大紛糾連絡会議

東京:皇居



 再選間もないルーズベルト大統領が轟々たる批難に晒されていた頃、東京でもまた大動乱が勃発していた。

 無論のこと、南関東一帯が米機動部隊の奇襲を受けて大損害を被ったためである。しかも来寇した航空母艦7隻の半数以上を撃破、うち2隻は撃沈確実と堂々発表してしまった後で、あれは間違いだったと海軍が訂正してきた。戦時宰相を長らく務めてきた東條英機は完全にこれに激昂、大本営政府連絡会議の場において漢籍由来のややこしい四字熟語を片っ端から並べまくり、つまるところ無責任も甚だしいと面罵したのだった。


 またこれを契機に、かつてほんの一時期だけ存在した統合参謀本部が復活し、東條がその長を兼任するという噂まで流れていた。

 実際この頃の日本といったら、幕府だ独裁だ征夷大将軍だといった市井の陰口とは裏腹に、第二次世界大戦に参戦した列強の中で最も首相の権限が弱かったというのが通説だ。更には陸海軍とも統帥権を盾とし、内閣にすら作戦情報を容易に明かさぬなど軍政不一致が極まってもいた。停戦の後に内情を知った海外の研究者達は、よくもまあこんなあり様で戦争ができたものだと口を揃えたというから相当なもので、考えようによっては自然な流れと言えるのかもしれない。

 ただ何にせよ、改革が遅きに失した感は否めない。急速に悪化し始めた世界情勢を前に、東條は大いに頭を悩ませる。これ以上頭が禿げそうにないことくらいしか救いがなかった。


「率直に言って……ソ連邦経由の対米英講和は望み薄ということか」


「まったく芽がなくなったという訳ではないにしろ、現状では足許を見られるばかりかと」


 重光外相は苦しげに言い、それから改めて詳細を説明する。

 アルミ地金と鋼材の交換が円滑なように、ソ連邦との秘密取引に関しては現状維持が続いているとのこと。しかし幾つかの重要な協議において、出席者が病気を理由に欠席するなど、あからさまな遅滞工作が見られ始めたというのだ。加えてイラン原油をシベリヤ鉄道で運搬するという計画も、思い切り暗礁に乗り上げてしまったようだった。


 その原因はと問われれば、欧州戦線の動向が故と答える他あるまい。

 ヒトラー総統の豪語していたところの大西洋の壁は脆くも崩れ、連合国軍はパリ近郊に到達。東部戦線でもドイツ軍は後退しており、特にカフカス方面は放棄する心算ではと囁かれてすらいた。その間、地中海に避退していたUボートが改イラストリアス級と見られる航空母艦を大破させ、アフリカからの戦力移動を円滑ならしめたというが、その程度では焼け石に水といった気配しかしてこないのである。


「無論、ソ連邦の国力が回復した訳ではございません」


 重光はそう前置きし、


「しかし米英の欧州反攻によって相対的優位が確保されたことは疑いようもなく、現状での講和仲介となれば……それこそスターリンめが、満洲を丸ごと明け渡せと恐喝してきかねません」


「なるほど。言語道断という他ないな」


 東條は眉を顰めて嘆息。会議室もまた幾らかざわめく。

 かような条件では南京政府の離反もほぼ確実で、大陸の権益と市場の全てが水の泡。日比谷焼き討ちが児戯に思えるほどの暴動と、出口のさっぱり見えぬ経済恐慌しか見通せぬ展開で、下手をすればそれよりも悪い未来が待ち構えていかねない。状況は数か月前とはえらい違いで、まったく認識が追い付かぬこと甚だしい。


「やはり独ソ和平が潰えた段階で、本格的な鞍替えを検討するべきだったのでは」


 ボソリと呟くは軍務局長の佐藤中将で、


「それをあれこれと理由をつけ、中途半端で八方美人な内容にしようとするからいけない。そもそも三国同盟なんてものに……」


「軍務局長、余計な愚痴は慎まれよ」


 東條は少しばかり苛立った口調で叱責する。

 とはいえ一理も二理もありそうなのが厄介だ。あるいはヒトラーの誘いに乗り、蒋介石政権覆滅の返す刀で対ソ戦を始めるべきだったのかもしれぬが、何にせよ覆水盆に返らず。


「何にせよ今はドイツの獅子奮迅を期する他あるまい。参謀総長、北仏において独軍が反攻に出るとしたら何時頃か? 大島君は何時も景気のいい内容を送ってくるが、どうも舞文曲筆の類と思えてならぬ」


「ありゃ現役でなくなって長いですからな」


 参謀総長たる杉山元帥は、相変わらずノンビリとした口調でまず評した。


「とはいえ独軍とて、このまま手を拱いておりはせんでしょう。既に北仏のかなりの地積を明け渡してはおりますが、要港を擁するルアーブル、シェルブールは未だ陥落しておらん訳で、近いうちに補給線が伸び切って米英軍は動けなくなるでしょう。そこを得意の電撃戦でもって一気呵成に叩き潰す作戦かと」


