兵貴神速、明号作戦④
トンキン湾:ハイフォン沖
「おおッ、とうとう見つけたぞ食中毒空母ッ……!」
対水上レーダーに続き、目視でもその存在を確認したデュボア中佐は、割れんばかりの声で喝采した。
トンキン湾を遊弋する揚陸艦隊の中で、最も大きな反応を示した敵艦。己が生命を投じてでも撃沈するべきは、間違いなくそれだった。連合国軍が大陸反攻を成し遂げられなかったのは、一説によれば食中毒空母の暗躍のせいであるとのことであるから、まさにここで会ったが百年目という奴である。
無論のこと、払った犠牲は大変に大きかった。
実際、既に出撃したJu931の半数以上が、各種ミサイルや高角砲弾を食らって火達磨となっていた。それでも生き残った4機の両翼には、必殺の対艦徹甲爆弾デュランダルがそれぞれ搭載されている。大口径列車砲弾にレーダー誘導装置とロケットモーターを括り付けた重量2.5トンのそれは、大和型戦艦の重要区画すら容易く貫通する最強の対艦兵装のひとつで……1発でも命中すれば、如何なる艦もたちまち半身不随あるいは轟沈と相成るはずだった。
かようなる運命の瞬間は間もなく。長距離飛行の疲労のためか視界が妙に霞みがちになる中、全神経を奮い立たせ、忌まわしき目標を捕捉し続ける。
「デュランダル、目標捕捉ッ!」
兵装担当士官の絶叫が耳朶を叩く。
彼の言葉を裏付けるように、特有の断続音が響いてきた。機載のレーダーが仇敵を捉え、諸々のデータを特大爆弾の頭脳へと転送し始めたのだ。
「よゥし……」
緩降下の最中、デュボアは聴覚を研ぎ澄ませる。
目標をどれほど精確に捕捉できているかが、音となって伝わってきているのだ。どうにも四肢が重い気がしたが、ともかく音色に合わせて僅かに三舵を修正し……断続音がほぼ連続音に変わった瞬間、
「発射ッ!」
と渾身の力で咆哮しながら、両翼の兵装を切り離す。
大重量の消失に伴って機体は浮かび上がらんとし、それを御しながら低空飛行を継続する。下手に上昇しようものなら狙い撃ちにされるのは明白であるから、十分に距離を取った後に旋回し、戦果を確認せんとしたのだ。
そして敵艦轟沈を期していたデュボアは、己が視覚を疑う破目になった。
大水柱は幾つか屹立していたものの、爆炎や黒煙の類はまるで見られない。大加速して突入した8発のデュランダルのうち、最低でも半数は命中させたはずで、たかだか2万トン台の旧式航空母艦がそれに抗堪できる理由などあるとは考え難かったが……被害を与えた形跡すら、さっぱり見つからなかったのだ。
「あり得ない、こんなの嘘だろう!?」
「食中毒空母の呪いは本物なのか……?」
恐慌し切った声が幾つも、Ju931のコクピットに木霊する。
デュボアはまたもぼやけ気味になった目を擦り、何かの間違いではないかと、尚も海面を捜索し続ける。結果はもちろん変わらず、それどころか深手を負った訳でもなさそうな食中毒空母の艦影が見つかる始末。根源的に異質であらゆる理解を拒絶するような存在を、自分は相手にしているのではないかと彼は思わざるを得なかった。
ただ幸か不幸か、名状し難き恐怖は長続きしなかった。
近傍で対空射撃を実施していた駆逐艦『磯風』が、デュボア機をレーダーでもって照準し、十七式艦対空誘導弾を発射していたのだ。警報装置は当然鳴り響いたが、諸々の要因のため操縦者の注意が散漫となっている状況では、まったく対処は難しく……数秒の後、高性能爆薬35キロが至近距離で炸裂したことにより、彼の乗機は爆散して果てた。
致死的対艦兵器を複数食らった『チャクリ・ナルエベト』が生存できたのは、あまりにも安普請が過ぎたが故だった。
