桑港某重大事件④

 アラメダ:海軍病院



「金門橋崩落! 航空母艦『ラファイエット』も完全喪失!」


「酷い、こんなのあんまりだ! 海軍大失態に怒りの声多数」


 新聞の見出しにはかような文字がでかでかと踊っていた。

 西海岸の守護聖人などと謳われた超大型航空母艦が領海内で被雷し、あり得ない衝突事故を起こした挙句、市民の集っていた金門橋を滅茶苦茶に破壊してしまったのだ。隠しようのないそれの詳細を知った誰もが嘆き悲しみ、憤ったことは言うまでもなく、クリスマスを前に連合国軍がパリ近郊に達したという吉報すら、三面に押しのけられてしまったほどである。


 しかも市民の怒りの矛先を外へと、具体的には日本へと向けることは、まったくもって不可能だった。

 何しろ今は大軍勢同士が血を血で洗う激戦を繰り広げ、銃後だろうと構わずに焼夷弾を投げ込んだりする世界大戦の真っ只中。航空母艦を雷撃するとは何事かと騒ごうものなら、諸国民の物笑いの種になること請け合いだ。加えて諸々厄介な事情を考慮したとしても、サンフランシスコ沖に侵入した伊号潜水艦を見逃していた合衆国海軍の落ち度は酌量できぬし、反乱艦ならざる『ラファイエット』の舵を取っていたのが誰かもまた明白に違いない。

 そして当然、奇跡の生還を遂げたハルゼー大将もまた憤りまくっていた。救助された彼は事の顛末を聞くや、あちこちの骨を折っていることすら忘れて半狂乱となり、医師が鎮静剤を打たねばならなかったほどである。


「ふざけやがって、ちょっと勝ったからって調子こいた結果がこれだ!」


「こんなの海軍史上最悪の汚点だろうがッ!」


「それもこれも全部、大統領が痴呆症なせいじゃないか馬鹿野郎!」


 とにもかくにも我慢がならず、罵詈雑言が幾つも病室に木霊する。

 国民の戦意発揚だのと政治都合を優先した挙句、致命的な事件を呼び込んでしまうのだから話にならない。大統領の責任を問う声が民主・共和両党から上がっており、弾劾裁判まで始まるかもしれないとのことだが、それですら取り返しのつかぬ事態に違いない。


 とはいえ――それは有権者が判断すべきことだろう。ハルゼーは思考を切り替える。

 自分が考えるべきは太平洋戦略、つまるところ如何に効率的にジャップ野郎を殺戮するかなのだ。歯磨き粉にチョコを混ぜた味のアイスクリームを無心に貪りつつ、副官が取り寄せてくれた資料を凝視し、思考を巡らせていく。


「ううむ……」


 呻き声が漏れたのは、なかなかの苦境が予想されたためだった。

 十二使徒などと謳われた航空母艦のうち、最大最強の『ラファイエット』が喪われたのに加え、これまた奇跡的に生還した『バンカーヒル』に関しても、戦線復帰は1年以上先との見通しが上がっていた。彼女は機関部を始めとする主要区画が滅茶苦茶にやられており、担当した造船技官をして、もはや1から建造した方が早いと言わしめたほどである。


 それに加えて厄介なのが、エセックス級航空母艦の建造遅滞に違いない。

 月ごとに就役するとすら言われた彼女達だが、13番艦の『タイコンデロガ』より後の艦は、就役が来年の7月以降となるとのこと。南太平洋での海戦の結果、アイオワ級の5番艦や6番艦、大和型を凌ぐとされるモンタナ級など、新型戦艦の補充が優先されたためだ。その理由を考えてみると、当時リー少将にソロモンへと突っ込めと命じた自分の顔ばかり浮かんでしまう。

 仮にあれがなければ――ハルゼーは暫し考え、打ち消した。『ワシントン』と『サウスダコタ』が最も勇敢に戦わなければ、あの段階で継戦意欲がポッキリと折れていただろう。


「さて、どうしたものか……」


「ビル、失礼するぞ」


 病室の扉が唐突に開かれ、知己たる人物が入室してきた。

 太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将……いや、今や5つ目の星を煌かせた元帥だ。動く右手でサッと敬礼。ワシントンD.C.まで出向いた帰り、見舞いに立ち寄ってくれたとのこと。


「とりあえず、君が元気なようで安心したよ」


「まだ体の自由が利かんがね」


「だろうな。まあ、今は治療に専念してほしい」


「ああ、だがさっさと治す心算だ。信じられないくらい悲惨な事件ではあったし、内心さっぱり納得できていないが、戦争はまだまだ続く。何があろうと、俺は水兵達とともに戦わないといかん」


 ハルゼーは剛毅に宣い、戦意を燃え上がらせる。

 ただそこで彼は妙なことに勘付いた。どうにもニミッツの表情に、事件の犠牲者を悼んでいるといっただけでないものが滲んでいる気がしたのだ。


「チェス、何か口にし難いことでもあるんじゃないか?」


「ああ、やはり分かるか」


 ニミッツは随分と気まずそうな顔をし、それから躊躇いがちに続ける。


「ビル、この内容を伝えなければならぬのは、私としても胸が張り裂けそうなくらい心苦しいのだが……落ち着いて聞いてくれ。君は第38任務部隊指揮官を解任された。近く査問委員会が開催されるから、それまで待機だ」


「は……?」


 意味がまったく分からない。ハルゼーの思考はまず凍結し、愕然とした。

 だがあまりに無茶苦茶な内容は、差し出された書面に間違いなく記されていた。しかも大統領の署名入りだった。同期のキンメルは真珠湾攻撃の問責で半ば強制的に退役させられ、あまりに酷い処遇だと憤ったものだが……それどころでない仕打ちが、自分に降りかかろうとしている。


「まさか……俺があの場にいたから、すべて俺のせいだとでも?」


「ビル、こう言わなければならぬのは私としてもあまりに残念だが……大統領閣下がそう主張された結果がこれなんだ」


「ふざけるなど畜生! 大統領、あなたはクソだ!」


 極まり切った理不尽と不条理に、ハルゼーはただひたすらに激昂した。

 この一件について耳にした高名なる海軍史家が、筆をポッキリと折る衝動に駆られたと述べたことは、あまりにも有名である。





佐世保:市街地



「いてててて……まったく、とんだ難物を引いちまった」


 バンカラの考えなしで有名な高谷少将は、珍しく弱気なことを言う。

 実際、全身のあちこちがジリジリと痛んでいた。口内のあちこちも切れていたりするもので、馴染みの寿司屋にやってきたはいいが、山葵が傷口に染みて仕方がない。


 原因は新たに転属なった、ゴリラこと五里守大尉に他ならぬ。

 腕の立つ艦攻乗りであったから、505空司令も易々と手放すまい。そう覚悟して事に臨んだところ、あまりにもあっさりと引き抜けて拍子抜けしたのだが――これは彼は何かとつけては周囲を"拳闘の訓練"に巻き込み、階級がどうであろうと手加減なくボコボコにする筋肉馬鹿であるが故だった。しかも本人にはまったく悪意がなく、敢闘精神の醸成に役立つと本気で信じているから厄介で、上官達もほとほと困っていたというのが事の真相である。

 無論、高谷も真っ先に"拳闘の訓練"に付き合わされた。流石に殴られる一方であった訳ではなかったが、叩き込んだ拳が五里守の琴線に触れたようで、つまるところ何とかに刃物といった暴走状態を生み出してしまったのだ。


「こちとら拳闘は素人というのに、酷い目にあった」


「とはいえ、彼には助けられましたからね」


 駆逐艦『楡』艦長の下田少佐が感慨深げに応じ、生タコの握りをパクリ。

 熾烈を極め、多くの犠牲を払うこととなった硫黄島沖海戦。五里守率いる流星隊が乱入してこなければ、今頃『天鷹』も『楡』も海の藻屑となっていたかもしれぬ。


「あの猛獣を何とか使いこなしていただければ百人力かと」


「だから拳闘の後に剣道で仕返ししてやった。今後はどちらもやろうという話になっちまったが……」


「あれま。そりゃあ大変ですね司令官」


「まあ空席だった666空司令として、ダツオが戻ってくるらしいからな。あいつも荒事は大好きだし、ちょうどいいのかもしれん。ともかくもあの憎たらしい米巨大空母に、今度の今度こそ止めを刺してやるのだ。捲土重来のためにも五里守大尉には……」


「あ、少将、その件なんですが」


 黙々と寿司を平らげていた抜山主計少佐が、これまた出し抜けに口を挟む。


「どうもあの空母、沈んでしまったらしいんですよ」


「おいヌケサク、どういうことだ?」


「どうも第六艦隊が桑港沖に潜水艦を忍び込ませていたところ、そこに偶然やってきたので、雷撃に成功したそうです。何せあの巨艦ですからそれだけでは沈まなかったそうですが、その後で操艦をミスってあろうことか金門橋に激突、弾薬庫が誘爆して橋桁ごと吹き飛んでしまったと。外電はその話題で持ち切りです」


「な、何だァそりゃあ……」


 思わず唖然とし、異口同音に素っ頓狂な声が漏れる。

 抜山はすかさずラジオの写しを寄越した。重大事件に米英首脳が大慌てしている様が英文から伝わってきて、猿芝居を打っているという風でもなかった。あるいは捏造の類かとも思えたが、彼は盛大に的外れな分析をすることはあっても、事実関係を違えるような人間では決してない。

 とすれば――本当のことなのだろうか。高谷と下田は思わず顔を見合わせる。


「なお当然、大本営もこの情報は掴んどります。内容があまりに信じ難いので、確認に時間がかかっておるようですが」


「お、おう……」


 暫しの間、違和感に満ちた沈黙が部屋を支配し、


「とりあえず、友軍が仇を討ってくれた……ということでよいのでしょうか?」


「うむ。来るべき太平洋大決戦、その勝算が一段と高まったに違いない。祝い酒としよう。ヌケサク、適当に何か頼んでくれ」


 待ってましたとばかりに抜山は動き、程なくして剣菱のいい酒が肴とともに運ばれてきた。

 そうして乾杯と相成った訳だが、どうにも奇妙奇天烈な味がした。圧倒的な戦力でもって阿修羅の如く暴れ回り、しかし是が非でも討ち取らんと欲していた敵巨大空母が、あまりにも出鱈目な最期を遂げてしまった。カフカの不条理劇の如き現実を前に、どんな顔をしたらいいかなど分かるまい。

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