兵貴神速、明号作戦②

トンキン湾:バクロンビ島沖



 火蓋が切って落とされて64時間。明号作戦の赫々たる成功は、もはや疑う必要もなさそうだった。

 元々が牛刀をもって鶏を割くような内容である。帝国海空軍の精鋭400機からなる攻撃隊と、タイ王国空軍の放った80機を前に、仏印の航空戦力は開戦初日にほぼ壊滅。僅かな生き残りだけが雲南方面へと撤退し、最大の脅威と見積もられていた防空兵器群もまた、おおよそ撃滅できたという評価となった。


 もちろんそれに伴って、相応の犠牲が生じたのもまた事実である。

 出撃した機の約5%は未帰還となったし、その中には高高度より投弾しているところを狙われた富嶽改2機も含まれていた。また沿岸部への激烈なる艦砲射撃を実施していた戦艦『大和』が地対艦誘導弾2発を食らって対空火力の一部を失い、随伴の駆逐艦『初雪』が大破して三亜に回航されるなど、水上艦艇にも少なからぬ損害が生じている。

 それでも所定の目標が達成不可能になる訳ではなかった。各地でベトナム民族派が蜂起したのを受け、フランス植民地軍は自壊しつつある。古都トゥアンホアは特別陸戦隊によってほぼ制圧され、もう間もなく独立政府が組織されるとのことだ。


「実際、仏印北部以外を最初から捨てておるものと見える」


「タイ王国軍ですら、破竹の勢いで進軍できておるようだからの」


「強いて挙げるならば、サイゴン近郊の1個旅団が脅威であるか」


 航空母艦『天鷹』の上段格納庫を流用した指揮区画に、将官達の早口が木霊する。

 様々な伝説に塗れたる彼女だが、流石に第一線での運用には耐え難くなってきた。それ故に揚陸艦隊旗艦としての任を与えられ、陸海空立体作戦の司令部となっているのだった。


「なおハロン湾に仏重巡洋艦『アルジェリー』が座礁しておる件だが」


 机上に広げられたる地図の一角を指し、第5師団参謀長の石橋中将は続ける。


「早急にこれを撃破してもらいたい。20㎝級の重砲の射程にハイフォンが収まっている訳であるから、同市へと兵を進めるに当たっては、今のところこれが一番厄介だ」


「明朝、第一戦隊が千切っては投げますよ」


 間を置くことなく返答したのは、普段は航空母艦『翔鳳』に将旗を掲げたる打井中将。

 軍艦は陸上砲台と撃ち合ってはならぬという不文律は、もしかしたら今も有効かもしれないが、重巡洋艦如きに大和型が遅れを取るなどあり得ない。自信満々にそう言い切ったところ、横槍を入れてくる者が出た。


「我等空軍の力をもってすれば」


 まったく癇に障る態度で、遣南航空軍の谷頭中将が容喙してきた。


「明朝と言わず数時間で片付きますぞ。要塞破壊用の赤外線誘導爆弾を積んだ峻山がおりますのでな」


「Be careful, frendly fire!」


 甲高い台詞が、無意味に長生きな鳥類の嘴から放たれる。

 もちろん毒舌ぶりで一部で有名な、性悪オウムのアッズ太郎のものだった。谷頭は途端に顔を紅潮させた。初日の航空戦においてタイ王国空軍所属の旭光を敵機と誤認し、空対空誘導弾で3機を撃墜してしまうという痛ましい事件を、実際に空軍が起こしていたが故である。


 それから一応体面を繕わんとしてか、作戦会議の場にどうして鳥がいるのかと絶叫が飛ぶ。

 打井は適当に惚けながら、内心よくやったとほくそ笑む。普段から余計なことしか言わないアッズ太郎だが、今回は空軍ゴロツキに投げつけてくれたのだから、なかなか愉快な展開ではないか。ともかく酷くつまらぬ理由で議論は紛糾し、最高指揮官たる千早大将が何とか場を執り成そうとし始める。

 ただ身内の失敗を嗤う態度を取った罰ということか、突然衝撃が走った。大戦中に魚雷を食らった時と比べれば、大した規模ではないと思えたが、どうしてか機関まで動かなくなってしまったから情けない。


