一杯の珈琲を⑥
地球周回軌道:アラスカ上空
冷徹無比なる計算が、軌道空母『レイク・シャンプレイン』においてなされていた。
宇宙空間へと投射され始めた何百という潜水艦発射式弾道弾について、その飛翔軌道と脅威度を迅速に判定し、この兵器をここで用いれば犠牲者を何人減らせるかといった期待値に基づいて、迎撃手段を決定していく。すなわち限られた戦力をどう配分し、全体の被害を最小化するかという問題に他ならぬ。それを解くのは無味乾燥なコンピュータ群で、人間らしい感情を差し挟む余地などあるはずもなかった。
そうして機械的に決定された目標は、既に発艦を終え、母艦近傍で待機中の艦載機へと転送されていく。
OF-1A スターファイターに乗り組むアスティア大尉は、端末に表示されたそれを素早く確認する。放っておけばロサンゼルスかサンディエゴを蒸発させるであろう弾頭群を、バフィン島上空において撃破するのだ。機体に搭載されているミサイルは12発。相手は恐らく多弾頭型、交戦の前に再突入体を分離すると予想され……ほぼ間違いなく出るであろう撃ち漏らしについては、辛うじて戦力を維持している、地上あるいは空中の防空部隊に任せる他なさそうだった。
「ともかく大尉、お願いします」
管制官は些か動揺気味で、
「カリフォルニアを、カリフォルニアを救ってください」
「ああ、任せておけ。見事ヒーローになって戻る」
少しばかり動揺気味な管制官のため、アスティアは気さくな声を何とかひり出す。
いったいあと何人のヒーローが必要なのか、もはや分かったものではなかった。またその絶対数も致命的に不足していた。特に痛かったのは僚艦『ボノム・リシャール』がほぼ戦力外となったことだろうか。軌道上での戦闘には些か大艦巨砲主義的な側面があるようで、彼女がドイツの新Z艦隊に向けて放った艦載機群は、任務の完遂と引き換えにほとんどやられてしまっていた。
「とすれば」
アスティアは端末をチラリと見る。
少し前、画面上の表示が黄から青に変わった艦があった。『レイク・シャンプレイン』よりも6割ほどは大きい、日本空軍が誇る世界最大の軌道空母だった。
「一応こいつが味方になったのを、喜ぶべきなんだろうな」
「大尉は妙な因縁がおありなんでしたっけ」
航法・兵装担当のグッドウィン中尉の、少々現実から遊離したような声が、後部座席より響いてくる。
「あの曰くつきの『天鷹』に」
「ああ。何とか宇宙から降りて、クソ塗れで初代の方に拾われた親父が、一発奮起して俺をこさえてくれたって訳だ。でもってその俺が『レイク・シャンプレイン』なんてフネに乗って、『天鷹』二世と肩を並べて戦うことになるとはな」
「あちらは後ろから追いかける軌道で、ドイツの弾道弾を撃墜する心算みたいですね。減速し損なっていたのが逆に奏功したようで、相変わらずの奇運ぶりとしか」
「無事に……いや、もう少しも無事じゃないが」
地獄も同然であろう地上の状況に、アスティアは罪悪感を覚える。
「それでも戦争が終わったら、あっちの連中と宇宙ボクシング大会でもやりたいもんだ。昔の戦争じゃ、艦同士がぶつかり合い、指揮官同士が殴り合ってたかもしれんが、これからは一緒に世界を復興させねばならんだろうし」
「皆のためにも、ここで弾道弾を食い止めましょう。大尉、燃焼開始まで30秒」
現実感は急に増し、アスティアもまた感覚を計器類に同調させる。
異常がないことを何回か確認したところで、主エンジンが轟然と火を噴いた。加速度はきっかり1G。何億年か前の海を支配したチョッカクガイが如き形状をした軌道戦闘機は、ちょうど北極海上空に差し掛かった辺りで軌道変更を始め、世界の破壊を目論んで飛ぶものを迎え撃つ。
ただその間にも、長距離弾道弾と思しき赤外線輻射が、ドイツ近傍でまた新たに確認された。
滅びゆく異常科学帝国の、地球上の何もかもを道連れにせんとする悍ましき執念。それと生への渇望のいずれが勝るか、未だまったく予断は許さない。
地球周回軌道:アフリカ大陸上空
「艦長、全機発艦完了しました。間もなく減速開始」
「分かった。あとは彼等が武運を期待するばかりだな……」
空気の張り詰めたる戦闘指揮所。軌道空母『天鷹』の艦長たる諏訪大佐は、祈るような面持ちで肯く。
眼前に展開されているのは、酷薄に過ぎる世界最終戦の現実だった。ドイツ軍の破れかぶれの弾道弾発射は、先程ようやく撃ち止めとなったようだが、既にあまりにも多くが大気圏を離脱し、しかもその半数ほどが東へと驀進してしまっているのだ。それらがアジア全域を悉く灰燼に帰さしめんとしていることは、もはや火を見るよりも明らかという他ない。
