ペルシヤ湾大動乱・下

マスカット:アル・アラム宮殿



「糞ッ、どういうことだ? ドイツ空軍の守りは鉄壁じゃなかったのか!?」


 元近衛旅団長にして現反乱軍指導者のアフメド少将は、同時多発的なる敵襲に狼狽えまくる。

 ハッサブ守備隊が襲撃を受けている旨を通報してきてから半刻ほど。今度は自分達の屯する首都マスカットに、ヘリコプターの大群が押し寄せ、市街に兵隊を次々と降ろし始めたのだ。昇ったばかりの陽を背にやってきたそれらは、当然の如く胴体に日章旗を描いており――来援しているのが名目上は義勇航空団であることなどすっかり忘れ、ネズミ一匹通さぬなどと調子のいいことばかり抜かしていたドイツ空軍将校を、とにもかくにも面罵した。


「少将、今はそれどころではありません」


 酷く切迫した口調で、参謀総長役のウマル大佐が箴言する。


「ともかくも宮殿にて籠城する準備を。敵は空挺のようですから、兵隊の数そのものは大した規模ではないはずです。海岸線や空港の守備に就いている部隊をこちらへと移動させ、挟撃してやれば、これを悉く撃滅できるはずです」


「そうだな、そうしたまえ」


 アフメドは動揺しながらも命じ、麾下の兵を走らせる。

 既に宮殿の敷地内に銃声が、それから爆音が響いてきている。つまり敵はすぐそこで、こちらはまるで状況を掌握できていない。迅速に各所の部隊と連絡をつけ、必要ならば建物の一部を放棄してでも、兵力を集中する必要がありそうだった。あるいは後宮の女どもを適当に解き放ち、敵に余計な手間をかけさせてもいいかもしれない。


「とすれば死守すべきは……」


「形無しもいいところだ。少将、諦めたまえよ」


 威厳に満ちた辛辣な言葉が、横合いから投げつけられる。

 真っ先に拘束し、手許に置いているサイード国王が、投降を呼びかけてきたのだ。


「貴公にも色々と思うところがあったのかもしれんが、兵どもに徒なる最期を迎えさせぬよう計らうのは、指揮官の何よりの務めではなかったかね?」


「何をッ!」


 アフメドは激高し、眼前の机をガンと叩いて威嚇する。

 すべては眼前の権力者が、まるで民のことなど顧みぬからだ――彼は己が蹶起の理由を脳内で反芻した。第二次世界大戦のどさくさでドバイやアブダビを奪還し、その後の大規模油田開発でオマーンは大いに潤ったはずだが、国内は相変わらず無茶苦茶だったのだ。まともな病院や学校もなく、識字率は未だ1割2分というあり様。原油によって生み出される莫大なる収益を、王族や首長達が奢侈品の輸入にばかり費やしているのが現状で、それ故に彼はアラブ国家社会主義の大義に共鳴したのである。


「巨富を得ながら私腹を肥やすばかりだった貴様に、憂国の士たる我等の何が分かるかッ!」


「儂も最近、息子の言う通りだったと思えてきておってな」


 サイードは台詞に若干の後悔を滲ませ、


「サラーサからマスカットへと都を移したのも、因襲からの決別が必要と思ったが故。守旧的な諸侯達を説得するのに時間がかかりはしたが、来年にもカーブースめを呼び寄せ、権力を譲る心算だったのだぞ」


「ふん、口先だけでなら何とでも言える」


「これが口先だけのものか否かは、もう間もなく判明するだろう。それまで貴公の処刑を先延ばしにするのも吝かではないから、少将、ただちに兵を降らせるのだ。カーブースめが師と仰げと言っていただけあって、日本のサムライどもは大変に強い。我が近衛兵をもってしても太刀打ちできんだろう」


