日米原子炉協奏曲

ワシントンD.C.:アナコスティア海軍施設



 ホワイトハウスを襲う政治的竜巻も、パリ解放を報じる号外も、ロス・ガン博士にとってはどうでもいい話だった。

 運命の数奇な巡り合わせにより、突然に日の目を見ることとなった潜水艦向け原子動力機関プロジェクト。あまりにも革新的という他ないそれを全力で推進するよう、フォレスタル海軍長官より直々に依頼された彼は、水を得た高濃縮核燃料が如き熱量で業務に邁進していた。


 ただ問題があるとすれば、肝心かなめのプルトニウムがまだ十分にないことである。

 昨年の春、日本軍の大型爆撃機がハンフォードを空襲した関係で、黒鉛減速炉はモンタナ州西部に改めて建設された。その関係で核燃料の生産は予定より何か月も遅れてしまっており、分離抽出と精錬が完了した第一段がアナスコティアに届くのが、概ね来年の3月頃と見積もられているのだ。


「プルトニウムの生産は順調だが、核分裂爆弾にできない可能性が出てきた」


 以前フォレスタルはそう説明していたが、つまるところその段階では――あるいは現段階においても、プルトニウムは黒鉛減速炉内あるいは処理施設内に存在するというだけで、自由に扱える状態ではなかったのである。


「そして実物がなく、臨界実験などできない状況で、どんな構造の軽水減速炉を本命とするか決めなければならない」


 ガンは同僚達を見回し、苦笑いしながら言った。

 これがあまりに無茶苦茶であることを、誰もが当然の如く熟知していた。動力炉として利用できることは理論的には判明しているとしても、下手をすれば不安定で非実用的なポンコツを作ってしまいかねない。


 それでも実験を待っていられぬのは、戦局がそれだけ厳しいが故だった。

 横須賀空襲で日本海軍が大打撃を受けたのは、れっきとした事実のようだが、奴等は未だ十分以上の戦力と占領地を有している。合衆国の最終的な勝利には疑いの余地などなくとも、現状のままではそれまでに大きな犠牲を強いられる。とすれば原子動力潜水艦を1年以内に実用化するという目標を与えられた理由も、如実に分かるというものだ。


「しかしですよ、やはり沸騰水型はリスクが高いのではないでしょうか?」


 若き英才なるワインバーグ博士が、改めて懸念を表する。


「炉心近傍で発生する蒸気が中性子減速にあまり影響しない、あるいはそれを織り込んだ上で炉心への注水量を制御することで問題の解決が図れる可能性が十分にあることは、私としても理解いたしました」


 机上のペーパーを見やりつつ、ワインバーグは続ける。


「それでも艦体の動揺などのために冷却効率が悪化し、最悪の場合致命的な事故が発生し得ることは否定できないかと」


「潜水艦向けの動力炉としては、本来ならば君の提案した加圧水型が適している……というのは皆が同意するところだよ」


 ガンはまず部分的な理解を示した。

 あるいは核分裂物質を水に溶かした炉ならば、既に濃縮ウラニウムを用いたそれが臨界してはいるのだが……残念なことに、その型式は大型化すると途端に制御が困難となる性質があるようで、数週間前に破損事故が起こったとの報告が上がっている。


「ただ加圧水型の設計、製造となると、まるで納期に間に合わない。そうだな、中佐?」


「ええ。戦争で求められるのは次善あるいは三善の策です、だいたい最善は理屈倒れか時間がかかり過ぎる代物ですからね。学者先生がたにはまずそこをご理解いただきたい」


 海軍より送り込まれたリッコーヴァー中佐が、傲慢不遜そのものな口調で告げる。

 機関科の将校にして理学修士も取得しているこの人物は、とにかく敵をよく作るが実行力に富んだ人物で、ついでに原子動力に関する関心が猛烈に高かった。故にガンとは妙に気が合ったらしく、周囲にとってはストレスの発生源と見做されたりしているものの、それを除けば素晴らしい人事と言えそうだった。


「一方で沸騰水型の動力炉は、端的に言ってボイラーの親戚みたいなものでしょう」


「まあ、そうではありますが」


「だったらこれまでに蓄積した蒸気機関技術が幾らでも使える」


 リッコーヴァーは自信満々に断じ、


「時間がたっぷりある平和な時ならいざ知らず、今は世界大戦真っ只中で、何百という将兵が毎日何処かで戦死している。だったら多少のリスクには目を瞑り、すぐに使える製品を作って、勝って戦を終わらせるべきでしょう。被曝云々にしたってジャップやクラウツ、パスタ野郎の爆雷の方が危ないに決まってる」


「アルビン、科学者としての主張があるのは僕にも分かるよ」


 古典的な良い警官・悪い警官戦術と思いつつ、ガンは柔和な口振りで説得にかかった。


「正直、良心の咎めるところもある。とはいえ、今は中佐の見解がやはり正しいんだろう。ただ事でない時代なんだ」


「ならまあ……致し方ありませんかね」


 ワインバーグは不承不承ながら応じ、どうにか方針は定まった。

 炉心以外を担当するリッコーヴァー中佐は、早速試作品を完成させるべくフィラデルフィア海軍造船所へとすっ飛んでいった。一方の核物理学者達は、手許にある僅かなプルトニウム・アルミニウム合金に向けて中性子を照射し、得られた核分裂特性を基に炉心計算を進めていく。


