桑港某重大事件②

太平洋:サンフランシスコ沖



 聯合艦隊や軍令部が荒れに荒れる中、潜水艦伊五十八はアダック島を発った。

 横須賀空襲に対する報復として、米本土を攻撃するためである。神聖なる国土がまたも侵され、航空母艦複数が大破したという報に憤っていた乗組員ばかりだったから、それを聞くや否や闘志百倍したのは言うまでもない。


 ただその作戦というのは、何処かのイカレポンチが書いたような代物だった。

 つまるところ新兵器の桜弾を搭載した甲標的を水中発進させ、金門橋の橋脚部に艇を仕掛けて爆破するという内容なのである。形式上は必死攻撃ではないとされるが、乗組員にどうやって生還しろというのか分からない。更に言うなら米本土近海は多数の対潜哨戒機が飛び交い、大量生産された駆逐艦が盛んに探信音を放ってくる地獄のような海域で、特殊攻撃任務を遂行せよと命じられた潜水艦長達は揃って唖然としたと伝えられている。


「それでも、敵の懐に飛び込めちまったか」


 伊五十八艦長の木梨少佐は感慨深げに言う。

 苦難の道をどうにか踏破し、市街近傍の海域まで忍び込めた理由としては、乗組員全員の一心同体となっての奮闘努力が真っ先に挙がる。それから拿捕した米潜の調査や日独交流によって得られた知見、艦に盛り込まれた技術的新機軸が故の部分もあった。


 だが一番の理由はやはり運に違いない。

 実のところ10に1つでも見込みがあればいいような作戦だ。同じくアダック島より出撃した2隻の僚艦の一方は、途中で米コルベット艦に遭遇して撃沈されてしまっており、恐らくもう1隻も同じ運命を辿ったものと見られている。自分達と彼等の間に顕著な性能差、実力差などある訳もないのだ。


「まさに天佑神助我にありか」


「はい。この機を逃さぬよう、万難を排して任務を遂行します」


 甲標的艇長の玄葉中尉は目を爛々と輝かせて言う。

 彼の意気込みは、木梨にとっては些か心苦しい。頭では理解している心算でも、この過剰なくらい敢闘精神溢れる益荒男を、一度きりの作戦で失うのは惜しいと思うためだ。


「艦長、今までお世話になりました。必ずや金門橋を吹き飛ばしてご覧に入れます」


「うむ。武運長久を祈っておるぞ」


 諸々の雑念を振り切り激励。

 乗組員一同の視線を一身に受けながら、玄葉は部下の猫山兵曹とともに甲標的へと悠々と乗り込んでいく。すぐさまハッチが閉められ、ゴトリという音とともに切り離しが完了した。


 何もかもがあっという間、そんな気がしてならなかった。

 生還の見込みが絶望的に小さいのに、つい先刻まで試験勉強などしていた若者達。今から彼等のためにできることがあるとすれば、その生き様を見届けること以外あるまい。長居は無用の敵対海域ではあるものの、戦果確認くらいは済ませてから離脱するべきだろうと木梨は踏ん張る。


 ただそれから暫くした頃、水測から奇妙な報告が飛んできた。


「何ィ……四軸推進の大型艦が、こっちに向かってきているというのか?」





「決定的打撃を受けたジャップ海軍にどれほどの戦力が残っていようとも、それは既に形骸である」


「敢えて言おう、カスであると」


 第38任務部隊を指揮して栄冠を手にした人物は、記者達を前にかような台詞を読む羽目になっていた。

 シャッターが嫌になるくらい炊かれ、タキシードなど着た連中がヤンヤヤンヤと拍手喝采する。戦時中の軍艦に相応しからざる光景なことこの上ない。しかし大統領命令で『ラファイエット』に召喚されたハルゼー大将は、顔面に余裕綽々の表情をどうにか貼り付け、お偉方との握手や記念撮影を淡々とこなしていかねばならなかった。


 なお相手はといえば、議員だの大富豪だのといった者達である。

 偉大なる『ラファイエット』の帰還を知るや否や、視察を名目にゾロゾロ集まってきて、雷撃機に乗り込むなどして来艦してしまったのだ。有権者や州を代表していたり、海軍の一大スポンサーだったりするものだから、無碍に扱うことは許されない。しかしこの瞬間ばかりはファシストが羨ましくてたまらない。特にケネディとかいう気に入らない大尉と、その父親なる大金持ちがにこやかに談笑している辺りには、5インチロケット弾を何発かぶち込んでやりたくなった。


「この程度で浮かれやがるなボンクラども。馬鹿なパレードをやっとる場合か」


「ジャップどもが死に絶え、東京に星条旗が翻った訳でもねえだろうが」


 一旦艦橋へと戻ったハルゼーは、とにかく毒を吐きまくる。

 これから暫くすると、今度は夕食会が始ってしまう。無意味な華美さに彩られた士官室で、自分が世界の中心に立っていると思い込んでいる連中相手に作り笑いを浮かべるだけが今の仕事かと思うと、気分が一気に陰鬱になった。出される料理はもちろん最高級なのだが、古びたクラッカーを齧っている方がまだましだ。


