颯爽推参、機動旅団長

日本海:隠岐諸島沖



 艦隊司令長官などといったら、親補式によって補されるとんでもない役職だ。

 ただ世界大戦も真っ只中ともなると、諸々の都合もあって、式典が催されぬことの方が多くなってしまっている。陸海軍大臣だの参謀総長だのでなければ、差遣された勅使がこれを代替しているのが現状だ。元々がとんでもないバンカラの無鉄砲、ほとんど何かの手違いで昇進してしまったようなもの――と古巣から疎まれまくっている札付きが、畏れ多くも皇居に参内する運びとなったか否かは、態々記すべくもないだろう。


 ただそうであっても、官記に鈐されし御璽は紛うことなき本物である。

 事実、悪名を轟かせてばかりの航空母艦『天鷹』が艦隊旗艦となり、佐世保鎮守府からの借り物であるとはいえ、長官艇でもってそこに乗り込んだのだ。開戦以来慣れ親しんだ艨艟の甲板には、礼装に身を包みたる乗組員一同、それから麾下の艦艇の士官が勢揃いし、まあ見事な出迎えをしてくれた。彼等を前に訓示を垂れた時の感慨は一入で、何かと海軍の味噌ッ滓扱いされてきた者どもも、空前絶後の栄誉に打ち震えているのではないかと思われた。


 それから新編された第一強襲艦隊というのは、なかなかに新機軸的存在でもあるようだ。

 つまるところ大本営の直下に置かれた、正真正銘の陸海軍合同部隊なのである。高谷はその最高指揮官という大層な扱いにもなっており、上陸作戦参謀という名のついた陸軍将校が、明後日には艦隊司令部に着任するとのこと。更には飛行甲板つきの特種船が3隻、間もなく合流するというから、なかなかに面白い戦ができそうだ。前例がまともにないが故、指揮系統がかなり面倒になるのは明白だが……そこは今甘寧の名で押し通すしかあるまいと奮起する。


「とはいえ、いったい何なのだこれは?」


 司令長官公室にてあれこれ業務をこなしつつ、高谷は思い切り頭を捻った。

 カナダのクイーン何とか諸島を制圧する目的で、『天鷹』および特種船に分乗する予定の陸軍機動第1旅団。関東軍の切り札だというそれは、机上に広げたる資料によると、相当に無茶苦茶な部隊なのである。


「兵隊が個人用気球に乗って敵地に侵入とか、学童向けの冒険小説か。流石にどうかしているとしか思えんぞ」


「少将……もとい、中将。その部隊には兵隊はおらんようです」


 航海参謀の鳴門中佐が、ぼんやりとした口調で言う。


「何でも伍長より上しかおらんとか。なかなか大変そうな部隊で」


「メイロな、そんなことなど聞いておらん。もっと専門的な内容を述べろ」


「そういう意味ですと……少々厄介に思えます。何せモノが水素気球ですから、昨年からばら撒いているふ号兵器と同様、風任せで飛んで行ってしまう訳ですし……洋上から発進させるとなると、風向がそちらに向くまで待たねばなりません」


「間違いなくそうなるよな。ううむ、どうにも先が思いやられる」


 高谷は再び首を傾げ、果たしてどう戦ったものかと思い悩む。

 元々想定していた対ソ後方攪乱戦ならいざ知らず、気球空挺部隊を島嶼制圧戦に用いるなど、素人目にも狂気の沙汰としか映らない。幾ら精鋭を集めたとしても、これではあたら命を徒にする結果にしか繋がらぬだろうし、乾坤一擲の米本土強襲作戦に相応しい気配はまったくと言ってほど感じられなかった。


(まったく……これでは戦にならん、どうする心算だ)


 陸軍の無茶苦茶振りに呆れつつ、久々に身に着けた鈴をチリンと鳴らしてみた。

 すると機を見計らっていたかのように、電話器がジリリとがなり立てる。誰かと思えば通信室の当直。電探が連絡機らしき反応を捉えた、間もなく着艦する模様とのことだった。


「あ、そういえば当の機動旅団長がやって来るんでしたね」


「何だメイロ、お前も忘れとったんか。まあいい、早速出迎えに行くぞ」


 高谷と鳴門はスクッと立ち上がり、身嗜みを迅速に整える。

 陸軍のお偉方が何を考えているのかはさっぱりだが――本当に気球作戦などという暴挙に出るというのなら、向こうの指揮官も当然の疑問を抱いているであろう。あるいは秘策があるならそれでよい。とにかく当人に直接問い質し、白黒はっきりさせんと、彼等は急ぎ駆けていく。





「おいおいおい、こんなのが来るとは聞いておらんぞ」


 姿を現した連絡機なるものを一瞥するなり、高谷は呆気に取られる。

 機体の真上についた巨大なプロペラを回転させ、バラバラと喧しく飛翔する代物だった。回転翼機だけに回天と命名された、まったく新機軸の航空機である。かの大学者ダヴィンチのスケッチ、あるいは竹トンボにまで起源が遡るそれは、海軍でも対潜哨戒のために導入され始めているらしいが……現物を見るのはこれが初めてだった。