「それが何時頃になるかと尋ねておるのだ」


「さて、どうでしょうな……天候を鑑みても、年明け頃でしょうかな。勝敗は五分と五分といったところかと」


「ふむ、了解した。どうあってもドイツ頼みの展開になるか」


 東條はひとまず肯き、メモ帳をチラチラと見つつ、近々発動予定のガンジス作戦について質問していく。

 こちらは国府軍や自由インド軍、タイ王国軍などを含んだ25万の兵力をもって、要衝カルカッタに進撃するといった内容だ。ベンガル方面は兵站上の問題に加え、和平交渉のパイプを維持する意味から敢えて放置してきたところがあったが、ノルマンディー上陸成功を機にダウニング街10番も態度を硬化させつつある。とすれば連合国軍地上部隊を少しでも欧州から引き剥がし、同時に大英帝国の動揺を誘わねばならなかった。


「まあこちらは、岡村サンなら上手くやってくれるだろう。さて……」


 政軍の指導者たらんとする東條は、言葉少ななる人物へと視線を向ける。

 半年ほど前に軍令部総長へと転じた山本元帥で、これまたうわの空といった雰囲気を醸していた。彼なりの泰然自若ということなのかもしれぬが、統帥部の非協力的態度の表れとしか見えぬ。天下無敵を謳っていた海軍が無様な戦をしたせいで現在の苦境があるかと思うと、これまた業腹なこと極まりないが、今はそれをグッと堪える。


「この今後未曾有の難局にあって、欧州情勢の如何にかかわらず、最重要となるのがマリアナである。同島嶼は西部太平洋を睨む要衝であるに加え、米新型爆撃機の出撃根拠地となった場合、日本列島全域がその射程に収まりかねない。故に血税を注いで金剛不壊の全島要塞を建設し、精鋭無比の4個師団を展開せしめておる訳であるが……マリアナ防衛に海軍の協力が不可欠であるは明々白々」


 会議室の面々が一応は異口同音に肯く。


「また海軍はマリアナ沖を決戦海域と定め、来寇せる米機動部隊および揚陸船団の徹底的な殲滅をもって今次大戦の雌雄を決する方針と常々伺っている。軍令部総長、これに変化はないか?」


「無論です」


 山本はすぐさま断じ、


「ただ米海軍は航空母艦18から20隻、戦艦8から10隻を中核とする大艦隊でもって、概ね10万超の兵力をマリアナへと送り込んでくるものと予想されます。対して我が方は先の空襲によって正規空母4隻……ああいや5隻が損傷、航空隊にも甚大な被害が生じたため、決戦準備が整うのが概ね来年5月頃と見込まれております。また先の地震による航空機工場の被害も勘案せねばなりません」


「ふむ。では米軍のマリアナ侵攻は何時頃と見込んでおるか?」


「早ければ3月末頃と」


「軍令部総長、それでは間に合わんではありませんか」


 東條は額に血管を浮き出させ、強烈に声を荒げた。

 無責任だとかやる気があるのかとか罵倒が飛ぶ。対して山本は無い袖は振れぬの一点張りで、挙句の果てに戦だから上手くいかんこともあると馬耳東風気味であったから、まさに火に油の展開だ。


 とはいえ――流石に何の考えもなしに切り出した訳ではないだろう。

 会議室が騒然となる中、海軍統帥部の長を東條はジッと睨む。それでも能天気な面に変化が一向に表れぬので、まさかという思いに苛まれ始めた。


「もういい、海軍など当てにならん」


 杉山は憮然とし、


「戦車連隊と重砲兵連隊付きの2個師団をマリアナに増派、陸軍のみで守り抜く」


「おお。海軍を代表し、陸軍の提案に感謝いたします」


 山本はここで態度をコロリと変えた。


「決戦準備が整っていないとはいえ、海上護衛に支障はございません。万難を排して師団を送り届けましょう」


「お、おう」


「聯合艦隊は必ず救援に参ります。それ故、仮に米軍のマリアナ侵攻が早期に始まったとしても……時が満つるまでは、軽挙妄動を排した持久戦闘を徹底していただければ幸いです」


「うぬう……約束を違えたら承知せんからな」


 あからさまな豹変ぶりに杉山は苦虫を噛み潰し、更に幾人かが追随する。

 東條もまた、恥も外聞もあったものでない言質の取り方だと思った。それでも面目丸潰れの状況で、更に開き直るという手法は、案外と奏功してしまったようである。


「まあよい。マリアナが今次大戦の天王山となるは明白であり、ここで勝機を逃す訳にはいかぬのだから、先のガダルカナル作戦のように陸海軍一致団結して事に臨み、必ず米国の侵攻と継戦意欲を破砕してほしい」


 東條は締め括り、それからまた少々の演説を始めた。

 ただ彼は舌を振るいつつ、杉山と山本が揃って微妙な顔をしたのは何故かと訝しむ。実のところ成功裏に終わったガダルカナル救援作戦が、いったいどのような経緯で始められたかといった裏事情は、内閣の側にはさっぱり伝わっていなかったのである。


 ともかくもそんな具合に大本営政府連絡会議は終了し――翌日、連合国軍パリ入城の第一報が齎された。

 国家の命運を賭したる一大決戦、その足音が徐々に近づいてくる。直近の未来すら五里霧中といったところだった。

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