屑とでも言うべき、ダメダメ提督の代表だ。食中毒空母に呪われてしまったから、悔しいがどうにもならないんだ」


 タワーズは力なく零す。我儘人士筆頭だの海軍自画自賛学校首席だのと呼ばれたる人物は、もはや見る影もない。

 あるいはもしかすれば、この後おいおいと泣き叫び、途端にすっきりした表情を浮かべて果敢に決断を下すようになるのかもしれないが……どうにもそんな気配はしてこない。議論はひたすらに停滞し、不幸と躍ってしまっているかのよう。


 ただそうであったとしても、論ずるべき事は論じなければならぬ。

 特に日本軍は第58任務部隊の後退を奇貨として、マリアナ諸島に兵員物資を運び込むに違いなく、是が非でもそれを阻止せねばならぬ。とはいえ航空母艦群はまるで余裕がない。B-29による攻性機雷戦も外洋の島嶼では効果が薄そうで、PB4Y-2やPB6Yを用いた長距離雷撃も成算が低そうだ。先程はたかがと言ったものの、支援艦隊の壊滅はやはり猛烈なる痛手で、まことしやかに囁かれている食中毒空母の呪いを信じたくもなってしまう。

 そしてタワーズはゲッソリとした面持ちで、「何か名案が浮かんだら教えてくれ」と言い残して退出しようとし――そこで潜水艦隊副司令のブラウン大佐が、ガタンと席を立った。


「長官、名案を思い付きました。今すぐに『ノーチラス』を出しましょう。マリアナ沖で船団を襲撃させた後、魚雷を洋上で補充、日本海軍の機動部隊の撃滅に当たらせます」


「なにッ」


 マクモリスは思わず呻き、戦慄する。

 これまた食中毒空母のせいで、事実上整備不能となってしまった新機軸過ぎる原子動力潜水艦。その無限に等しい航続距離を鑑みれば、確かにやってやれなくはないだろうが……これでは無茶の自乗である。


「ブラウン大佐、幾ら何でも……」


「それだ、それでいこう」


 目を変にぎらつかせたタワーズが、有無を言わさぬ口調で慎重論を一蹴した。

 その瞬間、猛烈に嫌な予感がしたのは事実だったがが――司令長官が決断を下した以上、もはや異論を差し挟むことは許されぬ。後はどれだけ計画を詰められるかのみ。マクモリスは自身にそう言い聞かせ、己が職責を果たさんと奮戦することとした。


 史上初の原子動力潜水艦が最初の戦闘航海へと旅立ったのは、現地時刻で8月15日午前4時のことである。

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