「まったく、大統領閣下はいったい何を考えておられるのだ」


「これが政治ということなのでしょう」


 艦長のベケット大佐は、育ちがいいのか事もなげな面持ちで応じ、


「戦争は政治の延長であると、かのクラウゼヴィッツは述べております」


「ふん、あれが政治とやらか。この艦は確かに元々は豪華客船だが……自分を一等船室の旅行客と、水兵をボーイの類と思い込んでおるような、ど阿呆の集団にしか見えん」


 飛行甲板を一瞥し、ハルゼーは思い切り顔を顰める。


「あるいは……動物園のサル、サルの群れだ。バナナでも食って大人しくしていればいい」


「ただ大将、お気を付けください。相手は口だけは死ぬほど達者……というより口から先に生まれてきた、言葉でボクシングするのを生業にしている者達です。うっかり口を滑らせると大変なことになるやも」


「ああ、最悪なことにその通り。ここ数時間で嫌というほど味わわされたよ」


 海溝よりも深そうな溜息とともに吐き捨てる。

 それからハルゼーは気晴らしに葉巻を咥え、未だ波立ちたる海原を眺めんとし……またしても憤怒の形相を浮かべることとなった。猟犬の如く航空母艦を守るはずのフレッチャー級駆逐艦が、対潜哨戒のジグザグ運動をこれっぽっちもせず、『ラファイエット』と並走していることに気付いたのである。


「おい、あれは何だ? ジャップ潜水艦への警戒はどうした?」


「どうも記録映像をカッコよく撮らねばならないとかで」


 ベケットは流石に肩をすくめ、


「ただ日本の潜水艦はこんなところにまで来れないでしょう。西海岸沿岸の対潜哨戒は徹底的に行われておりますし、ついこの間も北太平洋で立て続けに2隻を撃沈したようです。開戦から間もない頃は、エルウッドの製油所を砲撃したり『サラトガ』を雷撃してくれたりしたようですが、今ではハワイ沖を騒がせるのが精一杯ではないかと」


「そういう慢心が命取りになりかねん。例えば俺は若い頃、横須賀に行ったことがあってな」


 日露戦争の直後に催された、白色艦隊の大航海をハルゼーは思い出す。

 表情のさっぱり読めない欺瞞主義の黄色人種ばかりで、キング長官のように財布を掏られはしなかったものの、とにかく居心地の悪い体験だったと付け加える。


 それでも己に倍するバルチック艦隊を対馬沖で悉く沈め、水雷艇3隻しか失わなかっただけはあった。

 圧倒的工業力によって再建された合衆国海軍は、世界最強への道をひた走っている。しかし気の緩みがあれば、そこが致命的な蟻の一穴となり、ロシヤ人と同じ運命を辿ってしまうかもしれない。そうなってたまるものか、ロジェストヴェンスキーの類になってたまるものか。断固たる意志をもって、些か能天気に過ぎるベケットを見据えた。


「奴等が崇めておる哲人剣士の宮本雅史が詠んだ諺に、勝ってメンポを確かめよというものがある」


「メンポ……何でしょうか、それは?」


「詳しくは知らん。だが油断したら死ぬという意味だ。かの東郷平八郎もこれを引用したし、これだけは間違いが実際ない。勝ってもいないのに勝った気になるな。ベケット大佐、君は未来と家族のある水兵をみすみす危険に晒したいかね?」


「いいえ。1人でも多く港に帰してやりたいと、常々考えております」


「ならさっさとあのサボタージュ駆逐艦どもに、対潜哨戒を規定通りやらせ……」


 言い終わらぬうちに、強烈なる激震と轟音が艦を駆け抜けた。それも3連続だ。

 咄嗟に衝撃をいなすや……阿修羅の相がハルゼーの顔面に固着した。それから艦体が揺さ振られ、ギリギリと鋼材の軋む音が耳を劈く中、ゆっくりと首を旋回させ、左舷に高々と立ち上る水柱を目の当たりにする。万物が凍り付いたような一刹那を経て、彼の面は瞬く間にに紅潮し、額に血管が見事浮かび上がった。


「ああああああ! どうしてこうなるんだ!」


 あまりに信じ難く、神の正気を疑いたくなるほど理不尽な現実に、ハルゼーは海が割れんばかりに絶叫した。

 何が起こったかは態々記すべくもないだろう。普段通り警戒していれば確実に早期探知できていたであろう潜水艦に、懐まで忍び込まれてしまった結果、『ラファイエット』は九五式魚雷を3発も食らってしまったのだ。


 当然この時点で数十人の死者が生じており、その中には名だたる富豪や上院議員まで含まれていた。

 そして合衆国に属する者達にとって何よりの悲劇は、『ラファイエット』の受難がこれだけに留まらなかったことである。

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