 ただまったく分からぬのは、機体に取り付けたサイレンでもって、五月蠅い限りの音楽を垂れ流していることだ。

 その筋に詳しい人間に尋ねてみると、何でも戦乙女に関するワーグナーの楽曲であるという。ドイツのFa223を小改修して採用したのが回天であるが故かもしれないが、とにもかくにも騒音公害が甚だしい。挙句、搭乗しているのは機動第1旅団の長である。これから一緒に米本土へと攻め込もうという人物が、カントがショーペンハウエル化するような脳味噌の持ち主なのかと思うと、暗澹たる気分になってきて仕方がない。

 尚、艦長の陸奥大佐などは、戦乙女と聞いて鼻の下を伸ばしている始末。今後未曾有の一大作戦が控えているというのに、こいつの軽佻浮薄さと浮気性は筋金入りである。


「それで、ええと……」


 回天が生み出す暴風とワーグナーの中、高谷は制帽を押さえながら尋ねる。


「機動第1旅団の長は、何と言ったかな?」


「中将、長ですよ」


「だからムッツリ、長は誰だと聞いておるんだ」


 繰り広げられるは、実にしょうもないやり取り。

 そうこうしているうちに、『天鷹』と速度をピタリと合わせた回天から、ロープがするりと降ろされた。それを伝って、10メートル威風堂々降下してきたのは……何と陸軍少将である。


「高谷中将閣下、お初にお目にかかります。自分は陸軍少将の長勇です」


 飛行甲板にドスンと足を衝くや、歩く爆薬めいた怪傑が即座に敬礼し、大音声で名乗りを上げた。


「人呼んで超勇ましい長勇。この度は今甘寧と名高き高谷中将閣下の下で大任を果たす運びとなり、至極光栄に存じております。陸海軍の垣根を超え、ともに全身全霊をもって米秘密工場制圧を成し遂げましょうぞ」


「お、おう……長少将、よろしく頼むぞ」


 高谷は少しばかり呆気に取られつつ、これまたとんでもないのが来たと直感する。

 真っ先に脳裏に蘇ってきたのは、MO作戦での悩ましい記憶。大本営参謀中佐の何とかが前線視察という名目で『天鷹』に乗り込んできて、まったくの善意で現場を引っ掻き回した末、敵弾に散華し軍神となってしまった。どうしてかそれ以後、妙なくらい陸軍からの覚えが目出度くなり、終いにはこうして陸海軍合同部隊の指揮官となってしまった訳ではあるが……正直なところ、かの人物の類似品が如き面倒人士がやってきた印象だ。


 しかも抱いた危惧を裏打ちせんばかりに、剣客小説まがいの大言壮語が重機関銃の如く発せられる。

 ただそれで疑問が氷解したりもした。回天は今まさに『天鷹』への垂直着艦を敢行せんとしているが、機動第1旅団はこの機体を何十と配備し、多発する事故にもめげず特種船での離発着訓練を続けてきたという。つまるところ彼等は驚天動地の空挺部隊となっており、手続きの遅れが故に書類上では気球部隊となっていただけなのだ。あからさまに下剋上気質が見て取れる旅団長の扱いが難儀であるとしても、北米方面作戦はなかなか豪胆にやれそうな雰囲気がしてくる。

 そして長が大波に乗り、前段作戦完了の後にバンクーバー島およびシアトル方面への疾風迅雷の空中機動戦やると怪気炎を上げる中……まったく予想だにしなかった人物が、飛行甲板へと降り立つ様が目撃された。


「すなわちそういった訳で、隠岐諸島での集中的な離発着訓練をもって部隊錬成の総仕上げとし……」


「ええと、長少将」


 高谷は思わず目を擦り、些か気を動転させる。

 かつてペルシヤ湾で仮装巡洋艦による斬り込みを仕掛けてきた、現代の海賊とでも言うべき英国海軍のリンチ中佐。文字通りの真剣勝負の末に降した彼の姿が、間違いなく艦上にあったのだ。


「いったいどうして、リンチ中佐を連れてきておるのだ!?」


「今甘寧と名高き中将閣下が業前を今一度、我等に御披露いただければと思いまして」


「おい、冗談だろう?」


「無論のこと冗談です、中将閣下」


 長はまず豪快に笑い、それから生真面目な顔をする。


「実のところを申しますと、リンチ中佐には本作戦の水先案内人を務めてもらうこととなっております。虜囚としての労務を通じてアングロサクソン帝国主義の愚を悟った彼は、大東亜王道楽土建設への参画をもって皇国に刃向けたる大罪を謝したいと、自らの意志で申し出ました。尚、親族がカナダ西岸で事業をやっておる関係で、現地の情勢にも通じておるとのこと」


「ふ、ふむ。なるほど」


 何処まで本当の話だろうか。流石の高谷も訝しんだ。

 半ば捨て駒にされた身とはいえ、とてつもなく勇敢で高潔なる漢である。それが易々と祖国を裏切る気もしないが……あるいはちょいと前に抜山が吹聴していた日英密約とやらが、実のところ本当のことなのかもしれぬ。


(まあ、細かいことはいいか)


 高谷は難しく考えるのを止め、かつて斬り合った傑物を出迎えた。

 信頼のおけぬ者を態々収容所から連れてくる馬鹿もおらぬだろうし、何処かで裏切る心算なら、今度こそ三日月刀の錆にしてやるまでだ。それに騎士道精神の持ち主ならば、卑劣な真似などすまい。彼はかような具合に楽観し、長が望んでおった通り、ペルシヤ湾決闘の再演でも披露してやろうかとほくそ笑む。

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