「ふん、異教徒の武者如きに何ができる?」


「例えばこうだ」


 まるで耳に慣れぬ台詞。それを知覚すると同時に、脳天に凄まじい衝撃を食らった。

 何時の間にやら、部屋に曲者が忍び込んでいたのだ。アフメドは無様によろめき倒れた。反撃のため身を起こさんとするが、脳震盪に陥っていたこともあり、身体はさっぱり言うことを聞かなかった。


 そしてその直後、回転性の強烈な眩暈に苛まれながら、アフメドは信じ難いものを目撃した。

 厳重に閉じ込めておいたはずの危険極まりない日本の老代議士が、連れの秘書とともに、室内の部下を片っ端から薙ぎ倒しているではないか。その猛り具合はサムライというよりニンジャのようで、まさに東洋神話に描かれていたそれを相手にしているのだと察した彼は、程なくして昏倒した。





 オマーン中枢の制圧を目的とする駿号作戦は、ひとまずは成功と言えそうだった。

 アル・アラム宮殿の制圧もほぼ完了し、サイード国王を始めとする要人の救出にも成功した。また謀反に加わっていた将兵は、機動連隊の猛撃の前にたちまち士気喪失。名ばかり義勇軍の実質武装親衛隊との交戦も想定していただけに、むしろ拍子抜けしたくらいにも思えた。


 ただ指揮官なる崔大佐の胸中には、些かの懸念が未だ残っていた。

 敵の総大将なる元近衛旅団長の身柄が、未だに確保できていないのだ。下手をすれば、何処かに逃げられてしまったのかもしれない。もちろん反乱軍が息を吹き返すことは、ハッサブ方面への英印軍の空挺作戦成功もあって当面なさそうではあるが、アラブ民族というのは最後まで大言壮語した者の勝ちという認識を有しているというから、早急に捕縛しておきたいところだった。


「大至急、アフメド大佐を捜索しろ。何処かに隠れておるやもしれん」


「ああ、そやつならここだ」


 耳に覚えのある、しかしこの場にあるべからざる声が、どうしてか響いてきた。

 直後、床に敷かれていた絨毯が跳ね上がる。どうやら隠し通路となっていたようで、確保すべき人物の首根っこを掴んでそこから出てきたのは、大東亜戦争最後の一大作戦で奇縁のあった人物だった。


「た、高谷中将殿!?」


「ん、誰かと思えば崔……大佐か。随分とまた立派になったもんだな」


 高谷は酷く上機嫌に、大変結構と笑った。

 それから齢八十過ぎの人物にはまるで似合わぬ腕力でもって、アフメドの身体を真横に放り投げる。それをひょいと受け止め、改めて正面に向かって突き飛ばしたのは、テニアン島でウラニウムを一緒に運んだりした秋元中尉のようで……懐かしくはありはしたが、それ以上にどういう巡り合わせだと思えてならぬ。


「大佐といったら連隊長、とすると今回の空挺作戦は貴公が指揮を執ったという訳か。いやはやなかなかに面白い、原爆奪取作戦の時とは見事にあべこべになっておるじゃないか」


「ところで中将殿……いえ、今は先生とお呼びした方がよろしいでしょうか」


 紋付袴に輝く議員バッジを認め、崔は訂正する。


「先生は随分前に退役され、今は改造倶楽部の衆議院議員として八面六臂のご活躍をされていると伺っておりましたが……何故ここオマーンの地で、敵指揮官の捕縛などを?」


「ああ、イラクの馬鹿たれが戦なんぞ始めたお陰で大騒ぎになっておるから、原油輸入安定化のため秘密の議員外交をやっておったのだが……この通りクーデター騒ぎに巻き込まれちまった。しかもこのゴロツキ風情が、俺を人質にして体のいいことを喋らせようとしやがったから、上手いこと牢を抜け出してこん畜生と成敗してやったという訳よ」


