亜細亜原爆大動乱⑤

バルト海:ゴトランド島南方沖



 どんよりとした空を征く双発輸送機の両翼には、青地に3つの金冠の標章が描かれていた。

 言うまでもなく、スウェーデン空軍の所属である。同機はゴトランド島を離陸して南に針路を取り始めたところで、たちまち鉄十字の超音速ジェット戦闘機によって取り囲まれたが、臆することなく飛行を続けていた。


 それが科学調査を目的としたものであることは、24時間前に通達してあった。

 また半ば有名無実化しているとはいえ、独瑞中間線を越える経路をではなかった。故に危害射撃など加えられる謂れはない。ダンツィヒ湾で突然原子爆弾が炸裂した関係で、搭載機材や人員が急遽変更されたりはしたが……その判断を崩す必要はないだろうと、機長のオルソン少佐は考える。


「しかし奴さん等、殺気立ちまくりだな」


「正直、寿命が何年分か縮みそうっすね」


 副操縦士のリンドベリ中尉が、引き攣った面持ちで応じる。

 それを掻き消さんばかりにがなり立てるは、レーダー照射の警報音。生殺与奪の権は、真後ろについたMe810のパイロットに握られていて、自分達の寿命はいきなり零になるかもしれない。


「とはいえ、どうやらこいつは世界平和任務らしい」


 オルソンは歯の浮くような単語を口にし、


「教授ドノ、まだかかりますか?」


「し、進捗率93%……あと数分で完了じゃ」


 インターコム越しに、知的だが飛行機酔い気味な声が響いてくる。

 ストックホルム大学よりすっ飛んできた何とかいう教授。原子力分野の有名人物だという彼は、核分裂反応によって放出された放射性物質を集塵装置で集め、分析室へと持ち帰らんとしているのだ。


 また一連の作業は、実際に世界の命運を左右するかもしれない。

 これまでに地球上で発生した核爆発のデータと比較することで、観艦式を丸ごと蒸発させた原子爆弾の製造元が、少なくとも判明するとのこと。さすれば何処の国の責任なのか、攻撃なのか事故なのかが、おおよそ予想できるという訳である。そうして曲がりなりにも中立を保っているスウェーデンが分析結果を公表することで、一触即発の緊張状態を幾らか緩和し……列強間の原水爆戦争の巻き添えで祖国が消滅させられる展開を、どうにか防ぐという寸法だった。


「上手くやれれば、ノーベル平和賞ものの功績っすかね」


 再び警報がコクピットに満ちる中、リンドベリが呟く。


「まあノーベル平和賞自体、過去のものになっちまいましたけど」


「やがて何時かは、復活するかもしれんさ」


 オルソンは希望的観測を述べ、尚も操縦と世界平和任務を継続する。

 そうして数分ほどの後、放射性物質の収集は完了。帰投する旨を宣言し、ゴトランド島へと引き返す。殺意に満ち溢れたるドイツ空軍の戦闘機も、流石に領空までは追跡してこなかった。





ベルリン:総統大本営



 地下88メートルに設けられたる大指揮所は、カタコンベもかくやと思えるほどの陰鬱さに満ちていた。

 ダンツィヒ湾の惨事が、予想以上の規模になると伝えられ始めたからだ。直接的な被害だけを数えても、爆心となった装甲艦『ヴァレンシュタイン』を初めとする9隻が沈没あるいは大破。また大型輸送艦に武装親衛隊装甲師団の将兵が乗り組み、遮蔽物に乏しい甲板でちょうど儀仗などやっていたものだから、そちらの死傷率も5割を上回る見込みとだという。


 しかも甚大なる被害は、ゴーデンハーフェン市街にまで及んでいるとのこと。

 未だ住民疎開命令が機能していたが故、大勢が揃って巻き込まれるといった事態は回避できはした。それでもIG・ファルベンの臨海型重化学複合施設が津波の直撃を受けて壊滅し、更にはドック入りしていた原子力航空母艦『ティルピッツ』が冷却材喪失事故を起こす騒ぎとなった。結果、沿岸部には夥しい量の有毒ガスと放射性物質が充満し、救援に向かった消防警察や軍部隊に健康被害が続出するなど、とにもかくにも無茶苦茶なことになっているのだ。


 そして大陸欧州の頂点たるハイドリヒ総統は、些か情緒不安定気味となっていた。

 反体制派の処分とアジアへの経済打撃を両立させた、最高に上手く進む以外なかったはずの計略。それがとんでもない方向からの横槍によって瓦解し、日英の予想以上に強烈な反応を引き出してしまったが故だった。また如何なる場合も原水爆の自動使用を厳禁とする内容の総統命令を発したのと並行して、外相に手打ちの道を模索させていたところ……今回の大惨事が襲ってきた訳である。となると第三次世界大戦に発展しなかったことくらいしか、幸いと呼べるものがなさそうな状況だった。


