兵貴神速、明号作戦⑤

雲南省:麗江市近郊



 太古の昔より聖地として崇拝されてきた、前人未到の処女峰たる玉龍雪山。

 天翔ける龍が如く雄大な、万年雪を被りたる5000メートル級の連峰の空高く聳える様は、まさに圧巻という他ない。これが観光であったならば、どれほど良かっただろうか。戦略偵察機たる蒼雲を駆る津山大尉は、眼下の風景を眺めては、時折そんなことを思うのだった。


 なお現在、雲南省は中華社会共和国を名乗る叛徒に制圧されており、行楽に赴けそうにない。

 であれば早急に現地を解放し、人々をして正道に復帰させねばならぬ。単調で少々退屈にも感じられもする成層圏飛行任務も、まさにそのために実施されていると言える。仏印のほぼ全土を迅速果敢に制圧した友軍は、間もなく滇越鉄道に沿って北上を開始するはずだから、進撃を阻むものがないか、念入りに探りを入れねばならぬのだ。


(とはいっても)


 このところの連日連夜の空襲で、目ぼしい目標はほぼすべて、瓦礫の山に変わっている。

 もちろん油断は禁物で、特に地対空誘導弾などはまだ何処かに隠蔽されている可能性は否定できない。それでも大戦末期の名機なる連山を改造した地上掃射機が、あちこちを我が物顔で飛び回っているそうだから、まあ問題あるまい――かような思考が脳裏を掠めた直後、新たな指示が背後より飛んできた。


「津山大尉」


 厳かなる声は偵察士官なる三谷少佐のもので、


「玉龍雪山の東麓をもう一度確認しておきたい。済まんが引き返してもらえんか?」


「了解。引き返します」


 津山は即応。長大なる主翼をゆっくりと傾げ、機体を旋回させていく。

 燃料の余裕はまだまだ十分であるから、別段どうということはない。ともかくも蒼雲は成層圏に大きな絵を描き、その間に高倍率カメラの準備が整ったようだった。


「間もなく上空」


「感謝する」


 確かなる謝意の籠った声。短くそれを発した後、三谷は業務に邁進し始めたようだった。

 地上に何か厄介なものが実在するのか、あるいはただの杞憂であるのか。現段階では、それはまだ分からない。ただ前者であるとすれば、相応の備えがしてある可能性が高いと見積もられた。


 そうして気を引き締め、念のためと電子防御装置などを操作していく。

 懸念が現実の脅威に変わったのは、それから数十秒ほどの後だった。対空捜索電探が突如稼働したことが確認され、程なくして強烈な警報音が耳を劈く。このところの空では最も恐ろしい、ライントホターR8の照準波以外の何物でもなかった。


「現空域を緊急離脱」


 津山はそう宣言し、諸々の手を打ちながら避退を図る。

 この近傍に何らかの敵重要施設が存在することは、もはや明白と言う他ない。とすればこのまま情報を持ち帰れるか、あるいは自機の被撃墜でもって友軍が事態を察知するかの違いであって――後者に引き摺り込まれてたまるかと、恐るべき誘導弾の閃光が瞬く中、彼は遮二無二奮闘努力した。





東京:大本営統合部



「国民の皆様、刮目してご覧ください。威風一帯を払っての、皇軍堂々のハノイ入城であります」


「フランス植民地主義最後の牙城、ここに崩壊せり。ベトナム帝国という新たな盟邦を得たことで、大東亜共栄圏は今後益々の発展を遂げていくことでしょう」


 興奮し切った現地特派員の声が、テレビジョンから止め処なく流れてくる。

 また大々的に画面に映されているのは、土着の民兵と肩を並べて目抜き通りを行進する、陸軍第2師団に属する精兵達の姿。市街や密林での決死の抵抗があるかと思いきや、フランス軍の正規部隊は尻尾を巻いて遁走してしまった。それらを殲滅するための勘定作戦は今後必要となるとしても、何とも拍子抜けといった雰囲気すらあった。


 もっとも大深度地下会議室に詰めている者達は、ここからが本題なのだと理解していた。

 つまるところ雲南や四川で反乱を起こした連中は、未だ制圧の目途が立っていないのである。無論、諸外国が彼等に軍需物資を送ることは、もはや物理的に不可能になりはした。連日のように海南島より出撃していく峻山大攻が、主だった軍事施設を片っ端から壊滅させてもいた。とはいえ最終的な決着をつけるには、歩兵部隊による占領が不可欠であって……天然の要害たる蜀の地へと軍を進めるための費用の大きさに、誰もが頭を悩ませているのだった。


