合衆国大動乱

フィラデルフィア:コンベンションホール



 第二次大戦直後のアメリカ合衆国は、混迷の一語でのみ表せるような状況に陥っていた。

 国力によって枢軸同盟を圧倒するはずだったそれが、あまりに陰惨なる結果に終わったがためであることは、もはや記すべくもないだろう。屈辱の真珠湾攻撃から1年あまりはとにもかくにも負け続け、30か月ほどの雌伏を経て大反攻へと移ったものの、これまた信じ難い大失敗やとんでもない大損害に終わってしまった。しかも終盤に超兵器開発に成功し、サイパン島とベルリンを吹き飛ばして一発逆転と思いきや……ワシントンD.C.とニューヨークが神経化学爆撃を受けて被害甚大。おまけに原子爆弾は食中毒空母に奪われる、モンタナ州の黒鉛炉が爆発四散するともなれば、無政府状態に陥らなかったのが奇跡とすら言えそうだった。


 また当然ながら、この上なく無様な戦争を遂行した民主党政権は、これ以上ないくらい有権者の信頼を失っていた。

 それが如実に示されたのが、1946年の中間選挙だった。サリンを吸引して窒息死した議員が多数出ていたため、前例にない形態となったそれにおいて、ニューディール系政策の全面撤回と孤立主義への回帰を唱える共和党が圧勝。ほぼ名誉職の郵政長官からの繰り上がりであったハネガン大統領は、以後まったくと断じていいくらい党勢の回復に務めることもできず、ただホワイトハウスに置いてあるだけの人形と評されるまでになってしまった。任期中にできたことといったら、北アフリカ連邦の樹立と大統領継承法の改正、日本との国交正常化くらいだとされている。

 加えてそんな中、唯一権力の維持に成功していた連邦捜査局のフーヴァー長官が、マッカーシー上院議員を通じて合衆国への共産主義者の浸透を示す幾つもの証拠を提示したものだから、


「独ソ戦で窮地に陥ったソ連が、政権内のスパイを通じてルーズベルトに無茶苦茶な対日挑発外交をさせたせいで、我々はやらなくていい戦争に巻き込まれたのだ」


「むしろルーズベルトこそ真のアカだった。ニューディールからして共産主義色が強過ぎたし、戦時中の諸々の強権的政策は、スターリン的体制を目指していたとしか評価できない」


「後任のトルーマンもケツの穴に異物を突っ込んで遊ぶのが趣味の、罰当たりなホモ野郎だった」


 などといった流言があっという間に拡散し、致命的な政治的混乱が巻き起こる。

 もちろん1941年後半に対日政策が大幅変動したのは、独ソ戦勃発によって連合・枢軸間のパワーバランスが急変したが故の判断だったのかもしれない。それでも合計100万超の犠牲が生じ、神聖不可侵と考えられていた合衆国本土で大量破壊兵器が使用された後ともなれば、かような言動が信憑性を得てしまうのも、正直致し方ないことかもしれなかった。


 そしてそんな状況での民主党大会となると、もはや嫌な予感しかしてこない。

 心労が重なった末に精神的におかしくなってしまった感のあるハネガンは、当然出馬する心算もなく……現役の商務長官にして共産主義シンパと名高いウォレスと、ジョージア州選出の州権主義者たるラッセル上院議員に大統領候補が絞られる形となった。何とも極端という他ない、ニューディール連合を完全瓦解させた構図である。かくして行われた決選投票の結果、僅か数票の差で勝利したのはウォレスの方で、ラッセル派の有力党員達は途端に憤怒の相を浮かべた。


「民主党大統領候補として指名されたウォレスです。皆さんとともに、これから人権という明るい陽光の中を、正面から……」


「ふざけるな。お前みたいなアカなんぞ絶対に認めん」


 大統領候補就任の挨拶も早々に、公然と野次が飛び始める。

 更に反対派が次々と起立し、抗議のパフォーマンスを始めるなど、議場はたちまち騒然となった。4年前の選挙戦でも結構な混乱が巻き起こったものだが、今回はそれが児戯に思えるほど。


「投票のやり直しを要求する。共産主義者が投票箱を弄ったに違いない」


「見苦しいぞ南部のレッドネックどん百姓ども。訳の分からん理由で対ソ支援の邪魔をするから戦争がおかしくなるんだ」


「馬脚を現しやがったなこのアカ野郎。貴様等が合衆国に巣食う癌細胞だ、ただちに切除してくれるわ」


 罵詈雑言はかくの如く飛びまくり、実際投票箱の細工まで露見したから始末に負えない。

 こうなると殴り合いの大喧嘩にまで発展するのも道理で、更に場外乱闘まで勃発する始末。警備の者達が迅速に割って入るも、その時には既に支持者同士の揉み合いで死者まで出てしまっており、もはや事態を収拾する目途など立ちそうになかった。


 そうした結果、共産主義者と一緒にいられるかと、南部出身の者達は会場から出て行ってしまった。

 彼等は即座に州権民主党を立ち上げ、ジム・クロウ法存続を対価として共和党と秘密取引を開始。二大政党の片方が見事なまでに真っ二つとなった後にどのような政治体制が出来上がるかは、もはや誰の目にも明らかといったところで、"巨象"が政界に君臨する第六政党制が、今後何十年と続くこととなるのである。