 すべては改テンチ級潜水艦『ノーチラス』が原子動力での処女航海を終える、僅か7か月前のことだった。





福岡:九州帝国大学



「よし、よしよし……これで存分に研究ができるぞ!」


「ついでに帝国の燃料問題解決に向けて一歩前進じゃい!」


 迷物提督の義兄としても知られる浦教授は、祝い酒を呑みまくって有頂天になっていた。

 それもまた当然かもしれない。半ば詐欺的なやり方で陸海軍に供出させた資金と資材を惜しげなく投じ、帝国大学の敷地内にどうにか作り上げてしまった黒鉛減速炉。それに装荷された天然ウラニウムが連鎖的かつ持続的な核分裂を計算通りに起こし、10ワット程度ではあるが化学反応では説明のつかない熱を、80時間以上連続で放出しているからである。


 こうなれば話は一気に大きく、楽しくなる。間違いなくそう実感できる状況だった。

 実際、研究室には各方面からの電話がひっきりなしに掛かってきていた。ウラニウムの濃縮などという気の遠くなりそうな課題に本気で取り組んでいるらしい理化学研究所の仁科博士や京都大学の荒勝博士は当然として、原子物理学の本家本元たるドイツからも隠密裏な問い合わせが来たという。極めて重要そうな研究だから機密保全のため憲兵を増派するという鬱陶しい通告にさえ、嬉しい悲鳴が上がりそうになる。


「いやはやまったく、これは世界初の快挙に違いない!」


 浦はガハハと笑い、今度は清酒を呑み始めた。

 無論アメリカのシカゴ・パイル1号から2年遅れではあり、後に彼は大いに悔しがることとなるのだが、今は知らぬが仏といったところである。


「戦争が片付いたらノーベル賞間違いなしですね」


 助教授の古渡博士もまた酔い潰れて放言し、


「それからもっと大出力の炉を設計し、事業にしたらいいんじゃないかと。あ、教授、もう一杯どうぞ」


「ハハッ、すまんな古渡君。大出力化と事業化については、無論そうする心算だ。ああ、特許の方は大丈夫か?」


「ええ。何か秘密扱いにされましたが、とりあえずこれで審査官も黙るでしょう」


「よろしい、よろしい」


 浦はニマリと笑って猪口を空けた。

 旨い清酒が五臓六腑に染み渡り、実に気宇壮大なる夢が広がり出す。


「原油のさっぱり採れん我が帝国の未来は、ウラニウムにこそかかっていると言えよう。ならばそれを積極活用するための会社を興し、陸海軍や財閥に株券を売って1億円の資金を集めようと思っておる」


「1億というと、戦艦が買える額じゃあありませんかね?」


「政府省庁も陸海軍も新エネルギーとなれば目の色変えるから造作もない。まああやつら威張り腐っておる割に知識が欠落しておるから、あれこれ馬鹿なものに手を出すがな」


 そうして思い出されるのは、石炭液化にまつわる芳しからぬ噂。

 水をガソリンにするなどという無茶苦茶な話よりは幾分まともな内容かもしれないが、見込みのなさそうなものに何億円という予算を投入した挙句、大失敗と判明して関係者が自殺未遂を起こしたりしたというのだ。まったく税金の無駄遣いも甚だしいが、前向きに考えるならば、それだけの予算が原子力分野に振り向けられる可能性も高いということにもなる。


「まあ、それはともかくだ」


 浦はもう何度目かも分からぬ一気呑みをし、


「恐らく来世紀は原子動力で船舶や列車が動く時代となろうし、もしかすれば飛行機すらそうなるかもしれん。無論のことあれは嵩張るから、発電用途にしか向かなそうではあるが……」


「教授、大変でごわす!」


 唐突に喧しい限りの叫び声が響いた。

 根布という学生のものだった。黒鉛減速炉の不寝番を申し付けていたはずで、何かよからぬことでもあったかと戦慄する。


「どうした、何が拙いことでもあったか?」


「計算にない熱が出始めたんでごわす! ともかく、早く来てほしいのでごわす!」


「分かった。すぐ向かうから先に戻れ」


 浦はそう命じた後、頭脳の力で酔いを一気に醒まし、すぐさま身支度をした。

 そうして黒鉛減速炉実験場へと駆けながら、如何なる現象が生じたのかを全力で推察する。そうして行き着いた可能性の1つに、4年半ほど前の実験論文があった。単離に成功しなかったため発見とは認定されず、惜しくもニッポニウムとはならなかったものの、仁科博士はウラニウム238への中性子照射によってネプツニウム237を生成していたのである。


「とすればまさか……ネプツニウムの同位体あるいはその先の元素が炉内で生成され、核分裂を始めたんじゃあるまいか?」

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