亜細亜原爆大動乱④

ダンツィヒ湾:ゴーデンハーフェン沖



「英国より輸出されたる戦艦が到着」


 かつてそう題された一面記事が、ベルリンやハンブルクの市民を沸かせたことがあった。

 実のところこれは第二次大戦終盤のもので、またブラックジョークの類に違いない。つまりは1945年8月のトロムセ沖海戦において航行不能に陥った戦艦『アンソン』が、そのままドイツ海軍に鹵獲されてキールにまで運ばれてきたのを、底意地の悪い記者がそう表現したという訳だった。


 なおこの不運なる艨艟は、装甲艦『ヴァレンシュタイン』と名を変えてではあるが、未だ現役であり続けている。

 援ソ船団を幾つも撃滅した功でヒトラー総統を破顔せしめたドイツ海軍水上艦隊であったが、流石に停戦が発効して暫くすると、極度の予算不足に呻吟するようになった。元々三軍の優先順位で言えば、陸空の方が圧倒的に上である。加えて次世代の海の女王たる原子力潜水艦の整備もあった関係で、新戦艦の建造など認められるはずもなく……棚からぼた餅的に入手したキングジョージ5世級を、返還要求を断固として蹴り続けながら、後生大事に使い潰しているのだった。

 そうして原子砲弾や水爆弾頭の弾道弾を多数搭載した彼女は、幾らかの随伴艦と多数の大型輸送艦とともに、かつてグディニャと呼ばれていた港湾の沖で、堂々と観艦式もどきをやっていた。その目的が対英恫喝にあることは明白で、つまりいざとなったら、生まれ故郷に攻め入る作戦の魁となるのだろう。


「故、かくも恥辱に塗れたる『アンソン』の生涯を、ここで終わらせてやらねばならぬ」


 潜望鏡より艦影を認めた英国海軍のオーウェン少佐は、まったく悲痛なる声色で告げた。

 彼とその部下が搭乗しているのは、トラザメを意味する符牒で呼ばれたる小型潜水艇。ソ連の白海運河を経由して運び込まれ、レニングラード近郊の秘密基地を拠点に活動しているうちの1隻だ。ドイツ人の注意が主に北海や大西洋を向いていて、バルト海の警備が予想以上に手薄となっているのをいいことに、普段はポーランドやリトアニアの抵抗組織に武器弾薬その他を提供していたりしたのだが……地球上のすべてが破滅に向かって行進しているかの如き今、本来的なる任務に就くこととなったのだ。


「栄えある王立海軍の主力の1隻として生を受けたはずの戦艦に、我等が手によって引導を渡さざるを得ぬのは、まことに忍び難い限り。しかし悪逆非道の者どもの傀儡となりし彼女にかけられる憐憫があるとすれば……」


「艇長、雷撃準備完了いたしました」


 特別の訓練を受けたる兵装士官のワット大尉が、朗々たる長広舌を中断させる。


「何時でも撃てます。というより、早く撃ってずらがっちまいましょう」


「うむ」


 オーウェンは少しばかり眉を顰め、しかしすぐ思考を切り替える。

 言葉を行動へと移す時がやってきたのだ。艇の上部に搭載したる特殊魚雷の方位、雷速を急ぎ設定。後者は4ノットと酷く遅い値となるが、これは弾頭の特殊性――つまるところは出力10キロトンの原子爆弾であるが故だった。


「よし、発射ッ」


 命令。特殊魚雷が自動遊泳を始めると同時に、少しばかりの安堵が滲む。

 発見され進退窮まった場合、証拠隠滅も兼ねて自爆する手筈となっていたがためだろうか。とはいえまだまだ油断はできぬ。ぐずぐずしていては水中衝撃波によって木っ端微塵となりかねないし、潜水艇の存在あるいはその残骸が露見しても祖国の不利益となるから、安全圏まで迅速かつ隠密に逃げ遂せなければならぬのだ。


