一杯の珈琲を⑦
地球周回軌道:西シベリヤ上空
宇宙空間での迎撃戦闘はおおよそ、事前に計算機群が弾き出していた通りに進んでいた。
バルト海や北海より怒涛の勢いで発射された、世界に終焉を齎さんとする長距離弾道弾。先頭集団は指向性を極限まで高めた原子励起硬X線を浴びて大部分が消滅し、それに続く一群もまた、徐々に数を減らしつつあった。軌道戦闘機隊と地上の戦略高射師団の奮戦が、被害を最小限に食い止めていているのだ。
とはいえ緊密なる連携をもってしても、最後の数百発を撃滅し切れなさそうな情勢だった。
だからこそ、ここで乾坤一擲の大勝負に出たのだ。高谷中尉は曳航艇5号を的確に減速させながら、何度も自身にそう言い聞かせる。機体に無理矢理据え付けた加速用原子爆弾転用の即席爆雷を、敵弾道弾と交叉するように投弾し、最接近点において起爆する。未だ長楕円軌道に乗っている軌道空母『天鷹』からの誘導があっても尚、かような芸当は著しく困難と思われたが……案ずるより産むが易しと嘯きながら、彼は何とか操縦を続けていく。
「カズ、どうだ? いけるか?」
「爆雷1番、2番、諸元入力よし。自動射出」
空軍士官学校で同期だった天野中尉の、まったく落ち着き払った声が、宇宙服内蔵の通信機より響いてくる。
「つまりそちらの腕次第、頼むぞ」
「任しとけ。こいつは俺の発案だ」
些か音吐を強張らせながらも、可能な限り朗らかに承る。
それから眼前の端末を凝視し、艇の軌道を再確認。艦載の計算機が的確なタイミングで即席爆雷を射出してくれる手筈だが、それは適正な針路と速度を保って"窓"へと突入した場合のみ。許容される誤差範囲は著しく狭く、修正に用いることのできる時間はほとんどないのだ。
「兵装最終確認よし……間もなく投弾点」
「おう」
高谷は威勢よく応じ、それから0.3気圧の純酸素を大きく吸い込む。
艇の軌道に問題はないはずだが、何らかの拍子にすべてが狂ってしまわぬか。1発を逃せば数十万人が殺戮されるかもしれぬ状況にあって、まったく如何ともし難い懸念。しかし心臓をぎりぎりと締め付けるようなそれは、直後に伝わってきた微かな衝撃により、とりあえずは霧散した。
「爆雷1番、2番、投弾」
「よしッ、次」
安堵などする暇もなく、高谷は意識をすぐ切り替える。
放った即席爆雷が無事、弾道弾を吹き飛ばしてくれるか、大変に気がかりではあった。だが後はすべてが機械任せで、もはや自分にはどうすることもできぬ。であれば次の任務に意識を集中させ、皇国に迫らんとする大量破壊兵器の撃滅に専念すべし。彼はそう念じて操縦系を弄り、主機を吹かし、曳航艇の針路と速度を修正する。
そうして先程と同様に、また新たな目標に向け、大胆不敵に接近していった。
燃料と兵装の残量からして、これを含めたあと3回の迎撃が限界。それが終わったらどうするか。とことんまで血走った相貌でもって、端末に描かれた弾道弾群の軌道を睨みながら、高谷は己が魂を叱咤する。曳航艇を用いた迎撃を思いつけたのだ、何かもうひとつくらい回天の一手を考え出せと。
鳥栖:丘陵地帯
かつて田代町と呼ばれていた辺りに、幼馴染だか腐れ縁だかの少年と少女がいた。
親同士の付き合いの関係で、何かと行動をともにさせられていて、顔を合わせれば喧嘩になるほどだった。だが結局のところ、そうした積み重ねが重要だったのかもしれぬ。次第にお互いを意識するようになっていた彼等は、それぞれ実業学校と高等女学校を卒業したところで結婚し、いつしか仲睦まじき夫婦となっていた。
そして今、彼等は長女とともに、地下空間の一角で身を寄せ合っていた。
陸軍と大東亜工兵、地元の建設業者の混成部隊が、丘陵を刳り貫くようにして築いた巨大防空壕。水爆の直撃でもなければ破壊されぬと喧伝されたるそこには、非常持ち出し用の背嚢を担いだ住民が何万と避難してきていた。
「舞鶴と鎮海が消滅したそうだ」
「この辺りもやられるかもしれない」
かような嘆きにも似た囁きも、あちこちから漏れてくる。
薄暗い地下空間に充満したるは、遂に訪れてしまった世界最終戦への筆舌に尽くし難い恐怖と、しきりに唱えらえる念仏。4歳になったばかりの幼子は、今にも泣き出さんばかりの声で尋ねる。
「父ちゃん、あたし達みんな死んじゃうの?」
「大丈夫だ。大丈夫だぞ、孝美。この要塞は、父ちゃんが作ったんだからな」
怯える娘を抱きかかえながら、赤井青年は満面の笑顔を作って応じた。
一族で営んでいる建設会社は、何次受けだったか分からないが、確かにあちこちの補強工事に携わっていた。お陰で傍らに佇んでいる父や叔父などが、手柄を独り占めするでないと突っ込んできて、場の空気が少しばかり和む。
「それにね、孝美」
引き継いだのは妻の紀美子で、
「立派な軍人さんが、今もお空の上で頑張ってくれているのよ」
「そうなの?」
「そう。しかもお父ちゃんの親友なんですって」
「ああ、ヒデの奴のことだな」
尋常小学校以来の記憶を蘇らせ、赤井は懐かしげに笑む。
街で一番の暴れん坊として名を馳せた竹馬の友は、名門かつ迷門な軍人の家の生まれというのもあってか、空軍士官学校へと進んでいった。その後、空想科学活劇まがいの軌道空母に乗って、宇宙へと旅立ったはずである。