元々が貨客船を改装してでっち上げた航空母艦である。しかも共栄圏内での限定的な戦力投射ができれば可という、半ば見栄のために整備された艦であったため、タイ王国海軍の予算不足も相俟って、防御性能向上のための工事は一切なされなかった。お陰で命中した4発のデュランダルの信管は、ある程度の装甲を侵徹する想定であったことからいずれも起動せず、文字通り左から右へと抜けていってしまったのである。
ただだからといって、万事が解決といった訳ではない。
艦体を盛大に貫通していった徹甲爆弾の中には、喫水線下に破孔を穿っていたものもあった。また海中に突っ込んでから炸裂したそれらは、当然ながら至近弾と同等の効果を齎した。こうなると民間船舶とほぼ変わらぬ構造であることが、まったくの災いとなってくる。しかも応急処置訓練が普段からおざなりになっていたものだから、浸水がなかなか止められないという最悪のオマケまでついてきていた。
そんな状況に突然放り込まれた水兵達は、
「やべえよ、やべえよ」
「おい、何で排水ポンプが動いてないんだ!?」
といった具合に狼狽えまくり、艦体傾斜する中、ドッタンバッタン大騒ぎといった具合。
ついでにあまり経験豊富でない司令部も、混乱の度合いで言えば似たようなもので……特に戦隊指揮官のチャーンチャイ少将などは、見事なまでに顔面蒼白となっていた。
「司令官、ご覚悟ください」
艦長のパンイアム大佐もまた酷く悲観的で、
「本艦は極めて危険な状態にあります。最悪の場合、総員退艦もあり得るかと」
「なあッ……」
深刻に過ぎる言葉に、チャーンチャイは脳天を打擲されたかのような衝撃を受ける。
幸運にも空襲を切り抜けたかと思いきや、一難去ってまた一難といった具合だ。やはり天は我等を見捨てたのか。コ―チャン沖の雪辱を果たし、また己が栄達を実現すべく積み上げてきた何十年という年月が、頭の中でガラガラと崩れ始めそうだった。
「な、ならばッ!」
チャーンチャイは意を決し、
「かくなる上は艦を座礁させ、浮き砲台とせよ」
「り、了解」
パンイアムもまた即応。発光信号で周囲に意図を伝達した後、その通り舵を切らしめる。
タイ王国海軍を象徴する巨艦を座礁させたともなれば、軍法会議は免れぬかもしれぬ。だが沈没となっては絶対に取り返しがつかない。かつて乗艦していた海防戦艦『トンブリ』は、フランス艦隊との交戦の末に転覆したものの、後に浮揚されてサタヒープへと帰還したのだから、彼女と同じようにすればいいだけである。
とはいえ後知恵になるかもしれないが、流石に判断が早急過ぎたのかもしれぬ。
実のところ『チャクリ・ナルエベト』から、沈没の可能性は消えつつあった。正気を取り戻した乗組員達の獅子奮迅と、ようやく稼働し始めた注排水系により、浸水状況が改善し始めていたのだ。人生のかなりの割合を、潮風に当たりながら過ごしてきた人間達が、どうしてそれを感覚的に把握できなかったのかは分からない。しかし艦内の情報伝達に齟齬がありまくったが故か、気付いた時には手遅れになってしまっていたのである。
「こ、後進一杯」
「駄目です、間に合いません」
海岸線は既に目前で、まったく絶望的なる絶叫が木霊する。
それから十数秒の後、ヴァンウク河口に広がる浅瀬に、『チャクリ・ナルエベト』は突っ込んでしまった。救いがあるとすれば、高射砲で地上部隊の支援を多少なりとも行い得たことと、座礁したのが比較的離礁させ易い場所だったことだろうが……当然ながら、責任者にとっては何の慰めにもならぬ。
「そ、そうか……沈みそうにないのであれば何よりだ」
航空母艦『翔鳳』の司令長官室。その主たる打井中将は、少しばかり胸を撫で下ろした。
それから少しばかりナッツ類を懐から取り出し、ガリガリと齧る。すると肩の上の毒舌鳥類アッズ太郎が騒ぎ出したので、ついでに何粒かくれてやった。その返礼品が"All is right with the world"などという嫌味なのだから、もはや生まれついての性分なのだと諦めるしかなさそうだった。