「しかし……果たしてこれでよかったのやら」


 反転離脱から暫くの後。オーウェンは唐突に弱気を覚え、呟いた。


「どう言い繕うと、我等が放ったのは原子魚雷。これが忌まわしき今次動乱を、黙示録的なる第三次世界大戦へと変えてしまわねばよいが」


「我々の攻撃は事故になりますよ、多分ですが」


「うん? 如何なる意味だ、それは?」


「じきに分かるかと」


 ワットの不可解に暢気な声が、狭い艇内に反響した。

 その意図するところは判然としないが、自分にも明かせぬ何らかの事情があるのだろう。オーウェンは余計なところに思考を向けるのを止め、腕時計を一瞥する。どうあっても十数分後には、すべてが動き出してしまうのだ。





オデッサ近郊:農村地帯



「中隊長殿、農奴村第9地区で妙な揉め方が起きている模様です」


 この地に着任して間もないラーケ少尉の声が、まったく生真面目な音吐で発せられた。

 部屋の主としてそれまで喫煙を楽しんでいたペダーセン大尉は、あからさまにうんざりした表情を浮かべる。しかも一回りほど若い部下が、心底嫌そうに紫煙に咳き込むので、不機嫌の度合いは余計に増大した。武装親衛隊ノルトラント師団における数少ない楽しみのひとつが煙草で、党の方針がどうだの健康が云々だのと言われたらたまらない。


「少尉、学校での成績はそれなりだったのかもしれんがな」


 ペターセンはようやく煙草を置き、


「あんまり熱心にやっても仕方ないぞ。特に劣等民族の農奴どものことはな。あいつらは10歳までしか教育を受けておらんから、とんでもない迷信を信じておったりするし、始終つまらんことで揉める。それで具体的には何だ?」


「肉です」


「は?」


「農奴どもの中に出所不明のソーセージ缶詰を手に入れた連中がおり、それを巡って暴力沙汰が起きているとのこと」


 忠告をまるで無視し、ラーテは大変真剣な声で続ける。


「直接的な証拠とは言えないかもしれませんが、これは共産主義者の跳梁を意味しているのではないでしょうか? 特に3日前のキルクーク原爆攻撃以来、東部戦線は一触即発の状態が続いております。とすれば有事の際の後方攪乱を狙った工作員がこの辺りに浸透、その一環として缶詰を配布したとすれば辻褄が合います」


「少尉、考え過ぎだ」


 溜息交じりにペターセンは断じた。

 既存文化資本の徹底破壊と語彙数を徹頭徹尾減少させるフォークト式言語政策、一定年齢以上の人口への特殊薬物投与に思春期青少年の親元からの隔離、多種多様なロボトミー手術。こうした諸々の施策が奏功し、実のところ東方領の問題はここ10年ほどで沈静化しつつあった。共産主義工作員の侵入は今も続いているらしいが、プロパガンダをそもそも住民が理解できなくなっているのだ。


「加えてソーセージ缶詰ってのも恐らく、戦時中の食糧庫か何かを掘り当てたんだろう。備蓄しておった露助どもが悉く戦死するか捕虜になったかして、何処に埋めたか分からなくなったものが、後でひょっこり出てくる。たまにある話だ」


「そんなものなのでしょうか?」


「ほぼ間違いねえ。ともかく、つまらんことで余計な仕事を増やすな」


 ペターセンはそう言って若き部下を退出させ、再び煙草を燻らせ始める。

 それから少しだけ、警邏の人数と頻度を増やすべきかと思い……億劫なのでやめにした。あるいは原子爆弾があちこちで炸裂したせいで、皆が一斉におかしくなっているのかもしれないが、これもあと数日で落ち着くだろう。面倒臭がりが故にかの如く考えた彼は、足許で進行中の事態にまるで気付くことができなかった。