「まあそういう訳だからな、おっかない爆弾だって全部撃ち落としてくれるさ。だから怖くないんだぞ」
「うん、分かった」
娘はなかなか気丈に答え、
「あたし、お祝い会のこと考えるね」
「お祝い会?」
「軍人さんが帰ってきたら、みんなでやらなきゃでしょ?」
「ああ、本当だ。本当だな……」
赤井はしみじみと肯き、心底それを催したいと思った。
そうして具体的な計画についての相談に乗りながら、旧友の武運をひたすらに祈った。何処からともなく、『天鷹』がいるから大丈夫だという声も聞こえてきた。かの艦名には霊的な力が宿っているから云々という、噴飯物の内容ではあったが、今はそんなものにも縋りたい。
地球周回軌道:バイカル湖上空
「糞ッ……まさかこいつ、俺の故郷を蒸発させる気かッ!」
高谷は驚愕のあまり目を見開き、端末画面に記された軌道を睨む。
即席爆雷を2発ずつ4度投射し、もって弾道弾3基を無力化するという確率論的な奇跡を起こした直後。彼の操る曳航艇の前方に、新たな目標が偶然にも出現した。恐らくは撃破された衛星を装っていた遅発型の部分軌道爆撃弾が、この機を逃さぬとばかりに活性化したのだろう。猛烈なる火焔を吹いて急減速したそれの半数必中界は、まさに九州北部の一点を中心に広がっていて、鳥栖市もその中に含まれているようだった。
「どうする?」
ただちに天野が尋ねてくる。
自分は既に意を決したとばかりの音吐だ。切迫した状況にあっては、何よりそれが頼もしい。
「弾はないが燃料ならまだある、挺身で食い止めるか?」
「ああ、それっきゃねえよな」
即答。高谷は電光石火の勢いで曳航艇を減速させ、部分軌道爆撃弾を追い越さぬよう追撃する。
強引に搭載した兵装は既に撃ち尽くしてしまっていた。とすれば実際、ぶつける以外に方法などあるはずもない。メガトン級の爆弾が落下されたら、一帯が焦土と化して何十万という人々が焼き殺される。それをたかだか2名で防げるのであれば、どうあっても勘定が合うというものだ。
だが何より懸念されるのは、それが成功するか否かであろう。
無論、やらぬよりやった方が良いのは事実。しかし酷く小さな目標に体当たりというのは、縦横の運動性能がそれなりに良好な艇をもってしても至難の業に違いなく……むしろまったくの徒花に終わってしまう確率の方が、圧倒的に高いと考えるしかなさそうだった。であればもっと上手い手が転がってはいまいか。遮二無二思考を巡らせ、とにもかくにも脳味噌を使い、どうにか閃きらしきものを掴み取る。そう、こいつは曳航艇なのだ。
「おい、操縦代われ」
「代わった」
天野は即応し、
「何か名案が浮かんだか?」
「ああ、船外に出てアンカーを叩き込む」
「なるほど名案だ」
「時間がない、後は頼む」
そうとだけ言うと、高谷はただちに準備に移った。
宇宙服を船外設定に切り替え、無重力下を素早く移動し、気閘へと突入する。緊急減圧の時間がもどかしくて仕方なかったが、命綱を結び付けながら手順を反芻。狙うべきは部分軌道爆撃弾の側方に備えられた噴射装置だ。そこを潰してしまえば、まともな姿勢制御もできなくなるだろうし、大気圏突入に際して、破損箇所から構造が崩れ出すかもしれなかった。
そうして遂に閘門が開き、任務中に見る予定のなかった景色が視界へと飛び込んできた。
眼下に広がる地球はまったく青く美しく、祖国のある方角を望むと、チカチカと瞬くものが目に付いた。防空部隊も全力で迎撃に当たっているのだ。ならば自分もここで滅私奉公すべきと念じ、ただちに曳航用機材をハッチから取り出す。軌道戦闘機への配属が叶わなかった時は、なかなかに荒れたものだが……まさにそれは今この瞬間のための采配であったのだ。
「二時方向、仰角……」
「あれかッ」
目標発見。それと同時に高谷は跳ねた。
距離は数百メートルといったところか。アンカー射出機に備え付けの推進装置を噴射させ、随分と慣れた手つきで接近していった。頑強なる曳航索は、カンブリア紀に生息していた怪生物の触手が如く伸びていき……大気圏突入に備えての姿勢制御を始めた部分軌道爆撃弾が、照準器中央にくっきりと映り込んだ。
「ヨーソロ、ヨーソロ……撃てえッ!」
高谷は割合に静かに、しかし激烈な戦意を滾らせて叫んだ。
そうして円筒形の射出筒より無反動で放たれたアンカーは、真空中を矢の如く進んでいき、どうにか狙い通りの箇所に命中した。想定外の外力を加えられた部分軌道爆撃弾は、不規則な回転をし始める。
そして歓喜に打ち震えるより先に巻き込みボタンを押し、自らの身体を曳航艇へと戻していった。
既に大気圏ぎりぎりで、ぐずついていては焼け死ぬのみ。一度は軽々と挺身攻撃を決断したものだが、目標の無力化に成功したのだから、もはやその必要などありはしない。何なら伝説的な曾祖父の如く、とことん図太く生き伸びてもいいのではないかと、熱に包まれながら高谷は思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます