奇想! 天麩羅機動部隊⑨

太平洋:択捉島東方沖



 後に択捉島沖夜戦と呼称された海戦において、敵味方を問わず称賛されるのが、シャーマン少将の即断だ。

 真打たるべき第56任務部隊が有力な敵水上艦隊と遭遇、夜襲で大損害を被ったと耳にした時点で、彼は麾下の快速機動部隊をすぐさま南下させた。それから艦載機の発艦準備をとにかく急がせ、片道切符となるのを覚悟の上で、夜明け前に36機からなる救援攻撃隊を放ったのだ。


「彼等の献身がなかりせば、『サラトガ』もまた海の藻屑となっていただろう」


「そうなれば大統領の継戦意欲すらへし折れていたかもしれぬ」


 かような評価がなされるのも、まったくむべなきことである。

 事実、恐るべき20.3㎝砲弾を矢継ぎ早に撃ちまくっていた最上型重巡洋艦の2隻は、寸でのところで回避運動を強いられた。しかもあろうことか衝突事故まで起こしてしまい、結果として遠藤中将はそれ以上の追撃を断念。被弾多数で炎上中なるも機関部に異常のなかった『サラトガ』は、速力が低下したところを水上砲戦で撃沈された先代の轍を、どうにか踏まずに済んだのだ。


 もっとも――所詮は唯一の慰めとしか言いようがない。

 『サラトガ』を除いた残存艦は、目につく限り駆逐艦3隻のみ。実のところを言うならば、どでかいのが1隻まだ浮かんでいたりはするのだが、何はともあれ言い逃れ不可能な記録的大敗北である。かように悲劇的なる結末を前に、艦とその乗組員に責任を負っていた指揮官が、正気を保つことはまことに難しかった。


「どうして、どうしてこうなった……」


 クラーク少将は打ちひしがれ、譫言のように繰り返す。

 夜は明けたが、陽の光を直視するのが苦痛で仕方ない。己が認識の不足により、再びそれを見ることの叶わなくなった将兵は、何千という数に上っている。


「何故、あんなところで敵とぶつかったのだ。しかもアイオワ級戦艦2隻があって、この結果はないだろう」


「司令官、お気を確かに」


 同じく未来の閉ざされた参謀長が、震え切った声で希う。


「シャーマン少将の部隊と合流するまで、まだかなりの時間がございます。飛行甲板がやられてしまった以上、今が一番危険な状況に違いありません。この後がどうなるとしても、まず艦の保全に全神経を注いでいただきませんと」


「ああ、そうだ……そうだな」


 クラークは少しばかり精神の平衡を取り戻し、


「水兵達を港へ帰してやる義務は、まだ残っているな」


「はい。敵重巡洋艦こそ退きはしましたが、追加の攻撃隊がやってこないとも限りませんので。何しろジャップ野郎どもはまだカタパルト付き戦艦や、忌々しい食中毒空母を……」


「何ッ、どういうことだ?」


 クラークは思わず尋ね返す。

 異常性によって塗り固められた、冒涜的なる名を耳にした途端、動悸が酷く激しくなった。背筋を猛烈な寒気が走り、鳥肌が立つ。占守島沖を遊弋しているはずの食中毒空母が、世の理から外れたる邪術でもって近傍海域に姿を現したのではないかと、まったく不合理に懸念されたのだ。


 そして驚くべきことに、それは肯定されてしまった。

 どうにか情報を総合してみたところ、遭遇した敵艦隊の中に食中毒空母が混入していたらしいとのこと。極秘裏に二番艦が建造されるなどしていたか、何時の間にやら別の艦と入れ替わっていたのではないか。参謀長は慌てて捕捉したが――その辺りから先の内容は、指揮官たるべき人物の耳には届かなくなってしまっていた。


「ああああああ!」


 根源的狂気を伴いたる絶叫が、人々の精神を蝕まんばかりに響き渡る。

 連合国軍最大の疫病神にして、対峙する提督を悉く破滅させる魔性の艦とされたる『天鷹』。正常なる思考を何より重んじるクラークは、赫々たる勝利を挙げることにより、巷間で囁かれたる荒唐無稽で呪術的な噂を断固否定する心算でいた。