リンツ近郊:ヒトラポリス



「もう1発だ! 目標に向けてもう1発、確実に撃たねばならぬ!」


「これは全アーリア人種の運命を決定的に左右する攻撃なのだ、これ以上の遅滞はまかりならぬ!」


 独墺国境の街に建設された城塞。その最上階の一室に、独特過ぎる世界観に彩られた怒号が木霊する。

 声の主は無論、初代総統にして現国父のヒトラーである。人生最大の汚点たる絵画を焼却するという、この上なく個人的な理由から日本本土への原爆攻撃を指令し……見事なくらいに私情を公憤にすり替えてしまった彼は、露ほどの疑念もなく第二撃を主張し続けていた。


 もっとも世界は今、完全にヒトラポリスから孤立してしまっていた。

 想定外の事態に仰天したハイドリヒ総統の命により、外部へと通じる回線のすべてが遮断されたのだ。加えて城外には急遽動かされた武装親衛隊の1個連隊が演習名目で展開し、また上空には大型徹甲爆弾を搭載したJu390が旋回してすらいる。いざとなったら強制的に身柄を拘束、あるいは物理的に消滅させる構えであることは言うまでもない。

 そして半ば介護役なバウアー国父副官は、およそ70時間にわたって、しょうもない弥縫策を採り続けていた。つまりはヒトラー個人に忠誠を誓っているはずの護衛隊員と口裏を合わせ、出鱈目な報告をしまくっていたのである。


「国父殿下、もう間もなくです」


 だらだらと冷や汗をかきながら、バウアー思い付きを口にする。


「現在、原子力潜水艦U-8492が北極海を航行中で、同艦は間もなく目標に向け弾道弾を発射いたします」


「遅いッ!」


 ヒトラーは癇癪を起こし、獣が如く咆哮する。

 それから何かが破壊される音が響いてきた。年齢が故に回らなくなってきた舌を補うための専用鍵盤が、何度目だか分からぬが、木っ端微塵に破壊されたのだ。


「第一撃が阻止されたのはすなわち、奴等が原爆弾頭の迎撃弾を用いたからに他ならぬ。であれば電磁波障害で防空網も麻痺するであろうが、既に立ち直ってしまっている可能性が高い。何という体たらくだ」


「国父殿下、ご安心ください。十分な時間を空けて、同艦は弾道弾2発を発射いたします」


「ううむ、本当だろうな?」


「間違いございません。それから国父殿下、もう間もなく観艦式の生中継が始まります。英帝国主義者を震撼させるであろう我等が海軍の英姿を、まずはご覧いただけないでしょうか?」


「なるほど、面白い。点けたまえ」


 ヒトラーは幾らか機嫌を直し、バウアーはこれでもう何時間か稼げたと思いつつ従う。

 かくして居室の大型テレビジョンが起動し、ダンツィヒ湾の様子が総天然色で飛び込んできた。既に装甲師団を分乗させたらしい大型輸送艦の群れを、現代的な風貌の重巡洋艦や装甲艦が取り囲む。いざとなればこの艦隊がデンマーク半島沖を哨戒中の対潜機動部隊と合流し、ブリテン島に橋頭保を築くはずだった。


 ただ惜しむらくは、昔ながらの砲塔を備えた雄々しき艦が、1隻くらいしか見当たらぬことだろうか。

 しかもその例外なる装甲艦『ヴァレンシュタイン』は、元々は英国海軍の戦艦に他ならない。とはいえ考えようによっては、実に諧謔的なる光景なのかもしれぬと、少なくとも傍らの耄碌英雄は解釈したようだった。それには納得できたバウアーは、ちょうどカメラが切り替わって画面いっぱいに映された艦影を注視し……大異変を目の当たりにした。


「え、ええッ!?」


 口許より漏れるは、言葉にならぬ呻きのみ。

 一瞬の強烈なる閃光。巨大なる火の玉と化した装甲艦『ヴァレンシュタイン』は、たちまち濛々たる白雲に包まれ……直後、生中継は強制的かつ原子物理的に中断された。

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