世界同時多発事変

東京:大本営統合部



「二正面以上での戦争が勃発した場合、対処能力が不十分となっているのではないか」


 かような軍事的懸念は、大東亜戦争終結後の日本に存在し続けてはいた。

 ただ米英ソとドイツが未だ講和条約すら締結しておらず、列強諸国の戦力の大半が大西洋に集中していたので、あまり重大視されていなかった。昭和27年に独ソが再戦の瀬戸際までいったり、更に10年ほど後に米独が30発以上の原子爆弾を投げ合うなりしていたから、その巻き添えを食らうのではといった恐怖は確かに蔓延していたものの……最悪の場合は敵国を絶滅させるだけの原水爆があるのだから、そこまで酷いことにはならぬだろう。八百屋の親父から日政会の重鎮に至る皆が、まあそう思っていたのである。


 お陰で国民総生産に占める軍事支出の割合は、何と7%を下回ってすらいるのだった。

 しかもそれは原子兵器関連施設の整備と国土耐核要塞化に関する支出まで含んだ割合で、陸軍兵力などは特に割を食うこととなっていた。編成表の上では未だ32個師団を数えてはいるものの、主として治安維持に当たっている部隊まで含んでおり、充足率の低さも相俟って、まともな戦闘単位となりそうなのは3割ほどというから凄まじい。

 そしてそんな状況で、中東に続いて南支での大動乱に対処せねばならぬ。原油供給不安から共栄圏には動揺が広まっており、最悪そちらが連鎖反応を起こすと考えると、まったく容易ならざるところだとしか言いようがなかった。


「その上で、ええと……」


 大深度地下の会議室。賀屋首相は苦虫を10匹まとめて噛み潰したような表情で、提出された作戦計画書を睨んだ。

 無論、発動直前になるまで軍が報せてこなかった昔と比べれば、これでも格段の進歩かもしれぬ。東條幕府の置き土産などと言われたる憲法改正が、数十年を経てようやく結実したが故だった。とはいえ紙面に記されている内容を見ていると、些か不安になってくるのである。


「この状況において、まず仏印から攻めるというのかね?」


「総理、東亜におけるドイツの暗躍は、もはや疑いようがありません」


 まったく断定的な口調で、陸軍参謀総長たる中村大将は続ける。


「彼等はハノイを策源地として南支各軍閥と連絡、滇越鉄道を経由して軍需物資の隠密供給を実施している。昨年の十月には既に、そのようにご連絡差し上げたはずですぞ。またそれを座視した結果、今日の苦境があるのですぞ。であればただちに明号作戦を発動、タイ王国軍と協同して仏印を制圧すべきでしょう」


「それが一番となるでしょうな」


「仏印が敵の聖域であり続ける場合、鎮圧は酷く困難ですからな」


 他の出席者達が次々と首肯し、賀屋は改めて紙面を凝視する。

 海南島に集結した空軍部隊および空母機動部隊によって沿岸部の根拠地を早急に撃滅し、迅速な着上陸作戦を敢行。現地独立勢力と協力してベトナム帝国を樹立し、同時にやる気満々のタイ王国軍をラオス・カンボジア一帯に侵攻させる。そうしてジェット戦闘機や地対空誘導弾のような近代兵器の供給を遮断し、集中的な銃爆撃によって地上戦力を弱体化させた後、諸国連合の15個師団を支那大陸内陸部へと攻め入らせ、反乱部隊を撃滅するという筋書きだった。


 また後段の侵攻作戦に当たっては、大東亜工兵の投入も予定されているとのこと。

 共栄圏全土の土木建設事業全般を担うこの組織は、大戦末期に支那派遣軍を率いていた岡村大将が、あれこれ手練手管を駆使して発足させたものだ。当初は復員予定の将兵に仕事を覚えさせ、また現地の失業者を吸収するための事業であったのだが、各国に伸びた支部がそれぞれ健児を集めて道路建設や治水事業に従事させるなどしていたら、何時の間にやら150万超の要員と独自の運輸部門を有するまでに成長してしまっていた。ともかくも重慶や昆明へと軍を進めるに当たっての後方支援に、折り紙付きの実力を有する彼等を組み込める訳で、こればかりは不幸中の幸いと言えそうな雰囲気だった。

 無論、爆砕された南京行政区の復興についても相当数を割かねばならないが……それを踏まえた上でも、十分な余力を有しているとのことであった。


「なお仏印制圧が完了し次第、海軍戦力に余剰が生じます」


 軍令部長たる板谷大将が眼光を滾らせ、


「そのため必要に応じて、インド洋へ展開させることも可能となりましょう。イタリヤはどうした訳か、今のところ目立った動きを見せてはおりませんが……ツーロンの仏地中海艦隊は現にジブチへと戦力を移動させつつあり、最悪こちらとの衝突も想定せねばなりません」


