終末主義の蠢動

雲南省:麗江市近郊



 世界大戦が曲がりなりにも終結してから暫くした後、雲南には妙に多くのドイツ人が屯するようになっていた。

 かような辺境の地にいったい何の故があってと、誰しもが思うところだろう。実際、異国より遠路はるばるやってきた彼等に、大勢がその質問をぶつけてみたりした。すると、


「アーリア人種の起源はヒマラヤ山脈東部にあるからね。まあ古代史研究の一環だよ」


「チベット山岳地帯に超人の住む地底王国の入口がある。我々はそれを探しに来たのだ」


 などと、気が触れたような回答ばかりが返ってくる。

 しかも怪しからぬ集会や謎の儀式などを頻繁にやるので、地元住民が不信感を抱いたのは言うまでもない。ただそれでも貴重な外貨を齎し、日雇いで糊口を凌いでいる人々を雇ってくれたりはする。故に数寄者ゲルマン人どもの不可解極まる活動を、現地自治政府がほぼ黙認していたのであった。


 とはいえ結果論的には、偽装工作の一環だったということになりそうだ。

 観光ホテルと称して山間に建設されたのは要塞めいた施設であったし、超古代文明研究と称して地面に十数メートルの縦穴が掘られていたのだから、どうして誰ひとりとして勘付かなかったのかと言うべきかもしれぬ。果たせるかな、それらは見事なまでに軍事基地へと変貌を遂げてしまっていた。秘密裡に運び込まれていた武器弾薬は、中華社会共和国を名乗る者どもの蜂起を大いに幇助したし、更にはA17弾道弾が地形に隠されたサイロに据えられているのだから、様々な意味で手遅れという他ない。

 そしてそれらが発射される瞬間を、親衛隊特殊作戦団のシュトゥデント中佐は心待ちにしていた。一刻も早く祖国に凱旋したい、というよりこんなところから早く離れたくて仕方がないからである。


「ええい、モタモタするんじゃないッ!」


「敵偵察機を撃ち漏らしたのだ、急ぎ務めを果たさぬかッ!」


 かような叱咤の有効性は、正直言って怪しいと思わざるを得ぬ。

 というのも自分を含めたごく一部を除けば、特殊作戦団に属しているのは、頭のネジがごっそり抜け落ちた出来損ないばかりだったためだ。つまりは普段から極まりなくオカルティックな妄想を口走り、"運命"計画に非科学的な理由から反発して粛清の憂き目に遭った、ローゼンベルク派のどうしようもない残党達だ。親衛隊の制服よりも精神病院の患者服の方がよく似合う彼等は、当然の如き愚昧さを兼ね備えていて、ラジオゾンデの放出にやたらと手間取るなど、とにかく行動が鈍くて粗いのである。


 ただそれでも、このまま作戦が順調に進めば、祖国の誰にとっても利益となるだろう。

 何故ならA17弾道弾の攻撃目標が、広州や上海、カルカッタといった都市だからである。原子爆弾を奪取した反乱分子の仕業とすることで全面衝突を回避しつつ、日英の経済圏に大打撃を与えられることが可能となるのだ。無論、雲南は両国の報復によって消滅してしまうのだろうが、アーリア人種の面汚しとアジアの未開民族が死ぬだけだから問題にならぬ。ついでにローゼンベルク派というのは、世界原水爆戦争を起こしてこそゲルマン民族の真の生存圏を確立できるという超過激思想すら有していたりするから、核分裂の炎によって自らが焼かれる運命となったとしても、まあ本望ではないかと考えられた。


「中佐、発射準備整いました」


「うむ、遅い。7分遅れだ」


 シュトゥデントは不機嫌そうに腕時計を一瞥し、ようやく現れた副長に応じる。


「だが間に合いはしたか。急ぎ始めるぞ。ジークハイル!」


「了解。ジークハイル!」


 かくして2名の親衛隊士官は、最深部の発射司令室へと降りていく。

 反乱分子には到底扱えぬはずの発射管制装置をそれぞれ起動し、伝達された番号のパンチカードを機械に読み取らせる。当然、2枚の内容は一致。A17弾道弾のコンピュータに目標情報が与えられ、何時でも発射可能となった。


