狂気のタンポポ作戦計画⑤
ベルリン:美術館
「素晴らしい、画題の随所に民族精神の本質がよく表れておる!」
「見ているだけで心身とも健康になってくる作品だ。この浪漫性を人々に分けてあげたい」
かような絶賛の言葉が、ベルリン美術館の特別館に満ち溢れる。
現在そこでは、ナチ党主催の国家社会主義芸術祭が行われていた。大戦にあって多大なる戦禍を被りながらも、全欧州の指導国家たる大ゲルマン帝国建設に向けて邁進するドイツ。そうした歴史的雄飛を絵画や写真、映像などで表現せんと、民族芸術家が挙って参加したこともあって、展覧会場は大入り満員といった具合だった。
しかも興味深いことに、催しには幾つかの新機軸が盛り込まれていた。
例えば匿名での出展が可能であるとか、来場者も作品を競り落とせるとかだ。少なくとも名の知れた誰かのものであろうそれを、各地の名士や国防軍・武装親衛隊の将校などが厳然たる態度で品定めし、時として買値を書き換えたりしていく。そうした過程自体がなかなかに面白く、また売上の半分はレーベンスボルンの子供達の健全な育成のために用いられるから、色々と見誤ったとしても、面目はまあ保たれるという構造になっているのだった。
「とはいえ正直、絵ってのはよう分からないな」
帝国海軍の正装でやってきた鳴門大佐は、視線を泳がせながらぼやく。
何故かドイツ勤務を命じられた彼は、付き合いでこの催しに参加する破目になったのだ。ただ露伴なんて名に反して文が苦などと言って憚らぬ彼は、芸術全般に関しても造詣が深くない。そういうのは傍らであれこれ論評して回る、妻にして売れっ子漫画家なる日向子の方が専門であった。
「お前、こういうの分かるんだな」
「仕事がそれですから」
日向子は自信満々に言い、視線をあちこちに振り向ける。
ただどうも不可解な印象を受けているようだ。そういえば印象派なる画風があり、このところのドイツでは頽廃だの何だのと言われているようだが、どういう分類なのかよく分からない。
「ただ何だか、全体的に工業的な感じがするわね」
「工業的?」
鳴門ははてと首を傾げ、
「ええと……いいことじゃないのかな? 余計なばらつきがないってことだろう?」
「あなたの好きな漫才が工業的だったら、ちっとも面白くないと思いません?」
呆れたとばかりの台詞が返ってきた。
言われてみれば、確かにそれはその通りかもしれない。とはいえ眼前に掲げられていたのは、投擲された手榴弾を己が身で覆わんとする兵士の絵。なかなか凄絶で英雄的な雰囲気だった。
(実際これなんかは……うん?)
値でもつけてみようかと思った矢先、鳴門は妙な喧騒に気付いた。
ある人物画の周囲に人集りができて、ガヤガヤとやっている。特筆すべきはさっぱり好意的な反応でないことで、
「この絵クソっすね。忌憚のない意見って奴っす」
「細部がやたらと細かい割に、構図が破綻しておって気味が悪い。ユダヤ人が描いたんじゃないか?」
「そもそも何なのだ、このA.Hなる作者名は? 総統閣下を侮辱し過ぎだろう」
といった具合に、酷評の嵐が吹き荒れまくっているのだ。
鳴門にはやはり、芸術の良し悪しなど分からない。そこまで言っていいのかとも思えてくる。だが判を捺したが如く罵詈雑言が飛び出してきているともなると、自分に感知できない部分において、致命的な欠落があるのかもしれず……再び妻の方を覗いてみると、これまた苦笑を禁じ得ない様子であった。
「正直、どうしてこんな場に出展されているのか分かりませんけど……ちょっと自信がついてきた入門者が、何かとやりがちな間違いの詰め合わせという感じがしますわね」
「ふぅん。教材としては案外いいのかもしれん」
「なら買ってみてもいいかしら、そういう用途で」
日向子はニコリと微笑み、これまた困惑気味な担当者に尋ね始める。
今まで誰ひとりとして買い手が現れなかったこともあり、値札は1マルクから開始。周囲の連中はそれを大層面白がったが、謹厳実直で質実剛健なる彼等は決してそれ以上の評価をしようとしなかったので、そのまま競り落とせてしまったのだった。
とはいえ何気ない落札が超重要人物を傷つけてしまうなど、実際夢にも思わぬだろう。
そしてその直後、歴史が今動いたとばかりに、会場が唐突にざわめき始める。国防軍や武装親衛隊の将校が慌てて去っていった辺りからして、何か地政学的重大事が起きたのは確実。少し前までドイツ全土で行われていた防空大演習が、予想外の反応でも引き起こしたのかと予想した鳴門は、最寄りの地下鉄駅を地図で探した。
リガ:空軍司令部
「糞ッ、露助が動き始めたかッ!」
内線での連絡を受けるや否や、空軍の至宝と謳われしルーデル少将は目の色を変えた。
