亜細亜原爆大動乱②

四川省:攀枝花市近郊



 双眸に映る星座は、恐らくは太古の時代より変わらぬ形をしていた。

 ただ慣れ親しんだ夜空とは、何かが決定的に違ってしまっている。超音速攻撃機として名高き覇龍を駆る石動少佐は、機械的に愛機を緩降下へと移行させながら、幾許かの緊張を顏に滲ませた。


 既に中華社会共和国を名乗る叛徒の領域に侵入しているが故、かような感慨を抱いた側面もあるかもしれぬ。

 とはいえそれに遥かに勝っていたのが、与えられたる任務の重大性だった。翼下に懸架したる原子弾頭の二五式空対地誘導弾でもって、雲南奥地に築かれし弾道弾基地を、確実に跡形もなく蒸発させるという内容だ。攻撃が僅かでも遅れれば、また何処かの都市が被爆するかもしれない。長崎あるいは佐世保を狙ったとみられる第一撃を、済州島上空で阻止したとの連絡が少し前にあったが……既に日本本土すら標的とされている状況なのだ。


「間もなく目標上空」


 電子戦と兵装を担当する村井大尉の声が、後部座席より響いてくる。


「対地走査の許可を乞う」


「対地走査を許可」


 航空時計をチラリと見て暗算した後、石動は淡々とした口調で応じた。

 搭載したるタキ12号5型がすぐさま作動。指向性を与えられた電磁波が地表を舐め、跳ね返ってきたそれらを信号処理装置が解析、結果を後部座席の端末に表示する。かくして生成された電子的な地図と、出撃前に渡されたそれを比較し、まず自機の正確なる位置を割り出していく。


「擾乱が大きいな……」


 端末を睨んでいるであろう村井のぼやきが、妙に空恐ろしく聞こえた。

 かの如き台詞が発せられた理由は、地図を見れば一目瞭然という他ない。実のところ攻撃目標たる弾道弾基地は、攀枝花の市街に程近いところに存在しており、幾多の建築物もまた電磁波を反射するため、容易にそれらを分離し得ないということだった。


 となれば照準がこの上なく精確だったとしても、原子弾頭の危害範囲内に大勢を巻き込むこととなるだろう。

 無論、次の発射を阻止せねばならぬ以上、それは看過すべき付帯被害と規定するしかない。第一義的に責めを負うべきは、世界崩壊を熱望する異常なドイツ人達であって、彼等の暗躍を許したという意味において、現地住民も決して無辜の存在などではない。かような合理的思考をもって感情を抑圧することが、今は何よりも必要とされていて、それでも上空で待機している僚機が些か羨ましく思えた。


「目標捕捉」


 村井が明瞭なる口調で報じ、


「二五式、何時でも発射可能」


「了解……撃てッ」


 無感情に指を動作させ、両翼より1発ずつ、恐るべき誘導弾を発射する。

 白煙を吹いて突き進んでいくそれらの飛翔経路はまったくもって正常で、それを確認した石動はただちに機首を反転させた。それから暫くの後、沈んだはずの陽を思わせる閃光が煌めく。弾頭部に仕込まれたプルトニウム球が臨界に達し、TNT爆薬10万トン分のエネルギーを解放したのだ。





東京:大本営統合部



 帝国空軍による反撃は相応に迅速で、またそれ以上に徹底的だった。

 広州での大爆発が確認されるや否や、嘉手納や台北、舟山などの航空基地にあった超音速攻撃機が次々と離陸。空中給油機の助けも借りて大陸奥地へと急行し、合計20発超の原子兵器を使用するに至った。弾道弾基地を地盤ごと穿り返し、既に穴ぼこだらけの飛行場を改めてクレーターに変えるなど、打撃の規模は凄まじく……蜀の地は少なくとも今後半世紀ほどは、秩序という言葉と無縁の世界になるのではと思われたほどだ。


 だがそれだけの戦力を投じても尚、被害局限という大目標を完全達成することは叶わなかった。

 100キロトン級の爆発を至近距離で食らいながらも、構造の堅牢さが故に残存してしまった基地より、A17弾道弾が発射されてしまったのだ。まともな照準がなされていたとは言い難い、鼬の最後っ屁が如きそれは、しかしどうしてか武漢のど真ん中に落下。爆発規模からして死者は直接的なそれだけで20万超、二次被害も含めれば倍以上と推測されるとのことで、まさに目も当てられぬ惨劇と表する他なさそうだった。

 そしてこの正気という概念が何処かへ消え失せたかのような世界の中、ものの見事に窶れ果てた感のある賀屋総理は、またもや己が耳を疑う破目になった。空軍参謀総長たる浦賀中将が、凄まじき作戦の発動許可を求めてきたのだ。


