バンカラ司令長官誕生す!

横浜市:日吉台



「長官、いったい何をボヤっとしておるのですか。早急にマリアナ救援作戦を実施せねばならんはずです」


「サイパンやテニアンの守備隊は、聯合艦隊が来援するものと信じ、必死の持久戦を今も繰り広げておるのですぞ。ならば動ける艦艇を搔き集め、米水陸両用艦隊を抹殺しに行くのが筋ではありませんか」


 司令長官室に通されるなり、高谷少将はとにかく捲し立てる。

 相手が聯合艦隊の頂点に君臨する人物だろうと、一切お構いなしといった具合だ。それは彼の生来的無鉄砲さが故のものに違いない。しかし同時に、血気盛んなる大勢の将校を代弁しているも同然であった。


 何しろ暦は今日より霜月。マリアナ沖から主力が後退してから、既に2か月弱が経過してしまっているのだ。

 無論のことその間、陸海軍は攻撃の手を緩めた訳ではない。ヤップや硫黄島に展開した航空隊は今も敵揚陸船団を痛撃し続けているし、10日ほど前には後方遮断作戦を行っていた伊十九が、マーシャル方面へと後退中のエセックス級空母を撃沈したりもした。それでもテニアンは陥落も目前といった状況であったし、サイパンもアスリト飛行場周辺が占領されてしまっている。米軍は既に戦死戦傷が5万を超過しているはずだが、豪州2個師団の増援を得るなどして、尚も攻勢を仕掛けてきているとのことだ。


「かの如く逼迫した戦況にもかかわらず、ここ最近の聯合艦隊の消極姿勢には目に余るものがあります。現状でも航空母艦5、6隻は動かせる訳ですから、ただちに機動部隊を編成して殴り込みに……」


「高谷な、少しばかりでいいから、落ち着いてくれんかね」


 豊田大将は些か疲れたような声色で言う。


「マリアナの戦況くらい重々承知だ。その上で、あの島々は陸軍が奮戦するに任せることに決めたのだ」


「なッ……」


 思わず二の句が継げなくなり、


「長官、ふざけるのも大概にしていただきたい。マリアナを見捨てるとでも言うのですか!?」


「ええい、喧しい。俺が好き好んでそんな決断をしたと思うか、陸軍の馬糞クワガタ野郎ども相手に頭を垂れに行くのがそんなに楽しいと思うか、このスカタンの考えなしがッ!」


 豊田は猛烈なまでに激怒し、それから陸軍を猛烈な勢いで批判し始める。

 余程腹に据えかねる何かがあったのだろうか、それはもはや罵詈雑言と表現するのが相応しい。例によって天を衝く頭髪などありはしないのだが、親でも殺されたかのような激しい口調だったものだから、海軍に無双のやくざ者として名を馳せたる高谷も、流石に唖然とするしかない状況だった。


 そうして火山爆発めいた獅子吼は数分にも亘って続き、ようやくのこと鎮静化した。

 東條のカスなんぞと同輩になれるかと絶叫し、海軍大臣就任の打診を蹴り飛ばした。かの人物にはそんな噂があったはずであり、それをネタにネチネチと嫌味でも言われたのかと思っていると、少しばかりバツの悪そうな咳払い。


「まあ陸軍によるとだ、聯合艦隊の助力などなくとも、サイパンはあと半年は確実に持つとのこと。実際そうなのだろう。蟻の巣めいた要塞はほとんど陥落しておらんし、砲弾やロケット弾も自前の小型潜水艇で運び込んでおるという話だ。だいたいその辺の事情はお前こそ詳しいはずだ、何度か輸送任務で重機やら戦車やら運ばせたのだからな」


「しかしテニアンは拙いことになっとるじゃありませんか」


「それも折り込み済みであるらしい」


 尚も不機嫌そうに豊田は言う。

 兵力を集中させる意味もあり、テニアンの防備は元より手薄。しかしかの島嶼は、その全域がサイパンのタッポーチョ山要塞砲の射程に収まっているから、そちらだけ確保しても大した戦略的価値は得られず、航空隊など進出させようものなら飛んで火に入る夏の虫となるとのこと。どうにも引っ掛かるところはあるが、まったく非合理的という気配ではない。


「ともかくそうした訳でな、マリアナ方面は当面、航空および潜水艦作戦を実施するに留める方針だ。その代わりと言っては何だが、陸海軍合同でもっと重要な作戦をやる。目下最大の脅威たる原子動力潜水艦、その燃料生産工場を叩き潰すのだ」