「な、なるほど……」


 開陳される無茶苦茶な成り行きに、崔も頭痛に近いものを覚える。

 議員とその秘書が大捕り物など前代未聞だった。ただテニアン島での獅子奮迅どころでない勇戦振りは間近で見ていたし、20世紀にもなって艦上決闘を2度もやってしまった御仁であったから、新たな伝説が1つ追加されただけなのかもしれない。それに首謀者の身柄を押さえることができたのだから、駿号作戦はまあ完遂できたと言っていいだろう。


 とはいえどうにも気がかりなのは、見事にあべこべという言葉。

 今回は高谷が何故か敵地に潜入しており、自分が回転翼機で乗り込んだから、義号作戦とは逆だというだけの話である。だが本当にそれだけなのだろうか。根拠不明瞭ながら拭い難く思えた懸念はしかし、指揮官の多忙さの中で揮発してしまい、その正体を探ることは叶わなかった。





インド洋:セイロン島沖



「ふむ、オマーンの情勢もどうにか安定しそうか」


 戦艦『武蔵』に座乗する竹之内少将は、比較的穏やかな海を高みより眺めながら、齎された情報に満足げに肯く。

 陸軍が誇る機動連隊と英印軍最強のグルカ空挺連隊が、電光石火の早業作戦を合同でやってのけただけあって、反乱は急速に鎮静化しつつあった。未だフジャイラでは戦闘が続いているものの、諦めの悪い1個大隊が抵抗を続けているのみ。懸案のホルムズ海峡機雷封鎖に関しても、不審な貨物船を拿捕した旨をBBCラジオが報じていた。


「であれば後は、必殺の46cm砲でもって、イラク軍を吹き飛ばすだけとなりそうですな」


 参謀長も安堵した面持ちで、


「ペルシヤ湾上空の制空戦闘についても、満洲空軍の到着もあって、何とか押し返せている模様。そこに原子力防空巡洋艦『鳥海』と対潜巡洋艦『四万十』、旗風型駆逐艦4隻を擁する我々が加わる訳ですから」


「英東洋艦隊と英印艦隊も、間もなく出師準備が整うか」


 竹之内はそう付け加え、好みのスマトラ葉巻をおもむろに吹かした。

 我の戦力を合計すれば、戦艦2隻に中型航空母艦3隻を中核とする、合計30隻超の大艦隊ともなる。まともな水上艦を有さぬイラクには如何ともし難い戦力のはずで、これらが投入されると分かっていて、どうして戦端など開けたのかと思えてくる。


 それとも巷で噂されているように、すべてドイツ辺りの差し金なのだろうか。

 つまりは戦場での勝敗がどうあれ、ペルシヤ湾岸の油田を破壊して共栄圏や英領インドに経済打撃を与えられればよいという発想で、イラクが動いたという説だった。現に包囲下にあるダンマームでは原油貯蔵施設が大炎上しており、それを受けて内地でもチリ紙の奪い合いが発生するなど、とんでもない騒ぎになっている。原子力依存率の低い諸国はそれ以上で、停電に伴って暴動が発生、軍が出動すらしているのだ。


(であれば……)


 自分達が奮闘努力するに加え、電撃的空挺作戦に功あった部隊に、もう一度頑張ってもらう必要があるのかもしれない。

 それからイラク領内に強烈な艦砲射撃を見舞って油田を破壊し、何ならクウェートを制圧してしまってもいいだろう。まあ仮にそれが決行されるとすれば、主力はまず間違いなく英印軍になるはずで……かような物思いを繰り広げていた矢先、艦内電話が喧しい音を立てて鳴り響く。


「司令官、南京にて重大事件が発生した模様」


「うん、どういうことだ?」


 竹之内はただちに詳細を尋ね、信じ難い内容に驚愕した。

 南京において原因不明の大規模爆発が発生し、中華民国政府との連絡が取れなくなったとのこと。もしやこちらが本命ということか。そう思って参謀達と対応を協議せんとした矢先、雲南や広西、四川などが離反し、中華社会共和国政府の樹立が宣言されたとの続報が飛び込んできた。

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