「世界を灰にして、新たなゲルマン帝国を築くのが、儂の長年の夢だ」


「ただちにロケット発射。攻撃目標はアジアだ」


 今後数十時間以内に爆死するであろう司令官の、何とも大雑把な命令が届く。

 直後、ブザーが鳴り響き、それを合図としてシュトゥデントは発射鍵を回した。初回は失敗。副長がモタモタしていて同時に鍵を回せなかったためで、その次もまた同様だった。しかし三度目の正直でようやく成功し……この地方に古来より伝わる龍の如き勢いで、A17弾道弾は成層圏を貫いた。


「よし、もはやこんなところに用はない。俺は帰らせてもらうぞ」


 大任を終えたシュトゥデントは息を吐き、離脱に向けた個人的準備を開始した。

 専用の回転翼機でビルマの秘密拠点へと離脱し、数か月ほど潜伏する。そうして嵐が過ぎ去った後、迎えのUボートで帰国すれば、将来の栄達は約束されたようなものだと彼は確信した。


 とすれば無知というのは、案外と幸福なのかもしれない。

 高名だが幾つか致命的な過失を犯してしまっている民族遺伝学者の、些か政治的に過ぎる最新学説。シュトゥデントはそれに基づき劣悪遺伝子保持者と分類されてしまっていて……生殺与奪を握る上層部からすれば、ただの捨て駒に過ぎなかったのだが、航空事故で死亡するその時まで、彼は己が未来を疑わずに済んだのだから。





南シナ海:珠江河口付近



 間もなく上陸。そう聞かされた陸軍第5師団の将兵は、とにもかくにも目を輝かせる。

 おおよそ船慣れしていない彼等の中には、たった数日でゲーゲーやってしまう者も多かった。また高度産業国家へと変貌しつつある現代の日本にも、海外に赴いた経験のない人間は大勢いた。とすれば待ち遠しくなるのも当然で、付け焼刃の広東語が徴用輸送船『ばいかる丸』のあちこちに響いていた。


 ただそれから数時間ほどの後、唐突に雲行きが怪しくなり始めた。

 港の労働者が突然に集団失踪し、予定が狂ってしまったとか何とか。こんな調子で大丈夫なのかと思わざるを得ないが、南京政府が文字通り木っ端微塵になってしまった関係で、大陸は何処もかしこもこんな具合らしい。


「ともかくも今回の鎮圧戦は、予想以上に長引く見込みだそうだ」


 小隊を率いる水上中尉は、不満げなる部下を宥めつつ言う。


「我々が目指す桂林までの道程も、酷い具合だと聞いている。となれば案外、待つのが仕事ということも多かろう。そして手持無沙汰な時にも、我等が皇軍の一員であることを忘れてはならぬ。現地良民を助けるべく畑仕事を手伝い、家屋を直してやるなど、来た時よりも美しくの精神でいこうじゃないか」


「その、小隊長殿」


 視力とメンコの数だけはある津田伍長が、怪訝そうな顔で尋ねてきた。


「ありゃあ何でしょうか?」


「何ッ?」


 話の腰る態度に立腹しつつも、津田の指差す方へと視線をやった。

 不良下士官が新任の小隊長に諸々の嫌がらせをし、素知らぬ顔をしたりするという現実は、水上もある程度経験してはいる。ただ今回はその類ではないと直感され、とにもかくにも目を凝らす。


 するといったい如何なる事態か。空に奇妙な白筋が描かれているようだった。

 しかも先端にある何がしか物体は、凄まじき速度で暮れかけの空を駆け下りているよう。途端に悍ましき感覚が背筋を貫き、あれはもしやと思った直後、第二の太陽を思わせる閃光が輻射された。


