亜細亜原爆大動乱①

松浦市:美術館



「毛唐と思しき怪しからぬ輩が、館の周辺を徘徊しておるようだ」


「美術品泥棒の類かもしれない。万が一ということもある、気を付けられたし」


 近隣住民より通報があったのは、今からおよそ数か月ほど前のことであった。

 徐福が登ったとされる不老山の西麓で、小ぢんまりした美術館を切り盛りしている坂井戸老人は、もしや自分がとんでもない逸品を、知らずのうちに持っておるのではと疑った。実のところそれくらいしか、得体の知れぬ外国人が態々やってくる理由もないと思ったためである。


 ただある日を境に、不審者の目撃情報はピタリと途絶えてしまった。

 とすれば何かの勘違いだったのだろう。収蔵品を改めて見直してみても、やはりそこまで値打ちがありそうなものはない。未だに連載中の漫画"天鷹チャン"で有名な従姉妹が送ってくる、大量の生原稿が精々といったところで、他にはちょっとした付き合いのある陸奥退役少将の蒐集品たる"東京ローズ"倒錯的同人漫画コレクションが、海外の物好きに売れそうなくらいである。


「とすればいったい……」


「おい坂井戸の爺さん、大変だ!」


 近所で葡萄の栽培などしている石松家。その三男坊の声が、玄関口より突然響く。


「広州に原爆が落ちたらしい! 世界原水爆戦が始まって、この辺りもやられるかもしれねえ!」


「な、何じゃって!?」


 坂井戸はびっくり仰天し、手に持っていた下手糞な絵画を落としてしまう。

 佐世保で働いている長男や、上京して居を構えたらしい次男。それから親類縁者などの顏が次々と脳裏に浮かび、途端に腰が抜けた。出力何メガトンという原水爆を撃ち合う戦争ともなれば、そのうちの大部分が死ぬやもしれず、また皇国三千年の歴史にも、終止符が打たれてしまうかもしれぬのだ。


「おい爺さん、大丈夫か?」


「若いの、儂に構わんでええ」


 助け起こされながら、坂井戸は掠れた声で応じる。


「それより他の者に報せてやってくれ」


「相分かった。爺さんもしっかりな」


 石松の三男坊の声は次第に遠くなり、坂井戸もまた辛うじて正気を取り戻す。

 そうして先程落とした絵画を拾いながら、どうしてこんなことにと思った。まさかその答えの一部が、従姉妹がベルリン滞在中に1マルクで落札したそれの中にあるとは、当然夢にも思うまい。





福岡:背振山麓



 不幸中の幸いと言うべきは、早期警戒に成功したことだろうか。

 射程8000キロ超の大陸間弾道弾が飛び交う戦争においては、それらを如何に迅速かつ確実に探知できるか否かが、国家国民の運命を決定すると言っても過言ではない。それ故、日本および共栄圏諸国のあちこちに、金網の化け物が如き巨大固定式アンテナが建設される運びとなり……ちょうど本稼働を始めた舟山島の電探基地が、麗江付近より発射されたA17弾道弾を、上昇が終わった直後より捉えていたのだった。


 かくして速度および方位が計算され、大変なる驚愕を伴った結果が、高射第4師団司令部へと伝達された。

 既に広州とカルカッタで大爆発が確認されていたこともあり、麾下の全部隊が厳戒態勢に入っていた。それが奏功したようで、第133連隊はただちに戦闘態勢を取る。一斉に鎌首を擡げたるは、帝国空軍が誇る二一式地対空誘導弾改――恐らくは通常に非ざる弾頭を、大気圏再突入の前に撃墜するために開発された最新兵器だ。こちらも命中精度の圧倒的不足を補うため、大威力兵器を当然のように搭載していた。


「秒速5キロメートル」


 防爆扉を潜った先の管制室。血走った目で制御用端末を凝視しつつ、遠野大尉は震えた声で零す。

 画面上の輝点としてのみ描かれている、何処か非現実的に思える目標。しかしそれは間違いなく宇宙空間を驀進し、日本本土へと向かってきているのだ。


「秒速5キロメートル、A17中距離弾道弾の落下速度……」


「大尉、よく知ってるな」


 ひたすらに重苦しい空気の中、射撃中隊を率いる篠原少佐の声が響いた。

 こちらも緊張を隠せてはいない。それでも非友好的なものでないことだけは確かで、世界の果てで孤立無援となったかの如き気分が、僅かながら緩和されたように思えた。


「あまり余計なことは考えず、訓練通りにやっていこう。今はそれが必要だ」


「はい。訓練通りやります」


 遠野は機械的に応じ、また物言わぬ機械を少し羨んだ。

 それから昼に出た唐揚げが美味かったなどと、酷く逃避気味な追憶をして、拷問のような時間をまず耐える。数十秒後、目標追尾が開始され、程なくして地下深くに鎮座したる電子計算機が動き出した。彼は素早く計器を一瞥し、算出された諸元に問題がない事を報告。すると篠原に安全装置解除を命じられたので、言われた通り発射管制用の鍵を差し込み、ぐるりと回転させる。


