驚天動地! 寿府国際武闘大会

ジュネーブ:万国宮殿



「スポーツに政治を持ち込むべからず」


 この大原則が跡形もなく、綺麗さっぱり崩れ去った現実が、威風堂々と広がっていた。

 結局のところ、何もかもが政治的になり過ぎたのだ。何しろ地域サッカー大会の開会式において、先の大戦の犠牲者を忍ぶと称した国際共産主義に対する大批難演説がなされたり、国威発揚のため当たり前のように選手の肉体を改造し、凄まじい短命化と引き換えに新記録を作っていたりするくらいである。それらを引き合わせての試合など催そうものなら、たちまち殺し合いになること請け合いで……実際そういう例まであるから手に負えなかった。


 もちろんこうした状況を改善、少なくとも弥縫せんとする者が、死に絶えてしまったという訳では決してない。

 とはいえ原子爆弾やら神経化学兵器やらが定期的に使用されたり、東方領における"医学実験"の功績でメンゲレ博士にノーベル生理学・医学賞が授与されそうになったりする世の中だ。彼等の努力が結実しているかと問われたならば、限りなく怪しいと回答するしかなさそうだった。実際、新聞の一面にさらりと目を通しただけでも、


「国交回復交渉の場にて乱闘。米ピットマン上院議員、ニューヨークの仇と絶叫しナチ外相に吶喊」


「独ソ協議、決裂と同時に銃撃戦へと発展。死者7名を出し"両軍"撤退」


 といった極まりなく剣呑なニュースが、日常茶飯事とばかりに、紙面の端に小ぢんまりと掲載されていたりする。

 そんなところで崇高なる理念やらスポーツマンシップやらを説いたところで、サハラ砂漠に延々と水を撒くような所業であろう。加えて既存の権威というのは、新参の思想勢力が有していないものの代表であるから……この喩えで言うならば、砂丘が化け物に変化して行商隊列を襲撃するが如き側面すらあった。


 そしてこんな末法めいた世界の旧中心地に、


「出てこいヒトラー、ハイドリヒ!」


「ボタンを押すだけの戦争なんざ下らねえ、てめえの拳で勝負しろ!」


 などと公衆の面前で絶叫する、齢80越えのどうかした老翁の姿があった。

 ダンツィヒ湾での事故分を含めて原子爆弾が40発近く炸裂し、直接の死者だけで推定200万人超という状況でこれである。まったく滑稽極まりないというか、脳味噌が理解を拒絶するような光景という他ない。無論のこと、未だ衰えを知らぬバンカラ声を発揮しまくる当人も、間違いなくそう思っている訳だった。



「なあおい、いったい何なのだよこれは?」


 カメラ越しに一方的な宣戦布告をやり、報道陣を変な具合に沸かせ終えた高谷代議士は、適当に散歩などしながらぼやいた。

 流石に皺だらけになってきた顔立ちにも、あからさまなまでの困惑の色が滲む。それはそうだろう。あまりにも過酷で残虐な現実を前に腐っていたら、かつて飛行甲板上での決闘を仕掛けてきた相手が颯爽と現れ、事態を収拾するために協力しろと言ってきた。故に電光石火の早業で旅客機に乗り込み、遥々ジュネーブまでやってきた訳だが……その結果が、このトンチキ漫画にもないような展開である。


「確かに俺は、原水爆の関係で二進も三進もいかんのなら、政治家同士で殴り合って決めるしかないとか何とか述べたかもしれん。だが本気でそれをやろうとする馬鹿が何処にいるんだ、ハイドリヒがのこのこ出てくる訳ないだろう」


「最終戦争の瀬戸際だったからこそ、催す価値があるという判断です。我等が大英帝国からも、腕っ節に自信のある代議士とその手勢が何組も出場を予定しております」


 今回の仕掛け人の一員であるらしいリンチ退役大佐は、少しばかり気障な口調で言ってのける。

 彼の視線がチョイと移ろった先には、新古典様式の立派な建物が聳えている。国際連盟本部として建設されたはいいが、完成した頃にはほぼ形骸化しており、今では古代生物の化石も同然なジュネーブの万国宮殿に違いない。それに付属する、卯月にはソメイヨシノが咲くことでも知られるアリアナ公園には、急ごしらえの武闘会場が出来上がっていて……強烈過ぎる違和感を全力で発散しまくっていた。


