亜細亜原爆大動乱③

キルクーク近郊:市街地



 幾らか前までこの辺り一帯は、民族紛争の最前線と呼ぶべき場所であった。

 それが瞬く間に消沈し、アラブ人武装勢力とクルド人過激派の間に一応の停戦状態が生まれたのは、共通の敵が生まれたが故である。ただ旗色はどちらにとっても思わしくなかった。というのもアラブ国家社会主義を標榜するフサイン政権とその庇護者たるドイツ中東軍というのは、冷酷さにかけては右に出る者がないような連中で、キルクークが大陸欧州にとって最大の化石燃料供給源のひとつとなっていることから、ちょっとでも紛争が起きるとすぐに神経化学兵器をばら撒くのだ。


 加えて何より大きな問題は、恐怖のみを用いたような残虐統治が有効に機能していると思えるところだろうか。

 例えば共和国親衛隊が組織的な殺戮行為をすればするほど、彼等は覇者の風格を手にしてしまうのだ。聞くだに眉を顰めるような、大変にろくでもない形態の寄らば大樹と言う他ない。とはいえ現状のイラクにおいては、率先して暴威に服従でもせねばたちまち大勢が生存困難となってしまうし……民衆というものは古今東西を問わず、かような手法でもって生き延びてきたという側面があるのかもしれなかった。

 そしてそんな事情が故、土着の回教系組織は何処も弱体化しつつあった。特にここ最近はサウジアラビアとの戦争の影響で、締め付けが余計に強まってきていて、まさに窒息寸前といった具合だった。


「ともかくこのままじゃ二進も三進もいかねえ」


 古びたモスクの地下に、顎髭を蓄えた族長の声が木霊する。

 酷く酔っ払ったような口調だった。宗教上の禁忌たるアルコールを摂取している訳では当然ないが、彼は始終こんな調子であるようで、話す内容も態度なりであった。


「今こそ行動に出なきゃならねえ。ここが俺等の土地で、キルクークの石油は信仰に篤い我等にアッラーが賜うた恵みであると、忌々しい異教徒どもに教えてやらにゃならねえ。そのためには団結が何より重要で、まずは獅子身中の虫を除かねばならねえ」


「それ何度目だか分からないんだが」


 横槍が例によって入り、


「ついでに具体的にどうすんだ? またガスを撒かれたらたまんねえんだが」


「恐怖には恐怖をぶつけんだよ」


 族長は自信満々に断じた。

 それからなかなか珍しく、具体的な内容について語り始めた。フサイン政権やドイツ軍には神経化学兵器があるかもしれないが、地域に根差した自分達には地の利がある。ならば原油をせっせと欧州へと売り渡し、僅かばかりの喜捨すら拒むような不信心者どもの係累を調べ上げ、徹底的に震え上がらせてやればいいと言い放つ。


 するとそれが呼び水となって、議論が一気に熱を帯び始めた。

 親族を恫喝するで留まるより、むしろその妻子を強姦して悔い改めさせ、"聖戦遂行の手駒"としてはどうかという案も出る。つまるところは爆薬を持たせて遠隔起爆するという内容のようで、流石に眉を顰める者もいた。とはいえどちらかというと賛同の方が優勢。しかもその動機は若いのの下半身に直結し過ぎているようで、彼等は聖典を引用して熱心に理屈を作り出す。


「つまりそういった訳で……うん?」


 地上より喧しい限りの警報が響いてきて、誰も彼も騒然となる。


「何だ、いいとこだったのにうるせえな」


「ああ、また空襲警報だ。気にするこたァねえ」


 族長は切って捨て、


「実際、毎度毎度空騒ぎに終わってる。政府が俺等を怯えさせようとしてるに違いねえし、だいたいここは地下なんだからな、本当に空襲があっても狼狽える必要はねえ」


「なるほど。流石ですぜ」


 若いのの1人がおべんちゃらを口にし、それでもって場が鎮まる。

 ただ今回ばかりは、決定的なまでに事情が違っていた。キルクーク全域に警報が発せられた時には既に、英空軍のヴァンガード爆撃機が超音速低空侵入を果たしていたのだ。しかもその胴内に格納されていたのは、油田地帯を破壊させることだけを目的として開発された究極の強化型原子爆弾で……間もなく爆心から半径5キロほどが瓦礫の山に変わった上、まるで手の施しようのない油田火災まで発生した。


 なおこの攻撃は事実上、カルカッタ壊滅に対する報復として位置づけられていた。

 つまりはドイツの"反乱部隊"によって植民地の経済中枢が吹き飛ばされたから、ちょうど交戦中だった国家社会主義イラクの戦略資源生産に壊滅的打撃を見舞ったという構図である。帝国や勢力圏の頂点に君臨する列強諸国にしか納得し得る要素のない理論と評する他なく、先程まで地下で論を巡らせていた信心深き者達が事実関係を把握したら、この世のすべてを呪ったかもしれない。とはいえ爆発の余波で築150年のモスクはガラガラと倒壊し、彼等は揃って生き埋めになってしまっていた。





シンガポール:チャンギ国際空港



 普段は政財界の大物が屯している特別待合室は、これまた酷く殺伐としてしていた。

 アジアとアフリカで相当に大きな戦争が勃発した上、いきなり原子爆弾が炸裂し始めたりしたが故である。しかも10年ほど前の軌道事故を契機とする米独衝突と違い、大都市が幾つも蒸発したりするような展開となっているから、国際自由市を舞台とした通商交渉を優雅に繰り広げる余裕すら消失してしまったのだ。


