漂着! ドンブラ戦艦

太平洋:ミッドウェー島沖



 本州南岸を蛇行したる黒潮は房総半島沖で向きを変え、太平洋をグルリと回って北米大陸へと至る。

 古代アジアの勇敢なる海洋民は、この巨大な潮流を用いてアメリカへと上陸、インディアン文明の祖となった。カリフォルニアで縄文土器に酷似した遺物が発見されたことから、かような珍説を唱える考古学者もいたりする。いやいや丸木舟で大海原を渡れるものか、良栄丸遭難事故では乗組員全員が飢え死にしただろうと反論したくなるかもしれないが――色々と妙なものが運ばれたりすることだけは、紛れもない事実であろう。


 とはいえ排水量4万トンの浮かべる城がドンブラコと流れてくるとは、誰も夢にも思うまい。

 3月中旬の某日。ミッドウェー諸島の北方200海里で哨戒任務中だった駆逐艦『ヒラリー・P・ジョーンズ』は、水上レーダーに不可解なほど大きな反応が検出されたため、状況を確認するべく現場へと急行した。すると日本軍に撃沈されたはずの戦艦『ミズーリ』が、どうしてか波間に揺られていたのである。


「な、何がどうなっておるんだこれは……」


「奇跡だ。まったく信じ難い」


 寝耳に水どころでない光景に、乗組員達はアングリと口を開けるばかり。

 第一砲塔より先がごっそりと失われた『ミズーリ』は、まさに"イオワ級"戦艦の『ズーリ』である。しかもまったく無人の状態で、千島列島の南西沖から漂流してきたようだから驚きだ。


 そんな彼女に注がれたる視線は、次第に畏敬の念を帯びていく。

 正直、人智を超越した何かが作用したとしか思えなかった。総員退艦を命じたかつての艦長への憤りもまた、多少は沸き起こってくるかもしれぬ。しかし深手を負いながらも独り運命に対峙してきた艨艟の、言語を拒絶するが如く厳粛なる迫力が、他の何もかもを圧倒しているかのようだった。


「それで艦長、どういたしましょう?」


「こらもう、連れ帰るしかなかよ」


 艦長たるロビンソン少佐は、未だ興奮冷めやらぬが故か、微妙に訛った口調で言う。


「ミッドウェーに曳航でもせんと、神様の罰が当たるべ」


「とはいえ本艦だけですと流石に」


「ニミッツ長官に、戦艦さ急ぎ送ってもらう他なかね」


 ロビンソンは命令し、ともかくも緊急の通報が発せられた。

 そうした後、艦橋にゾロゾロ徒党を組んでやってきたのは、『ミズーリ』艦内の捜索を志願する者ども。まったく合衆国海軍の水兵は勇敢だ。しかも副長のニコルスキー大尉に率いられた彼等は、真珠湾からの応答を待たずして行動を開始し――実のところ沈没寸前だった艦を、どうにか保全してしまうから恐ろしい。





真珠湾:太平洋艦隊司令部



「辞任は認めん。艦隊の作戦能力に傷がつくからな」


 太平洋艦隊司令長官たるニミッツ元帥は、腹の痛みを堪えながら宣った。

 それから提出されたばかりの辞表を、その場でビリビリと千切っていく。湧くが如き知略で知られたるマクモリス少将に、ここで辞められては困る。勝利が約束されていたはずの機動部隊が予期せぬ夜戦に巻き込まれて大損害を被ったことに対し、強い自責の念を感じてのことではあろうが、合衆国海軍の人材難は相当に深刻なのだった。


「そういう訳だ。ソック、今日のことは綺麗に忘れて、今後も海軍のために尽くしてくれ」


「しかし長官……自分自身を許すことができません」


「自分自身が許せぬから職を辞する、そんな贅沢が許されると思ってはならん」


 尚も食い下がるマクモリスを、ニミッツは巌とした口調で諭す。

 実際、痩せぎすになった己の身体を見れば一目瞭然なように、それはとんでもない贅沢に他ならない。これまでに下した判断で、いったいどれだけの若い命が散ったか……想像するだに胃に激痛が走り、気が狂いそうになる。しかし誰かが着実に義務を果たさねば、合衆国海軍は勝利を掴むことはできぬのだ。


「ともかく話は以上だ。私は何も受け取っていないし、君も何も提出していない。それで……」


「失礼いたします」


 唐突に司令長官室の扉が開かれ、連絡士官が飛び込んできた。

 その声色や表情からすぐに朗報と分かり、ニミッツもまた久々のそれに内心を弾ませる。


「どうした、何事だ?」


「先程、漂流中の戦艦『ミズーリ』が発見されたとのことです」


「な、何だって!?」


 予想外な内容に、ニミッツも思わず聞き返す。

 だが連絡士官は間違いありませんと回答し、紙面をサッと手渡してきた。その内容をまじまじと見つめ、確かな事実らしいと認識するにつれ、やつれた身体に力が漲り始めた。大きな不幸に見舞われた時こそ、合理的な希望を見つけることが重要だ。