バンカ島:大型酒保



 あまりにも負債が多過ぎるということで、遂に海軍を放り出されてしまった博田中佐。

 予備役編入に際しての退職金も全額召し上げられた彼は、借金取りから逃げるように南方へと渡った。行先は錫の生産で知られるバンカ島で、大型酒保の責任者に収まっていた。大型酒保というのは、最近の旧蘭印などで流行っている店舗の形態だ。現地で道路建設などやっている工兵部隊の資材集積場に現地人が群がって、軍手が欲しいだの円匙を売ってくれだの言い出すので、軍票処理にいいと判断した南方軍経理部長が、出入りの業者に併設店舗の開設を認めたという経緯である。


 そうしたところで地道に働き、月貸しブルドーザー事業の立ち上げなどしていたら、懐かしい人物と遭遇した。

 航空母艦『天鷹』で長らく一緒に活躍してきた、国際情勢だの経済だのに妙な一家言のある抜山主計中佐である。何でも共栄圏特別区となるらしいこの島に、かなり大掛かりな施設の建設を海軍が予定しているとかで、現地調査の一環としてやってきたとのこと。ついでに新大陸に居られなくなった日系人が、何万と流入してくる可能性もあるというから、とにもかくにも土建方面が忙しくなりそうな雰囲気がして仕方がない。

 ただそうした中でムクムクと湧き上がってくるのは、生まれ持っての博徒根性である。特に最近、シンガポール自由市の誰それが先物で大儲けしたという話があって、二匹目の泥鰌を掬いたい気分がとにかく刺激されたのだ。


「はあ……まあその意味では、米大統領選に注目かもしれません」


 酒保庭園に設けられた集会場にて、抜山はぼんやりとした口調で言う。


「共和党の圧倒的優勢は覆りようがなく、恐らくタフトは就任と同時に、ルーズベルト以来の政策を全面的に否定し始めるでしょう。これがまさに為替方面で注目を集めておりましてね。すなわち米国は今後、外交的にはモンロー主義に回帰する部分が大きくなるはずですが、経済政策においても大転換が予想されます。恐らくは金本位制への復帰、利上げ、緊縮財政と公共事業の停止等を矢継ぎ早に繰り出すものと見られており、相当のドル高が発生すると予想されています。それこそ1ドルが8円とか10円とかにまで」


「うん、ちょっと待ってくれ」


 博田は現地製の干しマンゴーを啄みながら、ちょいと首を傾げ、


「通貨高というのは、経済がそれだけ強まったとか豊かになったとかいうことじゃないのか?」


「バクチ中佐は理解が典型的です。豊かになって通貨の価値が高まると、外国の製品が相対的に安くなりますから、そちらを買った方が得ということにもなります。その分、国内雇用にはマイナスの影響が出もする訳ですが」


 かような具合に、抜山は早口で説明を続ける。

 戦時が故に拡大し過ぎた景気を引き締めを図るのは、実際必要なことであるかもしれない。それでも共和党の推進する政策は、それこそ世界恐慌において米国をどん底に叩き落としたフーヴァー政権の頃とあまり変わっていない。とすると大陸欧州の市場を丸ごと喪失しながらも、動員を解除された将兵や工員の旺盛な消費によって維持されている同国の経済成長は、これから数年であっという間に鈍化し、恐らくは慢性的なデフレーションに向かっていくとの見立てであった。


 かような分析を聞いていると、どうして自国の利益にならぬことをするのかと思えてくる。

 それについて質問したところ、少しばかりの時間の後、大戦の結果が奇天烈な影響を及ぼしているとの回答がなされた。ルーズベルト政権といったら、日本にとっては仇敵も同然であったかもしれないが、政策としては高橋是清などと似たようなところが間違いなくあった。つまりその点では正解を選んでいたのだ。ただ太平洋および欧州での事実上の敗北を齎した民主党が有権者によって否定されるのと同時に、軍事的な結果とは無関係なものまでまとめて葬り去られる公算は高く、しかもそれがある種の道義的正当性まで帯びてしまうかもしれないとのことだった。


「ふゥむ、やっぱ戦は勝たんといかんのだな」


「まさしく。なお米国のドル高政策が実施されるに伴って、原油やスクラップの輸入価格が高騰し、日本および共栄圏への打撃になるとの見方もありますが……」


 抜山は例によってノートをパラパラと捲り、


「北満新油田の操業はまだまだ先としても……パレンバン油田の稼働が良好であることに加え、バリクパパン、タラカン等の新油田の開発も進んでおりますから、概ね回避できる見通しです。というかその関連で、自分もここへ来ておる部分もありまして。それからスクラップに関しては、元々がタダ同然なこともあって、概ね問題ないと予想されております」


「ちょいと小耳に挟んだ程度だが、この干しマンゴーの買い付けに米国企業がやってきたそうだ。関連ありかね?」


「恐らく大ありかと。その辺の事情を総合し、為替先物や株式投資なんかをしておくと、大儲けできるやも」


「なるほど、面白い。俺もちょいと金貯めて、色々やってみるか」


 博田は熱意を沸々と滾らせ、どでかい大博打で一攫千金と意を決する。

 どうも自分は下手を打ちがちだが、今回ばかりはいけそうな気配がした。それに賭けに負けて大借金が残ったとしても、水上機に乗って逃げてしまえば、誰であろうと追ってもこれまい。彼はまったく気宇壮大なる夢を抱き、稀代の相場師として昭和30年代を賑わせる未来へと進まんとする。


 ただ傍らでニッコリと微笑む抜山は、ある意味で更に上手だったかもしれぬ。

 彼が隠密裏に属する"連絡会"は、未だ世間に露見せぬまま暗躍できていた。しかも大蔵官僚や有力政治家にまで繋がりを持っていたものだから厄介で……海千山千の構成員が部外者に提供する情報というのは、概ね「事実関係としては正しいが、すべてを説明しているとも限らない」代物だったりするのである。

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