「何とも厄介だな」


「はい。その意味でも明号作戦の早急なる発動が必須と考えられます。我々も対米牽制用に、海軍戦力を幾らか残しておく必要がありますが……」


「そうだ、米国の動向は?」


 賀屋は直感的な危惧を抱き、鋭く尋ねる。


「少なくともアジア方面については、静観の構えではないかと」


 椎名外相がすかさず回答し、軍事的にも特に動きはないと空軍参謀総長の浦賀中将が付け加える。

 無論、大西洋方面に関しては話は別で、何時ものようにアイスランドに超重爆撃機を集結させているとのこと。また既に出発した対潜機動部隊に加え、追加で原子力航空戦艦『ミズーリ』をマダガスカルへと回航させるという議論もホワイトハウス内で出ているらしい。米国とサウジアラビアはスタンダード石油権益問題で火花を散らしてばかりで、5年ほど前に大規模な"誤爆"事件すら発生していたほどだが、事と場合によっては対イラク戦争への参戦も考えられるとのことだった。


 それからこうした場合に厄介なソ連邦についても、東アジアでは静謐を保つとの見方が示された。

 湾岸地域での戦争が勃発するや否や、かつてバルト三国を併呑した時のようなやり方でテヘランに相互援助条約を受諾させた彼等は、既にアバダーン付近に陣地を築き始めている。もちろんその影響で、独ソ軍事境界線付近は大変に緊迫しつつあるから、秘密協定の通り蘭州の社会主義政権に余計な真似をさせたりはしないだろう。実際、過激思想で知られる某中将とその一派が、航空機事故で全滅したとの報が流れてきてもいた。

 とすればイラン進駐の黙認と引き換えに約束された、シベリヤの第二バクー油田での生産拡大と増産分の輸入は、履行されると考えていいだろう。元々の共栄圏での消費量を考えれば十分とは言い難いが、それでも被害局限にはなりそうだった。


「ふゥむ……」


 少しばかり瞑目し、賀屋は頭の中で情報を整理していく。

 大蔵省出身の彼がとりわけ気にしていたのは、同時多発的な戦乱に伴う景気低迷だった。かつて日米通商航海条約破棄通告を受けて経済成長率が凄まじく鈍化し、翌々年の禁輸によって対米開戦を決意するに至ったように、エネルギー供給というのは本当に死活的な問題だ。加えて南京政府の物理的消滅のため、淮河以南は軒並み政情不安に陥りつつあり、その辺りを有力市場と位置づけていた各種産業が、軒並み大打撃を受けそうで――それ故に消極論に傾いていた面もあった。


 ただ諸々の問題を解決する上では、先刻まで胸中にあった躊躇の如き感情は、どうやら有害であるようだ。

 世界的デフレーションが色濃く残っていた時代には、事変や戦争を切っ掛けに軍需好況なんてものを作れたかもしれないが、通貨供給量の継続的拡大によって景気を牽引している現在には、そうした理屈を適用することは難しい。むしろこれまでに積み上がげてきた外貨準備を切り崩し、一部消費財の輸入拡大まで考える必要まであるかもしれず……米国が予想以上に静かだというのも、かような熟柿主義に根源があるのではとも考えられ、猶更長期化は避けるべきとの結論に至る。


「分かった、明号作戦を可及的速やかに発動してくれ」


 賀屋は用兵の最終責任者として決断し、


「それと原子兵器の使用だけは厳に慎んでもらいたい。まことに信じ難いものの、南京での爆発は地下に大量の通常爆薬が仕掛けられていたが故のものとのことだから、報復についても絨毯爆撃か何かで頼む。原子兵器使用の自粛に関する五カ国会議は、一応まだ続いておる訳だからな」


「了解いたしました」


 陸海空の長はそれぞれ概ね満足げに肯き、連絡将校が会議室から飛び出していく。

 大戦後最大の軍事作戦は、かくして動き始めた。その成功と戦地へと赴く将兵の武運長久を、賀屋も神仏に祈願する。仏印沿岸の防備は脆弱という訳ではなく、むしろ誘導弾でハリネズミめいた様相とのことだったが、元々地理的に孤立した領土に違いない。おまけに現地住民の支持も低いとなれば、そう長くは持たぬだろうと思われた。


 ただ二度あることは三度あると、太古の昔から言うものである。

 第三の事変が報告されたのは、首相官邸の玄関を潜ろうとした時のことだった。今度は南アフリカでクーデターが勃発し、プレトリアの新政権が英連邦王国から離脱を宣言。またそれと機を同じくして、ドイツのハイドリヒ総統が"ベルリン・ボーア枢軸構想"を発表したとかで……まさにこの連鎖政変こそ、彼等が狙いであったのだと、今更ながら痛感せざるを得ない状況となった。

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