「おい、何だねこれは?」


 賀屋は声を震わせ、質す。

 机上に置かれた無味乾燥な紙面には、第二次攻撃に関する内容が記述されている。目標は成都、貴陽および昆明。都市そのものの壊滅的破壊を狙った、明確なまでに大量殺戮的なものだった。


「既に敵戦力は破壊し尽くし、脅威となり得るものは文字通り蒸発させたはずではなかったのか」


「総理、純軍事的にはその通りです」


 まさに鉄面皮と思わせる相と声色で、浦賀は即座に回答した。


「しかしながら大都市への原爆攻撃および我が帝国への原爆攻撃未遂に対する報復は、別途なされる必要があり……もって相互確証破壊の確実性を内外に示し、我が帝国および共栄圏諸国の、長期的な安全保障を確保せねばなりません。それが本作戦の趣旨であり、反乱地域の特殊性を鑑み、破壊規模を必要最小限に留めております」


「必要最小限だと……」


 紙面に記されたる数字を改めて一瞥し、


「100万にも上るやもしれぬ犠牲が、必要最小限だと言うのかね?」


「はい総理。端的に申し上げて必要なのです、100万の死が」


 まるで躊躇のない言葉。大深度地下の会議室は、不気味で病的なる静寂に包まれる。

 だが冷徹なる理性と根拠に基づき導出された結論であることを、賀屋はすぐさま思い出さざるを得なくなった。恐らくは岸内閣の頃より引き継がれ、国際環境変化に合わせて改訂されてきた陸海軍統合作戦計画。原水爆戦争が勃発した際に採られるべき軍事行動を、相手国や衝突規模などに応じて詳細に定めたそれには、疑いようもない自身の署名捺印があったのだ。


 しかも現在進行形の事象に類する想定は、文書の中に当然の如く存在していた。

 すなわち米英独伊ソのいずれかが同盟国あるいは傀儡国に大量破壊兵器を供与し、帝国もしくは共栄圏加盟国への攻撃を誘導せしめた場合。特に大都市を標的とした破壊的なそれが実施され、甚大なる被害が生じた場合には、ただちに同水準以上の報復を行うべしとされていた。黒幕への対応については状況に応じて判断すべしとしつつも、下手人に対しては一切の容赦があってはならない。当該のページに記された内容を引用しつつ、浦賀は淡々と続ける。


「ともかくも総理、ここで報復を躊躇われますと、我が帝国の存立に関する重大な危機を招きます。また何処かを傀儡に仕立て上げ、原水爆を渡して使用させればいいと、ドイツ人やアメリカ人が当然のように考えかねないのです。そうなれば次は1000万の犠牲が生じるかもしれません。かような未来を回避し1000万を救済するためにも、原水爆戦争の走狗となることが如何なる結果を招くかを万国民に知らしめるためにも、今ここで徹底的かつ容赦のない対応を選択いただかなければなりません」


「総理、ご決断を」


 それまで黙していた陸軍参謀総長の中村大将が、厳かに追い打ちをかけてくる。


「大変心苦しいところではございますが、もはや議論の余地はありますまい。真犯人が異常思想のドイツ人としても、彼等を迎え入れての反乱であった以上、四川や雲南の住民も懲罰を受けるべきでありましょう」


「うむッ……」


 猛烈なる眩暈と腹痛を覚え、賀屋は呻く。

 日政会と連立与党が経済問題でごたつく中、これが人生最後の御奉公と、半ば無理を押して引き受けた首相職。それが戦時宰相というど貧乏籤で、しかも苛烈極まりない原水爆戦争を指導せねばならなくなるとは、まるで夢にも思わなかった。


 だが弱音など吐いたところで、どうかした現実が改善されたりはしない。

 それに感情的に受け付け難いという以外に、報復を遂行せぬ理由は見つけられなかった。であれば殺戮者の汚名を被ってでもやるしかないのだろう。加えて機を見計らっていたかの如く、英国が"極東における独自作戦行動"を示唆してきた旨が椎名外相より報告され、もはや腹を括る他ないと賀屋は断じた。


「分かった。第二次攻撃を許可する」


「総理、ありがとうございます」


 今にも泣き出しそうな表情を一瞬浮かべた後、浦賀は連絡員を走らせる。

 かくして対馬近傍で空中哨戒任務に当たっていた富嶽改に指令が飛び、うち3機が西南西へと針路を取った。目標へと投下すべき爆弾の出力は、すべて最小設定の200キロトン。少なくとも100万の死はほぼ確定した未来となり、それが将来に与える影響を正確に把握することのできる者は、当然誰ひとりとしていなかった。

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