「第三次世界大戦がどのような兵器で戦われるかは分からないが、恐らく第四次世界大戦は石ころと棍棒、あるいは拳骨で戦われるだろう……との言葉がありまして」


「ああ、奇人物理学者アインシュタインだったかな?」


「まさしく。であれば今こそ、己が拳をもっての政治的闘争を催すことにより、困難な情勢を打開する一助になるのではないか……との結論に、我等が大英帝国が誇る叡智は至りました」


「いや、その理屈はおかしい」


 高谷はきっぱりと怪訝な顔をし、断じる。


「ユダヤとロマを欧州から根絶したと堂々自慢しやがるドイツ連中が、そんな言葉を気にかけるとも思えん」


「かもしれませんね」


「うむ。それに加えてお前さんの国の叡智とやら、色々とおつむは大丈夫なのか? 元々は『天鷹』乗り組んでおった一等水兵で、今は同期の衆議院議員な寺門ってのがちょいと前に零しておったんだがな。何でも世界に冠たるイングランド銀行を取り仕切る教養溢れる理事達が、揃いも揃って金融に関する知識や理解の欠如した素人集団だった……なんてことが今世紀の初め頃にはあったそうじゃないか。その類に思えてならん」


「ははは、これまたなかなか手厳しい」


 リンチはまあ優雅に笑い、


「とはいえ幸いなことに、事態は収束に向かいつつあるのは事実。実のところ件の"事故"は、下手をすれば全面的な原水爆戦争の引き金となりかねないと分析されてもいましたが」


「結果だけ見りゃざまあみろだが、随分危ない橋を渡っておったな?」


「それはまあ、お手の物ですからな」


 どうにも物騒に聞こえる台詞とともに、ちょいとした追加説明。

 少なくとも10年ほど前には実際、ドイツ本土において大規模な爆発が発生した瞬間、対ソ全面攻撃に自動移行するという作戦計画が存在したらしい。ただ幾ら残虐非道のナチ党員であったとしても、あまりにも硬直的かつ破滅主義的なそれを指導者が扱えるとも考え難かったので、対外的なはったりの類と見抜いていた……といった具合である。本当にそうなのかと些かの懐疑が胸中に生じはしたものの、曲がりなりにも状況は落ち着いてきたので、まあそうなのかもしれぬと高谷も思う。


 それから視点をベルリンの総統官邸に置いてみると、啓けてくるものもあるかもしれぬ。

 ダンツィヒ湾の一件を"事故"として処理し、アジアとアフリカでの同時多発原爆紛争を処理するためにも、諸々の注意を逸らす必要が生じるはずである。とすればあまりに狂気的な武闘会であっても、いや狂気的であり過ぎるがこそ、都合のいい政治的目晦ましになると判断されるかもしれぬ。そうなればまったくしめたものだ。裏側に複雑怪奇な事情があるとしても、個々が手前勝手に動いた末に偶然生じた均衡であるとしても、政治家同士の殴り合いで事態が動いたというのは筋書きは悪くない。

 なおその場合、ナチが若くて健康丈夫な親衛隊将校を繰り出してきたら、自分はリング上で華々しくくたばることとなるかもしれぬ。だが残る未練といったら孫、曾孫の顏がもう見れなくなることと、原爆推進宇宙船計画に携われなくなることくらいだろうから、それもまた本望だ。


「ちなみにハイドリヒという人物は、若い頃なかなかヤンチャだったそうで」


 唐突に背後より響いてきた声は、元部下にして後援者のものだった。

 今は太平洋なになに商事の嘱託という名目で、普段から妙なところをうろついているらしい、ヌケサクこと抜山退役主計中佐に他ならぬ。恐らくはこの前代未聞の国際行事に、こいつと怪しげなる関係者達も相当に深く関わっているのだろう。遅まきながらそう思っていたところ、彼は少しばかり得意げに続けた。


「実際、フェンシングでオリンピック代表に選ばれてはおりますし、総統に就任した後も鍛錬を欠かしてはいないとか。それから未確認情報ですが、大戦中も何度か戦闘機で出撃して大目玉を食らったとも。とすれば案外、意気揚々と乗ってくるやもしれません」


「ヌケサクな、幾ら何でもあり得んだろ」


 高谷は呆れたとばかりに斬って捨て、


「とはいえ剣術をやれるのが相手なら、ちょいと楽しみになってきもするな。あんな針みたいな剣、我が三日月刀でもって圧し折って、思い切り泣きを見せてやりたくなる」


「ははは」


 何処か乾いた笑い声が、ちょうど異口同音に木霊した。

 大戦中に二度も飛行甲板上で決闘をやってのけた人物が、あり得ぬだの非現実的だの言っても説得力がまるでない。とはいえ人間というのは得てして、自分のことを客観視できない生物なのである。

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