「ソック、君も聞いたな? 今すぐ助けを出さねばならん」


 先程まで気の抜けたコーラのようだった部下をしかと見据え、ニミッツは至極当然の判断を伝えた。


「救援部隊の編成は君に任せる。この期に及んでやられては叶わんから、出し惜しみはするな」


「了解いたしました」


 マクモリスはシャキッとした声で返答し、ものの数分で提案を取りまとめた。

 それはすぐさま承認され、各艦は続々と錨を上げていく。当然その中には、曳航のための戦艦やら万が一に備えての航空母艦やらが含まれていて、新たな攻勢が急遽発起されたかのようでもあった。





大湊:航空母艦『天鷹』



 聯合艦隊はここ一週間ほど、降って湧いたような厳戒態勢にあった。

 理由については言うまでもない。突然真珠湾方面の通信量が増大したことに加え、オアフ島近海に展開させていた伊号潜水艦が、大型艦複数を含む艦隊が東北東に向け航行中との緊急通報を送ってきたからである。


「恐らくニミッツめは、択捉沖でボロ負けした分を取り戻したいのだろう」


「ならばもう一度叩きのめしてやるだけのことよ」


 久方ぶりの快勝に浮かれ調子の参謀達は、やたらと上機嫌に判断していた。

 聯合艦隊司令長官たる豊田大将も概ねそれに同調、発動予定だった幾つかの小作戦を中止させ、戦線復帰のなった第一航空艦隊を主軸とする迎撃部隊の編成を指示した。加えて長距離偵察型の連山をして北太平洋を密に捜索せしめ、ノコノコやってきたところを百叩きにしてくれると、鼻息を荒くしていたのだった。


 もっとも少し冷静に考えてもみれば、おかしな話だったと分かるかもしれない。

 この時期の米海軍は、本格的な空母群を4個ほど太平洋に展開させていると見られていたが、うち半分はニューギニア南岸で暴れ回っていた。更にもう1個群はアラスカ方面で、択捉島沖で悔しくも逃がした1隻は、今も真珠湾の工廠で修理中のはずだった。となれば精々が4隻ほどしか出られぬ計算で、攻撃目標が日本本土であれマリアナ方面であれ、各個撃破の憂き目に遭うだけと子供でも分かるだろう。

 それでもドゥーリットル隊の前例があると、まだかまだかと待ち伏せていたのだが……米機動部隊はさっぱり来寇しなかった。そして我慢も限界に達した頃、ウェーク島を発進した彩雲が、ミッドウェーの南東沖でとんでもないものを発見したのである。


「何ッ、あの戦艦が生きておっただと!?」


「は、はい。別の戦艦に曳航され、真珠湾に向かっていると」


「なッ、がぁッ……!」


 報告を受けるや否や、高谷少将は思い切り顔を紅潮させ、言語にならぬ雄叫びを上げる。

 それからプルプルと震え出した。後の時代の人間は、6秒堪えれば怒りが静まると訳知り顔で言ったりするが、この場合は大噴火までに必要な時間がほぼ6秒だった。


「遠藤のクソ馬鹿野郎! 何が間違いなく沈んだだ、ふざけがやって!」


 怒髪天を突いての咆哮が猛烈なまでに木霊し、


「あん畜生、露天艦橋から海原に放り込んでくれるわ!」


「司令官、どうなさるので!?」


「決まっている、今から討ち入りだ! ダツオ、ゴリラ、ヒデキ……それから腕に自信のある奴は全員集まれ。遠藤の大バカタレを成敗しにいくぞ!」


 一大決起したる高谷は荒くれどもを引き連れ、降ろした内火艇に乗り込んだ。

 激烈なる憤怒の勢いのまま、彼等は本当に戦艦『伊予』を強襲。状況を理解できずにいる水兵を殺意の籠った眼力でもって威圧し、制止を試みる大尉を腕力でもって弾き飛ばしたりしながら、瀟洒なる司令長官室へと押し入った。


 ただ――部屋の主は入れ違いに上陸していたようで、そこは蛻の殻だった。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。高谷とその困った仲間達は猛り狂い、室内の机やら戸棚やらを片っ端から破壊した後、「遠藤の大バカ野郎は何処だ、何処にいる」と居合わせた参謀を締め上げた。そうして今度は大湊警備府へとひた走り、敷地内で奇声を上げながら刀を振り回し……遂には憲兵が出動するに至ったのである。


「幾らゴロツキ司令官とはいえ、ここまでするとは思わなんだ。まったく世も末、末法の世だ」


 寸でのところで助かった遠藤中将は、そう言って深く溜息を吐いたという。

 もっともそのゴロツキ司令官にしても、後に原子力航空戦艦として復帰した『ミズーリ』を訪問し、多少は洒落の効いたスピーチをしたりする。やはり世の中、なかなか分からぬことだらけである。

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