それからすぐさまあちこちへと電話を架け始める。大戦中、人をして創作ですらここまで盛らぬと言わしめたほどの戦果を挙げた彼は、元はといえば偵察隊の出身で、言ってみればそこでの経験が何百輛という戦車を撃破することに繋がったのだ。であれば航空艦隊の参謀長として勤務している今は、鍛えられた観察眼を直近の戦略分析に用いるべし。必要とあらば帰投したばかりのパイロットから直接聴取するなどして、とにもかくにも情報を収集していった。
すると相当に厄介なことになりつつあると、否が応でも痛感する破目になった。
まず高高度偵察に出ていたうちの2機が、未だ帰還していないとのこと。いずれもモスクワ近傍へと向かっていた機体で、状況からして地対空誘導弾によって撃墜されたらしかった。一方で軍事境界線付近での迎撃はむしろ低調になりつつあり、滑走路上にあるはずの赤軍戦闘機も、恐らくは後方へと退避してしまった模様。極めつけは通信トラヒックがある時を境に急減したとの報告で、それが如何なる意味であるか理解できぬ者などいるはずもなかった。
つまりは共産主義者の軍勢は、臨戦態勢へと移行しつつある。奇襲を前提としたレーヴェンツァーン作戦の前提が、現在進行形でがらがらと崩れているのだ。
「頭にヨーグルトの詰まった馬鹿どもめ、余計な真似をしてくれおってッ!」
ルーデルは酷く憤り、ブルガリヤ人を面罵した。
彼等とは一応、同盟を結んでいるはずである。だがかの国の軍隊は突如イスタンブールへと進撃を開始し、仰天したトルコが総動員を発令。一応はどちらも枢軸陣営でありながらこのあり様で、おまけにソ連邦の過剰反応を誘発させてしまったのだ。
ただどれだけ言葉を並べたところで、状況が改善する訳ではない。
そのため精神を落ち着けるべく牛乳を一気飲みし、司令官室へと急ぐ。戦闘機部隊は東方への移動をようやく開始したところで、現状では護衛は不十分となりそうではあるものの、使用を予定している原子爆弾の半数は基地に到着している。ならばただちにそれを爆撃機に搭載し、ソ連邦各地の要所を完膚なきまでに破壊してしまうべきだった。
「司令官、今すぐに露助どもを原子の塵に変えに行きましょう!」
ルーデルは独断専行も辞さぬ構えで、ガーランド大将に直訴する。
「奴等は既に布陣を始めており、時間は敵を利するばかり。出撃は何時でしょうか? 1時間後の予定であるならば、何故1分後でないのかと問います。自分も原子爆弾を抱いて出ますから、ただちにご命令を」
「まことに遺憾ながら……出撃命令はまだ下せぬ」
「何故ですか!?」
「つい先程、気象台が不可解な地震波を捉えたとの連絡があった。震源はソ連領内、マグニチュードおよそ5……恐らく核実験だ」
「であれば尚のこと、今すぐにでも開戦するべきでしょう!」
御託を並べている暇などあるはずもない。ルーデルはいきり立ち、一気呵成に捲し立てる。
共産主義者が実験に成功したのだとしても、それを終えた直後であれば多くを保有してはいまい。対してこの機会を逃せば、次は永遠に巡ってこないかもしれぬのだ。バルバロッサの再来となる一大侵攻作戦を発動する理由はまさにそれだと、眼前の司令官はそう声高に主張していたはずで、とにもかくにも詰め寄っていく。
ただ詳細を聞くにつれ、一筋縄でいかぬ事情も判明してきた。
懸案の奇妙なる地震は、50分ほどの時間を置いて2度あった模様。とすればソ連邦は既に片手の指の数あるいはそれ以上の原子爆弾を保有しているかもしれず、想定以上の損害を被る可能性が生じてしまったとのこと。加えて未確認の情報ながら、アイスランドやカサブランカの米戦略空軍基地が活性化するなど、とにかく事態が流動化しつつあるのだった。
「ですが、それでも打って出るべきでしょう! 露助も2発分しか爆弾を持っていなかったのかもしれませんし、最悪3、4発ほど被爆して50万人ほど死傷者が出るとしても、将来500万人あるいは1500万人が死傷する段階で開戦を決意せねばならぬ状況と比べれば遥かにましな結果となるはずです」
「参謀長、それくらいのことは俺だって言ったッ!」
ガーランドの悔しげなる声が、寒気を伴って室内に木霊する。
「だが総統閣下の大号令が、どういう訳か未だに受信されぬのだ。誇り高きドイツ国防軍の将たる者、如何なる理由があろうと、命令には絶対服従でなければならぬ。それ故、今はただ待つしかないのだ」
「……了解いたしました」
内心に渦巻く諸々を押し殺し、ルーデルは渋々ながら引き下がる。
だがまったく納得などできていなかった。またドイツ第三帝国と全アーリア人種の指導者なるヒトラー総統が、かくも愚かしき躊躇などするはずもない。とすればいったい何が起こっているのか。この期に及んでの権謀術数に対する懸念が胸中に満ち、国防軍内に急速に動揺が広まっていく。
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