 だが完膚なきまでに打ち砕かれたのは、慣れ親しんだ世界観の方だった。

 非ユークリッド幾何学的に歪んだ脳裏に、人智を超越した克明さでもって描き出されていたのは、面白半分に混沌を撒き散らして哄笑する貌なき邪神の姿。食中毒空母を依り代としたるそれが、パウナルやハルゼーの運命を狂わせ、遂には己が魂をむんずと掴んだ。一切の疑問なくそう実感し、これまでに培った常識はもはや何の役にも立たぬと理解してしまったクラークの精神は、とうに底知れぬ漆黒の深淵へと通じていた。





択捉島:単冠湾



 第七航空戦隊を率いる高谷少将は、作戦を終えて帰投した今も尚、憤懣やる方なしといった様子。

 怒りの理由については、態々記すまでもないだろう。天麩羅軍艦の罠にかかった敵主力を航空攻撃で叩くはずが、突発的な夜間遭遇戦ですべてが片付いてしまったが故ではあるが、例によって主力艦撃沈の戦果を挙げられなかったからに違いない。


 しかも手柄を立てる機会があったものだから、話が余計に拗れてしまっていた。

 実のところ遠藤機動部隊に属する各艦は、砲戦において真っ先に脱落させたアイオワ級戦艦を、どうした訳か見失っていた。あるいは夜戦での混乱とはそれだけ大きいのかもしれないが、目と鼻の先にあったはずのそれを失探するなど言語道断。ともかくも索敵機を出して急ぎ探せとなり、応急修理を終えた『天鷹』を発った彩雲が漂流中の大型艦を再発見、ただちに雷装した流星9機を差し向ける準備がなされたのである。


 だが……いざ出撃となった辺りで命令が二転三転、発艦許可が取り消されてしまった。

 接触を保った彩雲から、詳細な情報が入り始めたが故だった。偵察員にして女湯覗きの常習犯たる田代二兵曹曰く、敵戦艦は第一砲塔より先が消失して"イオワ級"になっている。速力も著しく低く対空砲火も一切撃ち上げられぬことから、無人漂流中なのではないか。遠藤中将はかような報告に欣喜雀躍、ただちに鹵獲しろと大はしゃぎし、分捕れそうなものを沈められては困ると航空攻撃中止を命じてきたのだ。

 無論、かように欲深なる目論見が見事潰えてしまったことは、高谷の態度などからも明白であろう。


「ともかくも中将、あの判断はあり得んでしょう」


 航空戦艦『伊予』の司令長官室にて、高谷は猛りながら主張する。


「鹵獲するからと攻撃隊を差し止めた挙句、悪天候でまた見逃したではお話になりません。まるで童話の駄犬じゃありませんか。川に写った犬の肉を奪おうとして、自分が咥えていた肉を川に落っことしてしまう類の」


「おい、無礼も甚だしいぞ。分を弁えんか」


「この際、そんなもの関係ありません。仮にあれが生きておったら、我が海軍はそれだけ不利となるでしょう。だから確実に仕留めるべきと具申したのです」


「あれだけの嵐だ、耐えられはせんだろう」


 遠藤は心底苛立った面持ちで、不味そうに紫煙を吹いていく。

 この瀟洒な一室の雰囲気にまるで似合わぬ輩が、あろうことか2人もいる。顔にそう書いてあるようで腹立たしい。


「あの後、美幌の701空も出て索敵し、結局何も見つけられなんだ。となれば既に海の底と考えるのが妥当だ。だいたい穴だらけで海水を飲んで炎上、艦首断裂して総員退艦済みなんて状態のフネが、嵐に飛び込んで助かるはずがあるか。船乗り100人に聞いたら100人とも沈むと答える。貴官とて艦隊勤務だけは長いはずだろう、何故それが分からん?」


