ペルシヤ湾大動乱・中

オマーン湾:マスカット沖



「間もなく敵地上空。新選組各機、気を抜くな。敵サンがお出ましとすればそろそろだ」


「新選組一番了解。奇兵、そちらも見逃してくれるなよ」


 後方を飛ぶ早期警戒機からの注意報に、空軍第343飛行隊の風間少佐は厳格なる声で応答する。

 中東の戦局は、事前想定よりも随分と悪化していた。本来であれば今頃はカタールを根拠地として、バスラ上空での航空撃滅戦をやっているはずだったが……オマーン王国のクーデターですべてが御破算になってしまった。反旗を翻した軍部隊は独特の国家社会主義観に毒されていて、しかも幾つかの飛行場を占拠してイラク空軍機を迎え入れたりしたものだから、まずはそちらを制圧せねばならなくなったのだ。


 しかも目標たるフジャイラ基地には、国家社会主義陣営のベストセラーなるMe810が、1個中隊ほど展開しているという。

 無論、こちらは最新鋭全天候ジェット戦闘機の迅雷であるから、性能においては優越している。とはいえ語呂合わせで野獣と呼称されているかの機体は、渾名の通りなかなか獰猛かつ機敏で、特に腕利きが搭乗している場合には面倒だ。実際アラビア半島で何とか防空戦闘をやっている英空軍は、ドイツ語やイタリヤ語を話すパイロットを何人も捕虜にしているというから、技量は最低でも同等と考えておかねばならぬだろう。


「とはいえ何故、同盟国だった独伊と……」


「警告、警告。方位285、距離140に敵機」


 まったく余計な物思いは、早期警戒機からの警報に吹き飛ばされた。

 機数は4で、500ノットで正対してきている。高度は1万3000とやや高い。ならばこちらも少しばかり上昇するべきか。そう思った矢先、警報装置が悲鳴が如き音響を発した。


「こいつは……」


「敵機、誘導弾発射」


 電探員の引きつった声が、受信器越しに耳朶を打つ。


「糞ッ、ヤクザのお出ましだ」


「各機、散開。十分に引きつけ、回避しろ」


 風間はすぐさま僚機に命じ、ただちに四肢を操縦系統と一体化させる。

 敵はドイツ空軍の誇るHe893だったのだ。これまた語呂合わせでヤクザと呼ばれているこの大型迎撃機は、高度な射撃管制装置と長射程の空対空誘導弾を主武装としていて……ともかくもまず、音速の4倍超で飛来する火矢から逃れなければならなかった。


 それから本当の死闘はこれからだろうとも、ほぼ直感的に思えた。

 迅雷のように運動性良好なる戦闘機にとって、長距離空対空誘導弾を避けること自体は、案外と造作もなかったりもする。それでも確実に回避運動を強要され、機体はエネルギーを失ってしまうのだ。そして常識的な頭を持った指揮官であれば、絶対にそこを突いてくるに違いなく……視界が黒く暈ける中、後門の狼の到来が、まったく無慈悲にも宣告された。





「イラク空軍など鎧袖一触。英印軍と合力すれば、まあ1週間ほどで片付くだろう」


 源田代議士のかような豪語とは裏腹に、湾岸地域での空中戦は、なかなか雌雄が決さなかった。

 無論のこと、大陸欧州諸国から手厚い支援を受けていたがためである。ブルカンやキルクークといった大油田が大陸欧州諸国にとって死活的存在であることもあって、ベルリンからバスラに至る鉄道輸送路はやたらと拡充されており、戦闘機やら地対空誘導弾やらが要員ごと供給され始めた。そうした中には増加試作段階の新兵器なんかもあり、カラチからグワダルにかけて展開した日英連合軍は、予想以上の損害を被っているのだった。


