兵貴神速、明号作戦①

バンコク:市街地



「仏領インドシナなどという帝国主義の遺物が、未だ存在し続けていること自体、まず異常と考えるべきでしょう」


「今こそ雪辱の時。欧米列強の領土蚕食に屈する他なかった先祖達の悲しみを怒りに変え、立てよ国民!」


 早朝。まったく士気旺盛なる言葉が、矢継ぎ早にテレビジョンより流れてくる。

 それが実を伴ったものであることは、態々言うまでもない。タイ王国軍は現有兵力のほぼすべてを国境付近に展開させ、予備役の招集も進捗しつつあった。加えて海南島の航空基地は翼に日の丸の猛禽で溢れ、南シナ海には旭日旗を掲げたる艨艟が犇めいている。もはや仏印の運命は風前の燈火、そう断じられる状況だった。


(もっとも……)


 判然としない未だ部分がある。蒸し暑さの多少和らいだ一室で、雲大佐は頭を捻ってばかりいた。

 端的に言い表すならば、エリゼ宮は好き好んで領土を喪おうとしているのだ。確かに仏印には正規の2個師団が駐留し、更に士官のみフランス人の植民地旅団が両手の指の数ほど存在しているから、相応に戦えはするのかもしれぬ。だが共栄圏諸国に囲まれている以上、孤軍奮闘の展望などあるはずもなく、そんな状況で南支諸軍閥の反乱を幇助したとなれば、どのような事態を招くかは火を見るよりも明らかだった。


 無論、大陸欧州を支配するナチ党の都合がすべてに優先したとすれば、当然ながら辻褄は合う。

 例えばエネルギー資源地帯たる中東での覇権拡大を目論見、日英の戦力を分散させるために南支や南アフリカで動乱を起こさせたというのは、大変に理解し易い説明だった。ただあまりにも単純明快に過ぎる気がしていた。もちろん深謀遠慮があるように見せかけながら、実態は何の変哲もない力押しということも考えられ、今の自分はまさに敵の術中にはまっているというのかもしれないが……やはり脳裏に拭い難い違和感が、タールのようにこびりついているようだった。

 そして雲は新たな煙草に火を点けた後、引き出しより写真を取り出す。少しばかり前、輸送中の中距離弾道弾ではないかと彼が疑い、最終的に偽物と判定された1枚だった。


「仮にこれが本物だとすれば……」


「国民の皆様、臨時ニュースを申し上げます」


 テレビジョンの番組が切り替わり、少々上ずった声でアナウンサーが告げた。

 内容は聞くまでもない。仏印への侵攻が開始されたのだ。


「ふむ、やはり欺瞞だったということか」


 雲は短く呟き、煙草を普段よりもゆっくり吸う。

 戦争の瀬戸際で中距離弾道弾の存在を暴露し、原水爆戦争の可能性を示唆することにより、我の作戦計画を破綻に追い込む。彼はかような線で当たっていたのだが、既に戦端が開かれてしまった以上、これは外れとする他なさそうだ。





ハイフォン近郊:田園地帯



「1番および2番、電磁波輻射はじめ」


 かような号令の下、粗末な電子機材のスイッチが入れられた。

 動作が確認されるや否や、要員達はただちにその場から離れ、付近に設けられた壕へと逃げ込んでいく。もう間もなく始まるであろう空襲を生き延び、あくまで抵抗し続けるためには、絶対にそうしなければならなかった。


「坊主ども、まあ安心しておけよ」


 不快指数の限りなく高い穴倉で、老練なる技術軍曹が諭すように言う。


「真っ先に飛んでくるのは、多分いい加減な諸元で撃たれたものだ。俺達を直接狙えるようなものじゃない」


「はい。でかい花火と思います」


 最年長の兵隊が暢気に返答し、幾許かの安堵が広まった。

 直後、南東の空より飛来したのは、まさに読み通りの物体。日本軍の海南島基地より発射された、さほど長距離を飛べはしない二三式地対地誘導弾だ。名前に反してまともな誘導機構を持たない、端的に言うならレーダーの稼働を強いるための囮弾で、明後日の方向に突っ込んで植生を搔き乱す。


 本命たる飛翔兵器の群れが襲ってきたのは、それから間もなくのことだった。

 電磁波領域の眼を持つそれらは、高射砲や対空機関砲の形成する弾幕を潜り抜け、亜音速で輻射源へと向かっていく。大地が激しく震動し、壕内に砂埃が舞い、続いて耳を劈くような音が響いてきた。到来方向からして、先程稼働させた機材が吹き飛ばされたものと思われ……つまりは作戦が上手くいったのだと実感する。