「しかも、何だ」


 強烈な頭痛を覚えつつ、賀屋総理は報告書を一瞥する。


「道中の治安秩序を回復しながらでないと、まともに進めぬというのかね」


「遺憾ながら」


 陸軍参謀総長の中村大将が苦々しい相で応じ、


「淮河以南は軒並み群雄割拠、五胡十六国時代もかくやと思えるような混沌が蔓延っておる模様です。支那派遣軍からの報告では、これまで大人しくしとった連中が、南京との連絡がつかぬのをいいことに好き放題やっており、ほとんど手が付けられぬのだと」


「大東亜工兵は既に動員されとるのだろう?」


「はい。ただそれでも手に余るといった状況のようで。不幸中の幸いと言うべきか、反日的姿勢を取っておるものはあまり多くはないようではありますが……例えば武装強盗団がレールを盗むから列車が通れぬだの、軍の倉庫や燃料タンクが気付いたら空になっていただの、揚子江の貨物船を海賊する不逞の輩が出るだので、兵員物資の輸送に大変な困難が生じております」


「ううん……」


 暗澹たる状況に打ちのめされ、賀屋は呻く。

 昭和19年に新生した中華民国というのは、結局のところ軍閥やら半独立の地方政権やらの寄り合い所帯で、直接の支配が及んでいたのは全領土の3割未満でしかなかった。しかも南京の国民政府というのが小人ばかりが閑居するところで、とにもかくにも身内贔屓と汚職が酷い。挙句に行政区地下施設の拡張工事を最悪の通敵業者に委託してしまい、そこに信じ難い量の爆発物を運び込まれたのにもまるで気付かず、文字通り爆発四散してしまったというのだから、率直に言って処置なしであった。


 とはいえそうした末法的状況を、ほぼ四半世紀に亘って利用してきたのも事実に他ならぬ。

 例えば産業開発の比較的進捗している北支一帯などは、大和民族の自衛的生存圏と隠密裏に規定されていただけあって、既に満洲国と経済的一体化を遂げつつあったりもする。特殊権益地帯たる海南島や共栄圏特区の上海の繁栄ぶりもなかなかのものだ。一方でそれ以外の地域に関しては、各種原材料と労働力の供給源になってくれればいいといった程度の認識で……大陸に統一的に発展されて制御が利かなくなっても困るからと、深刻な地域対立と無軌道な統治を半ば黙認していたようなところがあった。

 そしてそのツケを、今になって支払う破目になっている。とすれば他に何かやりようがあったようにも思えるが、まあ後悔先に立たずとしか言えそうになかった。


「ともかくも総理、かような状況を鑑みますと、追加の動員は不可避であるかと」


 中村は厳然たる口調で言い、


「満洲国軍および北支系の軍部隊をある程度は当てにできるとしても、治安維持のため更に25万程度の員数が必要かと。中支、南支は一旦軍政下に置くでもしないと将来に禍根を残します故」


「随分とまた簡単に言ってくれるな、原油危機も続いておるのだぞ」


「そちらの意味では」


 椎名外相が口を挟み、


「中東については、幾許かの光明が見えてきたと言えるのではないかと。英国筋からの情報によりますと、米国は数日中にも、湾岸地域への軍事介入を宣言する見込みとのこと」


「手放しに歓迎できる話とも思えんな」


「ええ。つまるところはサウジアラビアの油田権益について、米英間で妥結が成立したが故の動きではありましょう。ただやはりイラク軍の打倒が早まれば、それだけダンマームの復興も早まるでしょうし、このところ米国内ではテキサスの油田を戦略備蓄とするという発想が強まっておるようですから、米石油資本の本格的な中東参画によって原油価格が低減するという効果も……」


 なかなか希望的なる説明は、唐突に手渡されたメモによって中断された。

 それに目を通した椎名の顔は、たちまち青褪めてしまっていて……またもやろくでもない事態が生起したのではないかと、誰もが直感的に察した。


「椎名君、いったい何事だね?」


「総理、緊急事態です」


 その声は相当に震えていて、


「駐日ドイツ大使より通報がございました。一昨年の政変で粛清されたはずの親衛隊ローゼンベルク派の残党が、原子爆弾7発および中距離弾道弾複数を奪取……雲南にそれらを移送していた可能性が高いとのことです」

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