兵貴神速、明号作戦③
ラオス北部:森林地帯
ヴィエンチャンを早々に陥落させたタイ王国陸軍第2師団は、そのまま北上を続けていた。
ほとんど守備隊も配備されていなければ、街道に地雷が敷設されてもいない。いい加減なゲリラが散発的な銃撃を仕掛けてくるくらいで、あっという間にそれらを返り討ちにすることもできていた。
ただ山道の険しさは、体力抜群の健児にとっても堪えるものである。
しかも古都ルアンプラバンは直線距離で100キロほども先。回転翼機部隊が同地を既に占領し、輸送機で物資を投下したりしているとのことだが、まだ地図上に打たれた1点に過ぎぬ。そこへと至る道を確保するのが歩兵の役割というもので、将兵はまだまだ長い旅路に備え、ナムグム川の畔で休息を取っていた。
「でな、この川を上手く使えば、大きなダムが建設できるかもしれねえんだと」
「メイジ、またその話かよ」
パイナップル味のキャラメルを頬張りながら、上等兵のナロンは相槌を打った。
それから箱の中から更に1粒取り出し、腐れ縁の戦友にくれてやる。日本の明治製菓に因んだ渾名を有するこいつは、実際にかの企業の製品が大好物だ。
「だけどよ、ここらが新たな領土になるなら、実際作られそうじゃねえ?」
あまり上品でなくキャラメルを咀嚼しながら、メイジは続ける。
「川の近くに穴を掘って、原爆を仕込んでドカンさ。クラ運河みたいにな」
「あれは海に繋がってるからやれた。小隊長殿がそう言ってたぜ」
「えっと、そうなのか?」
「ああ、ここらでやると放射線で川の水が駄目になるんだと。それより将来を考えるなら、やっぱ航空関係が一番だぜ」
ナロンは少しばかり自慢げに言い、
「何でも俺の故郷の近くに、新しい工場ができるかもしれねえんだと。きっと賃金もいいはずだ」
「昔から好きだよな」
「ああ。パイロットはちと無理だったが、何らかの形で関わりてえな。実際、何度も見せつけられたように、ジェットなら目的地までビュンと……うおッ!?」
発した擬音どころでない衝撃と轟音が、突然一帯に襲い掛かった。
木の葉を盛大に舞わせ、水面に大波紋を投げかける凄まじさだった。しかも数秒おきに、界雷の如く響いてくる。幾人かの兵隊が仰天し、付近を飛んでいた鳥と一緒に川へと転落したりした。
そして多少の知識を有するナロンは、相当の低空を飛翔していたらしき航空機が東の空へと過ぎていった辺りで、とんでもないことに気付いて驚愕した。
「さっきの奴、音が後から来たぞ。いったい何なんだありゃあ……」
敵味方識別装置というのは便利なものだが、常に使用されているとは限らない。
航空機が敵地へと侵入する際などは、電波の輻射は極力抑制した方がよかったりするからだ。そのため時として、友軍から所属不明機と扱われ、最悪誤射で撃墜されてしまうこともある。明号作戦の劈頭においては、まさに危惧された通りの事態が発生し、日泰関係を大いに揺るがしてしまっていた。
そうした結果、今度はやたらと慎重な運用がなされるようになった。
仏印全土の制空権をほぼ確立できてもいたので、事故防止の優先順位を上げても問題ないという判断となったのかもしれぬ。だがその一方、油断大敵とも言う。例えば仮にこの状況で、山中奥深くの敵秘密基地より高速爆撃機が発進しでもしたら……考えたくないような事態が出来するに違いない。
そして空軍第201飛行隊の川越大尉にとって、ほぼそれは目の前にある現実だった。警戒飛行の最中、低高度を超音速飛行する編隊を機載電探で捕捉し、二番機とともに追撃を開始していたのだ。
「天眼、射撃許可はまだかッ!?」
「現在確認中。大鷲一番、二番は追撃を継続」
南シナ海上の早期警戒機より、悠長に過ぎる返答が届く。
川越は歯を軋ませながら、超音速での追撃戦を継続する。あともう少しで海南島へと帰投というところで、突然ラオス上空に正体不明の編隊が現れたこともあって、燃料はまったく心許なかった。
「天眼、分からんか。間違いなく敵だ」
愛機たる迅雷の火器管制系を操作しつつ、真に迫った声で訴える。
「タイ空軍は超音速機をほとんど持ってない。だいたい何時もバンコクのお守りだ。こんなところには……あッ、こいつ照準波まで妨害してきやがった」
「射撃を許可。大鷲一番、二番、目標を撃墜しろ」
「大鷲一番、了解」
川越は鬱憤を晴らすような声で応答し、二番機に続くよう命じる。
編隊最後尾の敵機は、既に射程内にあった。しかし照準波が妨害されている以上、もう幾らか間合いを詰めなければ、最新鋭の空対空誘導弾たる天槍とて当たらない。故にスロットルを最大まで開き、迅雷を一気に加速させていく。残り僅かな燃料が急速に消費されていくが、気にかけている余裕などなく、最悪グライダー着陸すればいいと自身に言い聞かせた。