 そんな中、高谷代議士は部屋の片隅にて、心底不味そうな面持ちでコーヒーなど飲んでいた。

 もちろん、豆の質がよろしくないという訳ではない。むしろスマトラだかボルネオだかの、特徴的過ぎる製法の最高級品だそうである。だがそれ以上の世の中は滅茶苦茶になっており、陰惨なニュースばかりがテレビジョンから流れてくるので、あからさまなまでに気が滅入ってしまっているのだ。


 何しろ彼は、


「原水爆をお互い持っていて決着がつけられんなら、最後は政治家同士が殴り合って決めればいい」


「野蛮だのバンカラだの言うがな、都市を焼き合う戦争の方が遥かに野蛮じゃないか」


 などと無茶苦茶な台詞を、予算委員会において臆面もなく口にする迷物議員である。

 しかも二度も飛行甲板上での決闘をやってのけるという、出鱈目という他ない伝説まで持ち合わせている。今シンガポールで足止めを食らっているのも、議員外交中のオマーンで内乱が勃発し、何故かその首謀者の身柄を拘束したりしたためだ。そのため齢八十を過ぎても尚、物事は直接的なる腕力によってこそ円満解決できると確信している節があるようで……故にこのところのバンカラではどうにもできぬ状況に、言語に絶するほどの無力感を覚えているのだった。


 実際、原水爆を落として民草を鏖殺するようなやり方は、相身互いなる武人同士の真剣勝負とは何もかも違う。

 少なくとも先の大戦においては、血も涙もない大量殺戮合戦がアジアへと波及するのを、乾坤一擲の義烈両作戦でもって食い止めたはずだった。しかし既に盛んに報じられている通り、本来ならば共栄圏の一角であった成都や昆明に対して、帝国空軍は水素爆弾を使用している。報復攻撃の必要性に関する理屈は分かったとしても、感情としてはまったく受け入れ難く、何よりそんな時代が訪れてしまったことが残念でならなかった。


「なお専門家によりますと、キルクークの大油田火災は数年にわたって続く可能性があるとのことで……」


「ああ、何もかんもわやくちゃだ」


 NHKの解説員が淡々と口にする内容に、高谷も思わず独りごつ。

 鞄持ちの秋元秘書も今は厠にいっているので、返答がなされるはずはない。少なくともそのはずだったが、どうしてか「まったくです」と、英語で同意が表明された。


「童の爆竹遊びも同然に原子の火を弄ぶことが、いったい何を齎すか、ドイツ人にはもう少し理解させる必要があるとして……流石にそろそろ火消しにも動かねばなりますまい」


「誰かと思えば、フクロウ殿のお出ましか」


 忍者めいて登場した人物に、幾分の期待を滲ませながら高谷は応じる。

 秘匿名称で呼んだ相手はもちろん、かつて文字通りに鍔迫り合いをやったリンチ退役大佐。表向きは戦死扱いらしい彼は、現在も大英帝国を縁の下で支える1人として活躍しているようで……ならば手ぶらで挨拶しに来るはずもない。彼はスイッチをバチンと入れ、得物の三日月刀めいて眼光を研ぎ澄ませる


「事態が事態だ、単刀直入にいこう。いったい何を企んでおるのだ?」


「つい先程、これから起こるであろう重大事故に関する情報を、日本政府に提供してきましてね」


 なかなか意味深長なことをリンチは口にし、


「また事態を収拾するための国際ショーをジュネーブで開催するから、帰国がてら役者を集めてこいと命じられました。如何なる内容かはまだ秘密で、随分トンチキな代物になりそうですが……このような状況では、案外それが効くとのこと」


「よく分からんが面白そうだ」


 自分がその主役であることを露も疑わず、高谷は拳をポキポキ鳴らす。


「率直に言って、ドイツのやり口には俺も業腹だ。もう少ししばいてやらにゃならんと思っておるし、何だって昔はあんなんと組んで戦っておったのかと思えてもくる。だがまあ所詮、今更何を言ってもどうにもならんし、共倒れになる展開だけは是が非でも食い止めにゃならんはずだ」


「ええ。自分も概ねそう考え、行動する心算です」


 リンチはそう言い、少しばかり人間的に笑む。


「最近、自分にも孫ができましてね。諸般の事情が絡む故、未だ抱き上げられてはいませんが」


「うむ、孫はいいよな。うちの家系は先祖代々短絡的な脳味噌をしておるからか、俺には既に曾孫が満洲におったりするくらいで……まあいい、お互い祖国のためにも可愛い孫曾孫のためにも、やれることは何だってやってやろうじゃないか」


「なお日本政府の承諾は既に取ってあり、次の便は15分後に出発予定です」


「おう、大変に手際がいい。ともかくも善は急げだ」


 高谷は大いに意気込み、厠から戻ってきた秋元に40秒で支度しろと命じた。

 そうして滑走路の端に停まっていたスカンジナビア航空のコンベア旅客機まで、年齢をまるで感じさせぬ弾丸マラソンをやってのけ、空きのあったファーストクラス席に滑り込む。曲がりなりにも一国の代議士たる者が、これほどの出たとこ勝負でいいのかと思えてくるやもしれないが、まあ何事も場合によりけりというものだ。

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