「それで」


 ハイドリヒは強烈なまでの眩暈と頭痛を覚えながら、覚束ない面持ちで質す。


「君は本気で、この何万という同胞の喪われたる惨劇が、不幸な事故の類だとでも言う心算なのかね?」


「総統閣下、自分はあくまで事実のみを述べております」


 マルシャル科学大臣は冷や汗を垂らし、しかし冷静さを保った声で続ける。


「とはいえ爆心地付近で採取された残留物を分析した結果から、プルトニウムがクリュンメル原子炉施設で製造されたものであることは……もはや疑いようがありません。スウェーデン科学チームの発表した特性と、ほぼ完全に一致しております」


「そんな馬鹿な話があるはずがなかろう」


「偽装工作にまんまと引っ掛かったのではないのか?」


 ガツンと机を叩く音響とともに、高官達の激昂が幾つも炸裂する。

 これは英国もしくは日本による攻撃だと、出席者のほぼ全員が確信を抱いていた。特に前者は爆発が報じられるや否や関与を否定し、"不幸な事故"に対する見舞い電を、原子力兵器の管理体制が云々という特大の嫌味と一緒に送りつけてきたくらいだった。それ故に怪しさで言ったら満点で……スパイだの共産主義者の陰謀だのといった罵詈雑言まで、公然とまろび出るほどだった。


 とはいえマルシャルは尚も科学的なる弁明を根気強く続け、事態の如何ともし難さが次第に受容され始める。

 特にプルトニウムがドイツ製であることは、誤魔化しようのない事実と判断する他なさそうだった。とすると次なる問題は、何処の誰がそれを爆発させたかという部分で……真っ先に挙がったのが、1962年の米独衝突の際に使用した原子魚雷などが不発のまま回収された、あるいは撃沈された海軍艦艇の搭載兵器が隠密裏に引き揚げられたという可能性。しかしダンツィヒ湾で爆死した前任者に代わって海軍総司令官に就任したリュート上級大将によると、当該海域については厳重な監視態勢を敷いており、万が一にも流出はあり得ないとのことだった。


(とすると、まさか奴等が……?)


 喧々囂々の会議室にて、ハイドリヒは一抹の不安を覚える。

 アジアの片田舎へと追放し、既に地上から蒸発したはずのローゼンベルク派。世界原水爆戦争によってこそゲルマン民族の地球支配が完成するという終末的教義を、心の底から信じ込んでいる狂信者どもの残党が、惨劇の中心たる『ヴァレンシュタイン』にどうしてか潜伏しており……全面衝突を引き起こすべく、同艦に搭載されたる原子爆弾を起動したのではなかろうか。率直に言って突拍子もない可能性は、しかし彼の頭の中で急速に現実味を帯び始め、深刻なる疑心暗鬼へと変わっていった。


「リュート上級大将。我々のプルトニウムが外国などに流出した可能性は、本当にないのだな?」


「はい、総統閣下。間違いありません」


「念のため尋ねるが、ミュラー元帥、空軍にも同様の問題はないな?」


「はい、総統閣下。絶対にあり得ません」


 ナチ式敬礼とともに返されたのは、一切の疑念のなき言葉。

 それらに深く肯いた後、出席者の顔色を素早く見渡す。指導者への忠誠を疑われるような態度を見せる者は、当然ながら1人としていなかったが……もしかするとこの中にも、危険極まりない一派に密かな繋がりを持っている者がいるやもしれぬ。また前総統肝入りの"運命"計画と劣悪遺伝子論争に端を発するナチ党内の政治的大動乱は、未だ完全鎮火し得た訳ではないから、何かの拍子にこちらが寝首を掻いてくるやもしれなかった。


「であれば……」


 今は矛を収める方向に舵を切るべし。信じ難いという気分を抑制し、ハイドリヒは何とか決断した。

 日英などとの関係改善の芽は最初からないとしても、ダンツィヒ湾の事件については調査団の受け入れくらいはやってもいいかもしれない。ともかくも対外関係を最低限安定化させた上で、この件を契機として党内および国防軍、親衛隊の膿を出し切り、より強固な権力基盤を確立せねばならぬと考える。酷く面倒なことをしてくれたヒトラポリスの主は、何でも観艦式が爆発したところで癇癪を起こし、その拍子に滑って転んで現在意識不明とのことだったから、その意味でも都合が良いかもしれない。


「なおその意味では」


 外相のヘルマンは唐突に付け加え、


「ジュネーブで奇妙な動きがあるようです」


「ほう」


 ハイドリヒは驚嘆の声を上げ、詳細について尋ねる。

 少なくとも利用できるものはすべて利用し、偉大なるドイツ帝国に巣食うとんでもない不穏分子と裏切り者どもを、徹頭徹尾排除していかねばならぬ。そうした表現がなされるべき人間が、実際どれほどいるのかはかなり怪しいところだが……ともかくも彼の意思決定により、原水爆の投げ合いに発展しそうな大動乱は、何とか終息しそうな雰囲気となり始める。

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