実際のところ、世は厄介ごとの肥溜めのようになっていた。
フランス空軍の高速爆撃機が何処からか飛来し、ハイフォンの橋頭保を空襲した挙句、揚陸艦隊への対艦攻撃まで敢行してきたのだ。最後に狙われた『チャクリ・ナルエベト』の損害は、手違いから座礁してしまったことを除けば大きくはないようだが……一方で揚陸部隊は1個中隊が丸々消滅するなど、結構な打撃を受ける破目になった。当然その事実は内地でも報道されてしまっていて、責任の所在を巡ってあちことで騒動になっているようなのである。
「とはいえタイ空母には、感謝してし過ぎることはないかもしれん」
報告を耳にしながら、打井は呟く。
「フレンチゴロツキどもが投げつけてきたのは、相当にやくざな爆弾とのこと。あの艦の場合、あまりにも安普請が過ぎた結果、偶然にもそのまま貫通してしまったようだが……これが他の艦だったら目も当てられんだろう」
「まったくです」
参謀達が異口同音に肯く。
現物が回収できた訳ではないから推測となるが、使用されたのは重量数トンにもなる超凶悪爆弾と見積もられている。排水量6万トンの原子力航空母艦たる『翔鳳』であっても、3発も食らったら大破炎上間違いなしだっただろうから、まったく冷や汗ものとしか言いようがなかった。
またそうした意味では、防空艦の更なる増勢が必要ということかもしれぬ。
今回の件で第一義的に責めを負うべきは、絶対的制空権などと豪語しておきながら、ものの見事に早期警戒と迎撃に失敗した空軍だが……率直に言って、揚陸艦隊もまともな対空戦闘ができていたとは言い難い。最終的に高速爆撃機はすべて撃墜できたものの、空襲を許した時点で論外という他なく、そこで少々気になることが出てきた。
「ところでフレンチゴロツキどもだが、いったいどういった理由からタイ空母なんぞを狙ったのだろうな?」
「救助した捕虜を尋問したところ」
航空参謀はすかさずメモ帳を捲り、
「食中毒空母の呪いが云々と譫言を連ねておるそうです」
「うん、どういうことだ?」
「タイ空母を『天鷹』と誤認したものと思われます。外見は実際、かの『いかさ丸』のようですし。また『天鷹』は揚陸艦隊の旗艦で、触雷のため後退したのはつい先日のことだった訳ですから、彼等が知らぬのも道理かと」
「な、なるほど……」
妙竹林な展開に打井は首を傾げ、釈然とせぬ相で唸る。
とはいえ『天鷹』が奇運の艦であることを、自分は誰よりもよく知っている。今回の彼女は早々に後退を余儀なくされはしたものの、死せる孔明が仲達を走らせた故事の類型と思えば、別段おかしな話でもないかと結論付けられ……ちょうど従兵が運んできた特製サンドイッチに注意が向いた。
「まあいい、飯にでもしよう」
打井はそんな調子で、率先してサンドイッチにかぶり付く。
やたらと美味で歯応えのある肉塊が、凄まじいまでの存在感を主張している。北ベトナムのとある村の名産品にして、古来より国王や貴族などに献上されていたドンタオ鶏の脚とのことで……つまるところ爆撃誘導要員をハノイ近郊へと送り込んだ回転翼機が、現地の民族派から贈られた高級食材を持ち帰ったのであった。
とすれば想定外の空襲があったにせよ、明号作戦は順調に推移しているのだと、改めて実感することもできるだろう。
実際、本格的な着上陸侵攻とは容易に阻止し得ぬもので、フランス軍部隊は早々に北部山岳地帯へと後退。開戦から10日後には仏印の大部分が制圧され、ベトナム帝国の建国と大東亜共栄圏への加盟が宣言されることとなるのだから、これで大部分が片付いたと思うのも、まったく致し方ないことだったかもしれぬ。
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