「えッ……」


 高谷もこれにはびっくり仰天で、


「長官、その燃料生産工場なるものは何処に?」


「驚くな、モンタナ州だ。幾つかの筋からその存在を確認した。つまり米本土攻撃をやる」


 厳かなる口調で、驚愕の作戦内容は示されていく。


「モンタナ州西部のフラットヘッドなる湖の畔に、お前のトンチキな義兄が拵えておるのと同型式の原子燃料生産施設が、幾つも建設されておるそうだ。これを放置すると聯合艦隊ひいては皇国が窮地に陥ることは論を俟たぬし、技術進歩の如何によっては、大威力爆弾の完成すらあり得るという。よってこの施設の制圧もしくは破壊は確実に遂行せねばならん。米艦隊戦力はマリアナ沖に集中しておるから、それらを囮の機動部隊で拘束しつつ、聯合艦隊主力をもってアラスカおよびカナダ西北岸を強襲。航空作戦の策源地として太平洋岸の島嶼を一時的に確保し、空挺部隊の投入あるいは爆撃を実施するという寸法だ。これで理解できたな?」


「間違いなく」


 呆気に取られつつも、高谷は武者震いして応じた。

 黒船来航以来の、骨髄にまで浸徹したる恨みが身を焦がす。大東亜十億の民を再三に亘って虐げ、共栄圏の樹立を見ても尚、現状を認めようとせぬ者ども。それらが作り上げし秘密兵器に決定的一撃を加え、世界への野心を打ち砕くというのだから、これほど胸躍る展開もあるまいと彼は思った。


「それで長官……我等が七航戦は、同作戦に参加できるのでしょうな?」


「前々から馬鹿で察しの悪い猪武者だとは思っていたが……ここまで戯けでボンクラな艦隊司令長官が誕生するのかと思うと、薄ら寒い気分になってくるぞ。落ちこぼれのショーフクの方がまだましかもしれん」


「え、ええと……」


「おい、まだ分からぬと言う心算か、高谷中将? お前が艦隊司令長官になるんだよ」


 呆れ果てたような、しかし少々面白そうな口調で、異例に過ぎる人事異動の結果が告げられる。

 一方の高谷はというと……大口をポカンと半開きにしたまま、カチンコチンに硬直してしまっていた。名誉欲だけは人一倍ある癖に、いざ昇進となるとすっかり忘却してしまっていたりするのだから、これまた不可思議なものである。


「陸軍の特種船複数を含めて新編成する第一強襲艦隊、その司令長官だ。これをもってカナダはクイーンシャーロット諸島を占領し、原子燃料生産施設の破壊を支援する。何故だか知らんが陸軍のタコ助どもは、今甘寧だ何だとお前を妙に買っておるようだし、確かに揚陸作戦は数をこなしておるはずだから、一応は適任ということになった」


 豊田は滔々と説き、


「まあお前、相当なボンクラには違いないが、何だかんだ言って今まで生き残っただけあって、奇妙な運だけは持っているだろう? それに加えて、俺も少々気になって幾人かに調べさせたんだが……主力艦を撃沈したという戦果だけは本当にないものの、これまでに行われた幾つかの重要な戦いにおいて、『天鷹』が切っ掛けとなって戦局が好転した例が案外とあるという結論が出た。第一艦隊の宇垣も、勝利の影に七航戦があったと称賛しておったくらいだ」


「あ、あの宇垣がですか?」


「うむ、間違いない。まあ当人に尋ねても徹頭徹尾シラを切られるだろうがな。あんなんを褒めていたと同期に噂されたら恥ずかしいとか何とかブツクサと言っておった」


「は、はあ……」


「ともかくそういう訳だ。お前なんぞに任せるのは率直に言って不安な点も凄まじく多いが……フネを沈めに行く作戦ではないのだから、上手くやれるはずだ。というか上手くやれ。陛下に奏上するに当たって、高谷は敵主力艦の撃沈以外は上手くできる男ですと断じちまったんだよ」


 微妙に自棄が混ざったような面持ちで、豊田はそう言ってのけた。

 日本海海戦を勝利に導いた東郷平八郎は、"運のよい男"であったが故、聯合艦隊司令長官に推挙された。あまりにも有名なる逸話であるが……それと比べると、随分とんでもない推薦理由もあったものだと思えてくる。


 ただ何はどうあっても、艦隊を預かる身となるのは間違いない。

 しかも今次大戦の最後を締め括る、皇国の命運を賭した乾坤一擲の作戦を任されるのだ。自身にかけられたる期待のほどと、信じ難く重大なる責任が、次第に確かなる実感となって身体に染み渡ってくる。本当に最後の最後まで主力艦撃沈と無縁となりそうではあるが、もはやそんなのはチンケな事柄だ。何十億という人生にひとつしかなさそうな大仕事を前に、全身の筋肉をピシリと引き締め、敢然たる面持ちで意気込みを露わとした。


「高谷中将、やってくれるな?」


「はい。全身全霊をもって、務めを果たして参ります」


 高谷は真に屈託なき面持ちで宣誓した。

 そうして桃太郎精神を昂ぶらせ、2000里を踏破した彼方の鬼大陸を脳裏に描く。まさか赴くべき戦場が米本土でなくなり、更に英雄的なる使命を果たすこととなるとは、この時点では知る由もない。

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