「万が一ということもあります。特にこの戦では稀によくある」


 どうにも矛盾した反論が口から転げ落ち、


「加えて我が七航戦の戦果といったら、駆逐艦を撃破してバークとかいう大佐をとっ捕まえた程度でしかなく……」


「くどい、いい加減喧しい」


 遠藤の雷がズドンと落ちた。

 今まさに軍刀を抜き、斬りかからんばかりの剣幕である。もっとも高谷は実際に決闘までやってのけた、生まれた時代を間違えたような天然危険物で、これまた怯む気配などさっぱりない。


「まあそこは、今更揉めたところでどうにもなりますまい」


 非の打ちどころのない正論が、鼻をひん曲げる臭気とともに割り込んだ。

 誰であるかは言うまでもない。『天鷹』のインチキ模造艦を引っ提げて現れ、結果的に今回の偶発的夜戦を生起せしめた、黒島少将その人である。


「まさかあんな方角から米海軍が攻めてくるとは思っておりませんでしたし、どうにも自分と『天麩羅鷹』は除け者にされとった気分ですが、何にせよ厄介な米空母1個群を丸ごと葬ってしまった訳で。となればまずはこの僥倖を喜ぶべきですし、自分としても奇策を巡らせた甲斐があったと思っとります」


「うん……貴官は何時も楽しそうでいいな、おい?」


「ええ。これで変な参謀、変な部長に続いて変な司令官の三冠王達成でして」


 黒島はまたぞろ変な舞でも踊らんばかりである。

 その奇天烈的言行のなせる業ということなのか、険悪なる雰囲気が瞬く間に変テコなそれに変わってしまった。これもまた特殊な処世術なのだろうかと、高谷は幾分首を傾げてみた。


「それから何よりの奇跡たるは、殊勲艦たる『扶桑』をどうにか持ち帰れたことかと」


 黒島は爛々と目を輝かせて言い、


「雷撃処分とせずに済んだのも、『天鷹』航空隊が睨みを利かせていたが故。件のアイオワ級は十中八九海の藻屑でしょうし、ならばこちらの方が余程重要かと。後々の海軍大戦略を考えれば、案外これが効いてくるかもしれませんので」


「旧式艦と新鋭艦では釣り合わん気がするが……そんなものかね」


 高谷は微妙な顔をしながらも、多少はそうかもしれぬと思う。

 かつて珊瑚海で窮地を救ってくれた戦艦は、今回の熾烈極まる夜戦において敵弾を一身に浴び、前甲板の主砲塔2基と違法建築物的艦橋の過半を失うなど大損害を受けた。しかも煙突が倒壊したため煙が逆流、機関員が全滅して連絡途絶となった影響で、一時は航行不能とまで見做されていたのである。そんな彼女の被害状況を冷静に見極め、帰投させる余裕を作ったのだと言われれば、まあ悪い気はしないというものだろう。


 とはいえ正直なところ、『扶桑』は今後どうなるか分からない。

 就役から30年近く経った艦であるから、修理したところでさほどの戦力増強にもなるまい。加えて直すにしても、来るべきマリアナ決戦に間に合わなさそうな様相だが――かような具合に幾らか思案していたところ、黒島がこれまた怪しげなことを思いついたとばかりの視線を、こちらに向けてきていることに気付いた。


「実のところ、『扶桑』をほぼ今のまま上手く使う方法を思いつきそうでして」


「何だ、また天麩羅でもやるのか?」


「いえいえ、今度はビフテキになるかもしれません。まあそういう訳です、あのアイオワ級のことはもうすっぱり忘れてしまった方がよろしいかと」


 黒島は無茶苦茶な調子で笑い、遠藤は心底胡散臭そうな顔をする。

 とはいえ『扶桑』が奇跡の生還を遂げられたのであれば、米戦艦もまた信じ難い強運でもって落ち延びてもおかしくはないのではないか。高谷は意識を次なる決戦に切り替え、如何に主力艦を撃沈するかを考え始めながら、数理的にはさっぱり妥当性のなさそうな野性的直感を働かせていた。

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