 ただそうであっても、あるいはそうであるからこそ、急ぎ完遂せねばならぬ任務も存在する。

 陸軍最精鋭たる機動第2連隊を賭した駿号作戦は、まさにそうした性質のものだった。オマーンの反乱軍が地歩を固める前に、空挺強襲でもってその脳髄を粉砕、同国の内乱を一気呵成に鎮圧する。制空権が十分に確立されていない中を、数十もの回転翼機に突破させるのだから、危険性については態々記すべくもないだろうが……ぐずぐずしていては機を逃し、最悪ホルムズ海峡が機雷封鎖されかねぬとの判断から、出撃が命じられたという訳である。


「んッ、また転針だ」


「日の出までもう間もなくか」


 川崎重工業が大型回転翼機の蒼天。喧しい羽音の響く機内に、僅かに不安げな声が漏れた。

 針路はおおよそ30度ほど変わった。英空軍の早期警戒機より刻一刻と伝達される、オマーン湾上空の制空戦闘の趨勢。それに基づいて輸送飛行隊指揮官が飛行経路を修正したのだが、降下地点がまたもや遠ざかったのではと、機動連隊の将兵はどうしても思ってしまうのだ。


「案ずるな。急がば回れという奴よ」


 剛毅な口調でそう言うは、原子爆弾奪取の功労者にして現旅団長の崔大佐。

 己が生命が他者の技量にかかっていて、ただ待つ以外何もできぬ重苦しい時間を、彼は大戦中に経験していた。まさに機動連隊の先鋒として、見つかれば即死の特殊潜航艇でテニアン島に侵入したのだ。であればそれ故の余裕を今こそ示すべきで、郷里で人気を博している水晶果キャンデーの缶を取り出し、2粒ほど口の中へと放り込む。


 そうしてニッキ香る甘味を堪能していると、またもや機体が傾いた。

 飛行経路は予定から随分と乖離していて、窓の外は未だ薄暗かったから、自分達が今どの辺りにいるのかもよく分からない。だがこうした韜晦戦術がなければ、敵戦闘機の餌食となるに違いない。ともかくあともう少しの辛抱。そう思って弱気を抑え込んだところ、待ちに待った報せが飛び込んだ。


「間もなくオマーン領空、降下まであと15分。武運長久を祈る」


「おおッ!」


 益荒男どもは揃って声を上げ、機内の空気は一気に張り詰めた。

 これより先こそが、真に危険な時間帯かもしれぬ。回転翼機とは対空機関砲や高射砲、果ては自動小銃によってすら狙われるためだ。それでも900数えれば降りて戦えるのかと思うと、全身に力が漲ってくるようだった。


「さて、いよいよ我等が機動連隊の晴れ舞台……うん?」


 窓の向こうを輝点が幾つか過ったのを、視力に優れる崔は見逃さなかった。

 子供の頃、近所にあった教会の牧師が、流れ星に願い事をすると叶うと言っていたのが思い出される。まあ当該人物は詐欺と業務上横領で捕まったと、後になって知ったりしたのだが、ここで無事を祈っても罰は当たらぬだろうと思った。


 そして実のところそれらは、流れ星よりも遥かに実際的なものだった。

 輝点の正体はといえば、翔龍という渾名で知られたる二五式空対地誘導弾。カラチより出撃した暁星艦攻が、3機の犠牲を払いながらも発射したそれらは、まさに駿号作戦を支援するためのもので……意気軒昂なる兵どもを乗せた蒼天の群れは、徐々に明けつつある空の間隙を、出し得る限りの速力で突き進んでいく。





マスカット:アル・アラム宮殿



「我等はイスラームの大義に基づき蹶起した赤誠の士なのだ。まずはそれをご理解いただきたい」


「ああ? ゴロツキ無勢が生意気抜かしやがる、一昨日来やがれ」


 かくの如きやり取りを経て、交渉はものの見事に決裂した。

 謀反の首謀者なるアフメドとやらは、一応は世界的に名の通っているはずの人質を、宣伝か何かに利用したかったようである。しかしそうは問屋が卸さない。幾つになっても喧嘩三昧の高谷代議士は、刃物や拳銃を突き付けられても眉ひとつ動かさなかったし、それどころか拘束を無理矢理破って暴れ回り、びっくり仰天のアラブ人を投げ飛ばすなりしていた。