「射撃準備よし」


「撃ち方はじめ。一番、二番、自動発射」


 とうとう自分にお鉢が回ってきた。動くようになったダイヤルを回し、機械に任せた後、遠野は軽い眩暈を覚えた。

 しかし電子計算機はまったく冷静沈着に電探情報を食み、何時どのように交戦するかを滞りなく決定したようだった。なお、その機会は二度。いずれかに明白かつ致命的な問題があったならば、急ぎ手動での射撃に切り替えねばならないが……その必要がないと判断できた。


「撃てッ!」


 号令。実際の電子的な命令は、そのコンマ数秒前に送信されていた。

 第一射として放たれた全長15メートル超の誘導弾2発は、トン単位の固体燃料を盛大に燃焼させ、夕暮れ時の空を100G加速で駆け昇っていく。誰もが固唾を呑んで行く末を見守る中、それらは宇宙空間へと無事到達。端末画面上に記された2つの輝点は、急速にその距離を詰めていった。


 そして遠野の呟いていた速度に到達せんとしていたドイツ製弾頭と、ロケットモーターを分離して迎撃体のみとなった二一式地対空誘導弾改は、偶然にも30メートルという距離で交叉する軌道を描いてはいた。





済州島:漢拏山麓



「旅は命の洗濯なの。それに今は大変な時期だけど、こういう時こそ次の準備をしておくべきなの」


 今を時めく東亜観光社の金村取締役はこのところ、持ち前の暢気さを存分に発揮しまくっていた。

 ほぼ四半世紀ぶりに訪れた戦乱の空気も何処吹く風。あるいは出征する兵隊にも休暇と娯楽が必要だと嘯きながら、田舎の宿で陽が沈まぬうちから酒を飲みまくり、見事に色欲に溺れまくったりする。普段よりこんな具合であるから、"取締られ役"などと陰口を叩かれたりするのではあるが……何処か憎めぬ彼のトンチキ行動が、社員一同の連帯感を妙に高めていたりもいるようで、当人も多少はそれを理解している節もあるのかもしれなかった。


 ただ流石に原子爆弾で都市ふたつが壊滅したと報じられると、金村も流石に動揺を隠せなくなった。

 実際、民間放送局のアナウンサーなどは、今にも世界最終戦が勃発せんばかりの口調。それらを真に受けて自暴自棄となった連中があちこちで暴動を起こし、東京では戒厳令が議論されているとか何とか。それから創業者仲間の高木と韓が何とか電話を繋いできて、釜山の無軌道極まりない様相を事細かに伝え始めるので、明日にも世界が終焉を迎えてしまうのではないかと思えてきた。済州島の大溶岩洞窟を新たな観光資源とするというのが物見遊山の名目だったが、このままでは自分達の生まれ育った故郷や国が、本当にドロドロに溶けてしまいかねない。


「と、とにかく、僕はどうすればいいの?」


「何だとお前こいつめ、暫く済州島に身を潜めていればいいんだぞ」


 受話器の向こう側より、高木の上ずった声が響く。

 ついでに憔悴もしているようだった。慶尚南道知事が原爆疎開を言い出した関係で、避難民のための宿を確保することが必要になり……釜山で一番の旅行代理店に育った東亜観光に、思い切り白羽の矢が立っていたのだ。


「それからお前のとこの家族も、実家に避難したと連絡があったぞ」


「あッ、恩に着るの」


「何、こういう時はお互い様だ」


 高木は少しだけ偉そうに笑い、


「まあとりあえず事態が落ち着いたら、道から大金をせしめてやるぞ。ついでに疎開への協力を宣伝しまくって売上倍増だ。ケチるようなら高谷中将に言いつけてやるんだ」


「落ち着かなかったらどうするの?」


「考えたくないぞ。だがいざって時は……優雅にパイナップルしながらこの世から倍茶だ」


「もう、縁起でもないことを言うんじゃないの」


 思い切り声を荒げ、窘める。

 だが返答は返ってこなかった。また同時に部屋の照明が落ち、待合室のテレビジョンも映らなくなっていた。窓から差し込むは午後5時前の妖しき紅色で、何の変哲もないはずのそれが、途方もなく不吉に感じられもした。


「ま、まさか……」


 金村は顔面蒼白となり、全身をガクガクと震わせた。

 本当に原水爆戦争が始まってしまったのではないか。彼はそう直感せざるを得ず、脇目も振らずに哀号と泣きじゃくる。恐慌はたちまちのうちに他の客へも伝染し、空軍で通信科下士官をやっていた宿の主人が鉱石ラジオを持ち出してくるまで、混乱はまるで収まらなかった。


 なお停電の原因は、済州島上空300キロに、巨大な電磁放射線源が生じたためだった。

 二一式地対空誘導弾改が搭載したる、出力40キロトンの原子爆弾。大気がほぼ皆無の宇宙空間において、新怪力線と渾名されたる硬X線の指向性輻射によって目標を撃破するべく開発されたそれは、見事に期待されたる役割を果たした。ただその副作用として厄介な電磁パルスが発生するため、広範囲で電子機器の誤作動・故障などが起こるとされており……実際、その通りとなってしまったのである。

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