「馬鹿な奴等ですね」


 誰かが小馬鹿にした口調で吐き捨て、


「あのミサイル、1発当たり50万フランくらいするらしいじゃないですか。対して自分等が設置した装置の値段は、精々が2万フランでさ。盛大に無駄弾を撃ってるってなりますね」


「日本には見事、破産してもらうとしよう。そうすれば安くゲイシャが買える」


「ははッ、それは最高ですね」


 そこかしこで爆発が続く中、乾いた笑い声が木霊する。

 ただ何処か虚無的な雰囲気があるようだった。祖国から9000キロ以上も離れた異境で、圧倒的なる敵を相手に抵抗を繰り広げようとしている自分達の運命が、次々と破壊されていく囮装置と重なったからかもしれぬ。





「ロール、ロール、チョイ待ち……今ッ!」


 生理的恐怖を催す警報音。久保田大尉はそれを無視するかの如く独りごち、強く操縦桿を引き寄せた。

 四肢と接続されたる最新鋭艦戦の迅雷が、怒涛のスプリットS運動を開始する。蒼穹は目まぐるしく移ろい、また急速に暗んでいく。肉体にかかる重圧は凄まじく、関取に圧し掛かられたかのようだった。


 それでも生き残るためには、最大限の報国をするためには、梃子でも動かぬ頑張りこそが最重要だった。

 僅かでも気を抜こうものなら、その瞬間を狙いすませていたかのように、死神が生命を刈り取りにやってくる。古今東西を問わず、空の戦場というのは概ねそうした場所だ。ともかくも通常の100倍は遅く感じられる時間の中、心身に降りかかる猛烈なる負荷に耐えながら、己に課せられた使命を果たさんとする。

 幸運の女神は微笑んだのは、刹那の後のことだった。視界の端を致死的なる火球が航過し、悍ましく鳴り響いていた警報音が遂に止んだ。ドイツ製火器管制電探の強烈無比な電磁波照射から逃れたという意味だった。


「よしッ、勝ったぞ」


「白虎一番、よくやってくれた」


 航空無線より、電子戦担当の木原少佐が呼びかけてきた。

 同じく航空母艦『翔鳳』より発進した、ペアを組んでいる複座型の迅雷。玄武の名で呼ばれるそれの後部座席に乗る彼こそ、敵防空網制圧の要と言うべき人物で、その声はまったく明朗という他なかった。


「敵発射機の位置を掴んだ。これより爆撃を開始する。白虎一番は上空にて警戒」


「了解。武運長久を祈る」


 久保田は愛機を上昇させ、警戒を厳としながら、僚機の突撃を見守った。

 仏印北部にはおよそ40機の航空戦力が存在し、中には無尾翼デルタ翼のミラージュ戦闘機なども含まれているとのことだった。ただ真っ先に行われた航空戦で一掃されてしまったのか、それらが迎撃に出てくる気配はない。また防空網制圧の管制を担う長機からも、特に追加の連絡はなされなかった。


 そうして爆撃は敢行され、複数の25番爆弾が敵陣へと吸い込まれていく。

 長閑にも見える風景に閃光が走り、鎌首を擡げていた発射機が粉砕される。ラインメタル社の主力商品のひとつに数えられたるライントホターR8地対空誘導弾は、開戦劈頭に峻山大攻の発射した対輻射源誘導弾の猛襲を生き延びることはできたかもしれないが、人間の目を逃れることはできなかった。


「これで2基目だ」


 木原の嬉しそうな、しかし少々疲弊した声が響く。


「これで爆弾はすべて落としたが、俺等の帰還は例によって最後だ。白虎一番、もう暫く頼むぞ」


「了解。露払いなら任されよ」


 久保田は少しばかり時代がかった口調で応じ、続けて長機の指示通り紅河上空へと移動する。

 その辺りにはまだ地対空誘導弾陣地が残存している可能性があり、炙り出しを命じられたということだ。まったくもって名誉なことだと、多少の嫌味を込めて思いつつ……真剣に地形を見極めた上で、挑発的な飛行を開始した。


 ただ5分10分と経過しても、敵対的な反応は確認されなかった。

 情報が間違っていたか、あるいは陣地転換で蛻の殻となったかだろうか。後者であれば付近を移動しているかもしれぬと、注意深く捜索を実施していたところ、どうしてか多数のアンテナを備えた河川貨物船が見つかった。ただ防空網制圧が最優先であったから、不審船舶がいるという報告を上げる以上のことはできなかった。

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