致命的なのは、宝籤の一等に連続当選するような低確率でしか、壊滅的被害を免れ得なさそうなことだった。
使用可能な兵装すべてを抱いて全力出撃していった軌道戦闘機隊には、計算機群の演算結果に基づき、それぞれ最適な迎撃目標が割り振られていた。ある種当然の帰結として、帝国本土防衛には最高度の優先順位が与えられている。それでも日本列島の何処かに、最低でも10発程度のメガトン級水爆が落下すると見積もられていて、いったいどれほどの犠牲が生じるか、想像することすら悍ましかった。
そして僚艦の状況などを鑑みても、起死回生の一手はまるで見当たらない。とすればこれまでの分散疎開と耐核防御の努力が奏功し、人的被害が最小化されることを望むしかないのか……そう考えた矢先、画面のひとつが唐突に切り替わった。
「艦長、自分が出ます」
大声で伝えてきたのは、暴れん坊で有名な高谷秀典中尉であった。
とんでもない曾祖父を持つこのパイロットは、血筋的に戦意旺盛であり過ぎるが故か、冷静沈着さの求められる軌道戦闘機乗りには選ばれなかった。そうして何故か、余計に慎重さが求められそうな曳航艇勤務でやってきたのだが……少なくとも彼の目に、諦観らしきものは見られない。
「奇跡は起きます。こいつで起こして見せますッ!」
「おい、どういうことだ?」
唐突な、本来挟むべき諸々をすっ飛ばした具申に、誰もが目を剥く。
「貴官が乗っとるのはタグボートだろう?」
「こいつに原爆を積んで、弾道弾に向けソレッと投げつけるんですよ!」
画面上の快男児が拳を握り、力説する。
「天野の概算ですが、最大噴射で減速してこちらから上手く軌道を交叉させてやれば、まだ迎撃が間に合います!」
「中尉、残念だが使える弾がもうないぞ」
「あるではありませんか、緊急加速用の原爆がまだ何百発も」
予想外の発案に、誰もが仰天の相を浮かべる。
「投げつけるのはそいつですよ。ともかくも艦長、自分はじっとしてなどいられません、やらせてください!」
「……いいだろう、準備しろ。この際だ、ボートも内火艇も全部出せ」
諏訪は意を決して命じ、他の小艇も出撃の用意が整っていることを直後に把握した。
後生畏るべし。その言葉の意味するところを、彼は身をもって実感した。情熱と闘志に溢れたる若者達が、思いもよらぬ機転を利かせ、八方塞がりの状況を打開せんとしているのだ。ならば救国の志士たる彼等に力添えし、皇国ひいてはアジアを破滅の淵から救わんとすることに、躊躇いなどあろうはずもなかった。
そうして飛行長に命じ、大急ぎで作戦計画を立てさせる。
案外、何とかなるかもしれなかった。タグボートや内火艇の類であれ、『天鷹』と同一の軌道から出発するのであるから、敵弾道弾の最後尾集団に対してであれば、ぎりぎりではあるが接触できそうだ。無誘導の兵器を用いての迎撃であることが、間違いなく懸念点ではあった。それでも艇の加減速をこちらから適切に指示し、原子爆弾の爆発指向性を標的に上手く向けられれば、確かに当てられなくもないとの評価が返ってきた。
つまりは、大勢を助けられるのだ。凄まじく弥縫的なやり方ではあるから、撃墜できるのは半分ほどかもしれないが、何も思いつかずにいた時と比べれば、状況は遥かに改善したと言えるだろう。
「艦長、なかなかいい部下がおるよの」
黙して状況を見守っていた南雲中将が、久方ぶりに口を開く。
「前言撤回、やはりこのフネの名は『天鷹』で良かったようだ。敵艦を沈める以外は上手くやるという伝統は、今でも健在なようであるからな」
「はい。義号作戦の再現を期するといたしましょう」
朗らかに肯き、それから少しばかり呼吸を整える。
程なくして準備は整い、原爆を強引に搭載したタグボートが発艦を開始。軌道艦の特性上、その様子を直接目にすることは叶わぬが、手の空いていた者は誰でも、勇者達を帽振れで見送った。
「頼んだぞ」
諏訪は力強く声援しつつ、かつてテニアンへと赴いた祖父を追想する。
先程、勇躍出撃していった若人もまた、原爆奪取をやってのけたバンカラ司令長官の子孫に違いない。かくの如き義号作戦の系譜が、またもや『天鷹』と命名された艦に乗り組んでいるのだから、先代のような展開が起きても実際良いのではないか。酷くご都合主義的な発想だと、彼も少々自嘲気味に思ったが、今はそんなものにでも縋りたいところだった。
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