桑港某重大事件③

太平洋:サンフランシスコ沖



「ご来艦中の皆様にお願い申し上げます。どうか落ち着いてください」


「本艦は排水量8万トン超の航空母艦です。不幸にも雷撃を受けましたが、航行に一切支障はなく、沈没の恐れはまったくございません。このままサンフランシスコに入港いたします」


 被雷した直後、航空母艦『ラファイエット』艦内にかかような放送が流れた。

 状況把握と被害局限のため迅速に動き、持てる全力を尽くしていた水兵達からすれば、至極当然の話でしかなかった。何故潜水艦に気付かなかったのだと地団太を踏み、是が非でも仲間の仇を取らんと思う気持ちはあっても、魚雷3発程度で沈むような艦ではないと誰もが感覚的あるいは論理的に理解していたからだ。


 だが問題は、海軍とは異なる世界で立身出世をなした者達が、多数乗艦していたことだろう。

 サインした書類にどう記されていたかは分からぬが、自身に危険が及ぶなどとこれっぽっちも思っていなかった彼等は、悉く恐慌状態になってしまっていた。しかも被弾の衝撃で何名かが海に投げ出されたり、タキシードを着た死体になったりしたものだから、何が何でも艦橋へと押し入らんとする。大暴落時のニューヨーク証券取引所もかくやと思われるような大騒乱だ。


 そうして慣れぬ避難誘導に当たる佐官や尉官を捕まえては、


「おい、これはいったいどういうことなのだ」


「これは責任問題だぞ。さっさと艦長を出したまえ」


「こんな艦にいられるか。私は港に帰らせてもらうからな」


 などと喧しく捲し立てるのだ。腰が抜けてへたり込むのなどはまだましな部類だった。

 そして艦に乗り合わせた最上級者として、英傑らしき態度で事態の収拾に当たっていたハルゼー大将も、遂に堪忍袋の緒を切らしてしまった。禁酒法時代の最悪のギャングたるアル・カポネは、「優しい言葉にピストルを添えれば、優しい言葉だけより多くを得られる」という名言を残したそうだが、甲板士官をしてその通りにさせたのである。


「おい提督、いったい何の真似だ」


「皆様、よろしいでしょうか?」


 ハルゼーもまた天に向かって拳銃をズドンと放ち、


「船の上では船長の言うことは絶対、何処の国の海事法にもそう書かかれている。ましてやこの『ラファイエット』は戦闘中の軍艦、その甲板上で騒ぎを起こすことの意味がお分かりですな?」


「ワシは上院議員だぞ。君、何様の心算だね?」


「艦の絶対権力者を務める大佐、その3階級上の海軍大将の心算です。お分かりいただけましたかな?」


 サタンですら尻込みするような剣幕でハルゼーは凄み、いざとなれば本当に発砲する心算で拳銃をゆっくり降ろしていく。

 ギャング流説得術の効果は覿面だった。口角泡を飛ばしていた者どもは、情けない悲鳴を漏らすばかりとなり……幾人か捨て台詞を吐く輩はいたものの、ようやくのこと沈静化した。小銃を提げたる件の甲板士官は、大丈夫なのかと不安げな面持ちで見つめてくるが、俺が責任を持つと言って安堵させてやった。


 ともかくも艦はサンフランシスコ湾を目指して進み、人々が鈴なりとなった金門橋に差し掛からんとする。

 一難去ってまた一難、ハンマーと金床の間。見張り員の悲鳴にも似た絶叫が伝声管より届いたのは、ちょうどその時だった。


「8時方向に雷跡、距離およそ800ヤード!」


「またか。面舵一杯」


 艦長のベケット大佐は即断。その通りに操艦がなされた結果、何故か1射線のみの雷撃は回避された。

 だがハルゼーはどうしてか猛烈なる悪寒を覚え――十数秒ほどの後、彼の直感の妥当性は証明されてしまった。お偉方の相手で気が散っていたが故の部分もあったのだろうか。予想よりもぎりぎりのところで魚雷を躱した『ラファイエット』は、不幸にも朱塗りの金門橋へと突っ込まんとしており、悲劇的という他ない衝突事故を防ぐ手段は何1つ残されていなかったのである。





「おや、随分とおかしなことになっておるようだ」


 甲標的の潜望鏡を回転させ、敵艦を捕捉し直した玄葉中尉は、奇妙なことに気付いた。

 至近距離からの雷撃を仕損じ、恥ずかしくて生きておられんと発作的に自決しそうになった直後。仇敵なる超大型航空母艦と思しきが、どうした訳か急停止してしまったのである。


「先程、ガリガリと底を擦るような音が聞こえました」


 同乗する猫山兵曹がすさかず報告し、


「位置関係から考えて……魚雷を躱した拍子に、橋脚にぶつかってしまったのかも」


「とすれば好機到来という訳か」


 玄葉は改めて潜望鏡を覗き込んだ。

 世界最大の航空母艦が、目と鼻の先で身動きできなくなっている。対してこちらには、艇に取り付けられた重量2.9トンもの成形炸薬式爆弾。それを敵のどてっ腹に叩き込む様を思うと、胸が躍るという他なかった。


 無論、体当たり攻撃となるから、生還の望みは一切なくなる。

 だがそんなものは元よりありはしないのだ。敵艦に対する雷撃を選択した時点で、こちらの存在は露呈したも同然。ぼやぼやしていると敵の駆逐艦や哨戒艇がやってきて、全てが徒になってしまうだろう。所詮は死ぬのが遅いか早いかの違いでしかなく、躊躇する理由など何一つありはしないと確信する。


「ここは爆弾三勇士の精神でいく。猫山、覚悟はいいか?」


「覚悟よし、今まで生きた甲斐がありました」


 何とも朗らかなる返事が響いてくる。


「それに自分、昔から負けず嫌いでして」


「ははは、俺もだ。尋常小学校に入りたての頃、一々嫌がらせをしてくる上級生相手に、文字通り噛み付いていったりしたもんだが……昔話や自慢話は靖国で幾らでもすればいいか。まずは男子の本懐を遂げようぞ」


 玄葉は清々しい気分でニコリと微笑み、最大戦速で艇をぶつけにいく。

 彼が抱きたる恐怖は、今ここで爆雷が投げられたらといった類のもののみ。彼我の距離が縮まるにつれてそれも薄らいでいき、散っていった仲間のところへ史上空前の戦果を引っ提げて赴く自分の姿に酔い痴れる。今日は死ぬにはいい日だ。英語教師だった父の冗談が思い出され、先立つ親不孝をお許しくださいと小さく謝した。


「まあでも、子が英雄なら誇らしかろう。何時までも笑っておってな」


 潔い台詞の直後、玄葉は己が獲物を凝視する。艦影は随分と大きくなっていた。

 生涯に一片の悔いなし……とまで言えるかはちょっと怪しい。それでも、己が命と引き換えに世界最大の軍艦を屠れるなら、十分以上に幸福な人生ではないかと思えた。





 金門橋の袂は、悲鳴と怒号、時として銃声すら飛び交う混沌の巷と化していた。

 原因に関しては言うまでもない。英雄を出迎えるべく橋上に集まっていた何千という市民の大部分は、沖で『ラファイエット』が被雷したとの報が齎されても尚、傷付きたる英雄の凱旋を応援しようとした。そして彼女がサンフランシスコ側の橋脚に衝突しそうだと判明するや、揃いも揃って真っ青になり、蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始めたのである。


 かような具合であったから、既に多数の負傷者が出ているに違いない。

 鮮やかな朱色に染められし橋梁は、排水量8万トンの航空母艦が衝突したことで37年前を思わせる激震に見舞われていたし、正気を失った群衆に踏み殺される等の二次被害がどれだけ出ているか分からない。しかもすわ何事かと、野次馬根性を拗らせた者達がゾロゾロ集まってきたりもする。手の施しようがまるでなさそうな状況だ。

 それでも市民と秩序を守るべき警官達は、懸命にその任務を果たそうとしていた。


「皆さん、まずはとにかく落ち着いて」


「押さない、駆けないでお願いします」


 橋の袂付近にて、若い警官が声を枯らさんばかりに叫ぶ。

 とはいえ声がまるで届いていないのか、効果はこれっぽっちも見られない。スパイ対策の一環で読んだ芥川某とかいう陰気な文芸家の、ブッダの垂れた糸を巡って醜く争う亡者そのものに、文明的な合衆国市民がなっているのだ。


「そこのマッポ、あんたもさっさと逃げた方が身のためだぞ」


 何の気紛れか立ち止まった男が言い、


「早くしないと、糞ッ、崩落に巻き込まれちまうぜ」


「そんなことはあり得ませんよ。この橋は大丈夫です」


「どうかな。ともかくも俺はずらがるからな」


 男はそう吐き捨てて駆け出し、静止の声はさっぱり省みられなかった。

 無力感に苛まれた警官は思わず視線を反らし……海面からチョイと浮き出た奇妙な物体を発見した。それは随分な速度でもって、座礁した『ラファイエット』へと突き進んでいるようだった。


「えッ……潜望鏡!?」


 識別してから間もなく、潜望鏡は『ラファイエット』左舷に吸い込まれた。

 すぐさま猛烈なる衝撃波が到来し、警官はその他大勢とともに空中へと弾き飛ばされ、地面に叩きつけられて死亡した。大型艦を一撃で沈めるべく設計された特大爆弾の、指向性を与えられた大破壊力が解き放たれた結果だった。


「おい、今度は何なんだよ!?」


「ああッ、金門橋が落ちる……」


 展望台より入港の様子を撮るはずだった撮影技師は、信じ難いにも程がある光景に絶句した。

 ただ長年に亘って積み上げてきた職業意識は、確かに彼の肉体に刻み込まれていたようだ。ガッチリと構えられていた総天然色のビデオカメラは、大惨事の一部始終を不足なく捉えていた。


 それを再生してみれば、次のようなものになるだろう。

 まず最初の爆発で『ラファイエット』の艦体と金門橋の南側主塔が盛大に揺さ振られ、頂点から伸びるケーブルが次々と破断した。そこまでであれば辛うじて持ち堪えられたかもしれないが、程なくして二度目の大爆発が発生。信じ難く強烈な衝撃波が人々や自動車を吹き飛ばし、黒々としたきのこ雲が立ち上る中、橋脚部を完膚なきまでに破壊された南側主塔はゆっくりと傾いでいき、そのまま太平洋に向けて倒れ込んでしまった。


 その原因が『ラファイエット』の被弾と弾薬庫誘爆であったことは、もはや記すまでもないだろう。

 ともかくもサンフランシスコの象徴となるはずだった美しき金門橋は、竣工から10年と経たずして、世界最大を誇った航空母艦とともに過去のものとなってしまった。犠牲者は軍民合わせて5000名超。真珠湾に倍する惨劇が西海岸において生じたという事実に、合衆国に住まう全員が震撼した。

 そして最も大きな心的衝撃を受けた者の1人が、今を時めくルーズベルト大統領に他ならない。仄聞するところによると、専用列車で現地入りする寸前だった彼は、悪い冗談は止せと何度も報告を突っ返した後、授与するはずだった勲章を床に叩きつけ、獣の如く吼えたという。

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