 無論、そんなことをしている訳だから、身体のあちこちに痣だのたん瘤だのができていたりする。

 ついでに言うと、流石にひりひりと痛い。ひときわ肉付きのよい3名に取り押さえられ、あちこちを打ったりぶつけたりした結果であった。三日月刀を提げていたならば、あるいは結果も変わったかもしれないが……捕まると同時に取り上げられてしまったから、所詮は意味のない反実仮想に過ぎぬ。


「とはいえあいつら、本当に腹が立つな」


 オマーン反乱分子の非道に対し、高谷は活火山の如き憤怒を滾らせる。

 何か投擲できるものがあったら、それを壁に叩きつけていたかもしれぬ。しかし監禁されている一室には、手頃な調度品の類がさっぱりない。ついでに手足が厳重に縛られているから、まともに動くことすらままならぬ。


「齢八十の老翁を相手に、鞭打つどころか棒切れで殴ってきおった。いったいどういう教育を受けたらああなるんだ、赤誠の士が聞いて呆れる。回教では年寄は敬うもんじゃないのか?」


「ははッ、年寄ですか」


 苦笑が傍らより漏れる。


「まあ確かに、先生ももうだいぶご高齢かもしれませんが……敵の兵隊を平然と殴り始める齢八十の年寄というのは、洋の東西を問わず、だいぶ珍しいのではないかと」


「何だヒデキ、後でぶん殴っちまうぞ」


 高谷は更にいきり立ち、同じく捕縛されたままの秋元秘書を睨みつける。

 元部下のこいつは戦闘機乗りを辞めた後、アフリカの土着民族に牛の頭を売って回るような、とにかく訳の分からない商売をやっていた。そのため代議士に当選したのを機に拾ってやったのだが、少々減らず口が多くなったようである。


「まあしかし、まずこの窮地を脱せんことにはどうにもならんか」


「ええ。そろそろ空挺か何かが到着するのではないかと」


「そん時は敵の大将をとっ捕まえに行くぞ。狼狽えとるところを後ろからゴツンと一撃し、あん畜生をあべこべに縛ってやりたくて仕方がない。ヒデキ、得意の空手はまだ鈍っちゃおらんだろうな?」


「無論、一撃必殺の閃光パンチで……おや?」


 秋元が唐突に目を見張る。何やら直感的に気付いたようだった。

 そうして彼は壁へとイモ虫みたいに這いずっていき、耳を当てて様子を探り始める。どうやら部屋の外は結構な騒ぎになっているようで、アラビア語で「敵襲、敵襲」と叫びながら、兵隊どもがドタバタと走り回っているとのこと。


「おお、噂をすれば何とやらだ」


「では早速、参るとしますか」


 アラブ人の前ではしょぼくれた中年の振りをしていた秋元は、巧みな抜け縄術で拘束を解いた。

 続けて高谷も自由の身となり、恨み晴らさでおくべきかと、腕をブンブン振るって意気込む。問題は出入口の扉がやたらと頑丈で、ちょっとやそっとでは破れそうにないところだが、時間がこれを解決するだろうと考えることとした。つまりは待ち伏せをすればいいのである。


 かくして音を殺して待ち構えていたところ、見事に錠は解かれた。

 別の場所への移送を命じられたのか、あるいは撃ち殺せと言われたのか、アラブの兵隊が3人ばかりドタドタと入ってきたのだ。意気軒昂なる高谷と秋元は、左右からの巧みな連携空手技でもって、悪漢どもをたちまちのうちに捻じ伏せる。そうして彼等が所持していた刀剣やら短機関銃やらをありがたく頂戴し、また擬態のため急いで現地風の装束に身を包み……本気で首謀者を生け捕りにせんと、破天荒で無鉄砲な行動を躊躇なく開始したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る