強烈な加速度によって身体は圧迫され、過ぎ行く一刻一秒が重苦しかった。
いったい何処から湧いて出たのか、まるで分からなかったが、敵高速爆撃機がハイフォン橋頭保への爆撃を目論んでいることだけは間違いない。であればともかく早急に、是が非でも排除せねばならなかった。迅雷は時速1800キロに到達し、彼我の距離は徐々に縮まっていき、遂には10海里を割った。
「よし……撃てッ!」
絶叫とともにボタンを押し、翼下に搭載したる天槍を2発発射する。
重量200キロの空対空誘導弾は、コンマ数秒の自由落下を経てロケットモーターに点火。猛烈なる白煙を吹いたそれらは、反射されてくる照準波を捉え、目標を見事血祭りに上げた。
「1機撃墜ッ!」
川越は喝采。尚も接近し、もう1機を血祭りに上げんとする。
ただ二番機を操る深沢中尉は、そこまで上手くやれなかったようだった。結果、撃墜破できたのは3機に留まり……燃料が払底したこともあって、それ以上の戦果拡大は不可能となった。もう少し早く射撃許可が出ていれば、あるいは違った展開になっていたかもしれないと、心底思わざるを得ない空戦だった。
トンキン湾:ハイフォン沖
タイ海軍の航空母艦『チャクリ・ナルエベト』は、相当に変テコな経緯で誕生した艦だった。
というのも太平洋航路の中型貨客船を、無理矢理に改造したのが彼女だからである。殊勲艦『天鷹』の生まれを変な風に誤解したさる提督が、同じようなやり方で整備すればいいと言い出し、何故かその案が通ってしまったのだ。お陰で性能はお世辞にも良好とは言い難く、搭載機も未だ現役の流星改が12機と回転翼機6機ばかりというから、何とも見掛け倒しである。
それでも指揮官たるチャーンチャイ少将は、大変にご満悦といった様子だった。
というのも現在、揚陸艦隊で最大の軍艦が、排水量1万8000トンの『チャクリ・ナルエベト』となっているが故だ。無論のこと、旗艦たる『天鷹』が漂流機雷を食らい、三亜に後退を余儀なくされたためであるのだが……何であっても一番というのは素晴らしい。抵抗らしい抵抗のなかったカンボジア方面での作戦をさっさと切り上げ、半ば押しかけ女房めいて合流しただけはあったと、実感せざるを得ない状況だった。
「であれば、ここでひと花咲かせてみたいものであるな」
煙草をプカプカと吸いながら、チャーンチャイは適当に放言する。
「誰もがあっと驚くような手柄を立てたい。何かいい案はないかね?」
「普通に考えてないですね」
参謀長はまったく呆れ気味で、
「そもそもまず爆弾と航空燃料がほぼ空で、諸般の事情により艦載機の大部分も陸上にあります」
「だが何だ、砲撃とかできんかね? 上陸部隊を掩護するとかな」
「10㎝高角砲しかございません。それにこの艦を喪ったら取り返しがつかないから、沿岸には近づくなと司令部から厳命されておるではありませんか。『大和』のように、何ともないぜとはいきません」
「ううむ」
一応は分かり切ったことを繰り返され、チャーンチャイは黙りこくった。
まったく如何ともし難い現実を鑑みながら、それでも何かいい手はないかと考え続ける。常識的に考えれば、まったくの徒労なのだろう。それでも普段から威張り散らしている日本軍の面々が、御見それしましたと雁首揃えて言うくらいの功績を、ここで立てたくてたまらなかった。
そうして思考が何巡目かし、改めてハイフォンの方を眺めた時、何かが瞬いたように見えた。
直後、揚陸艦隊旗艦の『下北』より緊急電。所属不明の大型機が橋頭保を爆撃しているとのことで、ただちに対空戦闘用意が発令される。もっとも個艦防衛用の火器を僅かに搭載しているだけの『チャクリ・ナルエベト』にやれることは、回避運動を除いてほとんどなく……日本海軍の防空駆逐艦が艦対空誘導弾を発射する様を眺めるばかりとなった。
ただその軌跡を追っているうちに、嫌な予感が湧き上がってきた。1機、2機と敵機は撃墜されていくものの、残余がこちらに向かってきているように思えたのだ。
「まさか……」
予感は秒ごとに現実へと近づいてきて、チャーンチャイは猛烈な寒気を覚える。
尚とんでもない経緯で建造されただけあって、『チャクリ・ナルエベト』の外見は随分と『天鷹』に似てしまっていた。ジェーン年鑑が手許にあっても間違える、一部ではそう言われているほどに。
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