「うおッ、眩しッ!」


 水上は呻き、ただちに目を逸らす。

 原子爆弾あるいはそれ以上の大威力兵器の炸裂であることは、誰の目にも明白という他ない。方向からして広州上空で炸裂した模様で、2分ほど経過した後に到来した暴風と轟音が、その威力のほどを如実に物語る。


 それから毒々しい赤色の火球が、巨大なキノコ雲となって湧き上がっていく。

 かくの如き光景は、何処か非現実的にすら思えた。部下のざわめきもすべて、核爆発の白色雑音に掻き消されたようだった。爆心直下にどれほどの地獄が広がっているのか、またこの後の世界が何処へ向かってしまうのか、まるで想像することができず――恐らくそれは、個々人に備わった心的防護機構の作用に違いない。





ベルリン:総統官邸



「ほう、手筈通り進んだか。これで奴等も少しは大人しくなるだろう」


 第三帝国の三代目なるハイドリヒ総統は、まったく上機嫌に微笑んだ。

 それから機能美という言葉のみを具象化したような執務室で、作戦計画書に改めて目を通す。中国奥地での反乱に便乗して原子爆弾を7発ほど使用し、時代錯誤の帝国主義者どもを大混乱に陥れる。その目論見はおおよそ順調に進捗しているようで、広州とカルカッタが続けざまに灰燼に帰したとのことだった。


 もちろん外交的には、既に空前絶後の大騒動となってはいて、帝国領内でも"防空演習"が始まってはいる。

 とはいえ本格的な原水爆戦争に発展するかといえば、ほぼ間違いなく否と答えられる。少なくとも日英両国にとっては、自国の都市が直接攻撃された訳ではない。であれば国土を危険に晒す真似などまだできぬはずで……どれだけ怪しいと思ったところで、反乱分子の信じ難い凶行だという説明を、いずれは容れざるを得なくなるだろう。電話口はほぼ罵り合いの場となっているようだが、少なくとも交渉が打ち切られた訳ではないと分かるのだ。

 そして最終的に、中東支配は盤石となる。世界最大の油田地帯たるペルシヤ湾を制御下に置くことで、もって世界に覇を唱える。まったく甘美な将来像で、不躾な副官が入室してきた時には、彼の顔立ちは些か歪んだものとなった。


「総統閣下、国父殿下より特別感謝状が届いております」


「おおッ」


 すぐさま相を作り、ハイドリヒは応じる。

 国父というのが誰のことであるかは、態々記すまでもないだろう。20世紀の神話を体現者たる初代総統に対する敬意は、たとえ内心であの老いぼれと嘲っていたとしても、人前で失する訳にはいかぬのである。


(まあいい、それで……?)


 書面に認められた内容を、曲がりなりにも読み解いていく。

 基本的には作戦に対する賛辞であった。脱皮できぬ蛇の如き旧時代の帝国が潰え、優良人種がその能力を十全に発揮し得る時代の魁となる云々。仰々しいが月並みな表現が連なっている、そんな感想が真っ先に出てくるようだった。


 ただ終盤に差し掛かった段階で、ハイドリヒは脳天を棍棒で打たれるような衝撃を受けた。

 総仕上げとばかり発射させる予定だった改良型のA17弾道弾。その攻撃目標を、ヒトラーが何の相談もなく書き換えたというのだ。しかも出力50キロトンの原子爆弾が落下する地点は、何処だか分からぬが日本本土であるらしく……顔面は途端に蒼白となり、手足がガクガクと震え始める。


「う、嘘だろ……こんなことが許されていいのか!?」


「総統閣下、どうされました?」


「馬鹿者、今すぐヒトラポリスに繋げッ!」


 ハイドリヒは外聞もなく絶叫し、また閣僚を緊急参集するよう命じた。

 親衛隊に原水爆とロケットを集約して指揮系統を再編した際に、こっそりと設けられていたらしい、ヒトラー専用の裏口。誰ひとり把握していなかったそれを経由して、目標変更はなされてしまっていたようで……その取消が不可能という事実が、それから間もなく突きつけられた。

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