「どうした『天鷹』よ、不関旗を掲げる破目になっちまったぞ」


 打井はそんなことを呟きながら、旗艦移動の支度をする。

 対潜用の回転翼機が飛び回て聴音器をばら撒き、駆逐艦が探信音を放ちまくった挙句、漂流機雷にぶつかったらしいという結論になったが――流石にこんなあり様では、三亜にでも曳航するしかないだろう。不幸中の幸いと言うべきか、司令部要員を含め死者は皆無でありはしたものの、嫌な気配がして仕方ない。





ハイフォン:リゾート地



「おいおいおい、次から次へとやってきやがるな……」


 ドーソン浜にほど近い高層ホテル。豪奢なスイートだった場所に陣取るガルシア伍長は、双眼鏡に映る光景に度肝を抜かれた。

 沖に展開した揚陸艦よりヘリコプターが発艦し、如何にも勇猛そうな将兵を降ろしていく。また水陸両用車の群れが浅瀬を疾駆し、怒涛の勢いで海岸線へと押し寄せてくる。更に後方には舟艇多数といった具合で、本格的上陸と言う他なかった。


 またそれを阻止する戦力は、もはや何処にもありはしなかった。

 数百機からなる攻撃隊と、大和型戦艦を中核とする水上打撃部隊により、ハイフォン一帯は奇妙な穴ぼこだらけになってしまった。切り札であった地対艦ミサイル大隊も、陸上砲台と化した重巡洋艦『アルジェリー』も、多少の戦果を挙げたのと引き換えに艦砲射撃で壊滅。水際防御がまるで成り立たなくなったので、地上部隊は昨晩のうちに内陸部へと後退し……僅かな残置要員が、監視のため残されたのだった。


「おい、『天鷹』は見つかったか?」


 背後より、一応の威厳を保った声が到来する。

 特設監視哨を任された、時折変な視線を送ってくるクレマン軍曹だった。室内にいるのは2人だけなので、悪ければこいつと一緒に仲良く戦死となるのかと思うと、気が滅入って仕方ない。


「迅速に見つけろ。あの疫病神は揚陸艦隊の旗艦であるらしいから、必ずどっかにいるはずだ」


「へい。少々お待ちを」


 ガルシアは水平線近傍に双眼鏡を向ける。

 確かに殊勲艦に違いないのだろうが、彼女を沈めれば日本軍が撤退するという訳でもあるまいに、どうしてそれに拘るのだろう。その辺りの事情はまるでよくわからなかったが、目標を発見しさえすれば残置要員としての責務を果たしたことになるので、とにかくも真剣な眼差しで捜索を続けた。


 そうして暫くすると、事前に頭に叩き込んでおいた艦影を、どうにか発見することができた。

 すぐさまクレマンに報告し、双眼鏡をさっと手渡す。果たして判断はどうなるか。やきもきしながら待機していたところ、確かにこれは『天鷹』に違いないとの評価が下された。続けてフロントに架電し、回線をハノイの司令部へと繋いでもらい、目標発見の報を伝達した。


「よし、俺等の仕事はこれで終わりだ」


 クレマンは大きく息を吐き、


「あまりに敗北主義的な気がせんでもないが……本隊に合流する術も、敵を蹴散らす術もないからな。逃げ遅れた兵隊2人が自棄になり、酔い潰れているところを発見された。このシナリオで行くかね」


「へい。ワインを取ってきますぜ」


 ガルシアは冷蔵庫を開き、値の張りそうなボジョレーを拝借した。

 そうして任務完了を祝い乾杯。さっさとクレマンを潰し、その後ゆっくりと自分もほろ酔い気分の夢心地となろうと思ったが……予想よりも相手は難敵で、流石に拙いかと思っていたところ、部屋に日本兵が突入してきて事なきを得た。


 なおもちろんのこと、彼等が発見した航空母艦が、三亜に回航中の『天鷹』であるはずがない。





ベンガル湾:アンダマン諸島西方沖



「給油完了。それではサルヴァル隊、幸運を祈る」


「感謝する。まあワインでも飲みながら、吉報を心待ちにしていてくれ」


 かようなやり取りの後、ドイツ空軍の空中給油機は離脱していった。

 フランス空軍の識別標を描いた11機のJu931高速爆撃機は、それぞれ翼下と胴内に合計10トンの爆弾を搭載しながら、北北西へと驀進していく。独立国ながらまともな防空能力を有さぬビルマの領空を横断し、ハイフォンの沖にまで一気に飛翔、日本海軍の揚陸艦隊、特に航空母艦『天鷹』を襲撃するのだ。根拠地たるジブチから優に8000キロを超える気宇壮大と表する他ない作戦で、途中で必要となる2度の空中給油を、几帳面さでは右に出る者のないドイツ人達がこなしてくれた形だった。


「まあ、ナチ野郎にしては上出来だ」


 部隊を統率するデュボア中佐は、何処か鬱屈した口調で評する。

 今年で40になる彼は、僅かながら昔の祖国を知っていた。それから華の都パリにまで鉤十字の旗が翻り、また米英の爆撃機が市街を焼き払っていたことも、相応に克明に覚えていた。そのどちらが嫌いかと問われたならば、どちらもと答えたいところだが……今まさに操縦桿を握っている乗機が、ユンカース社のライセンス生産品であることが、何よりの答えとなっていた。


 それから復仇の機会は、なかなか巡ってこないのだった。

 ロンドンやニューヨークを叩くのはおろか、アルジェリア奪還のため出撃するという話にもならない。原子爆弾があればいいかもしれないが、国内に配備されているそれらはすべてドイツ人の所有物。挙げ句、ノルマンディーなどに米英軍が再上陸してきた際に、橋頭保を吹き飛ばすためにしか使われないというのだから、まったく気分のいいものではかった。

 そして人生最初の戦闘出撃は、何故か日本軍に対するものとなった。辺境のインドシナにかまけている暇があるのか分からず、そのために己と部下の生命を賭けねばならぬと思うと業腹だったが、命令であるから致し方ない。


「まあいい、さっさと食中毒空母を沈めちまうとしよう」


「指揮中枢を破壊すれば、敵の侵略作戦も瓦解ですからね」


 副操縦士のボール大尉は、なかなか生真面目に応じる。

 ある意味では、この青年航空士官が羨ましかった。法的には未だ続いているらしいが、物心ついた時には世界大戦は終わっていて、国家社会主義の世相にも別段疑問なく適応できたのだろうと思えたからだ。ついでに当時の噂話なども、別段把握している雰囲気ではないと見え、少しばかり茶目っ気が芽生える。


「実を言うと、それだけじゃない。あの空母にはどうやら、とんでもない魔術がかけられているという。対峙する者を発狂させ、敗北へと導くと」


「ええっと」


 ボールは目を丸くし、


「ありますか、そんな話?」


「これが案外あるんだ。帰投したら戦史を漁ってみるといい。俺達がいったい何を沈めたのか、よく理解できるだろうからな」


「そんなのが相手であれば……中佐、既に沈めた心算でいてよろしいのでしょうか?」


「帰投できたなら、まあ沈めたか何かしたが故となるだろうからな」


 かような具合にデュボアは説き、意気込みを新たにする。

 それから機体の現在位置や針路、僚機が無事追従していることなどを確認する。アキャブ南西に設けられた転針点までまだ500キロほどもあり、何十分かの時間的余裕があると判断した。位置的には敵機と遭遇する可能性もあるが、英印軍は中東方面に戦力を集めているから、この辺は案外ざるだと判明している。


「マルセル、操縦を頼む。ちょいと腹が減ってな」


「了解。操縦代わります。ギャレーにフンムスとか色々が入っていますよ」


「ありがたい、好物だ」


 デュボアは舌なめずりし、意気揚々と操縦席を立つ。

 もしかしたらそれが最後の晩餐となるかもしれないが、僅かでも弱気を見せたら、そこから死神が入り込んでくる。故に食中毒空母を沈めるための腹ごしらえだと徹底的に断じ、彼はレバント地方の料理を貪った。

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